第三十二話 打ち明けた不思議な物語
一つの転機です。
ふっ、と目を覚ますと、病院の匂いがした。
圭祐の肉体は、病室のベッドに寝かされていた。
(やっぱり、こうなるよな……)
額に冷たいタオルが置かれている。
タオルをはずそうと手を伸ばしたところで、声をかけられた。
「起きた? 佐藤君、気を失ってたんだよ」
「院長、すみません……。お手数おかけしました」
「大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です」
そう言うと、院長が圭祐の顔をまじまじと眺めてくる。
「確かにスッキリした顔してるけど。本当に大丈夫? やっぱり睡眠障害とか……。ちゃんと検査しとく? というか一度、家に帰る? ご実家、総合病院でしょう?」
「いえ! そんな! せっかく仕事も慣れてきたのに……」
遠回しにクビ宣告されたようで、圭佑は少し焦った。
「一、二週間くらい、病休使ってくれても良いんだよ?」
その言葉を聞いて、ホッとした。
『何でも相談したら良い』
あの言葉が、頭の中でエコーのように再生される。
「病気、ではないんですけど……。ちょっと、変な話しても良いですか?」
「なに?」
「院長は、前世って信じますか?」
少し沈黙が痛かった。
「それはまた、話が飛んだね」
「すみません。医者がこんな非科学的な話して」
「まぁ、そうとも言えないんじゃないかな?」
「『生まれ変わりの町や村』って海外にあるんだけどね、そこで生まれた子たちは、なぜか『自分は前世では、どこでこういう仕事をしてた、こういう名前だった』って言える子が多いんだって。しかも、調べてみたら、その地域でその名前の人が実在した記録があるんだよね」
院長から出た話題に、圭佑は少し驚いた。
医師はあまりこういう話に興味はないんじゃないか、と思っていたからだ。
「それに、私の友人で産婦人科医がいるんだけど、三歳くらいまでの子に『生まれる前はどうしてた?』って聞くと、かなりの割合で胎内記憶を持っている子が多いって言ってたよ。しかも、中には前世の記憶を持っている子もやっぱりいるみたい。だから、大人の価値観や医学・科学では証明できない世界もあると思うんだよねぇ」
先ほどの橋の話といい、院長は引き出しが多い、もしくは守備範囲の広い人だと、圭祐は思った。
「それで、前世がどうしたの?」
「あ、えっと……。不思議な夢を見るんです」
「うん?」
「昔、大事に思ってた女の子が出てくるんです……。少し年下で」
「へぇ、何かロマンティックだねぇ」
院長は、まるで映画のストーリーでも聞くような相づちを打つ。
圭祐の話を本当に信じているのか、夢物語でも聞いている気分なのかは読み取れない。
「……そうですね。実は、その前世が長崎が関係あって。さっきの銕橋の近くの川で、その子が飼ってた猫を助けようとして死んだみたいなんですよね、俺……」
また、少し沈黙が流れた。
「すみません、変な話して」
圭佑が少し焦って話を切り上げようとすると、院長が手を振って止めた。
「あぁ、いやいや。ちょっと驚いただけ。本当にそんなことがあるんだなぁって。じゃあ、さっき倒れたのはそのせい?」
「おそらく……」
「そうか、じゃあ病院での治療は難しいね」
「……そうですね」
圭佑は少しうなだれて、思い切ったように続けた。
「俺が獣医になった理由って、覚えていらっしゃいますか?」
「『動物を助けたいから』、だよね?」
「はい。正確に言うと、『動物が死ぬのをたくさん見てきたから、助けたいと思った』なんです」
「それはツライね」
「はい。親が動物嫌いで、ペットも飼ったことがなかったのに、なぜか自分の目の前で動物が死ぬんです。交通事故とかで。それに、やっぱり猫が多くて」
「それが何なのか、今日でちょっと分かった気がしました」
「因果とか縁って感じなのかなぁ。佐藤君、何も悪いことしてないのにね」
「そうだと良いんですけど……」
圭佑は苦く笑った。
現世の地上に戻ってきた今も、赤い振袖を着た瑠璃の姿が頭から離れない。
「でも、なるほど。目が覚めたとたんに佐藤君がちょっと大人びてるから、どっか打ちどころ悪かったのかと思ったけど……そういうことなら納得だ」
ニッと笑う院長を見て、『君の上司は話の分かる男だ。何でも相談してみると良い』という神様の見立ては正しかったと肩の力を抜いた。
(大人びる……)
『前世の経験がプラスされるから、人間の深さが増す』
そのようなことも神様は言っていた、と圭祐は思い出した。
まだ、ふわふわする頭で、天界での出来事や会話を静かに思い返していく。
今度は消えることのないように――
お読みくださり、ありがとうございます。
産婦人科医が子どもたちに生まれる前の記憶を尋ねて、その答えをまとめた書籍が実在します。