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Haphazard Fantasy ~エイルの不思議な冒険~  作者: 加藤大樹
第一章

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エイルの痛み

 ――やっと、楽になれる。


 エイルの目じりから涙があふれた。そこに孕む感情は、恐怖、苦痛、安堵、未練……数えきれない。たくさんだ。色んな感情が混ざりあっている。

 少年の瞳から流れ出る透明な雫が、彼の血と混ざって、薄い赤色に染まる。それは重力に従って、地面に落ちた。


 ――エイルは、頭の中で、歯車が噛み合うような感覚を覚えた。意識が急速に覚醒していく。


 ああ、かわいそうなエイル。

 全てを投げ出して、絶望の中で見つけた安らぎの中で、穏やかに死んでいくはずだったのに。

 運命は少年を手放さない。

 エイルは、死の間際で、正気を取り戻してしまったのだ。

 若さゆえの柔軟さなのか、これだけ酷い目に遭いながらも、少年の心は回復を続けていたのだ。生きるために。生き残るために。


 ……!!


 エイルが、閉じていた目をかっと見開いた。

 唇を震わせて、なにかを言葉にしようとする。が、それはかたちにならなかった。

 少年の中で膨れ上がる感情に、彼の思考が追いつかない。


 エイルの心を、なにかが浸食していく。


 エイル・ノルデンは、両親に愛情をこめて育てられてきた。

 愛を知り、善を知り、与えられる喜びを知った。

 エイルは心優しい子どもだ。


 しかし、エイルも所詮は成長途中の人間の子どもである。


 悪意を孕む者を愛することはできない。

 悪意を孕む者に与えることはできない。


 慈しみを心に宿すエイルは、相手を赦すことを知っている。

 だが、救い難い者を赦すことはできない。


 エイル・ノルデンは、聖者ではない。


 根が腐った者を受け入れることはできないし、救いたいと考えることもない。

 悪意に曝されて、心身を嬲られれば、少年の心は壊れてしまう。


 エイルの心が、憎悪に染まっていく。


 やめて。


 やめて。


 やめて。


 魔の者は蹂躙をやめない。

 魔の者は、エイルの体を殺すつもりだからだ。

 魔の者は、エイルの心を殺すつもりだからだ。


 やめて!


 やめろ!!


 そして、とうとうエイルの心が憎悪に呑み込まれた。


 淵のぎりぎりまで満たされたコップが割れて、中身をぶちまけてしまうように。

 抑え続けてきた感情が、一気に爆発した。


 ――ぶっ殺してやる!!!


 エイルの片目が弾けて潰れると、そこからどす黒い炎が立ちのぼる。

 突如、エイルは凄まじい金切り声を上げて、魔の者の口を両手でつかんだ。

 ……両手で?

 少年の片腕は、魔の者に喰いちぎられたはずでは――。


「――!?」


 すっかり油断をしていた魔の者は驚愕する――暇もなく、少年の暴力を受けた。

 子どもの体躯で出せるはずのない力で、エイルは魔の者の口をこじ開けていく。

 魔の者の大きな鋭い牙が、少年の小さな手を貫通して穴だらけにするが、そんなこと知ったものか。

 エイルは溢れ出る力に身を任せて、魔の者の下顎を引きちぎった。


 魔の者が悲鳴を上げて、逃げるように後退する。

 痛みに悶えて、魔の者はなにもできない。ただ、本能を頼りに逃走を図るのみだ。

 ただ、逃げる。


 エイルは、けだもののように叫びながら、逃げる魔の者を追いかける。


 少年は片目から透明な涙を、片目から血の涙を流しながら、憤怒の形相で、魔の者の尻尾をつかみ取り、壁に叩きつけて、床に叩きつけて、放り投げた。

 自分がされたのと同じように、仕返しだと言わんばかりに。

 暴力をふるう。


 エイルの身体から、気力がとめどなく溢れている。凝固された気力が、エイルの欠損した四肢を補い、抉られた内臓を埋めて、折れかけた首の骨を無理矢理くっつけている。

 こんな無茶をしていたら、エイルは長くは持たないだろう。いや、もう手遅れなのかもしれない。

 身体よりも先に心が砕けてしまったら、もう――。


 少年が歯を剥いて、叫ぶ。魔の者の悲鳴をかき消して、エイルが吠える。

 もがく魔の者に馬乗りになると、それを殴り始めた。


 ――ぶっ殺すだけの力が足りない。ぶっ殺してやる。こいつをぶっ殺してやる!!!


 エイルが小さな拳に気力を集める。

 どす黒く濁ったその力は、自然界の何でもない。

 どす黒く濁ったその力は、エイルの心を内包している。


 ただただ、ひたすら、相手を痛めつけて、嬲って、ぶっ殺してやりたい。

 これは憎悪を研ぎ澄まして、磨いた力だ。


 一発殴るたびに、魔の者がぎゃあぎゃあと馬鹿みたいに悲鳴を上げる。

 まるで、先ほどまでのエイルみたいに。


 ――そうだ。これは、さっきまでの僕だ。でも、もう僕じゃない!!!


「……うふふ。あはは。ははは!!!」


 なにもできなくなった相手を痛めつける行為に、少年は脳がとろけるような快楽を見出した。

 エイルは半狂乱になって笑い続ける。

「あはは! ははは! あっはははは!!!」


 少年の嗤い声は、魔の者の悲鳴を塗りつぶして、拳がそれの肉を潰す音をかき消して、大穴の底に響き渡った。


 今のエイルは、悪魔の瞳を宿していた。憎悪の炎がごうごうと燃え盛っている。

 その姿は、魔の者よりも魔の者らしく。

 弱者を蹂躙する快感と、強者に蹂躙される憤怒が綯い交ぜになった少年の顔は、見るも恐ろしい、震え上がるような表情だった。


 この優しい、甘えたがりの、未熟で純粋な子どもをここまで追い詰めたのは、他でもない、魔の者自身だ。

 後悔する暇もなく、命乞いする暇もなく。

 少年の暴力を浴び続けた魔の者は、そのまま程なくして息絶えた。

 その亡骸は、今のエイルに負けず劣らず、無残な姿だった。


 感情のタガが外れたエイルの思考は狂ってしまった。

 泣いて、怒って、嗤って、まだ足りない。

 溜め込みすぎた負の感情が、少年にもっと暴れろと囁いている。


 まだ足りない。全然足りない。もっと、もっと!!!

 僕は、もっと痛い思いをした!

 僕は、もっとこわい思いをした!

 もっと悲しい! もっと苦しい!


 嫌だ――嫌だ!

 全部、嫌だ!!!


「はああああああああああ!!! ああああああああああ!!! はああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」


 やり場のない感情に心が呑み込まれて、エイルは喉を張り裂きながら、叫びを上げた。

 血の海に沈んでいる剣を拾うと、それをめちゃくちゃに振り回す。

 壁を、床を、空を、切り刻む。

 やがて、少年の目に、頭を殴り潰された魔の者の死骸が映った。


 こいつ、まだ生きている!!!


 まるで見当違いの判断をした少年は、剣を放り出して魔の者の死骸に跨ると、それを一心不乱に殴り始めた。


 エイルは十一歳にして、理不尽を知った。


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― 新着の感想 ―
エイルの覚醒と、半狂乱の全ての力が形勢を逆転させたのじゃな。じゃが魔の者はまだ何か力を隠しておるのじゃな。続きが気になるのじゃ。
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