公爵夫妻の暗い決意
同じ街で生活しているといっても普段から会うわけではない。
それに外を歩くにしても普段は馬車だ。
エメラダはそれでも憂鬱であった。
結婚してから以前よりも気軽に外に出るような事はなくなった。
完全に、というわけではないがそれでも少なくなった事は確かである。
だが、今はそれ以上に外に出ようという気がしなくなっていた。
原因はわかりきっている。アンリエッタだ。
彼女はエメラダに憧れ、エメラダのようになりたいのだ、と常々言っていたしそれは今も変わらない。
学院に入る前、学院で再会した時、その頃はまだ真似るといっても今思えば可愛らしいものであった。
ドレスの色だとか、身に着けた装飾品だとか、小さなものだった。
髪型だってよく考えたら自分以外はしていない特殊な髪型というわけでもなかった。
だからこそ、今にして思えばそれらは全て可愛らしいものだと言える。
しかしこの街で再会したアンリエッタは。
結婚相手が莫大な財産を持っている商人であった事で、今までの事など児戯であったとばかりに。
エメラダを真似てきたのである。
アンリエッタがエメラダを慕っているという話は既に街の中に広まっている。
それ以前にもっと前から知られているような話だ。だからこそ、今更それを咎めるような者は現れない。
これが、もっと悪意でも滲んでいれば嫌悪感を表しても問題なかっただろうに。
例えば――そう、例えばの話。
エメラダが着ている物がいまいちパッとしなくて、同じようなデザインのドレスなら自分の方がより素敵に着こなせる、といった対抗心などがあったのだとしたら。
まだ、こちらも態度に出せるのだ。
けれどもアンリエッタにそういった悪意というものは一切ない。それはハッキリしている。
周囲は本音と建て前をきっちりと分けた貴族たちだ。ハッキリとした悪意は勿論、薄っすらと滲んだ状態の悪意ですら敏感に気付く者は多い。
もしアンリエッタが嫌がらせを兼ねてエメラダの真似をしようとしているのであれば、周囲の幾人かは気付いているはずなのだ。だがそんな事はない。
だからこそ、エメラダが不快であると表に出したとしてそれに共感される事はない。
むしろそこまで好かれるなんて、とまるでいい話のように言われて終わる。
外出は最低限、買い物をする時も商人を屋敷に呼び寄せて何を買ったか、というのをわからないように。
エメラダは自身の情報をアンリエッタに知られないようにと、多少の悪あがきでしかないだろうと思いながらも実行したがそれでも完全に隠し通せるはずもない。
商人が直接情報をバラす事はなかったが、それでも買った物によってはすぐさまアンリエッタに伝わってしまう。
例えばそれは夜会につけていった装飾品であったりだとか、第三者の目に触れる物であればいずれはアンリエッタに伝わってしまうのだ。
アンリエッタの前に直接姿を見せずとも、エメラダを慕っているアンリエッタに何かの折にちょっとした世間話か何かでエメラダの話が振られでもしたら。
そもそもエメラダとアンリエッタの身分は離れている。
公爵夫人となったエメラダと、商人でありながら金で爵位を買ったも同然な夫を持つアンリエッタ。アンリエッタは相変わらず男爵令嬢――いや、既に夫人か――なので、同じ街に住んでいるといっても会う機会はそうあるわけではない。
個人的に開かれたパーティーであれば、ほぼ会う事はない。
いくらアンリエッタがエメラダを慕っているからといっても、エメラダが参加するから、と招待するような者はいない。例えばあまり身分にこだわらないような、それこそ大勢を招待しよう、というような催しであればまだしも。
エメラダが参加するのは主に伯爵家・侯爵家・公爵家が参加するような集まりだ。
ギリギリで子爵家が参加する事はあるかもしれないが、男爵家が参加する事はまず無いと言っていい。
騎士爵を賜った、という者も中にはいるがそちらが参加する催しとエメラダが参加するものとは、方向性が異なる。
だというのに、エメラダはアンリエッタの存在をとても近くに感じていた。
何せ茶会などに参加すれば、そういえばこの前、なんて前振りでアンリエッタの話が出る事はよくあると言っていい。
後姿なんてそっくりだったわよ、なんて言われてしまえばエメラダは嫌悪感を表情に出さないようにしながら、あら、そうでしたの。なんて相槌を打つだけで精一杯だ。
学院にいた時に仕草もいくつか似通っていたから、余計に後ろから見れば区別がつかないのかもしれない。
なんだかまるで、自分という存在がいつか乗っ取られてしまうのではないか……とエメラダは思っていた。そんな事は無い、と思っているがそれでもそんな考えがちらついてしまう。
いっそアンリエッタがエメラダの真似をしなくなれば、その不安は解消される。やめろと言うのは今更すぎる。言うならもっと早く――それこそ学院に入る前、最初の時点で言うべきだった。あの頃はこんな風になるなんて思っていなかったので、それも今更なのだが。
いっそ開き直ってどこまで真似ができるかを見届けてみるべきかしら……エメラダはそう考えてすぐさまその考えを却下した。気の迷いだとすぐに気づいたからだ。
アンリエッタの旦那が同じく男爵家か子爵家あたりの貴族の男性で、尚且つそこまで財力がなければその考えを実行したかもしれない。
けれどもアンリエッタの夫は恐ろしいまでに財力を持っている男だ。
その気になれば国を丸ごと買える程度、できてしまうのではないかと思える程に。
そんな夫がいるアンリエッタであれば、エメラダが何かを買ったとして、すぐさま同じ物を入手するくらい容易い事だろう。
相手の資産状況がもう少しわかりやすい相手であったなら、じわじわと時間をかけて散財させて破産に追い込むくらいはしたのだが。
下手をすれば先に自分の資産がなくなる可能性の方が高い。
生活水準を少しずつ引き上げてそれをアンリエッタが真似していくように仕向けるにしても、夫の資産が資産だ。正直じわじわと生活にかかる費用を上げていくような事をしなくても、いきなり最高級ランクまで引き上げたところできっと向こうは困らない。
いっそエメラダがアンリエッタの存在を受け入れてしまえば楽になるのだが、エメラダにとってアンリエッタは最早生理的に受け入れられない存在にまでなっていた。
どうにかして遠ざけたい。けれどそのために自分が罪を犯すのは避けたい。都合の良い考えだとは思いながらも、でもそこまで都合のいい事だろうか、とも思う。
これが働きたくないけど給料は欲しい、とかであれば都合がいいとエメラダも納得できるが、嫌いな相手を遠ざけたい、できれば犯罪にならない範囲で、という考えはそこまで都合のいいものだろうか、と思ってしまうのだ。
気付けば日々考える事はアンリエッタの事ばかり。いっそ恋をしているとかであればまだ幸せだったかもしれない。けれどもその感情は恋なんて可愛らしいものではない。
いっそ大声でアンリエッタが嫌いだと叫んでしまえばすっきりしただろうか? などと思ってしまう。
けれどもそんな事をした後の事を考えるとそれはやるべきではないとわかる。エメラダだけが周囲から冷ややかな目で見られるだけならまだしも、夫までそんな風に見られたら。
後先を考えず行動に移る事ができればいいけれど、流石にそういうわけにもいかないのだ。もっと、そう、もっと前、まだ失言が許されるくらい幼い頃であれば……そんな後悔は果たして何度目だっただろうか。
とっくにアンリエッタの事なんて嫌いになっていたエメラダであったが、更に決定的な事が起きた。
とある日、夫婦で参加した夜会にはアンリエッタとその夫も参加していた。直接会う事がめっきり減ってしまったアンリエッタはエメラダに会えたことが嬉しいとばかりの態度になっていたが、エメラダからすれば最悪である。
もう、顔を見るだけで胃がキリキリするのだ。
当たり障りのない会話をして早々にエメラダはアンリエッタから離れた。他に知り合いが来ていたしそちらと話をしないわけにもいかない。ずっとアンリエッタの相手をするわけにはいかないのだ。
アンリエッタもずっとエメラダに付き纏うつもりはないらしく、挨拶と、二言、三言ちょっとした話をしてエメラダが離れようとした時点で引き留めたりはしなかった。とはいえ、その視線はずっと感じていたが。
胃が痛むからこそ、エメラダは無意識に何度か腹を撫でる事をしていた。
それが、常にエメラダを観察していたアンリエッタにどう映ったかまでその時点ではエメラダにはわかっていなかった。
夜会が終わり、更に数か月先になってから友人の家に誘われて向かった時に、友人に言われたのだ。
「そういえばエメラダ、貴方、おめでたなんですって?」
――と。
一体どうしてそんな事を言われたのかエメラダはわからなかった。
結婚した時に初夜は迎えた。迎えたけれど、その後夫の仕事が忙しくて中々そういった事をする時間がとれず、故にエメラダが妊娠しているなどあるはずがないのだ。アンリエッタと関わる事を極力減らすつもりで外出する事も最小限に減らしたエメラダが、夫以外の異性と知り合う事などあるはずもない。
だからこそ、一体どうしてそういう話が? とエメラダは素直に疑問を口に出した。
噂の出所はアンリエッタだ。
夜会で胃が痛むが故に腹を撫でていたのが、どうやら胎に子がいるのだと思われたらしい。
面と向かってアンリエッタがストレスの原因だからよ、とはいくら友人相手でも言えなかった。
だからちょっと言葉を濁して、
「あぁ、あの時ね……ちょっと体調が悪くて……」
とやんわりと誤魔化したのだ。
「あらそうだったの? まぁ、あれから結構経ってるのにお腹を見る限りそんな感じじゃないものね。あの子もそそっかしいのねぇ、前に会った時にエメラダ様の子なら男の子でも女の子でもどっちも可愛らしいでしょうね、なんて言ってたし、自分も同じように子供が欲しいなんて言ってたのよ」
友人からすればアンリエッタはエメラダを慕う可愛らしい妹分だ。
そんなアンリエッタのそそっかしい一面に、しょうがない子ねぇ、なんて言いながらころころと笑っている。
けれど、エメラダからすればそれは笑い話にもならない。漠然とだが嫌な予感がした。
エメラダが妊娠したと思い込んで、アンリエッタも同じように子を産もうと思ったとして、あの夜会から数か月経過している。だからこそ、下世話な話ではあるけれどアンリエッタが夫に子が欲しいと言ってそういった行動に出るのはあり得る話だ。
けれど。
エメラダが実は妊娠などしていないとわかったら。
もしその時にアンリエッタが妊娠していたら。
彼女は一体どんな行動に出るのだろうか……
いくらなんでも流石に我が子を殺すとは思いたくはないけれど。
それでも、何故だかとても嫌な予感がしたのだ。
とはいえ、だからといってアンリエッタにわざわざ会いに行こう、とは思えなかった。
会って、もしエメラダが考えた通りの展開になっていたら。
そうなっていたとして、エメラダがどうにかできるとはとてもじゃないが思えなかったのだ。
赤ちゃんができてもできていなくても、どちらにしてもエメラダにはとやかく言える権利はない。
これが社交界でのマナー違反を窘める、とかであればエメラダが口を出しても許されるだろう。けれどお腹の子に関してあれこれ口を出せるはずもない。エメラダとアンリエッタは別に血縁関係というわけでもないのだから。
まだアンリエッタに子ができていなければいいけれど、もしできていたら。それを考えるといっそ生まれるまではエメラダに関する情報をアンリエッタに流れないよう注意を払いながら、時間の経過を待つべきではないか、と思ってしまったものの。
エメラダの様子がいつもより少しとはいえおかしいと思った夫にそれを問われてしまった。
「きみが、思い悩んでいる事は知っている。けれど、何がそうさせているのかはわからない。私には相談できない事だろうか?」
そう言われてしまえば、何でもないのです、だとか大した事ではないのです、とか言って誤魔化せるはずもない。そう言ってしまえばその時点で夫の事は信頼に値しないと暗に告げるも同然になってしまいかねない。
なんでもない、と言うのであればちょっとでも態度に出すべきではなかった。気付かれた時点で何かあったと言っているも同じなのだ。
だからこそエメラダは言葉を選びながらも夫に話をする事にした。
幼い頃から自分を慕っているアンリエッタに対する周囲の認識と、そして自分から見たアンリエッタに対する思いも、何もかも全てを。
エメラダの夫であるクロードはアンリエッタに関してそこまで詳しく知っているわけではなかった。
ただ、エメラダを慕っている令嬢がいる、とは聞いていたがそれだけだ。
エメラダを慕い、彼女のような令嬢になるのだと奮闘している令嬢がいるとは聞いていた。妹分みたいなものか、と勝手に納得していたが、それだけだった。
エメラダの口からその令嬢についてあまり話に出ていなかったから、慕っている令嬢とやらはエメラダとそこまで近しい間柄というわけでもなく、単なる熱狂的なファンのようなものなのだろうな、と勝手に自分の中で納得していた。
自分の妻である女性は、人から嫌われるようなタイプではない。勿論万人から好かれるような、とまでは思わないが率先して敵を作るような相手でもない。合う合わないはあれど、正面からバチバチに対立するような相手はいないだろう――というのがクロードのエメラダに対する認識である。そもそも結婚してこの街に来てからはあまり積極的に活動しているわけではない。勿論公爵夫人としてやるべき事はやっている。けれども、以前――まだ結婚する前と比べるとエメラダは随分と大人しくなってしまったなとは思っていたのだ。
その原因がハッキリして、クロードはふむ、と少しばかり思案した。
生憎とクロードにはエメラダのアンリエッタに対する不快感をそこまで理解できそうにない。
それというのも、そもそもクロードには自分をそこまで慕ってそうなりたい、などという相手がいなかったというのもある。
例えばクロードを目標と定めた相手がいたとしても、同じになりたいと言うのではなくいずれ超える壁のような認識なら持たれた事はある。そういう意味でならクロードも理解できなくはないのだ。自分にも、そういった相手はかつていた。それは剣を教えてくれた師であったり、父であったりと様々だ。
今の自分がそういった人たちよりも上になれた、とはまだ思えないけれど。けれどいずれは、という気持ちはある。
さて、そんなクロードが尊敬する相手は例えば妻が思い悩んでいたとして。
果たしてそれをそのままにしておくだろうか。――否。
もっと早くエメラダの悩みに気付いてやっていれば……という後悔も勿論ある。だからこそ、クロードは愛する妻のために行動する事を決めた。
とはいえ、アンリエッタ相手に堂々と会いに行くような真似はしない。相手も既婚者だ。下手に誤解をされるような事などするはずがない。
「……まずは、確認だけでもしてみるよ」
「一体何をするつもりですの?」
「大丈夫。任せてほしい」
あくまでも情報を集めるだけだ。
それについては多分そう難しいものではない。
いくら悪気があるわけではないといっても、妻の心をどんよりと曇らせるような原因だ。妻と、そのアンリエッタとやらを率先して関わらせるような事はしない。
――実際のところ。
アンリエッタはエメラダを慕っているというそのものが既に周囲からすれば当たり前の事になっていたからこそ、エメラダの噂話を集める事ができていた。夫である商人が金を使えばもっと色々な情報を集める事はできたかもしれない。けれども、それは下手をすれば問題になる可能性を秘めている。
見知らぬ相手がエメラダの周辺を探っている、なんて事になり、しかもそれがアンリエッタの夫が雇った人物である、となった時点で恐らくは妻のために、で納得はされると思う。けれども、流石にそこまではやりすぎだと周囲も思うだろう。
情報を集めるにしても茶会や夜会といった集まりでアンリエッタ自ら、というのであればともかく、金で雇われたエメラダにとって見知らぬ人物が周辺をうろつくような事になれば一体どんな憶測が飛び交うかわかったものではない。結果として公爵家から関わりを拒絶されればアンリエッタにとって望ましくない状況になる。
向こうも一応は貴族である事だし、流石にそこら辺は弁えていた。
アンリエッタがエメラダが妊娠したと思い込んでからそれなりに経過している。そしてクロードが人を使い情報を集めるようになった頃には、どうやらアンリエッタには子ができたらしい、という話も入ってきた。とはいえまだできたばかりで、腹が目立つとかそういうわけでもないらしい。
けれどもその話を仕入れてきた部下は、アンリエッタが満足そうにかすかに膨らみつつある腹を愛おし気に撫でていたのを目撃している。
子が生まれたならば、もしかしたらアンリエッタの執着はエメラダから離れるのではないだろうか。
ふとそんな風に考えてしまった。
とはいえ、アンリエッタの夫は金だけはある。人を雇い子育てはそちらに任せてアンリエッタは今まで通りエメラダを追う可能性は捨てきれなかった。
この話をエメラダに伝えておくべきか否か……なんて悩んでいるうちに、アンリエッタは次なる行動に出た。出てしまった。
以前エメラダに子ができたのか、と問うた貴族の友人からか、はたまたそれに近しい間柄の人物からかはわからないが、エメラダが妊娠などしていなかった、という事がアンリエッタに伝わったのだろう。
アンリエッタは、事故か故意かはわからないがある日階段から転落し、そしてその結果子は残念な事になってしまった。
その時にアンリエッタはこう言っていた、と情報を持ってきた部下が言う事には。
「今回は残念だけど仕方ありませんよね」
確かにそう言っていたそうだ。
流石にそんな話を妻に話せるはずもない。
エメラダを慕うアンリエッタ、という存在について今までは特に何とも思わなかったクロードだが、それでも流石に気付くしかない。
確かにアンリエッタはエメラダを慕っているのだろう。けれども、それはきっと周囲が思う範疇をとっくに超えている。
子が残念な事になった時の言葉はそのまま現実を受け入れるしかないものだった、と言われれば周囲は納得するかもしれない。けれどもクロードはその話を聞いて、別の意味に受け取った。
今回はエメラダ様が妊娠してなかったっていうし、残念だけど今は必要ないし、仕方ありませんよね。
クロードですらそう思ったのだから、エメラダがこの話を聞けば間違いなくこう思うだろう、とクロードは確信する。
ただ慕っているだけであれば、クロードもそこまで気にする必要はないのではないか、と妻に言ったかもしれない。けれどもこれは違う。
あんなのが、妻に付き纏っているのかと思うと早急にどうにかしなければ、と思えた。
とはいえまだ、この時点ではどうにかするにしてもはっきりとどうにかできるものでもない。
明らかな迷惑行為をしたわけではないのだから。
これが相手に悪感情を持っていて足を引っ張ろうとした、とかであればクロードももっとやりやすかったのだが、そうではないのだ。何とも言えないやりにくさを感じていた。
とはいえ、手をこまねいているわけにもいかない。
エメラダには簡単な事情説明をして、ちょっとした行動に出てもらう事にした。
そう難しい話でもない。ただちょっと、エメラダの知り合い数名に――それこそアンリエッタに話が流れるように――クロードの仕事の都合でしばらく街を離れると言ってもらうだけだ。
しばらく、がどれくらいになるかはわからないとさも長期ここを離れるのだと思われるように言うだけ。
そうして実際に少しの間ここを離れる。
仕事の都合、とはいえ別にわざわざあの街を出る必要はなかった。だが、まぁ、直接こちらに足を運んだ方がスムーズにいくだろうな、と思える内容であるのも事実。
都合よくそれを利用したに過ぎない。
長期的に滞在するように思わせておいたが、実際は短期滞在で済む。
その間にもしアンリエッタがこちらに来るようであれば、本格的にアンリエッタをどうにかしないといけなくなる。
エメラダに付き纏うだけで済めばいい。
けれどもエメラダが妊娠したと思い込んで自分も子を宿そうと思うような女。
もしいずれ本当にエメラダが子を産んだ時。
アンリエッタも同じように子を産んだとして、それが同性であればまだいい。けれど異性であったなら。
エメラダとお揃いでなければ気が済まないのであれば、異性が生まれた場合また処分する可能性が出る。
だがそう思わず、最悪子を使いエメラダにより関わろうとする可能性も存在した。
そんな馬鹿な、と笑い飛ばせる気はしなかった。
エメラダとアンリエッタの身分には差があって、本来ならばそう関わる事もない相手だ。
けれども全く関わらないというわけでもない。
こちらの子が女であるならまだ、どうにかなる。けれども男に生まれ、向こうが女児を生んだとしたら。
あの手この手で我が子に関わらせる可能性はとても高い。
学院などに入った時に何かを仕掛けてこないとも限らない。
そうなる前に婚約者を見つけていればいいが、それだって絶対ではない。
クロードが学院にいた時にはなかったが、その数代前には身分差による恋愛でさも悲劇の主人公にでもなったかのように振舞ってやらかした奴がいるのだ。
我が子がそんな頭の悪い事をするとは思いたくないが、そうなってからでは手遅れだ。
まだ生まれるどころかできてもいない子について考えるなど随分と気の早い話でもあるが、クロードはそれだけアンリエッタを警戒していた。どうして今まで自分はあの女を野放しにしてきたのだろう。
勿論それはアンリエッタの情報がそこまでクロードに伝わっていなかったからなのだが、もっと早くに気付けていたら。悔やんでも悔やみきれない。
クロードの懸念を力強く肯定するかのように、数日遅れでアンリエッタは夫を伴いやってきた。夫の商売の都合上こちらに来る事になったんです、とばかりにご近所に挨拶をしていたというのは部下からの報告だ。
多分来るだろうな、とは思っていたけれどそれでもクロードは心のどこかでまさか本当に来るはずはないだろう、とも思っていた。
けれどもアンリエッタはやってきた。
来なければ、こちらとしても今までの事は気のせい、ちょっと考えすぎ、で済ませるつもりであった。
だがしかしそうもいかない。
アンリエッタがやって来てしまった事で。
クロードはアンリエッタを排除する事を誓ったのである。




