第五話 きっかけの、きっかけ 2
器用で従順。そのうえ、美人な姉の茉莉。
茶道や華道、琴などの芸事に秀で、両親からも頼りにされて可愛がられていた。
そんな姉といつも比べられ、瑠璃は肩身が狭かった。
また、優秀さや美しさを鼻にかけることもなく、瑠璃にも優しく親切な茉莉を疎ましく思うことすらあった。
そして、そんな優しい姉を煙たく思う自分は、やはり、どこか『不出来』なのだろうと瑠璃は感じざるを得なかった。
茉莉を嫁に欲しいという家は多く、まるでお伽話の『かぐや姫』のようだった。
そして、たくさんの候補の中から、家柄、資産、容姿に恵まれた隣町の地主の長男が選ばれた。
両親の選んだ相手の家に、茉莉は二つ返事で嫁いでいったのだ。
(私はお姉様みたいに、お人形のような結婚はしないわ)
瑠璃がよほど険しい顔をしていたのか、伯母が大げさに溜め息をつく。
「瑠璃ちゃん、私やお父さんの立場も考えてちょうだい。こんな良いお話を断ったら、周囲から何て言われるか。この先、あなたの貰い手がないとしたら、ますます世間体が悪くなるわ。いったい、この結婚の何が不満なの? 誰も損をしないのよ? むしろ、幸せと得が手に入るのよ?」
瑠璃は俯く振りをして、伯母の足元を睨み付けた。
伯母は洋服を好んで着る。今日はロングスカートを履いているが、とても趣味が良いとは思えない。
宝石も靴も持ち物も成金趣味で、瑠璃は大嫌いだった。
特に、自分の考えがすべて正しいのだということを疑わない伯母の話し方は、瑠璃の父親と瓜二つで耳を塞ぎたくなる。
瑠璃が口を開く気配がないことを感じ取ったのか、伯母はあからさまに苛立ちを込めた態度で立ち上がった。
「まぁ、突然のことで驚いたのでしょう。今日は帰ります。また返事をきかせてちょうだい」
そうして、伯母は派手な鞄を手に取ると「あなたからも、よく言い聞かせておいて」と母に言いながら、応接間をあとにした。
その晩、瑠璃の父が帰宅したあと、夕食を食べながら家族会議が開かれた。
会議といっても、姉の茉莉は嫁ぎ先で暮らしているため、両親と瑠璃、そして幼い弟の四人だけだ。
あとは数名の女中や、男性の使用人が住み込みで働いてる。
瑠璃の絶対的な味方だった父方の祖父は、一年前に亡くなってしまった。
瑠璃が「この縁談は嫌だ」と主張すれば、母は聞き入れてくれるかもしれない。
しかし、母が父の意見を覆すことはできない。ましてや、瑠璃の意思など通るはずがないのだ。
「どうしても今、結婚しないといけないのですか?」
瑠璃はナイフとフォークを置いて、あまり父の顔を見ないようにしながら尋ねた。
「何か不満なのか?」
「いえ、私はまだ学生ですし」
不満や不安を父に訴えたところで、理解してもらえるはずはない。
「見合いをしたからといって、すぐに結婚するわけではない。輿入れは卒業したあとにすれば良いだろう。他に何か問題があるのか?」
「薬草園は、どうなるのですか?」
「なに?」
「おじい様が大事に手入れしていた薬草園です。おじい様が亡くなる前に、私に託すとおっしゃっていたのに――」
祖父は医師だった。蘭方医学を学び、ドイツに留学もしたが漢方医学を重視する人だった。
その一環として、祖父自ら栽培していた薬草がある。それを祖父が亡くなったあとは瑠璃が管理していたのだ。
女学校を卒業したあとは、薬草を使った職に就けないかとも考えていた。
祖父は父を連れて何度か海外へ行っていたようだが、父は医学には興味を示さなかった。
その代わりに商船や貿易に興味を持ち、現在は貿易会社の代表を務めている。
「庭いじりなら、嫁ぎ先でもできるだろう? 金には困らない家だ。温室の一つや二つ、いくらでも用意してくれるだろう」
祖父の薬草園を庭いじりと言われたことに怒り狂いそうになったが、ぐっと堪えた。
「おじい様の薬草園でないと駄目なのです! それに、私はまだ勉強がしたい。おじい様のような医師にはなれなくても、薬師を目指そうと思っています」
「なに? 女がそんなことをして何の足しになるというんだ。父上の薬草園は人に貸すつもりだ。お前はもう世話をしなくて良い。それより、いつ嫁にいっても恥ずかしくないように、茶道や華道の稽古でもしておきなさい。お前は茉莉のように器用ではないからな」
瑠璃はテーブルの下でクロスを握りしめた。
綺麗にアイロンのかけられた真っ白なテーブルクロスに、みるみる皺ができる。
「わかりました。このお話、お受けします」
やけくそなのか、しおらしいのか分からないような声が出た。
瑠璃は食事の席を中座すると、足早に自室へと向かった。
寝台に身を投げ出す今の今の気持ちと同じようにマットが沈む。
姉の茉莉のように器量が良ければ、父は話を聞いてくれたのだろうか。
そんな考えが頭の中をぐるぐると回り、やがて自分は両親からも親族からも厄介者だと言われているような気がして、瑠璃は何とも言えない孤独を感じた。
夜は更けて、月が空高くで輝くのに、瑠璃の気分が浮上することはなかった。
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