第八話 新しい居場所
「鉄砲水ですって。かわいそうにね、まだお若いのに」
「お店はどうなるのかしら?」
「でも、ほら。呉服屋さんは元々、弟さんが継ぐことになっていたとかって――」
「あぁ。あの明るくて、口が達者な息子さん……。それなら安心ね。それに、あの子のほうが店主に向いてるんじゃないかしら」
葬儀の席で、ひそひそと下世話な話をする声が聞こえる。
クロと慶二郎は川下にある、隣のまた隣の町で発見された。
クロは慶二郎の腕の中に強く抱かれており、引き剥がすのに苦労したそうだ。
立て続けに若者が亡くなったこの川のほとりには、小さな祠が祀られた。
そして、慶二郎の死に責任を感じて倒れた瑠璃の母は、しばらく入院することになった。
重苦しい空気が町の中に流れる。しかし、それも時が経てば和らいでいく。
どんなに苦しいことがあっても、各々が生きるための日常が止まることはない。
やがて瑠璃も、母の回復をを見届けたあとに天界へと旅立った。
たくさんの痛みを見て、聞いて、重すぎる感情を背負いながら――。
天界に来てからも大変だった。
覚えることも、思い知ることも多く、日々が修行そのものだったのだ。
自死を選んだ魂は、そのままでは転生できない。
『生きる』『生を全うする』とは何たるか、という漠然とした問いの答えを見つけるまでは、生まれ変わることは許されない。
「そもそも、生きるのが辛いから死んだんだ。生まれ変わるための修行なんてする必要はない」
そう言って、拒む者もいた。
しかし、遺してきた人々の痛みを知ることは、天界で暮らすための必須条件だった。
それでも感情は人それぞれだ。当然ながら、その条件ですら否定する者もいた。
それらの魂がその後どうなったのかは、瑠璃も知らない。
瑠璃は死後も実家に留まり、遺してきた家族や巻き込んでしまった人々の痛みや苦しみを見てきた。
そのため、その条件はすでにクリアしていた。
しかし、課題は無数のようにあり、決して易しいものではなかった。
それでも、亡くなったあとも寄り添ってくれるクロの魂に元気付けられながら、瑠璃は試練を次々に乗り越えていった。
瑠璃は優秀なほうだったのか、指導を担当する神様に、だんだんと褒められることも増え、気付けば修行も最終段階に入っていた。
そして、ようやく『結い子』と呼ばれる職業に就くことができた。
この職業は、人の一生に深く関わる。
生まれ変わる準備をする魂が、前世でどのように亡くなり、来世ではどのように生きたいかを聴いて、一生の土台をつくるのだ。
おのずと命と向き合い、一生を全うすることの大切さを否応なしに見せられる位置に立つ。
ここが、自死を選んだ魂が試される最終地点だ。
結い子になると暮らす環境も、今までの学生寮のような閉鎖的で規則に厳しい場所ではなくなる。
他の魂たちが商いをしたり交流したりと、のびのびと暮らす町の中に、一人一人の好みに合わせた家が与えられる。給与も発生する。
そして、生きている頃とあまり差のない生活が始まった。
お嬢さん育ちでまだ学生だった瑠璃は、むしろ今のほうが、よほど自立した生活を送っているだろう。
この町のどこかで慶二郎も暮らしている。
親しくなった八百屋の女将が、慶二郎が住む番地を教えてくれた。
瑠璃は何度も断ったが、最後は強引に番地が書かれたメモを握らされた。
女将は瑠璃と慶二郎の事情を知っていたため、応援してくれたのだ。
しかし、瑠璃はすぐに慶二郎に会いに行く勇気はなく、メモを引き出しの一番奥にしまった。
ある日、ガタンという大きな音で瑠璃は目を覚ました。
クロが器用に引き出しを開けて、そのまま落としてしまったようだ。
その引き出しには、小袋入りのかつお節をしまっていた。
瑠璃は苦笑いをしながら、「朝ご飯にしようか?」とクロに声をかけた。
クロは「にゃあ」と短く返事をしたが、まだ引き出しの中身をガサガサと引きずり出そうとしている。
そして、かつお節の小袋をくわえて瑠璃の手に置いた。
「あれ? もう空だった?」
ごめんね、とクロの頭を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らすが、また引き出しのほうに戻ってしまった。
「クロー? そこには、もうないよ。あとで買いに行こうね」
そう言いながら布団を上げていると、クロが足にすり寄ってきた。
「何もなかったでしょ?――」
瑠璃は思わず硬直した。クロがくわえて来たのは、あのメモだった。
瑠璃にメモを渡そうと、必死に頭を押しつけてくる。
「クロ、ありがとう……」
瑠璃はメモを受け取って、ぎゅうっとクロを抱きしめる。
しかし、苦しかったのか、後ろ足で蹴られてしまった。
その一蹴りは、「早く行け」とクロに叱られているような気もして、また苦笑した。
瑠璃は思い切って、地図をくるくると回しながら慶二郎の住む地域を訪ねた。
すると、前方から大きな笑い声がして、とっさに瑠璃は脇道に隠れてしまった。
誰かと楽しそうに話しながら、慶二郎が近付いてきたのだ。
慶二郎に飛びついてしまいそうなクロを、ぎゅっと抱きかかえて押さえる。
「にぃ」と不思議そうに鳴くクロに、『恩人に会えたのに、ごめんね』と心の中で謝ることしかできない。
そして、背中を丸めて縮こまる瑠璃には気付かず、慶二郎と友人らしい二人の男は通り過ぎていった。
「とても楽しそう……」
慶二郎の背中を見つめると、思わず声がもれた。声と一緒に涙も溢れてくる。
安心なのか、懐かしさや恋しさなのか、罪悪感なのか……
何だか分からないが、一つではない感情が胸をギリギリと締め付け、涙が止まらなかった。
クロがすり寄ったり、手を舐めたりしながら慰めてくれる。
ひとしきり泣いたあと、瑠璃はクロのかつお節を買って家路についた。
それからも、ときどき慶二郎の姿を見かけたが、声をかけることはできなかった。
一度目に失敗した日から、恐れと後ろめたさが膨れ上がってしまったのだ。
伝えなければいけないことはたくさんあるのに、いざとなると『自分を死に追いやった原因を作った女に会いたい、と彼は思うだろうか』という恐れに飲み込まれて、顔を合わせることはできなかった。
そして、とうとう「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えぬまま、慶二郎は転生していった。
あれから、二十年以上の時が経った。
そして、どんな巡り合わせなのか、慶二郎の生まれ変わりである圭祐が、瑠璃のもとへ訪ねてくるようになったのは、ほんの三ヶ月前。
圭佑は慶二郎そのものではない、ということを言い訳にして、瑠璃はまだ謝罪もお礼も伝えられずにいた。
(だって、圭佑は慶二郎さんだった頃のことを覚えてないしね。それに、あんな軽い人じゃなかったもの)
最初に圭佑と会話をした後、瑠璃はある結い子仲間に怒鳴り込みに行った。
慶二郎と圭佑の性質の差があまりにも大きく、愕然としたからだ。
しかし、慶二郎の一生を担当した結い子は、淡々とこう答えた。
『あれはあれで、アイツらしい』
何がどう『アイツらしい』のか。
瑠璃にはさっぱり理解できず、当時は怒りが収まらなかった。
実直で自分に厳しい慶二郎と、のほほんと、その時々を生きるような圭祐が同じ魂とは、とても思えない。
しかし、そんなふうに慶二郎よりも幼いところのある圭祐に戸惑っていた瑠璃も、ようやく彼と付き合うコツを覚えてきた。
圭佑は前触れもなく、ひょっこり現れる。
そして、仕事のことや、最近にあった出来事などを面白おかしく話していく。
月日が流れるうちに絆されたのか、圭佑には圭佑の良いところがあると思うようになってきた。
それでも、恋い焦がれた慶二郎とはあまりに違う圭佑に対して、親しみ以外の情は湧かなかった。
(だって、慶二郎さんはもういないから)
時々、圭佑の顔が思い浮かぶのは、突然の訪問にいつも驚かされるからだ、と瑠璃は自分に言い聞かせる。
(私が生まれて、死んで、それから……)
天界は瑠璃を受け入れてくれた。
結い子の仕事も、やり甲斐がある。命の重みも知ることができた。
生活にも不自由していない。
しかし、時々やってくる空虚な感覚には、いまだに慣れない。
ずいぶんと長い間、思い出にふけっていたようだ。
地上では空が白み、鳥がさえずりだす時間だ。
「圭佑は、ちゃんと起きたかな……」
ぽつりと瑠璃はつぶやいた。
お読みくださり、ありがとうございました。