第四話 きっかけの、きっかけ
改題しました。
内容が分かりやすく、親しみやすいタイトルになっていると良いのですが……
現実世界、過去編のスタートです。
よろしくお願いいたします。
あの時、きちんと瑠璃が両親と話し合っていれば、未来は変わったのだろうか。
大正と呼ばれる世は十五年と、とても短かった。しかし、その短い期間で日本は急速に変わっていった。
洋装を着こなす女性を『モダンガール』、通称『モガ』と呼び、お洒落を楽しめる時代となった。
また、女性が学ぶ機会が増えたことも喜ばしい変化だった。
しかし、尋常小学校を卒業した後も学び続けられるのは、金銭的に余裕のある良家の子女ばかり。
そのため、国語や外国語、数学や図画なども学べるが、結局のところは良妻賢母を育てるための花嫁修業のようなものだった。
働く必要のない令嬢は卒業後すぐに結婚するか、学校を中退して嫁ぐ学生も多くいた。
女学校を卒業するまで縁談が決まらない女子は『卒業面』と揶揄された。
『卒業面』とは、見目の悪い女学生のことを指す言葉だ。
しかし、必ずしも見目が悪いわけではなく、自分の意志で卒業するまで学び続けると決めた学生も当然いる。
女性が社会進出し始めた時代に、早く結婚できるかどうかで女の美醜を決める風習など馬鹿げていると、瑠璃は常日頃から考えていた。
先進的な考えを持つ、父方の祖父の影響を受けていたことも大きいだろう。
大正時代の中期を過ぎた頃、瑠璃は長崎の高等女学校に通っていた。
卒業まで、もう一年もない。その後はどのような人生を歩もうかと日々、頭の中で計画を巡らせている。
五年ほど前、両親の間に待望の男子が生まれ、家督はその幼い弟が継ぐことになる。
そのため、家の心配はなくなり心が軽やかだった。
ある日、学校から帰宅すると、嬉しそうな表情の母に手招きされて応接間へと向かった。
室内に入って一番に目に入ったのは、暇を持て余してよく訪ねてくる父方の伯母がくつろいでいる姿だ。
瑠璃は適当に挨拶をして、伯母の正面を避けて席に着く。
伯母の顔を視線だけで見ると、いつもより毒気が少ないように思う。
(伯母様も、やけに機嫌が良いのね)
伯母以外にも来客があったのか、見たことがない高級そうな菓子がお茶請けに出された。食器類も普段は使わない上等なものが並べられている。
瑠璃が菓子に手を伸ばしたところで、母も隣に座った。母もいつもより良い着物を身につけている。
洋風に調えられた応接間の家具は色目が抑えられており、母の着物の柄がよく映える。
(やっぱり、誰か来たんだ)
菓子を頬張りながら、きょろきょろと周囲を観察する瑠璃を母がたしなめる。
「瑠璃も礼儀作法をきちんと身に付けないとね。お相手が決まったのだから」
「何の?」
母の言葉は決まりきった文句だったが、念のために尋ねた。間違いであってほしいという意味も込めて。
「やだ、瑠璃ったら。結婚のお相手に決まってるでしょう?」
美しく装丁された見合い写真を瑠璃に見せた母は、にこにこと笑う。
「そんな話、聞いてない」
瑠璃は冷たい声音を母にぶつけた。
「そう? 話さなかったかしら? それより、見てちょうだい。素敵な人でしょう? 家格はうちよりも低いけれど、資産は申し分なくてね。おじい様から続く事業は大成功しているんですって。今は、この方のお父様が代表を務めていらっしゃるのよ。大学を卒業したばかりだけれど、跡を継ぐために勉強中なんですって。きっと、努力家で真面目な方なのね」
瑠璃の言葉を気にすることもなく、母は歌うように話を続ける。
「本当はあなたに会っておきたい、とおっしゃっていたのだけど、お仕事の都合で先ほど帰られたばかりなの。残念だわ。お会いすれば、きっと瑠璃も気に入ると思ったのに。でも、また次の機会があるものね。あなたのお父様も、このご縁を喜んでいらしたわ」
普段はゆっくりと話す母が、こんなに興奮して早口になるということは相当、相手の男性を気に入ったのだろう。
(お父様が乗り気だということは、かなり話が進んでいるはず。何とかしなきゃ……)
「――私は、まだ学生です」
なんとか白紙に戻そうと必死に断る理由を探したが、この時代には何の効力もない理由しか思い浮かばなかった。
「もう少しで卒業でしょう? 瑠璃は働く必要もないのだし。私があなたのお父様と初めてお会いした時は、十五だったわ。あなたも来年は十七歳、けっして早過ぎることはないのよ? お相手の方も瑠璃を気に入ってくださったようだし……」
「お会いしたこともないのに?」
「写真をお送りしたのよ」
「お見合い写真なんて、撮った覚えがないけど」
「お正月に親族で写真を撮ったでしょう?」
いつにも増して、豪華な振袖が仕立てられていた今年の正月を思い出した。
(あの時から決まっていたの?)
縁談話を隠されていたことに、瑠璃はますます腹を立てた。思わずティーカップを乱暴にソーサーに置くと、母が顔をしかめる。
そんな二人の様子を、伯母は口に付けていたカップの端から、ちらりと覗き見た。
「瑠璃ちゃんは、茉莉ちゃんとは違うからね。早く決めてしまわないと。こんな良いお話はもう来ないよ。若いことだけが取り柄なんだから。『卒業面』という言葉くらい、あなたも知っているでしょ?」
伯母はそう言い放ち、鼻を鳴らした。
お読みくださり、ありがとうございました。