7章 思わぬ邂逅 3話
「すみませんが、ちょっとまってください」
初老の男性はジェイルが何か伝えたいのでは、と感じ申し訳なさそうにそう言うと、杖を片手に持ったままもう片方の手の人差し指で耳の穴をグリグリとほじる。
そして、もう片方の耳の穴も同じようにほじっていた。
いきなり何をしているんだ、とギョっとした表情で驚くジェイル。
「お見苦しい所をお見せしてしまい申し訳ありません。一時的ではありますがこれで聞こえますので、さあどうぞ」
外耳道や鼓膜を刺激して一時的に耳の聞こえが良くなった初老の男性。
耳管狭窄症でもそんな対症療法は聞いたこともない。
初老の男性の非常識な行動にジェイルはどんな耳をしているんだ? と思い若干、戸惑いながらも話を進めよう、ともう一度、同じ質問を丁寧にする。
「‥‥‥恋人ですか」
何かを思いつめた様子で見えない目でオーロラで覆われた蒼穹を見上げる初老の男性。
「どうしたんだ?」
少し心配したジェイルは気にかけるように喋る。
「実は、生前に嫁がいたんですが、先に亡くなってしまいましてな。以来会えていないのですよ。」
静かに落ち着いた声でジェイルに語る初老の男性。既に二度と会えない事を悟り、それを受け入れているような様子だった。しかしどことなく追悼の思いを引きづっているかのようにも思えた。
その言葉を聞いたジェイルは気まずい気持ちになってしまう。
天使界に来ても生前の妻の行方も探せない程、初老の男性の身体は病に侵され、それが天使界に来ても改善されない。しかもニイナも言っていたが移動手段は歩行以外無い。
ジェイルはどうしたらいいものか? とその場で頭を悩ませていた。
しかし、このチャンスを逃してしまえば、二度と人外レベルのニイナの恋人は見つからないのかもしれない。
何故かそう思えて仕方なかったジェイルは挫けそうな気持ちを踏みとどめ重く塞がれてしまった口を開けた。
「だったら新しい恋を見つけて見ないか? 丁度、フリーな女がいるんだ」
ジェイルは無理に陽気な表情にして初老の男性にニイナを紹介しようとした。
初老の男性の気持ちを考えない不躾なジェイルの発言だが、ジェイルには他に選択できる言葉が見つからなかった。
「‥‥‥新しい恋ですか。それもいいかもしれませぬな」
まさかの初老の男性の返答にジェイルは驚いた。
「本当にいいのか?」
あの怪物ニイナを紹介しようとしてるのか、と思うと罪悪感が込み上がって来たジェイルは、今になって冷静さを取り戻し、ちゃんと本心を聞こう、と初老の男性の顔色を伺うように問いかけてみた。
「いいのです。いつまでも妻の想いを引きずっていくわけにも行きませんし。何よりこの身体では探すことも儘ならないですからね」
再び見えないはずの目でオーロラの差し込む光を眺めながら、か細い声で悲しげに話す初老の男性。
前向きになった事を喜んでいいのか、それとも未だ未練が経ち切れてい無さそうだ、と悲しむべきなのか、ジェイルは複雑な心境になってしまう。
「分かった。なら案内するぜ。だが行く前にこいつを呑んでくれないか?」
ジェイルは複雑な気持ちを紛らわせるため顔を横に振るうと、感心噴出を懐から取り出し、初老の男性の手に握らせた。
感心噴出をきちんと飲ませ、ニイナの家まで初老の男性の感情や心を呼び起こす効力を継続しなければならなかったからだ。
何から何まで、初対面の相手に対し非常識な行動と言うより非道な行動をするジェイル。
「これは?」
当然、初老の男性は目が見えないため手渡された感心噴出の小瓶に疑問を持ち、ジェイルに首を傾げながら聞いた。
「えっと、それはだな、気持ちをリラックスさせるための秘薬なんだ。これから知らない女性に会うんだから緊張するんじゃないかと思ってな」
ジェイルは酷く動揺しながらも、思いつく限りの虚言を選んで初老の男性に説明した。
「すみませんな。余計な気を使わせてしまって。ありがたく頂きます」
感謝の言葉を尽くすように言う初老の男性は手渡された感心噴出を疑う事なく口に含み一気に飲み干した。
過去最高に良心が痛んできたジェイルは胸を抑えながら顔に力を入れ、その気持ちを抑え込んだ。




