道の果てにあるもの
エイルとヴェルダンが暗い地下道を歩き続けている。太陽の魔法の光だけが、彼らの頼りだ。少年たちは身を寄せ合って、慎重に歩き続けている。
(……相変わらず、先が見えない)
大穴に落ちてから、すでに何度か体験した状況だ。しかし、不思議と彼らに怯えはなかった。体の力が程よく抜けて、足の運びが軽い。きっと、エイルの推測が当たっていて、この先に待ち構えている存在など、本当にいないのだろう。肌を突きさすような嫌な予感は、すっかり消えてしまった。
ヴェルダンが歩きながら、壁や天井をぐるりと見回した。
「はっ……」
ヴェルダンは感心した。ここは人工的だが、ところどころむき出しの岩が露出するなど、天然らしさも残っている。おそらくは作るのに相当な苦労をしただろう。ひとがくつろげそうな大部屋の存在や通路を彩る最低限の装飾は、技術者による不断の努力の賜物だろうか。エルエッタとの戦闘で崩れ落ちなかった頑丈さに、彼は感心した。もっとも、戦っている間に生き埋めになるだなんて、まっぴらごめんだが。
「エイル!」
「うん!」
ヴェルダンがなにかに気づいた。エイルも同様だ。
ふたりが歩みを止めた。
道に、見えない変化があらわれた。すこし、空気が湿っぽくなった気がする。それと、なんとなくだが、空気の流れも変わってきたようだ。かすかに、ふたりが嗅いだことのある匂いもする。なにかを含んでいる空気だ。これは――。
「磯の香りだ!」
匂いと記憶が結びついたエイルが叫んだ。
エイルとヴェルダンが顔を見合わせる。ふたりは同時にうなずいた。彼らは確信した。
――もうすこしだ! もうすこしで、この先に、なにかがある!
……なんだろう? この先には、いったいなにがあるのだろう?
外界の気配を孕んだ空気に導かれて、ふたりは進む。ぐんぐんと進む。大きな期待とちょっぴりの不安に心を揉まれながら、その不安をかき消すように、お互いの手を握って、彼らは進んでいく。
ゴオオオォォォ……。
ゴオオオオオオォォォォォォ……。
「エイル! 聞こえているよな!」
「うん! 風の音!」
今度の変化は、よりはっきりとしたものだ。
音だ! 音がする! 風の音!
ふたりは、いよいよ確信を強めた。
この道の『先』に、いよいよ近づきつつあることを、ふたりは理解している。
緊張と興奮を胸に抱いて、ふたりが小走りで進む。彼らの手は、変わらず互いを逃さないように、がっちりとつかんだまま、走り続ける。
途中で、彼らのブーツが透明な液体を踏みつけた。ばしゃり、とそれが跳ねる。……昨日の雨か? それとも?
考えるよりも先に、ふたりは進み続ける。もう彼らの歩みは止まらない。彼らを阻む者はいない。
「はは……エイル、おい!」
「見えているよ! ヴェルダン!」
笑いながら息を弾ませて、それでも走ることはやめずに、ヴェルダンが前方を指し示した。
ふたりはそれを目撃した。
やわらかい光が、彼らの行き先を示している。それは、月明りだ。月は、はるか遠くに存在するはずで、その導きが見えるということは、つまり――。
いよいよだ! いよいよなのだ!
ふたりは、月光に飛びこむように突き進んだ。
「――おっと!」
少年たちが出現したのは、崖の途中にある横穴だった。ヴェルダンは勢い余って、崖から転がり落ちそうになってしまった。そんな彼の腕をエイルが引っ張りこんで、安全な場所に引き戻してくれた。
「はあ……危ないよ」
「悪いな」
ふたりは、その場に座りこんだ。すこし先は、切り立った岩場だ。冷たくて、湿っていて、かたい感触が尻に伝わる。
冷たい風が、身を切るように、ふたりに襲いかかる。エイルはヴェルダンに抱きつくと、体格差を利用して、彼の胸におさまるように潜りこんだ。そして、少年は、火の魔法を全身に纏わせた。
「……あたたかいでしょ?」
エイルがヴェルダンを見上げるようにして言った。いつもの、人懐っこい、優しい笑顔を浮かべて、自分の成果を認めてもらいたい気持ちを隠しきれないでいる、幼いエイルがそこにいた。
(ああ、エイルだ。俺が知り尽くしている、いつものエイルだ)
静寂の中で、潮の音がふたりを歓迎するように響いている。
――やっぱり、エイルはその顔が一番似合っているよ。俺は、その顔をしているお前が大好きだ。
「……うん?」
つぶやいたヴェルダンの言葉を聞き逃したエイルは、なにを言ったのかと彼に尋ねた。
ヴェルダンは、適当に少年の頭を撫でるだけで、なにも言わなかった。
「ほら、見ろよ」
ヴェルダンが真上を仰ぎ見ている。エイルも彼につられて、そちらを見上げた。
「わあ……」
そこには、家の周りだと木々が邪魔をして、なかなか見ることのできない光景が広がっていた。
真っ黒なのに透明な夜の空に、冷たい光と暖かい光の星々が輝いて「私を見て!」と競い合っていた。大小さまざま、黄色もあれば橙色も、青っぽいのも、白だって……。色んな星が、彼らを見守っていた。
そんな星々の姿は、まるで、ここまで来ることができた自分たちを祝福しているように見えるのは……自惚れだろうか? とふたりして、心の中で思っていた。
同じ空を見上げるふたりの息が、そっと重なる。それに気づいたふたりは、顔を見合わせると、ちょっぴり照れくさそうに笑って、お互いに誤魔化しあった。それでも、肌寒さからなのか、他の理由からなのか、彼らが離れることは決してなかった。
「……なあ、エイル。ここがどこなのか、わかるか?」
「うん。わかるよ。今は暗くて、別の世界に来てしまったみたいだけど、はっきりと」
エイルとヴェルダンが立ち上がった。彼らは先を見据えて、目を細めた。
ここにたどり着いたときから、ずっと音が聞こえていた。液体がこちらに迫る音。液体同士がぶつかって、跳ねて、弾ける音。それから、液体が自らの住処に帰っていく音。水しぶきがひっきりなしに、あちらこちらで、己の存在を主張している。
空気は、もうすっかり大穴のものとは異なって、肌に染みるような、べたつくものになっていた。
時折、大きな波が、ふたりを呑み込もうと企んでいるのか、勢いをつけて迫りくるが、途中で力尽きると、引きずり戻されていく。
横穴にいる彼らの眼下には、岩場が広がっている。その先には、砂浜が広がっている。そして、さらにその向こう側には――。
果てのない大海原が、どこまでも広がっていた。
月の白光を受けた海は蒼く輝いて、生命の産声を彼らに伝えている。
きれいだ――。
エイルとヴェルダンは、目の前に広がる幻想的な光景に目を奪われていた。
夜の森に潜む大穴から続く道の果てにあるもの――それは、海岸だった。




