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侯爵令嬢エメラダの憂鬱



 侯爵令嬢エメラダは、人間関係において好き嫌いというものはあまり存在していなかった。家の派閥の違いで険悪な態度である相手がいても、それはそれこれはこれ精神で一応ポーズとして家同士対立しているから険悪ですよ、という雰囲気を出しこそすれその家の人間を毛嫌いしているという事はない。


 人目のない場所で対立している家の令嬢とバッタリ会った時は普通に会話する事もあるし、むしろ雰囲気からして親しい友人に会ったかのような態度である。家同士の仲が悪いからという理由でロクに関わった事もなかった令嬢がてっきりエメラダも自分と同じようなものだろうと思っていたにも関わらずそんな態度であった事で、相手の令嬢もすっかり気が抜けて家の事を抜きにしてみれば案外話しやすかった、という事もあって気付けば親世代の仲は悪くとも次の世代はむしろ仲睦まじい、という関係になってしまった家がいくつか増えた。


 多少性格が悪い相手であったとしても、エメラダからすれば「まぁ、可愛らしい事」で済まされる。

 エメラダ本人は周囲の人間に対する好き嫌いはなくとも、周囲の人間はエメラダを好ましいと思う者と苦手だ、近寄りたくないと思う者とで大きく分かれた。


 よく言えば寛大、悪く言えば何というかそのおおらかさによって自分の器の小ささを突き付けられる気がして――という所だろうか。


 だがそんなエメラダに、

「あら、わたくしこの方合わないわ、いえ、苦手……いいえ、ハッキリ言いましょう。嫌いです」

 と思う相手が現れてしまった。


 男爵令嬢アンリエッタである。


 そもそも男爵家と侯爵家ではそう接点などありはしない。

 茶会などでは家の家格が近しい間柄で行われる事が大半で、貴族の中でも下の位である男爵家が侯爵家などが参加する茶会に誘われる事は余程の事がなければ存在しないし、夜会などでも関わる機会はほぼないと言える。

 そういった社交の場は友人たちと語らう貴重な場であったりするので、そういった親しい間柄の友人たちから紹介されて新しい人間関係ができる、という事があったとしてもそれとて家の位が近しい者たちで固まるのだ。


 例外はあれど、その例外とて滅多にないからこその例外である。


 男爵令嬢アンリエッタは別に性格が極端に悪いだとか、常識がないだとか、貴族として致命的な欠陥を持ち合わせているわけではなかった。

 外見は愛らしく、貴族としての礼儀もきちんとしている。

 むしろ大抵の人間はアンリエッタを好ましい人物と見る事だろう。

 まだ婚約者は決まっていないようだが、そう遠くないうちに決まるに違いなかった。


 エメラダがアンリエッタと知り合う事になった切っ掛けは、友人たちに誘われた茶会である。

 伯爵家の令嬢が主催した茶会には、伯爵家令嬢の友人である子爵家の令嬢などが参加する事も度々あった。そしてその子爵家の令嬢繋がりでアンリエッタは此度の茶会に誘われた次第であったようだ。


 身分が上の貴族令嬢たちが多く参加した茶会に一部の身分が下の令嬢たちは緊張したりもしていたが、いずれも最低限の礼儀は弁えている者たちばかりであったので多少の失態は見逃されていた。

 同じ失態を何度も繰り返すようなら話は別だが、そうではなかった。だからこそ多くの令嬢たちは大目に見ていたし、エメラダもその中の一人だ。

 初めて参加した令嬢たちは緊張でガチガチになっていたりもしたが、それとて二度目、三度目の茶会に参加する頃には余計な力も抜けて礼儀作法に関しても前と比べれば少しずつではあったがマシなものに変わっていた。



 最初の頃は、エメラダもアンリエッタの事をどうこう思うわけではなかった。

 彼女もまた最初の頃は緊張してちょっと動きがぎこちなかったりしたけれど、それでも精一杯失礼のないようにと振舞っていて、その頑張りは何だか幼い子を見るような気持ちでエメラダはとても微笑ましい気持ちになったのだ。実際幼い子、と言える年齢だったのだが。

 その心境がガラリと変化したのは、果たして何度目の出会いだっただろうか。


 普段あまり関わる事のない相手、しかも身分が上という事で向こうから話しかけてきたわけではない。

 身分が上の者から話しかけて、そうしてそちらからもお話していいですよ、という許可を出してようやく身分の低い令嬢たちも話をする事ができるわけなのだが。

 その時点でもまだアンリエッタに対して不快である、とエメラダは思っていなかった。

 とはいえ、何度か言葉を交わすようになって徐々にそれが嫌悪であると理解できたのは……エメラダが貴族院へ入る年齢になってからだった。


 アンリエッタはエメラダの一つ下の年齢であったため、貴族院への入学は一年先だ。

 そうしてアンリエッタと接触する事もない一年の間で、エメラダはじんわりとアンリエッタに対する嫌悪感を育てていたのである。


 エメラダは本来人の好き嫌いが激しいわけでもない。むしろ幼い頃から鷹揚というか、寛大というか、まぁ年齢の割に落ち着いた部分もあったしそのせいでやたらと大人びて見えていたのは確かだ。

 だからこそ最初は、ようやく年相応の感情が芽生えでもしたのかと思ったくらいだ。

 だが違う。


 そう、と気付いてからのエメラダはアンリエッタの事を生理的に受け入れられないくらい嫌うようになっていた。


 とはいえ、露骨に態度に出したわけでもない。

 だからこそ周囲はエメラダがアンリエッタの事を蛇蝎の如く嫌っているだなんて思いもしないだろう。



 アンリエッタの態度がエメラダにとって失礼だった、というわけでもない。

 もし周囲から見て失礼な態度であったなら、それこそ茶会に誘った友人でもある子爵家の令嬢が窘めただろうし、それでも改善されなければ茶会を主宰していた伯爵家の令嬢が厳しく指導していただろう。何せ相手は侯爵家令嬢だ。男爵家からすれば無礼は許されないような相手。


 内々で、それこそ子供同士の事だから、で済ませられるうちにどうにかしなければ、事は最終的に大人同士に飛び火する。それくらいは幼かった令嬢たちでも判断できた。


 だがしかし、周囲から見てアンリエッタの態度は失礼だとは思わなかった。


 アンリエッタはエメラダに――言い方はどうかと思うがよく懐いていた。

 お姉さまと陰でこっそり呼んで、あんな風に素敵なレディになりたいわ、なんて友人に話していたくらいだ。年齢は一つしか変わらないが、それでもアンリエッタにとって一つ年上のエメラダはすっかり憧れの、令嬢の鑑のような認識だった。

 その憧れの相手に失礼な態度をとるはずがない。


 だが、一見すれば失礼な態度ではなかったけれど、それでもエメラダはアンリエッタを嫌ったのだ。


 切っ掛けは小さなものだった。


「エメラダ様のような素敵な淑女になりたいです」


 アンリエッタは頬を染め、何度目かの茶会の時にそう伝えた。

 憧れ。好意。

 そういったものがふんだんに詰め込まれた言葉は、周囲から見ればとても微笑ましいものだった。

 エメラダもそれを言われた直後は別に何とも思わなかった。むしろちょっと照れたくらいだ。

 だがその気持ちは早々にしぼんでしまった。


 最初は偶然かと思ったのだ。

 前回の茶会の時にエメラダが着たドレスの色と、今回の茶会のアンリエッタのドレスの色が同じであった。

 あくまでも色だけでドレスのデザインなどは違う。それはそうだ。侯爵家と男爵家では財力が違う。

 時に身分こそ高くとも金はない、なんていう貴族はいるがエメラダの家はそういった歴史だけでそれ以外は何もない、という家ではなかった。

 男爵家のアンリエッタがエメラダの着ていたドレスと全く同じものを用立てる事は難しいだろうけれど、それでも色合いだけは似せる事はできる。


 最初のうちは気付かなかった。

 けれども、何度か茶会を行っているうちに主催した伯爵令嬢ではなく、別の友人である伯爵家の令嬢に言われたのだ。


 そういえば最近のアンリエッタさんは、よくエメラダ様の着るドレスと色だけはお揃いですのね――と。

 正直エメラダは言われるまで気付かなかった。が、確かに言われてからよく見ると、前回のお茶会で着たドレスの色と同じ色のドレスを着ている。デザインは異なるので、他の令嬢もすぐに気付けなかったようだ。

 これがデザインも同じであったなら流石にもっと早く気付いた事だろう。


 正直この時点で少しイヤだな、とエメラダは思ったのである。


 流石にエメラダが直接問いただすとまるで糾弾するように思われる可能性もあったので、間に伯爵令嬢を挟んでやんわりとアンリエッタの真意を聞く事にしたのだが。

 アンリエッタに悪気があったわけではない。

 ただ、憧れているエメラダに少しでも近づきたいと思って、エメラダの着ているドレスはどれも素敵で、けど流石に同じものを用意するなんてとてもじゃないができそうにない。だから色だけでもせめて、と思っての事なのだ……と切々と語られて伯爵令嬢は絆されてしまったのである。


 憧れている人と同じ物を持つ、という部分に共感できてしまったが故だった。


 そしてそういう事情だったようですわ、と伝えられたエメラダはなんとも胸の中にもやもやとしたものが残ってしまったけれど、けれどもアンリエッタのそれは純粋な好意からくるものであった、と言われてしまえば正面から否定もできず。


 だからこそエメラダはやんわりとアンリエッタと関わらないようにしようと試みたのである。


 どのみち貴族院に入った時点で一年はアンリエッタと関わる事もない。

 だから安心していた。


 どうしてあんなにイヤだなと思ったのだろう、とその間に自分でも考えてみたのだが、恐らくそれは、考え方の相違だったのかもしれない。

 アンリエッタはエメラダのようになりたい、と言っていた。その言葉を聞いた時点でエメラダは特に不快感を持たなかった。

 けれどもそこはかとなく真似をされて、エメラダは不快に思った。


 考えた末にエメラダのような淑女になりたいという言葉でエメラダはてっきり内面を指しているものだと思っていたが、アンリエッタが外見から入ろうとした事で内心失望したからではないか、という結論に至った。

 エメラダとアンリエッタの外見はそう似ているわけでもない。だというのに、ただ似たような色合いのドレスを着ただけで近づいた、と思われるのはとても――そう、とても軽く見られていると思えたのだ。


 エメラダは侯爵令嬢として人前に出る時に恥ずかしくないように、と様々な礼儀作法を学んだし、それ以外にも覚えるべきものはたくさんあった。一朝一夕でできるようなものではなかったし、だからこそ教師に良く出来ましたと褒められた時はとても嬉しく思えたのだ。結果が出て、努力を認められた。だからこそ次も頑張ろうと思えた。


 だがアンリエッタは外側だけを何となく真似て、それで近づいたと思っているようにエメラダには感じられた。ただドレスの色合いが似ているだけ。なのに近づいていると思われている、と考えると途端に不快感が胸いっぱいに広がる。

 まるで中身はどうでもいいと言われているような気になってしまったから、だからエメラダはアンリエッタの行為に不快感を抱いたのだと気付いてしまった。


 お前の中身は空っぽだ、と言われたような、そんな気分になってしまったのだ。

 勿論アンリエッタはそこまで考えたりはしていないだろう。これはエメラダの被害妄想になってしまうかもしれない。けれども、子供の微笑ましい好意だと思って受け流す事ができなかった。



 そうして一年が経過して、アンリエッタが貴族院に入学する日が訪れてしまった。

 とはいえ一年会わずにいたのだから、アンリエッタのあの真似事ももうないだろうとエメラダは思っていた。


 貴族院では制服の着用が義務付けられている。これは単純に学業に関しては平等であるという意味合いを見た目で示すという意味も含まれている。

 身分こそ違うけれど、この学院で学ぶ事に関しては身分の上下関係なくできなければならない。身分を盾に他者の学びを侵害してはならない、という意味合いも含められていた。


 勿論学ぶ事のみ、であるので、学院内で身分など関係ない、皆平等だ、などという発言は言った時点で白眼視される。身分による相手との関わり方を学ぶのもまた、この学院では重要な事となるので。

 学院の生徒として規律を重んじ、勤勉に学ぶべし――というのが理念になるのだろうか。


 ドレスであるならまだしも、制服であるなら皆同じだ。

 そこもエメラダには安心する要因であった。

 制服なら自分とアンリエッタだけではない、他の生徒だって着ているものだ。だからそれに関しては何も問題がない。



 入学してきたアンリエッタは早速エメラダに挨拶にやってきたし、一年会えず寂しかったと言っていたが。

 エメラダは寂しいなど思った事がなかったので会話をしていてもお互いの温度差がそこにはあった。

 一年会わない間に別の誰かに興味が移ってやしないかと思ったけれど、どうやらそうはならなかったらしい。エメラダにとっては残念な事である。


 貴族院に通う期間は三年。

 一年はとても快適だったけれど、残りの二年はどうだろうか……そう考えるとエメラダは少しだけ憂鬱であった。



 あぁ、改めてわたくし、やはりアンリエッタさんとは関わりたくありませんわ……


 そう思ったのは割とすぐの事だった。


 学院の中では制服なので服装を真似される、という事はなかったが、しかしそれに気付いてしまったエメラダの機嫌は一気に下がる。

 アンリエッタが使っていたハンカチを見て、エメラダは思わず目を細めてしまった。睨むまではいかないが、それでもちょっと気分が悪いです、というように周囲からは見られたかもしれない。

 けれども無理もなかった。


 アンリエッタが使っているハンカチには刺繍がされていたのだが、そのデザインはエメラダが使っているものとほぼ同じだったのだ。


 数日前まではそんなものはなかったはずだ。

 となると、アンリエッタは数日前からコツコツとハンカチに刺繍を施したのだろう。それはいいが、しかしエメラダの使っているものと全く同じデザインであるというのはいただけない。

 恐らくは自分で刺繍したのだろう、とわかるのは急いだからか若干デザインが崩れているからだ。それでも、エメラダの使っているハンカチの刺繍と同じものを施したというのはわかる。


 たまたま同じデザインでかぶった? とんでもない。

 そのデザインは、エメラダの家の家紋である。たまたま同じデザインになるなどあるはずがない。


 思わずそれは? とアンリエッタに問えば、アンリエッタは照れたように、はにかみながら答えたのだ。


「せめて、少しでもエメラダ様に近づきたくて。お守りみたいなものなのです……」


 そう言われてしまうと、何とも言えない。

 エメラダの家の紋章とも言うべきそれを持つ事で、彼女の家の権力にあやかろう、とかそういう意図であるわけでもなく。ただ、憧れの女性を身近に感じたくて……といった理由である。

 この紋様に恥ずかしくない行いを、と自分を戒めるためのものなのです。とか言われてしまえばたまたま近くにいた別の令嬢に、エメラダ様ひいては侯爵家の方々も素晴らしい方ばかりですものね、と納得されてしまった。


 とはいえ、流石に家の人間でもないのにエメラダの家の家紋はどうかと思ったのでエメラダはどうにか苦言を呈した。結果として、そこに使われている花の刺繍は構わないでしょうか? と聞かれてしまえばそれまで断れるはずもない。家紋として使われている紋様そのものは流石に何かあった場合に問題になりそうだからやめてほしいが、単なる花の部分だけであれば刺繍としてはよく使われているものだ。そこまで駄目だと言えるはずもない。


 けれど、アンリエッタがその花の刺繍がされたハンカチを使っている理由を知っていると、途端に何とも言えないいやぁな気持ちになるのであった。



 アンリエッタが学院に入学してからは、よくエメラダの前に姿を見せるようになった。学年が違うので授業は別だがそれ以外の時はちょくちょくとアンリエッタの姿が目に入るのである。

 何がイヤって、その状態のアンリエッタがエメラダに憧れている令嬢として周囲に認識されるようになった事だ。エメラダの学友たちからはすっかりアンリエッタはエメラダを慕う妹のようなものと認識されてしまった。


 エメラダがそんなんじゃありませんと否定したとしても、マトモに受け取ってもらえなかったのだ。

 照れているのだ、と思われてしまって。


 よく姿を見かけるとはいえ、常にべったりエメラダに張り付いているわけでもない。迷惑だからやめてほしい、と言うほどでもない頻度。実際何かの邪魔をされたりしたわけではない。図書室の中で遭遇した時は話しかけたりしてこないし、そういった部分での礼儀は弁えている。だからこそ余計にエメラダからすればうんざりするものであったのだ。


 礼儀も弁えずにぐいぐい来ていたのなら、もっと早くに迷惑だから近寄らないでと告げる事もできただろうに。



 何となく目につくだけでそれ以外はもうないだろう、と思っていたエメラダの予想を裏切って、アンリエッタが次にしたのは髪型であった。

 エメラダが貴族院に入学する前はエメラダと比べると短かったアンリエッタの髪は、彼女が学院に入学する時には以前のエメラダと同じ程度には伸ばされていた。

 そして当時よくしていた髪型でアンリエッタは学院に入学してきたのである。だがしかし、エメラダの今の髪型を見るや、いきなり変える事はしなかったが少しずつ髪型を変えて、時間をかけてエメラダの髪型に寄せてきたのだ。

 ガラリとイメチェンしました、というのであればまだ話題にしやすいがじわじわと少しずつ変化させた事で毎日見ている者は大きな違いに気付けるでもなく、日々の細やかな変化として見落とし、気付いたころには手遅れであった。


 その頃にはすっかりエメラダの妹分として周囲にアンリエッタの存在は定着してしまったのだ。

 エメラダ本人が認めていなくとも。


 なんというか、外堀から埋められている――エメラダがそう感じるのも無理はなかった。

 迷惑だからやめてほしい。例えそう伝えたとしても、アンリエッタの振る舞いは周囲から見てそこまで非常識に映るものでもない。であれば、途端にエメラダが悪いとなってしまいそうで。


 例えば派閥の違いなどで最初から仲が悪い人物であれば、わたくし貴方が嫌いですわ、と宣言したところで周囲も何とも思わなかっただろう。まぁそうでしょうねぇ、とかそういう感じで納得されたに違いない。

 けれど、アンリエッタはエメラダを慕っている。その相手にお前が気に入らない、と伝えるのは……第三者目線で考えれば酷いのはエメラダである。


 いっそアンリエッタがエメラダが嫌いでだからこうして嫌がらせをしているのだ、というのであれば良かったのに。彼女に悪気が一切ないのが余計にエメラダにとってストレスだった。


 その後もじわじわとアンリエッタはエメラダを身近に感じたくて……なんて理由で様々な物を真似るようになった。

 例えば装飾品。学院ではあまり派手な物は推奨されていないけれど、それでもそういった装飾品を身に着ける事は禁止されていない。

 それは例えば婚約者から贈られてきた指輪であったり、ネックレスであったり。

 イヤリングなどを好んで身に着ける者もいた。


 そして、エメラダもその時婚約者から贈られたブレスレットを身に着けていたのだ。


 素敵ですね……とうっとりした様子でそれを見ていたアンリエッタにエメラダは嫌な予感を感じていたのだ。けれど、婚約者から贈られたそれを今更外すのもイヤだった。


 そうして少し後で、アンリエッタはエメラダが身に着けているブレスレットとよく似た物を身に着けるようになった。

 とはいえ、あくまでもぱっと見似ているだけで同じではない。

 当然だろう。

 エメラダの婚約者である公爵家の令息が用意した物を、男爵家のアンリエッタが個人の財産で用立てられるはずもない。だからこそ色合いが良く似ているだけの、なんちゃってアイテムであるというのは理解していた。


 けれどそれでも、エメラダにとってはとても不快であったのだ。


 その後もじわじわとアンリエッタはエメラダに近づこうとして様々なものを寄せてきた。

 ちょっとした小物、装飾品、髪型、メイク。


 そうしているうちにエメラダが学院で三年になって卒業間近になる頃には、アンリエッタはそこはかとなくエメラダに似た令嬢と言われるようになっていたのである。

 これがまるで双子のようにそっくりね! とか言われるのであればまだ、エメラダも違う感想を抱いたかもしれない。けれども所詮ただの真似事。どう見ても劣化版。それが余計に癪に障った。



 社交界では流行を作るのは常に上の立場の者だ。

 だからこそ、新しい流行が生まれた時にこぞってそういったものを真似て流行るのだが、エメラダは別にその事に関してまで許し難いと思える程ではない。

 エメラダとて流行に乗っかった事がないわけじゃない。


 けれども。


 例えば今年の流行はこの色のドレスです、となったとして。

 その場合流行りの色を使う事は当然であるけれど、デザインは自分の好みだとかを当然取り入れる。だからこそ、同じ色合いのドレスであっても皆が皆同じ物を着ているという感じはしない。夜会などでダンスをしている令嬢たちを見て、全員同じドレスじゃないか、なんていう男性はいないのだ。女性の服のデザインなどに興味がなくともそこは流石に理解できている。


 そう、流行りに乗っかったとしても、そこに自分なりのオリジナリティを混ぜるのが本来である。


 他の令嬢がエメラダが身に着けていた装飾品などを見て、素敵ですね、それはどちらで? などと聞いたとしてもエメラダは特に不快に思わなかった。何故ってたとえ似た装飾品を作らせるにしても、あくまで参考程度にするだけで、全く同じものを作るわけではないのだから。


 けれどアンリエッタは違う。

 彼女は男爵家なので財力的に当然とはいえ、同じものを用意はできない。けれど、その分質が下がった状態で、エメラダが身に着けているものと見た目そっくりのものを用意するから不愉快なのだ。


 まだ、アンリエッタなりのオリジナリティでもそこに混ざっていればエメラダもここまで不快に思わなかったかもしれない。

 もしくは、アンリエッタの年齢がもっと離れていたならば。

 幼女が憧れのお姉さんの真似事をしたところでエメラダはきっと不快に思わなかった。それどころか微笑ましさすら覚えたかもしれない。

 けれど、アンリエッタはエメラダの一つ下で、年の離れた姉の真似をして大人の仲間入りを果たしているようななんちゃってごっこ遊びをしても許される年齢ですらないのだ。


 学院の中で努力しているという話は聞こえてきている。

 こういう時エメラダ様ならどうなさるかしら……なんて言いながら、困難に立ち向かう事もあるなどと噂で聞こえてきた。


 外見を寄せてきているだけではなく、じわじわと内面まで寄せられつつあるという事態に。


 なんだか不気味に思えてきたのだ。

 最初の頃、外見だけを真似されてガッカリした事を覚えている。あの時は内面なんてどうでもいいのかとがっかりしたわけだが、それが今になって内面まで似たようなものになろうとしているという事実に。

 なんだかアンリエッタが得体の知れない化け物のように思えてきたのだ。



 勿論そう簡単に内面までそっくりになれるはずもない。わかっている。

 わかっているのだけれど、既に存在している嫌悪感のせいでもうアンリエッタが何をしても気に入らないのだろうなとわかってしまった。

 とはいえ、こんな事他の誰にも相談できない。

 学友たちはアンリエッタを微笑ましく見ている。憧れの女性に近づこうとして努力しているその姿を好ましいものとして見ている。

 ここでエメラダがアンリエッタに対して否定的な事を言えば、途端に周囲の同情はアンリエッタに集まるだろう。


 例えば家に戻り家族に話をしたとして。

 恐らくエメラダがアンリエッタに思う嫌悪感までは理解されないだろう。


 周囲から見たアンリエッタはエメラダに憧れ、少しでも彼女のような淑女になりたいと努力しているだけの令嬢だ。


 父はきっとお前が素晴らしい女性だからだ、の一言で終わらせるだろうし、母もまたそれくらい憧れを持たれているなんて素晴らしいじゃないの、と笑って流すだろう。



 内面をトレースしようとしているとしても、まだそこまでではない。

 精々ちょっとした仕草だとかではある。

 けれど、学院の食堂で食事をする時などはエメラダが何を食べるか決めてからアンリエッタも同じものを食べるようになってきているし、内面というか一日の行動をそのまま後追いされてきていて、何だかこのままエメラダの人生をアンリエッタも同じように歩もうとしているのではないか……と思うと、本当に不気味なのだ。


 もうじき卒業という頃に、ふと思い立ってエメラダは婚約者から贈られた香水を少しだけつけるようにした。

 そうなると、アンリエッタはとても素敵な香りですね、と褒めそやし、一体どこの香水ですか? と聞いてきたのだ。


 そうでしょう、わたくしも気に入っているの、婚約者からの贈り物よ。


 そう答えてそれ以上は何も言わなかったが。


 アンリエッタは、エメラダが学院を卒業するその日、似た匂いの香水を調達してきてそれを身に着けていた。

 完全に同じというわけではないだろう。何せ婚約者直々にオーダーしたもので、同じ物は店で取り扱っていない。だからアンリエッタはそれに似た匂いの別の香水を用意しただけに過ぎないのだが。


 なんだかその執念が、とても恐ろしかった。



 学院を卒業した後のエメラダは婚約者と結婚し、今まで過ごしていた街から別の街へと移り住んだ。

 アンリエッタから物理的に距離を取る事ができた、という事実はエメラダの心を大いに安心させた。

 これでもう、あの人と関わらなくて済む。

 たったそれだけの事が、とても嬉しい。


 けれど、エメラダの人生から完全にアンリエッタが消えたわけではなかった。


 例えばそれは茶会の時。

 もう既に学院を卒業した後は、本当に親しい間柄の友人との茶会や、あとは同じ派閥で行われる茶会くらいしかエメラダは参加しない。

 そうなると参加者の大半は家格の近しい者たちとの集まりになるのが必然的だ。

 だからこそアンリエッタがその茶会に参加してきた、なんて事はない。

 けれども、恐らくは彼女と親しい間柄だったのか、学院にいるアンリエッタの様子が時折耳に入る事はあった。

 相変わらずあの子、貴女の事……そんな風に微笑ましいものを語るように言われるのだ。

 すっかり姿を見る事ができなくなって寂しい、だなんて言っていたわ。なんて言われてもエメラダとしてはこちらは清々していると返すわけにもいかない。


 例えばそれは夜会の時。

 夫に用意されたドレスや装飾品を身に着けて、夫とダンスをした後で。

 アンリエッタを知る人物から相変わらずのようだ、なんて話を聞かされる。

 きっと夜会に参加するエメラダ様はとても麗しいのでしょうね、なんてどうして自分がその場にいないのかを悔やんでいたよ、ととても微笑ましい話として聞かされても、エメラダからすればその場にいなくてわたくしとしてはとても喜ばしいですわ、と返すわけにもいかない。


 本人がその場にいなくとも、アンリエッタの影は常にエメラダに付き纏っていた。


 彼女の事を悪く言ったとしても、あれだけ慕われて何がイヤなのか、とそう言われて終わるだろう事はエメラダもよく理解していた。


 だからこそアンリエッタの話題が出た時、エメラダは表情に出さないようにやんわりと会話を受け流し、これ以上自分の事がアンリエッタに伝わらないよう気を張っていたのである。

 アンリエッタの話題が出るという事は、話題を出した人物から逆にエメラダの話がアンリエッタに回らないとも限らないので。


 とはいえもう関わる事もないだろうと思っている。

 仮にエメラダの話がアンリエッタに伝わったとして、けれどももうエメラダの前にわざわざ現れる事もないだろうと。そう信じたかったのかもしれない。


 悪夢は二年後にやってきた。


 アンリエッタが学院を卒業し、その後どうやら誰かと結婚したという話は小耳にはさんでいた。けれどもそれが例えば自国なり他国なりの王太子だとかであればエメラダも記憶に残っていたとは思うが、特にこれといって特筆すべきものではなさそうな人物だったからか、エメラダの中ではもうすっかり記憶の隅に追いやられていたのである。


 だが、アンリエッタは夫と共にエメラダが暮らす街へとやってきた。


 もう二度と会う事はあるまいと思っていた女との再会。

 今日からここで暮らす事になったんです、と再会したアンリエッタは嬉しそうに笑う。

 仕事の都合で一時的に、という感じではなかった。



 つまりそれは……


 再び、エメラダの生活にアンリエッタという存在が介入してくるという事実に他ならなかった。

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