17章 かつての天使界 8話
そして、医務室に付いた二人は、医者にシャーディッヒの容態を見て貰ったが特に怪我はなかった。
そのまま一般兵とシャーディッヒは医者から少し離れ雑談をしていた。
「五体満足で何よりです。シャーディッヒ様」
「これくらいの事で大袈裟よ。でもありがと」
一般兵は安堵した態度でそう言うと、シャーディッヒは笑みを浮かべていた。
本当に大丈夫のようだ。
「それにしても、このような機会でないとシャーディッヒ様と言葉を交わせないとは、つくづく自分の身分の低さを痛感致します」
一般兵は微笑しながら冗談交じりのように言う。
「そんな事は無いわ。私を見掛けたくらいなら普通に声をかければいいのよ」
シャーディッヒは気品ある面持ちで暖かい言葉を掛ける。
「はあ」
急に暗い面持ちでため息を吐きだすシャーディッヒ。
「どうなされました?」
「私、たまに思うの。あの人が神の責務にうんざりしているのじゃないかって」
シャーディッヒは遠い目になる。
「それはもしや、今なされている剣の稽古と関係が?」
「そうよ。私が少しでも剣の腕が完熟して、あの人の相手になれば、少しでも日常を有意義に過ごせんるんじゃないかって。愛する人同士の交際はどんな形であれ、気持ちを豊かにしてくれるわ。それにあの人も身体を動かす方が性に合っていると私は思うし」
一般兵の素朴な質問に、寂し気な瞳で答えるシャーディッヒ。
シャーディッヒは、イエスが天使界の民や、現世の人間達に激洗を行使し続け、毎日のように信仰授受の責務をこなす日々に辟易としているのではないか? と毎日のように思い悩んでいた。
その懸念があるからこそ、怖くてイエスに直接聞けず、第三者である一般兵に思わず口にしてしまったのだ。
「そうだったのですか。シャーディッヒ様の着眼点は流石ですね。私は平和である事が何よりの幸福だと思い、他者の精神状態まで考慮する事など今まで一度もありませんでした。本当にお優しい」
一般兵は尊敬でもしているかのような口ぶりで、シャーディッヒを敬う。
「そんな畏敬みたいな事言わなくて良いわよ。でもありがとう」
笑みを浮かべるシャーディッヒだったが、すぐに浮かない面持ちになる。
すると、一般兵がヘルメットの奥底で、ニヤリと不敵な笑みになる。
「シャーディッヒ様。無礼と承知でわたくしから一つ提言したい事があります」
一般兵が畏まるように口にする。
「ええ。何でもいいわよ」
シャーディッヒは疑う事無くその申し出を受ける。
「先程の話を聞く限り、イエス様に娯楽を提供すると言うのは確かに理に適っています。しかし、結局の所、神の責務からは逃れられません」
「……確かにそうね。私の考えは安易だったのかも」
一般兵の言葉に俯くシャーディッヒ。
「そこでです、無数の穴の中から一つの穴を埋めるのではなく、洞穴を空けるのです。つまり消去法です」
一般兵が淡々と言う。
「消去法?」
暗い面持ちで首を傾げるシャーディッヒ。
「はい、端的に申し上げると、……地獄に落ちるのです」
「――貴方、気は確か⁉ 地獄に落ちるですって」
シャーディッヒは驚愕し、背筋が凍り付くのを感じる。
「あくまで例え話です。しかし、地獄に落ちれば、神の責務から解放され、柵からも逃れられます。無論、従者である我々はそんな事はあってはならぬと、重々承知しております。今仰った事は、シャーディッヒ様の解決策の打開案になればと思いまして」
一般兵は敬意を込めて口にする。
しかし、それは虚飾でしかなかった。
「……貴方、名前は?」
ここで、シャーディッヒは一般兵の案に興味を持ってしまった。
悪臭のはずが、シャーディッヒに取っては、心が揺さぶられる蜜の香りとなって。
「……ユエルと申します。以後お見知りおきを」
シャーディッヒの儚い表情の申し出に、ヘルメットを脱ぎ笑みを浮かばせるユエルだったのだ。




