負けヒロイン転生〜いや、ムリだから(笑)。
恋愛要素を捻り出してみた件
今。私は、混沌の海に投げ出された小舟のように運命に翻弄される未来を幻視して呆然と立ち尽くしていた。
麗らかな春の光の中で芝生に腰をおろし、はにかみながら語らう男女の姿は、ときめきに恋も華やぐ季節だと微笑ましく眺められるものだろう。
鳥のさえずりさえ、彼らを祝福しているようだとロマンス派を気取ってもいい。
ただ、それは他人事だった場合だ。
もし、芽生えた恋慕に戸惑いながら惹かれ合っている片方が自分を婚約者候補に据える相手だった場合、どんな反応をすべきなのだろうか。
睦み合う初々しい恋人同士に見える片方は、ヒルベルト・ジョン・ガウス。
わたくし、ヒュパティア・アレクサンドリーナが婚約者候補に選ばれたこの国の第二王子である。
そして彼の横で薄く頬を染め、はじらいつつも好意を溢れさせた笑顔を彼に向けているのがソフィー・パウリ。わたくしの二つ下でありながら飛び級して同学年となった才女であり、わたくしと同じ婚約者候補の一人。
「何かしら……このむず痒さ」
光の庭で語らう彼らを少し離れた場所から眺める。
二人だけなら、それは婚約者確定の合図かもしれない。けれど、今の様はどうだろう。
ヒルベルト殿下の周りには、彼の側近候補とも護衛とも……学友であり、幼馴染とも言える男性陣が当たり前に侍っている。
輪の中で一番上背があり、肩幅が広く、腰の位置が高いのがトレース・グルーオン。
クセの強い篝火色の髪を短く切り揃えた彼は、意志の強そうな眉の太さと形が特徴的な青年だ。俗に剣の貴族と呼ばれる帯剣貴族は、四代はその地位を保持していないと貴族として認められない。ゆえに、王家との付き合いもそれなりに長く古い血筋となる。そのようなしっかりした生まれから護衛も兼ねた殿下の学友に選ばれたのだろう。
トレースの横に立つのがグラフ・グラスマン。トレースの次に背が高く、細身で整った顔立ちから冷たい印象を受ける美形枠。
凍った冬の湖のような色をした髪は、サラサラと指通りの良さそうなストレートで肩の上で切り揃えられている。瞳も同じ色なことから見る者に、より寒々しさを感じさせるのかもしれない。彼の一族は法服貴族……所謂ローブの貴族で、彼の父親は財務長官を務めていた。本人の成績も申し分なく、殿下の将来を見据えて学友に選ばれたのだろう。
グラフの向かいに腰を下ろし、無害そうな顔で笑顔を弾けさせているのが一学年下のノルム・エルミート。
手入れの行き届いた鳶色の髪に琥珀色の瞳と、身分に関係なく我が国では多く見られる色合いだ。彼は血統的に貴族階級に属していない平民だけれど、彼の父親が市議会議員となったことで一時的に貴族の地位を得ている鐘の貴族である。なぜ鐘の貴族と呼ばれるようになったかは、会議中に鳴らされる鐘の音が由来らしい。彼は、家業が銀行家だけあって本人も流行の兆しに強く、したたかな性格をしていた。彼も将来性から学友に選ばれたクチだろう。
そして輪の中心にいる殿方が、ヒルベルト・ジョン・ガウス・オブ・ヘインズワース。
流れ出る蜂蜜のような輝く黄金色の髪は緩くカーブを描き、瞳は朝露に濡れた若葉色で笑うと薄く開いた唇の隙間から白い歯がチラリと覗く爽やかさの見本のような王子様だ。
優れているのは容姿だけではなく、性格はおおらかで純粋。他者に気を配り、努力を惜しまず尽力する。幼い頃、寝物語で聞かされたお話に登場する『囚われのお姫様を窮地から救い出す白馬の王子様』は彼のような人だろうと重ね合わせてしまう。
そんな魅惑の王子と、彼とは異なる魅力を秘めた男性三人と女性が一人。という組み合わせなら少しばかり噂に波風が立ってもおかしくないのだが、現実は異なる。
ソフィー・パウリ以外にも女性が同席しているからだ。
殿下を挟んでソフィーと逆側に座るのはメアリ・アニェージ。
煌めくハニーピンクの髪に、蛍石のような薄緑の瞳をしたソフィーが春の妖精なら、艶めくローズレッドに燃え盛る様な真紅の瞳のメアリは秋の豊穣の乙女になぞらえて不足はないだろう。
どちらも特待生としてこの学院に入学してきた生徒だが、ソフィーは木工職人の娘で身分は平民。メアリは男爵と位は低いが世襲貴族である。
ソフィーは、偉人か大魔女の生まれ変わりじゃないかと幼少期から下町で噂されるほど生まれ持った魔力が高く制御にも困ることがない天才だった。中でも浄化や治癒の魔法を得意とするが、それは彼女の明るく優しい性格が反映されているのかもしれない。
メアリは、子供の頃から何かしらを分解したがる娘で親である男爵たちはずいぶん困らされたとか。
今では、その発想力と想像を現実に落とし込む再現力に優れた特性から、将来は魔道具師として魔術の更なる発展のための研究機関であり、主要統治機構でもある魔塔に招かれることが約束されている人物である。
そして、そんな二人に負けないのが殿下の斜め前、ノルムの横に座るアマーリエ・ナッター。
落ち着いたアッシュゴールドの髪に水色の瞳。左目の下の泣きぼくろが仄かな色香を感じさせる美少女だ。
雨音が似合う石造りの街で育った彼女は、口数も少なく纏う雰囲気もどこかアンニュイでミステリアスな印象を受ける。そんな彼女はグラフと対を成すかのように知力に長け、公平で公正。魔力はさほど高くはないが、彼女は書の光に祝福されし者である。メアリが魔塔なら、彼女は学院卒業後世界で起こったあらゆることが書という形で記録された世界図書館に司書として従事することが決まっている。
最後は、殿下の正面に座るミレヴァ・テンソル。
見るだけで甘い気持ちにさせられるミルクブロンドの髪に、キュルキュルしたオレンジ色の瞳の彼女は、隣国ラマヌジャンの第六王女。愛と豊穣の女神ユガの愛し子らしく精霊たちにも好かれた存在だ。彼女の周りには爽やかな風がそよと吹き、彼女が喜べば小花が舞う……物理として。大精霊から求婚を受けているらしいが本人はどこ吹く風と友情を育むことに忙しく恋愛には興味がないようだ。
そんな華やかで栄光が約束された若者たちを少し離れた場所で眺めているわたくし、ヒュパティア・アレクサンドリーナ。
目覚めのウィスタリアと呼ばれる通常の藤色より淡い色合いの髪に菫色の瞳。公爵家に生まれ、十歳の時にヒルベルト殿下の婚約者候補に選ばれ今日に至る。
天才でもない。偉大なる誰かの生まれ変わりでもない。祝福もないし、愛し子でも王女でもない。辛うじて公爵令嬢という身分は与えられているが、他の婚約者候補に比べたらなんと薄味か。
無いものは望めない。
なら、何で補うか。
努力だ。
ヒルベルト殿下に選んでいただくため。彼の微笑みに応えるため。一つでも多く憂いを払い、彼の心に安寧をもたらしたいと彼の考えの先に回り小石をどけるように身を粉にして働く。
高貴なる者の最低限の教養といわれる古代語と新ゲーデル語はマスターし、今は殿下が友好親善の場に出られた時に、微力ながらお役に立てるよう近隣と重要国の言葉も学んでいる。
雑務に追われることがないように、出しゃばり過ぎだという周りの意見に配慮しつつも生徒会役員に対するコンサルティング研修プログラムなどは自分が率先して引き受け、殿下には学校評議会へ集中して出席してもらうようにした。
わたくしには、努力しか無かったから……。
彼を囲む皆の仲がよくて、嫌なことがあまり起きない世界線。
誰もが彼を思慕し、彼のためならと尽力する世界線。
何もないわたくしは、ただただ努力と時間という労力の提供を。
光の中、語らう殿下たちから視線を外したわたくしは手にした決算書案へと目を落とした。
会計がまとめ終わった案をわたくしが首っ引きで全ての数字に不備がないか監査し、ようやく決算書案の形がなったので、これを殿下から総会に出していただこうと届けるために庭へと出てきたのだ。
「なんと言って、届けるつもりだったのかしら」
仕事をやり遂げたと弾んでいた心は、今は見る影なく萎んでいる。
『殿下、決算書案が出来ましたわ』
『やぁ、ヒュパティア。君は仕事が早いね』
いつものように書類を届けるわたくしに向けられる笑顔。この時だけは、殿下の笑顔はわたくしだけのもの。
『わたくしが手をかけたのですもの、当然ですわ』
ウソよ。
帳簿に記載されていた領収書の数と、手元の数が合わなくて会計係と必死に探したの。
『さすがだね。僕は何時も君に助けられているよ』
あなたのその笑顔が、言葉が、私の励みになっていたわ。
『お役に立てたのなら光栄ですわ』
『仕事が一段落ついたのなら、ヒュパティアも座らないかい』
『いいえ、わたくしはこれで失礼いたします。次回行われる慈善バザーについて交流会がございますの』
『そうか。なら、仕方ないね。無理をしないようにね』
『ありがとうございます』
そう言ってわたくしは、あの光の輪の中には入らない。そして、立ち去るわたくしを励ますような瞳で彼ら、彼女らは見送るんだわ。
だって引き止めたなら、次の仕事に取り掛からないといけないわたくしが困るもの。
…………。
いや、おかしいだろ。
なんでそんなに尽くすの?
見返りゼロの相手やぞ?
いや違うか、スマイル0円が返ってきてるものね。
でも待って、なんか違う気がする。
一旦落ち着こ。
一旦落ち着いて、冷静に考えよ。
…………。
……やっぱりどう考えても、メン地下のファンサより干されてるって。
「あっか〜〜ん」
思わず天を仰いでよろめいてしまった。
これって不可抗力の恋心を利用したやる気搾取?
キャストがお客さんを惚れされてキープする色恋営業?
ナイトワーク嬢のモチベーションや勤怠を管理するための色管理?
って、ろくな例えが出てこないじゃない!
「しっかりしなさい、ヒュパティア」
もう一度、光の中で語らう彼らにしっかりと目を向ける。
ゴクリと喉が鳴った。
そうよ、コレ。
この構図。
人物相関図を見たら悲鳴あげるやつ!
恐怖のラブサークル!!
「え、ヤバ……負けヒロインじゃん」
綺羅びやかな彼らは、主要キャラらしい華やかな色合いだ。それに比べ自分はどうだ。
ふんわりゆる巻きにしてエアリーさとボリュームをつけた淡い藤色は確かに可憐だが、キューティクルグワングワンな他の女性陣に比べればパンチが足りない。
瞳の色だって髪の色より色が濃いだけのとってつけたような菫色だ。
非攻略対象のサブヒロイン。もしくは、続編や追加データ次第で攻略対象に加わるかもしれないヒロイン……。大穴でダークヒロインとかだったらどうしましょう……。
ないわ。ないわね。ええ、その可能性の芽はないわ……。悲しいけど。
何にしろ、ドタバタラブコメハーレム物っぽいあのラブサークルを見て、そこに参加しようとする気概はないわ。
ヒュパティア的にはいつか努力が実を結んでとか、真面目卑屈前向きなんだか後ろ向きなんだか夢見がちなのは確かよね系乙女として自身を研磨してきたみたいだけど、努力って自分の中に残るものであって失敗も成功もないのよね。
ってことで。
くるりと光の庭に背を向けて来た道を戻り始める。
我ながら、立ち直り早いわね。
唐突に自分の中に芽生えた今までの自分とは違う新しい価値観。これが天啓というものなのかしら? と、疑問に思いながらも、頭の中を巡る新しい言葉や物事の捉え方、それまで当たり前だと思っていたことに対する肯定と改善点。それらが頭の中に湯水のように溢れるけれど、その言葉の意味や使われ方とかの知識も一緒に生えてきて混乱することなく収まっているから問題はないわ。
「パイス?」
名を呼ばれ、ハッとしてそちらを見る。
新しい物の考え方で、今までの自分の行動と反省点を整理していたため正面から歩いてくる相手が誰か気が付かなかった。
「あら、アーベル。ごきげんよう」
ここですれ違うということは、彼もまたあの光の輪に加わるのだろう。
アーベル・ルフィニ。
光に透かして藍だと分かる一見黒髪に見える艶髪に、貴石のような深い青い色をした瞳。
子供の頃、あなたの瞳の奥に星を見たの。なんて言って鼻で笑われた記憶がある。以来の付き合いだから、十年以上か。付き合いだけならヒルベルト殿下より長いけど、心の距離はヒルベルト殿下の方が近いわね……いや、わたくしの想う心の距離であって実際とは異なるわね。わたくし、サブヒロインですし。
「行かないのか?」
彼の視線が下がり、手にした書類に注がれる。もしかしたら、立ち尽くしているのを見られたのかもしれない。
いつものヒュパティアなら書類を届けず踵を返す事なんてあり得ないから不思議に思われたのね。
「ええ、不足があることに気がついたの」
「……そう」
変に隠すのもおかしいから、自分のミスだと偽る。何事も完璧を求めるヒュパティアだったけど、絶対にミスが無いわけではなかったからこの言いわけで間違いはない。彼に届けるまでに完璧に仕上げれば、それは元から完璧なヒュパティアの書類なのだ。
「では、役員室に戻るから……ごきげんよう」
「ああ」
軽く会釈をして、会計係がまだ残っているだろう生徒会役員室に急ぐ。
わたくしからではなく、会計係に直接持っていってもらいましょう。
申し訳ないけれど、もうあの光の庭のメンバーに関わる気はないわ。物事って持ちつ持たれつ支え合いで円滑に成り立つものじゃなくて?
勿論、わたくしが支えられていることを気がついていないだけの可能性もあるのだけど、やる気搾取っていうか恋心だけを原動力に身を粉にして働くとか今のわたくしにはムリ。
生徒会役員の任期は一年だし、もうすぐ学年も変わるから来期は立候補しない形で行きましょう。リーダーシップの授業も取らなければ生徒会のメンバーとも顔を合わせることがないしね。婚約者候補から脱落する形になるから噂にはなるだろうけど構わないわ。
誰かに合わせるのではなく、私は私の人生を選んで生きていきたいもの。
それはきっと、わたくしヒュパティアの人生に困難を与えるものもあるでしょう。けれど、どの道をいこうと必ず豊かにする選択になるはずだわ。
「……待て、パイス」
追いかけてきた声に驚いて足を止め振り返る。
「アーベル?」
ヒルベルト殿下に侍ることが仕事みたいになっている彼が自分を追ってきたことが不思議で、つい胡乱げな瞳を向けてしまう。
しかし、彼はわたくしの表情など気にしないのか横に並ぶと腕の輪を差し出してきた。
「送っていく」
どうやら護衛のつもりらしい。
「校内よ?」
「それでもだ」
珍しいこともあるものだ。そう思いながら彼の腕に指をかけた。
「……フフフフ」
突然笑い出したわたくしに、アーベルが怪訝そうな顔を向ける。
「ヒュパティア?」
「ああ、ごめんなさい。悪気はないの、つい……」
手にした書類で口元を隠すが笑いはまだ収まりそうにない。
「随分、久しぶりだと思って」
みんな仲がよくて嫌なことがあまり起きない世界線。それは、とても素晴らしいことね。
でも、誰もが優しくて誰にでも甘やかな世界ということは、自分は特別ではなくただの『一人』に過ぎないということ。
わたくしは隣を歩くアーベルを見上げた。
やはり、とても久しぶりに彼の顔をきちんと見た気がする。
「不思議ね」
「なにが」
『あきらめる』とも『身の程を知る』とも違う。ただ、ストンと。そう、ストンと腑に落ちてしまった。
「自分を支えてくれる幸福ほど、人は気づかないものなのだと思って」
彼からの返事はなかった。
ヒュパティアが何を考えているのか、思考を巡らせているのかもしれない。
「恋に落ちると、世界が極彩色に色づくと言うでしょう?」
「知らないな」
「もう、……言うのよ」
いつものヒュパティアでは考えられない、わずかに唇を尖らせて頬を膨らませるような仕草。
新しい価値観がわたくしを少しだけ奔放にさせるのね。
それでいいわ。だって、とても気持ちが軽い。
「でも、その逆もあるのだと今日知ったの」
「……」
思わず足を止め、わたくしを覗き込んだアーベルは「何が悪いものでも食べたのか」と、真剣な眼差しで問うた。
「いたっていつも通りの食事よ。因みに今日の昼食はまだだわ」
言い返せば、一瞬たじろぐ。そんなアーベルの姿も今のわたくしには新鮮だった。
そうか。こんなにもわたくしは、恋心に縛られていたのね。
「その、……すまない」
「謝るほどの事ではないわ」
笑って彼の腕から指を離す。
「どうぞ。皆様の元へ向かわれて」
「ヒュパティア」
「怒ってはいないの、本当よ」
役員室は、もう目の前だ。
書類を会計係に頼んだら、読みかけの詩集を持ってカフェテリアに向かおう。何処まで目を通したか忘れてしまったから、最初から読み直すのがいいかもしれない。
随分と長い時間、自分のために時間を使うということをしていなかった。
「パイス」
尚も言い募ろうとする相手が不思議で、首を傾げる。
あなたは光の庭の住人。輪の中に入れなかったわたくしとは違うわ。
「共に行こう」
「何処へ?」
思わず眉間にシワが寄る。
「カフェテリアへ」
「……??」
瞬いた。
「昼食、まだなのだろう?」
「ええ」
「だから、昼食を摂りに」
「…………」
…………マズい。マズいわ。展開が読めない。
どういうことなのかしら?
「アーベルは、殿下の元へ行こうとしていたのよね?」
「君が行かないなら、俺が行く必要もない」
はい????
声に出さなかった自分を褒めてあげたい。
「……ごめんなさい。話が」
「殿下の傍にいれば、君が通ってくる。だから、いた。あの場所に」
えぇーっと?
「俺は、自分でも言葉が足りない方だと自覚しているし、口を開けば余分なことを言ってそうだし。顔立ちは悪くないと思っているが、友人からは美醜より目つきが悪いとそちらばかり指摘される」
まぁ……それはアレね。嫉妬ね。アーベル、顔キレイだし。
って、なぜ今アーベルの自己開示を聞いているのかしら?
「子供の頃、君は俺の瞳の奥に星を見たと言ってくれた」
ああ、忘れたい黒歴史ね。
「あの時、本当は嬉しかったんだ」
んん??
「なのに、間近にあった君の顔がかわ」
「待って!」
話を遮るように声を上げたわたくしに、驚いたアーベルが口を閉じる。
落ち着きなさい、ヒュパティア。
あなたは淑女、あなたは淑女、あなたは淑女よ。
「お待ちになって。話が見えないわ」
あなたは淑女、あなたは淑女、あなたは淑女。
し、心臓が痛い。動悸が……待って、だって相手はあのアーベルよ?
光の輪の中と外。
新しい価値観が可能性示す。けれど、同じくらい新しい価値観が期待すれば、きっと傷つくと教えてもくれる。
「十二年越しの告白をしている」
「ぐ……」
ごめんあそばせ。でも、これは仕方ないと思うの。
「俺は、今以上に礼儀がなってなくて、君は悲しそうだった」
あの時、わたくしは、鼻で笑われたと思ったけれど、本当は違ったのかもしれない。
恥ずかしくて悲しくて、思い出したくないのに忘れられなくて。こんな事があった。としか覚えていないけれど。
もしかしたら、あの時のアーベルの顔は真っ赤だったかもしれない。
わたくしから顔を背けた後に、もう一度振り返った顔は無駄に睨みつけるではなくて、気恥ずかしさと戸惑いに瞳を潤ませていたのかもしれない。
「反省したんだ。俺は色々足らなくて、君を傷つけるのは辛くて、近づけなくて」
「…………」
なるほど。わたくしとアーベルの微妙な心の距離は、お互いに相手に遠慮していたということなのね。
「そして、パイスが恋に落ちた」
「え……」
「君が殿下に尽くすから、殿下に侍れば君に会えると思った」
……………………バカなの?
「でも、もう殿下の元へ通わないと言うなら俺が侍る意味がない」
「通わないとは……」
「通わないだろう? 君はもう殿下を心の中心にしない。パイスが、殿下の求めているものがわかったように、俺もパイスを分かるつもりだ」
ずっと、見てきた。
そう続けられると言葉が出なかった。
「俺は、相変わらず言葉が巧くないし。多分、気も利かないと思う。十二年もグズグズしている諦めの悪さだし」
ああ、なんだか気が遠くなりそう。こんなことって……こんなことってあるの?
「でも、努力は嫌いじゃないから改善に努めると約束する」
わたくし、負けヒロインなのに。
「すぐでなくていい。俺と恋をして欲しい」
「……馬鹿ね、そんなこと」
……バカね、二人とも。
わたくしには、何もない。
天才でもなく、偉大なる誰かの生まれ変わりでもなく、祝福もなければ、愛し子でも王女でもない。
在るのはただ、恋から醒めたヒュパティア・アレクサンドリーナという人間だけ。
「書類を置いてくるわ」
アーベルの前から去ろうとしたら不安そうな顔をされた。
「会計係に頼んで、書類を持っていってもらわないと。昼食に付き合ってくださるのでしょう?」
「あ、ああ。勿論だ」
途端に、強張っているように見えた頬が緩む。
おかしいわね。あなたはこんなにも表情豊かなのに、わたくし何も気が付かなかった。
「初めてのデートが学院のカフェテリアだなんて、わたくし達らしくていいわ」
「あ、……っと。すまない、気が利かず……もっと雰囲気のある場所に」
「結構よ。場所なんて、どうでもいいもの」
そう、場所なんて。
「あなたといる。そちらの方が重要よ」
「……そうか」
「ええ」
驚いたように一瞬瞬いた後、照れくさそうに小さく微笑むアーベルが可愛らしくて、わたくしもつい笑顔になる。
こんな気持ち、随分と忘れてしまっていた。
いつまで経っても届かない書類にきっと殿下は気をもんでいることでしょう。
もし、決算書案が届かないこと自体、気がついていなかったら……。ふふ。それならそれでもいいわ。
わたくしは、もう、あの庭には憧れない。
お時間いただき有難うございました。
恋愛系ゲームって稀にですが、このキャラ攻略させろよってキャラクターいませんか?
以前、あまりにメインヒロインがクズすぎて冷遇し続けたら途中から出てこなくなった事があります。笑