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第九章 涙雨の日

涙雨の日(リベルテ歴153年 10月)


 時計を見上げ、ルビー色の瞳を細める。書きかけの書類。ペンを置きながら、一つ溜息を吐き出して、ルカは呟く。


「……遅いな」


 雪狼の騎士たちがイヴル・ヴォルフの討伐に向かってから、かなりの時間が経つ。幾つかのチームは帰ってきているのに、まだ戻ってきていないチームがある。それも、ルカがよく知った二人組が。

 彼ら……シストとエルドを向かわせた地域(エリア)を確認する。そんなに、遠くはない。魔獣も、決してそんなに強い物ではない、と思うのだけれど……


「何に手こずってんだろ……」


 彼らはそれなりに強いはず。倒せない、なんてことはないはずなのだけれど……

 予想外のことが起きたとか? 思ったより多くの魔獣がいたとか、他の魔獣の巣に近かっただとか……否、それならば今頃通信が入っているはずだ。それもないことを考えると……恐らく、順調なはずなのだけれど。

 少し様子を見に行かせた方が良いだろうか。そんなことを思った、その時。がちゃりと、ドアが開いた。ノックなしにドアが開くことは珍しいから驚いたが、部屋に入ってきた長い紫髪の少年の姿にほっと息を吐き出して、声をあげた。


「! おかえ……」


 おかえり。いつものようにそう紡ごうとした言葉は、途中で途切れた。


「っ?!」


 息を呑み、大きく目を見開くルカ。ガタンっと音を立てて、椅子から立ち上がる。

 ノックなしで部屋に入ってきたのはシスト。俯いたまま、顔を上げないでいる……白い制服を、くすんだ赤色に染めた、シストだった。


「シストっ?! どうした、お前、それ……!」


 声にならない声をあげ、ルカは彼に駆け寄る。強く肩を掴み、揺らすが、彼は変わらず顔を上げなかった。ルカはそんな彼の肩を掴んだまま、叫ぶように問うた。


「怪我したのか?!」

「…………」


 無言のまま、彼は首を振る。一向に顔を上げず、声も上げないシストにルカの驚嘆は、混乱に変わる。


「……シスト? どうした」


 そう問いかけると、彼はようやく顔を上げた。涙に濡れた頬。彼は震える唇を開いた。


「……っ」

「え?」


 しかしそこから洩れるのは、掠れた吐息ばかり。状況が読めず一瞬固まったルカだったが……やがて、一つの疑問が、頭に浮かんだ。


「……シスト、エルドは、どうした?」


 一緒に居るはずの相棒の姿が、見当たらない。それは可笑しいことだ。……彼は、何処にいる?

 ルカがそう問うと、シストはびくりと肩を揺らした。それから、アメジストの瞳をまた涙で潤ませて、掠れた声で告げる。


 ―― エルドが死んだ。


 声になっていない声でも、ルカはそれを聞き取れた。そして、大きく目を見開く。


「エルドが、死んだ……?」


 信じられない、というようにルカは声をあげる。しかし、実際は……何となく想像は、ついていた。

 傷はない、血まみれのシスト。傍にいない相棒。泣き濡れた瞳。……最悪の状況を想定するに、資料が揃い過ぎていた。

 シストは多少だが空間移動魔術が使える。歩いて帰ってきたのではなく、空間移動で帰ってきて、状況を伝えるためにこうして自分のところに来たのだろうと、変に冷静に分析できた。……できたが、その状況を飲み込むには、あまりに事態が大きすぎて。


 固まるルカを見て、シストはその場に座り込む。俯き、泣きだす彼を見てはっとすると、ルカはしっかりとその肩を掴んで、声をかけた。


「シスト、落ち着け、大丈夫だ、お前の所為じゃ……」


 お前の所為じゃない。ルカがそういうと、シストはぶんぶんと首を振った。そして、声にならない声で言うのだ。


 ―― 俺の所為だ、と。


 彼が、エルドが死んだのは自分の所為だ、ごめん、ごめんなさい。そう、掠れた息で吐き出して、彼は激しく泣きじゃくった。


「……シスト」


 ルカはぐっと唇を噛み締める。そしてただ彼の名を紡ぎ、ぎゅうっと彼の体を抱きしめた。そうしないと彼が壊れてしまう気がした。全てを一人で背負って。


「落ち着けシスト、大丈夫、大丈夫だからな」


 ただ抱きしめて、彼の名を呼んで、大丈夫だから、と宥める。そうしてやることしかできない自分を歯がゆく思いながら、ルカは顔を歪めていたのだった。 


 ***


 やがてシストは泣き疲れたのか、眠ってしまった。否、気絶した……の方が近いだろうか。そんな彼をベッドに寝かせて、雪狼の騎士たちに指示を出す。


「シストとエルドが行っていた地域に向かってくれ。まだ魔獣の残りがいないとも限らない、十分警戒していくこと」


 まだ、彼が死んだという実感は湧かない。けれども、だからといって茫然としているわけにはいかないのだ。自分は、一部隊長なのだから。

 全ての処理を終えて、ルカはふっと息を吐き出す。それと同時、トントンと軽いノックの音が響いた。


「どうぞ」


 ルカが応じるとドアが開いて、静かに入ってくる、緑髪の医者……ジェイド。


「ルカ」

「! ジェイド……」


 大きく目を見開くルカ。ジェイドは彼に少し微笑みかけると、視線をベッドに眠るシストの方へ向けて、痛ましげな表情を浮かべる。恐らく、話を何処かから聞いたのだろう。眉を下げ、溜息を吐き出しながら、静かな声で彼は言う。


「シストは、連れていきますね」

「どうして?」


 此処で、寝かせて置いても良い。或いは、彼の自室に……ルカはそう言いかけたが、ジェイドが先に、静かな声色で言う。


「……放って、おけないでしょう」


 そう言われて、ルカは大きく目を見開く。それから、ふっと息を吐き出して、言った。


「あぁ、そうだな……一人でいたくないだろう」

「いえ、それだけではなくて……」


 ジェイドは緩く首を振る。そしてベッドに寝ているシストの頬をそっと、指先で撫でた。


「一人でいたら……何をするか、わかりませんから」


 ぽつり、と呟くような声に、ルカははっと、息を飲む。

 何を、するか。その〝もしかしたら〟を思い浮かべて、さっと青ざめる。独りにしておいたら……もしかしたら、自らの命を……?

 視線を揺るがせる彼を見て、ジェイドはふうっと深い息を吐き出しながら、言った。


「僕もまだ事情はよくわかりませんが、シストは激しく自分を責めているようでしたから」


 もしかしたら、ね。そういいながらジェイドは眉を下げた。ルカはそれを聞いてこくりと頷いた。


「……あぁ、そうだな。自分の所為だ、っていってた。いや、声には、なってなかったけど」


 声が出なくなっていた、大切な部下。そのことを説明すると、ジェイドは一層悲し気に眉を下げた。


「……そうですか」


 小さく呟くと、ジェイドはそっと、シストの体を抱き上げた。


「そろそろ病室に連れていきますね。落ち着いた頃に、顔を見せてあげてください」


 呟くように言うジェイド。ルカはそれにあぁ、と頷いて見せる。ジェイドはそんな彼に微笑みかけると、ふと何かを思い出したような顔をした。そして、ルカに向かって、言う。


「貴方も、着替えた方が良いですよ。……貴方の服も、血まみれですから」


 そうとだけ告げると、ジェイドは部屋を出ていった。


「あ……」


 そう言われて、ルカは自分の服を見た。確かに……自分の服も、汚れている。エルドの血液で汚れていたシストを、抱きしめていたものだから。

 ルカは小さく息を吐き出して、自分の手を見る。そしてその手を固く握りしめながら、震える声で呟いた。


「エルド……っ!」


 自分の所為だと声にならない声で呟き、泣いていたシストの姿を思い出して、ルカは首を振る。


「違う、シスト……俺の、所為だ。お前の、所為じゃない」


 ルカがそう呟くのと同時に、控えめなノックが響いた。それにはっとして、ルカはぐいっと目を擦って、入れ、と声をあげる。


 部屋に入ってきたのは、先刻〝捜索〟の指示を出した雪狼の部下たち。ルカよりずっと後に入団してきた、年下の騎士たちだった。暗い顔をした彼らは、静かな声で報告を入れる。


「ルカ統率官」

「……エルドさん、見つかりました」


 その言葉に、ルカは一瞬表情を強張らせる。しかしすぐに頷いて、硬い声で応じた。


「そうか」

「シストさんが保護の魔術をかけていたようで、思ったより損傷は少ないです、すぐに回収して……――」


 見つかった。損傷は少ない。回収。そんな言葉の断片が、胸に刺さる。あぁ、本当に、彼は……――そう思って、ルカは無意識に硬く拳を握っていた。


「ルカ統率官?」


 そう呼ばれてはっとする。普段ならば気軽にルカ、と呼ばれることも多い自分をそう堅苦しい呼び方で呼ぶのは、現状がそれくらい、深刻な事態であるからか。そう思いながらルカは顔を上げ、軽く首を振った。


「すぐに、向かえ。他の奴等にも通達を。……葬儀を、しないといけないからな」

「わかりました」


 そう応じて一礼すると、騎士たちは部屋を出ていく。

 誰も居なくなった部屋は酷く静まり返っていて、自分の鼓動ばかりが響いて聞こえる。固く握りしめた掌に爪が突き刺さっていて、血が流れていた。


 ***


 鐘の音が響き渡る。最後の別れを告げて、彼を見送って、ルカは息を吐き出す。

 手にあるのは、一枚の報告書。それは、シストが昨夜提出しに来た……あの任務の、報告書だった。涙に濡れた痕の残る書類。それに記されていたのは、あの時起きたことの全て。

 魔獣全てを倒せたと思ったこと。一瞬油断したこと。そして……


「……エルドが、シストを守ったのか」


 それを理解して、ルカは息を吐く。そして空を、見上げた。

 彼はもう、辿り着いただろうか。生きた人間ではいくことが出来ない場所に、安寧の地に。


「……ありがとう、なぁ、エルド」


 大切な友人を、部下を、守ってくれてありがとう。そう呟いて、ルカは眉を下げる。そしてぽつり、と呟くように言った。


「ごめん、な……」


 守ってやれなくて、ごめん。そう呟く、ルカ。

 自分があの任務に行かせなければ。もっと早く異変を察知していれば。そう思わずには、いられない。けれども……ずっと自分が、悩んでいるわけにはいかない。今一番苦しいのは、シストなのだから。

 そう思いながらルカは一度、自分の頬を叩く。しかし彼のルビーの瞳には、悲しみの色が揺れていた。


 ***


 暖かな紅茶を淹れる。

 養母(はは)が作ってくれたシフォンケーキを切り分けて、銀の盆の上に置く。小さく溜息を吐き出す桃色の髪の少女は目を伏せた後、こんなことではいけない、というように首を振った彼女……シストの姉であるロゼは、家に帰ってきている弟がいる部屋に向かった。


 彼は一度騎士の仕事を休み、帰省している。今も変わらず、二人部屋。その二段ベッドの上段に、彼は腰かけていた。


「……シスちゃん」


 ロゼはそんな彼に声をかける。すると彼は少し肩を揺らしてから、振り向いた。そしてふわりと、弱々しく微笑む。


「……姉貴」


 そう呼ぶ声は、まだ掠れている。

 漸く出るようになった声。しかしそれは必ずしも傷が癒えたことの証拠ではないと、ロゼもわかっている。

 かたん、とトレーをテーブルに置いて、一息。


「お茶の時間?」


 と問う弟に頷いてやれば、彼はベッドから降りてきた。

 美味しそうだ、と笑う彼。それが空元気であることは、痛いほどよくわかる。ロゼはぽつりと呟くように、言った。


「大丈夫、じゃないよね……」


 かけがえのない相棒を失ったのだ。大丈夫なはずが、ない。ロゼの言葉にも、シストは無言でいる。

 そんな彼を見て、ロゼは眉を下げる。そして傍にいる彼を、ぎゅっと抱き締めた。


「っ……」


 強張る、シストの体。いつもならば〝やめろよ姉貴〟と即座に飛んでくる声はない。ロゼはそんな彼をしっかりと抱き締めたまま、その頭を優しく撫でた。


「帰ってきても、良いんだよ」


 小さな声で、彼女は言った。その言葉に、シストは大きく目を見開いた。


「え……」


 どういう、意味。そうシストが掠れた声で問いかければ、ロゼはふっと笑みを零した。そしてシストの体を離して、彼の顔を見つめる。揺れる、アメジストの瞳。それを見つめて、ロゼはにこりと微笑んだ。


「無理して、騎士、続けなくていいんだよ」


 いつの間に、こんなに弟は大きくなっていたのだろう。騎士になるといって家を出たあの日から、滅多に会うことも出来なくなって、気がついたらこんなに大きくなっていた。まさか、こんな風に傷ついて帰ってくることになるなんて思っていなかったのだけれど。

 彼がもう無理だというのなら、やめてもいいとロゼは思っていた。人を亡くすというのは、それくらい辛いことだ。無理をして、愛しい弟が壊れるのは見たくないと、ロゼはそう思っていた。


「……うん」


 シストはこくり、と頷く。そして姉の肩口に顔を埋めた。肩が震える。微かな啜り泣きを聞きながら、ロゼは優しく彼の背中を撫でた。


「シスちゃん、シスちゃんは一人じゃないよ、大丈夫だからね」


 私はいつでも傍にいるよ。そう、ロゼは言う。


「ありがと……姉貴」


 姉貴が俺の姉貴で良かった。シストは、そう静かな声でいう。ロゼはそれを聞いて、大きく目を見開いた。


「うん、大丈夫……大丈夫」


 肩を震わせて嗚咽を押し殺しながら涙を零す、大切な弟。その体を守るように抱き締めてやりながら、ロゼも静かに涙を溢れさせていたのだった。


 ***


 それから、数ヵ月。仕事をしていたルカの部屋のドアをノックする、ひとつの影。すぐに返ってきた返事に、少年はドアを開けた。

 忙しいのか顔をあげない、ルカ。それを見てふっと息を吐き出すと、彼は統率官の名前を呼んだ。


「ルカ」


 その声に、彼ははっとして顔をあげたルカは、鮮やかな赤い瞳を大きく見開く。


「! シスト」


 そう呼んで、彼は椅子を蹴って立ち上がる。そしてシストの肩を掴んだ。……あの日のように。

 シストは眉を下げ、笑う。自分を見つめている心配げなルカを見つめ、彼は言った。


「ごめんな、長く、休んで」

「……もう、平気か?」


 そう、ルカは彼に問いかける。シストはこくん、と小さく、しかし確かに頷いた。


「あぁ、大丈夫だ。……でも」


 そこで言葉を切る、シスト。それを聞いてルカは怪訝そうに瞬きをした。


「ん? どうした」


 そう問いかけるルカ。シストはそんな彼を真っ直ぐに見据え、静かな声で、言った。


「もう、パートナーはいらない」


 彼の言葉に、ルカは目を見開く。揺れる鮮やかなルビー色を見つめながら、シストは言った。


「俺のパートナーは、エルだけだ」


 もう、他のパートナーは作らない。シストは静かに、そう言った。

 もう、彼以上の相棒には出会えないと思う。それと同時……そんな、大切な存在をもう作りたくないと。大切なものは失うと痛い。それならば、最初から大切な存在なんて、作らなければいい。シストはそう思ったのである。

 騎士の仕事をする上で、それはハンデになる。二人一組、パートナーがいるものでないとこなせない仕事もあるのだ。シストにはその仕事を回せなくなる。


 ……けれど。


「……そうか」


 ルカは、迷いなくそういった。そして、ぽんと彼の頭を撫でて、言った。


「無理は、するなよ」


 その一言に、全ての思いを込めた。無理をするな。俺を頼れ。……一人で背負い込むな。

 シストはそんな彼の思いを受け取って、笑う。


「わかってるよ、大丈夫だから。ありがとな」


 そう言って彼は部屋を出ていく。少し小さく、細くなったその背を見送り、ルカは眉を下げる。


「大丈夫……な」


 そういうならば、もう少し大丈夫そうな顔をしてほしい。……あんな無理をした笑みを浮かべながら〝大丈夫〟なんて言わないで欲しい。そう思いながらルカはひとつ、息を吐き出したのだった。

 

 

 

 

 

 ―― 涙雨の日 ――

(流せども流せども、尽きぬ涙。かけがえのない相棒への思いは、尽きない)

(一人で背負い込む感情ではない。だから、どうか……俺を、俺たちを頼ってほしい)

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