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第三話 やさしいかぜの日

 やさしいかぜの日(リベルテ歴145年 5月)

 

 小さく雀の声が響く。降り注ぐ陽射しがカーテンの隙間から射し込み、紫髪の少年の顔にあたる。


「んぅ……」


 小さく呻いて、彼……シストは小さく呻いて布団に潜り込む。春先とは言えまだ朝は冷える。未だ布団の中に潜っていたかった。


 入団してから数年。朝早い起床にも訓練にも慣れたけれど、早起きに慣れたという訳ではない。朝日を避けるように布団の中に潜り直していれば、しゃっとカーテンが開く音。一層眩しさを増して、シストはんん、と低く唸った。


 それと同時、のしっと体の上に乗っかる何か……基誰か。うぐ、と呻き声を挙げるのと同時にべりと布団を剥がされた。


「起きろ、シス! 朝だぞ」


 そう言いながらぺちぺちと頬を叩いてくる同室者……エルド。薄目を開けて見れば、彼は既に制服に着替えている。ここ数年で見慣れた光景だ。


「んんん……まだ眠い……」


 そういいながらシストは布団を取り返そうとする。しかしエルドも譲らない。彼の体の上にのしかかったまま、ゆさゆさと体を揺さぶり、彼を起こそうとする。


「早く起きないと遅刻するだろ! それに俺、腹へったよ。朝飯、早く行こうぜ」


 早く、と起こしにかかるが、シストは不機嫌そうに眉を寄せている。布団を引き寄せようとしながら彼は唸るように言った。


「先行っててくれ……俺は、眠い」


 もう少し寝るから。そう言い出す彼を見てエルドは深々と溜め息を吐き出す。

 もう部屋には燦燦と朝日が降り注ぎ、外は少しずつ賑やかになり始めている。いつも通りの一日が、始まろうとしている。だというのに、この同室者は……そう思いながら呆れたように、ひとつ溜め息。それからエルドはむにっとシストの頬を掴んだ。


「あーもう! それでおいてったらこの前二度寝してただろお前!」


 そう。先日も同じようなことを言って、彼は二度寝していたのだ。おかげで訓練に遅刻しかけたというのに、彼は未だ懲りていないらしい。

 早く起きろ、とエルドが言い続けていると、彼は漸く体を起こした。涙に濡れたアメジストの瞳を擦りつつ、恨みがまし気な声をあげる。


「エルと違って低血圧なんだよ……」


 横暴だ。そういいながら彼は大欠伸をしている。これでいて訓練中や任務中は真面目で上官からの評判も良いのだから、詐欺もいいところである。


 彼らは無事に訓練を積み、晴れてアークの騎士になっていた。配属されたのは、二人とも雪狼。同期生のルカも同じで、アネットだけ炎豹だ。〝どうして俺だけ違うんだ! 〟と少しむくれていたアネットだったが……彼の戦闘スタイルと性格を鑑みれば至極当然。それに彼もまた、炎豹の考え方やスタイル、そして上官には感銘を受けたようで、すぐにそんな文句は言わなくなっていたけれど。

 ルカはルカで……何やら、大変だったようだが、今は大分立ち直っている。何でも、故郷が竜の襲撃に遭ったとか。雪狼の統率官、ルイも急いで向かったらしいが被害は甚大で、今もその村は復興の最中だという。


 そんな話も聞いて、シストもエルドも一層強さを求めた。強くなって、大切なものを守りたい、と。もう訓練だけではなく、ちょっとした任務に出掛けるようにもなっている。誰かの役に立てるというのが嬉しくて、二人は任された任務の数を競ったりもしていた。


 そんな勇敢で向上心も強いシストなのだが……朝の調子はこれ、である。


「やれやれ」


 エルドは軽く肩を竦めると、ともすればベッドに伏せってしまいそうな彼の腕をぐいと引っ張り、半ば叫ぶように言った。


「低血圧でも低気圧でもなんでも良いから起きろって!」


 そういってベッドに座らせたシストの髪を撫でつける。真っ直ぐな紫髪には少し寝癖がついて、毛先が跳ねている。それを撫でつけて直してやってから、エルドはシストの額を小突いた。


「しかも今日! ルイ様に呼ばれてただろ!」


 今日は、上官……それも、統率官であるルイ・ラフォルナに呼び出されているのだ。何の用事なのか、まったく知らされていない。とりあえず朝、任務なり訓練なりに行く前に来い、といわれているのである。


「早く準備していかなきゃいけないだろ!」


 そんなエルドの言葉が漸く、スリープ状態の脳味噌を叩き起こしたらしい。シストはかっと目を見開くと、慌ててベッドから飛び降りた。


「っ、そうだった……」


 まずい。そういいながらばたばたと身支度を始めるシスト。その素早さに若干呆気にとられたように目を丸くしたエルドだったが、やがて呆れたように溜息を吐き出した。


「忘れてたのか……」


 まったく、この少年は真面目なようで何処か抜けている。だから放っておけないのだ。そんなことを考えながら、エルドはくつくつと笑みを零したのだった。


 ***


 そうして二人は上官のもとへ向かった。やや緊張気味に部屋に入ってきた二人をみて、ルイは言った。「今日から二人でパートナーを組んで任務に出て見ないか」と。


「え? 俺たちが?」

「パートナーに、ですか」


 そう呟くと二人は同時に顔を見合わせた。驚きと困惑とを表情に滲ませた相手の顔が見える。そんな彼らの様子を見て、ルイは問うた。


「いやか?」


 無理にとは言わないが。そういう彼の言葉に、エルドがぶんぶんと首をふった。


「嫌じゃないです!」


 そうきっぱりと言い放つ。窓から吹き込んできた風がふわり、と彼の柔らかな髪を揺らした。彼のあまりにも迷いのない返答にシストが驚いていると、彼はシストの方を見た。


「シスは、嫌か?」


 俺一人で決められることじゃ、ないから。そういって苦笑するエルド。シストはゆっくりと瞬きをした後、首を振った。


「嫌じゃない。……でも、良いんですか? パートナー制度は、ヴァーチェからじゃ……」


 そう、シストはルイに問いかける。本来、パートナーを組んで任務に出掛けるのはヴァーチェの騎士からなのだ。それなのにアークの自分たちが、良いのだろうか?

 シストの問いかけにルイはすぐに頷いた。そして紅色の瞳で二人を見ながら、いう。


「構わない。回す仕事はアークの仕事だが、二人で行ってもらう分、少し大変なものになるが……出来るならな」


 今までより難しい仕事も増える。それでも、出来るか。真っ直ぐに二人を見据えながらそう問いかける上官の瞳を見て、シストもエルドもゆっくりと瞬きをした。そして顔を、見合わせる。爽やかな、柔らかな初夏の風に吹かれながら二人は、力強く頷いて見せた。


「勿論!」

「頑張ります」


 自信を持ってそう頷いて見せる彼らを見て、ルイは穏やかに目を細めた。そして優しく二人の頭を撫でて、言う。


「任せたぞ」


 あぁ、期待されているのだ。自分たちになら出来ると、そう思ってこの人は……そう思うと胸が熱くなって、頑張ろうという想いが湧き出してくる。

 二人は改めて頷いて見せると、一度礼をして、彼の部屋を出ていったのだった。


 ***


 二人はそのまま、初めて二人で任務に向かった。

 仕事自体は簡単で、森の奥に巣を作った魔獣の討伐。数もそんなに多くはなくて、難しい仕事ではなかった。それを終えて、二人は一息ついた。初めて二人で仕事をこなしたという達成感にシストが一息ついていると。


「あー、緊張した……」


 エルドがはぁあっと息を吐き出して、いう。恐らく、任務に出る前の、ルイの呼び出しのことを言っているのだろう。大して緊張しているように見えなかったが……そんな言葉を飲み込んで、シストは彼にいった。


「セラの騎士と話す機会なんて、そうそうないもんな」


 苦笑まじりにそういうと、エルドはうんうんと頷き返してくる。シストはそんな彼を見て〝そこまで緊張したのか〟と可笑しそうに笑った。


「でもあれ、ルカの父さんだろ?」


 彼は、二人の友人であるルカの父親。だからそこまで緊張する必要は、ないと思うのだけれど。シストがそういうと、エルドは苦笑を漏らして肩を竦めた。


「まぁ、そうだけど……それにしたって、貫禄が違うじゃん」


 上官、なんだし。そういわれて、シストも小さく頷く。


「まぁなぁ」


 思い出すのは彼の息子であり、シストとエルドの共通の友人であるルカのこと。彼は生まれつき魔力が弱いとかで、一切といっていいくらい魔術は使えなかった。しかし剣術の腕が、ずば抜けて優れていたのである。


 実際、魔術も使えない癖に騎士になる気かと先輩に揶揄われることも少なくなかった。親の七光りだろうと誹られたりもした。しかしルカはその度に、剣術だけでその相手を負かして、実力を示していた。……勿論、私闘をしたということで父親であり上官であるルイにこっぴどく叱られていたけれど。

 そんな彼とルイは容姿こそよく似ているけれど、性格はやはり違うように思える。どちらかといえば厳格な方であるように見えるルイと、何となく緩い雰囲気を持つルカ。……まぁ、年が近い所為もあるだろうけれど。


 そんなことをシストが考えていた時、ぶわっと風が吹いた。


「わ……っ」


 驚きに思わず二人は声をあげる。と、ふわりと甘い香りが漂ってきた。菓子や香水の匂いとは違う……花の、香り。


「すげー、良い匂い」


 エルドもそれは感じ取ったようでそう呟いた。くんくんと鼻を鳴らす彼。シストには、その香りに覚えがあった。


「藤の匂い、かな」


 小さく呟いて、周囲に視線を巡らせる。それらしい木は見えないのだけれど恐らく、近くにあるのだろう。シストがそういうとエルドは感心したように声をあげた。


「へーよくわかるな、シス」

「元々異国の花らしいけど……割りと好きだよ、俺」


 故郷の、家の近くに生えていた。遠く、異国の花だというそれはこれくらいの時期になると葡萄のような花をつけて、この香りを撒くのだ。


「花が終わると空豆みたいな種ができるんだ」


 良くそれで姉とままごとをしていた、ということは思い出さなかったことにして、シストはいう。エルドは彼の言葉に目を丸くした。


「へー、食える?」


 彼の……相棒の発言に、シストはぶっと噴き出した。そして可笑しそうに笑いながら、いう。

 

「食えねぇよ、馬鹿」

「馬鹿って言うなよな」


 むぅ、とむくれるエルド。それでも、きっと藤の花、が気になったのだろう。きょろきょろとあたりを見渡しながら周囲に木を、花が咲いた木を探した。


「あ、これか!」


 案外とそれは近くにあって、エルドがすぐに見つけ出した。案の定、淡い紫の花を葡萄のように下げて咲くその花は、甘い香りを放っていた。


「うわ、すげーな」


 一杯咲いてる。こんな、管理もされていないような場所なのに。そうシストが呟いていれば、まじまじと藤の花を見上げていたエルドがふと、視線を向けてきた。


「何?」


 どうかしたのだろうかと思いながら首を傾げると、彼はふわっと、無邪気に笑った。


「シスの髪の色と一緒だな」


 そういいながらエルドはそっと、シストの髪を漉く。どうやら花びらが絡まっていたようで、彼の指先には一枚藤の花弁が乗っていた。


「あ……そっか」


 今気がついた、と言わんばかりにシストが呟くとエルドは不思議そうな顔をした。こてんと首を傾げて、問いかけてくる。


「あれ? そういう意味で好きなんじゃなかったのか?」

「そういうつもりはなかったな……姉ちゃんが好きでさ」


 そういってシストは藤を見上げる。柔らかな香りを放つ、自分の髪の色と同じ色の花。もしかしたら姉は、そういう意味でこの花が好きなのかもしれないな、などと思いながら表情を綻ばせる。


「あ、姉さんいるのか」


 エルドの発言で、そういえばそんな話をしていなかったということを思い出す。彼が孤児院育ちで家族を知らないものだから家族の話は避けてきたのだけれど……彼はそういったことを気にするタイプでもないか、と思いながらシストは頷いた。


「うん。遊びにきたいーっていってたけど」

「呼んであげれば良いのに」


 エルドはそういいながら笑う。忙しいためにあまり望む騎士は居ないのだが、上官と女王の許可さえあれば親族との面会は可能だ。呼んでやればきっと喜ぶだろうと、エルドは言う。シストはそれを聞いて少し考え込む顔をすると……やがて、ゆっくりと首を振った。そして呟くような声で言う。


「どうせ会うなら……もう少し強くなってからが良い」


 元々、自分を守るために傍に居てくれた姉を守りたくて騎士になったのだ。だから、もっと強くなってからの方が良い。シストは静かな声でそう言った。

 さぁっと、春の風が吹き抜けて、藤の花を揺らす。エルドは真剣な表情のシストの横顔を見つめた後、エメラルド色の瞳を細めた。


「ふぅん、そっか……なぁシス」

「? なに? エル」


 唐突に自分を呼ぶ彼に、シストは少し怪訝そうな顔をしつつ彼の方を見た。すると彼はいつもの、人懐っこく明るい笑みを浮かべて、言った。


「俺たち、絶対最強の相棒(バディ)になろうな!」


 に、と笑う彼。頭に一枚、藤の花弁を乗せて。最強の相棒。その言葉は何だかとてもくすぐったい響きを持っていた。けれども彼の言葉を否定するどころか、そうなりたいと強く思った。

 これから、二人で一緒に仕事をしていくのだ。きっと、大変なことだってたくさんあるだろう。それでも、二人でならば乗り越えられると、そういい切れるような二人でありたい……――シストは確かにそう思いながら、はにかんだような笑みをうかべて、頷いた。


「……うん」


 なろう。そうシストが言うと、エルドは一層嬉しそうに表情を綻ばせて、何か言おうとした。……しかし。


「うげっ、蜂だ」


 ……そう叫んで飛び退くものだから、雰囲気もぶち壊しだ。

 藤の花は甘い蜜を持っている。それ故に蜂が出るのは至極尤もだ。丸々と太った熊蜂が、飛んでいる。

 それに驚いたのかエルドがシストに飛びつこうとする。それを躱して駆け出したが、エルドは迷うことなくそれを追いかけてきた。


「うわぁっ?! 走ってくるなエル!」

「だって追いかけてくる!」


 後ろを振り向きながら表情をひきつらせて叫ぶエルド。シストはそんな彼に叫ぶように言う。


「気のせい! 気のせいだから!!」


 動くから追ってくるんだよ! そうシストが言うが、エルドは聞いていないようで、がしっとシストの手を掴んだ。


「うわぁああ、逃げろー!」

「にげるからだって! おとなしくしてろよ!」


 もう! と言いつつエルドもシストも笑っている。繋いだ手のぬくもりは、まるでその日の日の光のように優しく、心地よいものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―― やさしいかぜの日 ――

(はじめて、パートナーとして任務に出掛けた日。 一人では無理でも二人なら…そう思える相棒同士(バディ)になってみせようと誓った日)

(馬鹿みたいなやり取りも、いつも通りの朝も、全部幸せなもの。あぁこの幸福な日々を守るために俺たちはきっと、強くなろう)

 

 

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