11章 生者の血 1話
意識が闇に呑まれたまま、見知らぬ場所に寝そべっていたジェイル。
「う、うぅう」
唸り声を上げながら、徐々に意識がはっきりしていく。
身体はだるく、まるで何年も熟睡していたかのような倦怠感。
だが、本能的に使命が自分にある事を自覚していたジェイルは身体を奮起させる。
しっかりと目を開き辺りを見てみると広い廊下の床で寝そべっていた。
しかし、ただの廊下ではない。壁の隅々は淡黄色でコーティングされ、床は高級な緑色のカーペットが敷かれている。天井にはシャンデリアまで飾られていた。
ジェイルはそこで、ふと二つの異変に気付いた。
一つは先程まで虚無の世界で衰弱しきっていた身体に倦怠感は残るが生気がみなぎっていた事と、現世から地獄に落ちるまでにナヌアに会い、自分が成すべき事の記憶を取り戻した事だった。
窶れていた頬も健康的に戻っていた。
ジェイルは自分の両手を見つめながら自分の身に起きた事と現状に困惑していた。
何故あの記憶を今になって取り戻したのか、そして、ここはどこなのか?と。
しかし、一つだけ不可思議な記憶があった。
それは虚無の世界で誰かがジェイルを助けてくれた事だった。
その者と話していた内容はある程度思い出せたが名前と顔が思い出せないジェイル。
ジェイルは自分の使命を思い出した事よりも、その助けてくれた者を思い出せない事に懊悩していた。
すると、廊下の先の大きな両開きの扉から何やら声が聞こえてきた。
声と言うより大勢で歌っているよう朗々(ろうろう)な合唱に近い物だった。
ジェイルはその声に魅かれ、自然と立ち上がり扉に向かい歩き出す。
一体何なのだろう? と首を傾げながらその扉をゆっくりと押した。
ギイイィ、と音を立てながら開いた先は客席が無い広い金色に輝く講堂だった。
天井が八十メートルはあり、アンティーク調ガラスシェードシャンデリアが幾つもあり、奥には白く光り輝く巨大なパイプオルガン。まるでダイヤモンドで出来てるんじゃないか、と思う程、神々(こうごう)しい物だった。
そこで、講堂の周囲を埋め尽くす程の紳士淑女達、七百人が純白のドレスやタキシードを着て、オープンスペースに取り付けられた五階建て分の階段に五列になって整然と並び立ちながら、ハレルヤ・コーラスを合唱していた。
そして、奥の低い段差の壇上で男が指揮者をしていた。
その男の右には本物と見分けがつかない程、精巧に作られた戦士の銅像。台座の高さと合わせて7メートルはある。
そして、西洋で作られた本物の剣を右手で握り、左手で盾を構えている。
まるで歴戦の戦いを繰り広げてきたかのような威圧感がある。
そこで、紳士淑女達に目を向けるジィエル。
息の合った美声。最程の廊下と言い講堂と言い、まるで一流しか来る事が許されない合唱コンサートの会場のように思える。
ジェイルは戸惑いながら講堂の中央に向け歩いていく。
「ハーレルヤ! ハーレルヤ! ハレルヤ! ハレルヤ! ハレールヤー!」
歌い終えた紳士淑女達は突然、口から大量の血飛沫を吐いた。
数が七百人もいたため、その血飛沫は赤い雨が降り注ぐような光景だった。
ジェイルの横すれすれにまで飛んできた血飛沫。
「うわっ!」
思わず声を上げ驚くジェイル。
そして、紳士淑女達は崩れ落ちるようにその場で膝を床に付ける。
「うおっ、オホォ!」
「あ、ハハハッ、ハアァー!」
膝を床に付けながら、咳をしたかと思いきや、気持ちよさそうな声を上げながら生を実感しているかのような、生き生きとした表情で天井を見上げる紳士淑女達。
口元や衣服に血をベッタリと付けながらも容姿端麗や眉目秀麗としたものがあった。
とんでもない事態にジェイルは戸惑いながら、どうしたらいいのか? とおろおろしながら右顧左眄する。
すると、檀上に立っていた男から拍手が聞こえてきた。
「‥‥‥また会ったな。ジェイル」
拍手をした男から聞き覚えのある声が聞こえた。
ジェイルは目を細め檀上を凝視する。
「お前‥‥‥バロックか?」
「幽霊でも見たかのような顔だな。安心しろ。私に双子は居ないからな。正真正銘のバロック・ロワイアだ」
落ち着いた様子で話すバロック。
そこでジェイルは辺りをもう一度、見回す。
未だに紳士淑女達は喘ぎ声を上げながら、床は血で真っ赤に染まっている。
だがバロックはこんな悲惨な状況にも関わらず泰然としている様子だった。
「こっちに来いジェイル。お互い積もる話もあるだろ」
バロックはそう言うと、後ろに振り向く。
「待てよ! ここで血を吐いてる人達は⁉」
「紳士淑女達なら問題ない。ここは地獄だからな」
その言葉を聞いたジェイルは驚いた。
先程まで虚無の世界で衰弱しきっていた身体に生気が戻ったのも、地獄に来て不老不死の身体になったからだ。
おまけにバロックとは地獄の牢屋で会っていたため、辻褄は合う。
そう考えると今いる所が地獄だと言う事を認識し始めたジェイル。
そのジェイルの納得したかのような表情を見たバロックは再び歩き出し奥にある三つの内の中央のカーテンの中に入っていった。
ジェイルは血が飛び散っていない床の中央を歩いていく。
喘ぎ声や奇怪な笑い声を耳にしながら、おびただしい血を避け、生唾をゴクリと飲み込むジェイル。
そして、カーテンの中に入ってみると、そこもまた廊下だった。
しかし、先程の廊下と違い、やや狭く、両端には白いカーテンが掛かっていた。
仄暗い空間に白いカーテンの中からぼんやりとした光が差し込んでいた。
床は古い木造の床板で出来ている。
まるで舞台裏のような空間。
五十メートルはあるその廊下をジェイルは警戒しながら歩いていく。
すると、突然、両端の白いカーテンの中からドドドドッ、と地鳴らしのような音と共に何人ものシルエットの影がジェイルの横を走って行く。
一体何なのだ? とジェイルは戸惑う。




