第三話 場違いな訪問者
作業用の回転椅子に座り、体を左右に揺らすとスカート型の袴の裾がふわりと広がった。
「やっぱり、時代遅れかしら」
大正時代に流行だった皮のブーツに海老茶色の袴。
今はもう、同じ格好をしている人に出会うことも少ない。
同時期に亡くなった人はすでに転生しているか、現代風の服装など、天界では好きな格好で過ごしている。
亡くなった当時のスタイルに固執する人は、わりと少ない。お気に入りであれば、話は別だが。
瑠璃の場合はこの格好が慣れているということと、まだ気持ちの整理がつかないため、時間を進めることができずにいるという理由が半々だ。
和装の寝間着、つげ櫛、かんざし……。どれをとっても令和の世では、十代の少女が持つには古めかしく、色もくすんでいた。
瑠璃が亡くなった時に棺桶に入れてもらったものを、今でも大事に使っているのだ。
それを瑠璃自身は古いとも格好悪いとも思わないが、周囲と見比べて、時の流れだけは否応なく思い知らされる。
(お母様の転生だって、遅いくらいだもんね。私を心配して、一般的な人より何十年も先延ばしにしてくれてた……。いつかこういう日が来るって、ちゃんと覚悟はしてたのに。それでも、やっぱり寂しいなんて、勝手に放り出して逃げた私が言うのはずるいよね)
深い溜め息をついた時、突然、ドアを叩く音が部屋中に響いた。
しんみりとした空気が、うるさいくらいのノック音で一瞬にして塗り替えられる。
「はい!」
瑠璃は慌てて立ち上がり、ドアへと駆け寄った。
そして、どんな急ぎの用事かとドアを開けると見慣れた若い男が一人、にこやかに立っていた。
身長、一五〇センチほどの瑠璃よりも、二十センチ以上高い位置から人懐っこい笑顔を向けられた。
まだ二十五歳と若いのに、笑うと目尻にしわができる。
「圭祐! あなた、また来たの? 大人しく寝てなさいよ」
「まぁまぁ、良いでしょ」
黒髪に短髪、爽やかな印象なのに動きや口調が雑な男だ。
呆れる瑠璃を尻目に、圭祐は室内にスイスイと入っていく。
そして、瑠璃の椅子に陣取った圭祐は、机の上に散らばった色鮮やかな糸を指さして尋ねてくる。
「ねぇ、瑠璃。また、誰かの一生を結うの?」
圭祐が数本の糸をつまみ上げるようにして眺めていると、すかさず瑠璃はそれを取り上げた。
「生きている人が触れて良いものじゃないわ」
「今は幽体離脱中だし、構わないんじゃない? 魂のみの瑠璃たちと似たようなもんなんだから」
事故で亡くなった女の子のための糸を、丁寧に引き出しに納めながら圭祐を諭す。
「それでも、エネルギーが全く違うわよ。それより、あんまりフラフラし過ぎると肉体に戻れなくなるわよ。そろそろ帰りなさい。あと、あまり頻繁に来ないでね」
圭祐は目を細めて、右腕にはめた腕時計の文字盤を読んだ。
「大丈夫。そろそろ明け方だし、目覚ましが鳴ったら体が起きるよ。そうしたら、肉体に戻れる。それに瑠璃に会いに来るのは、眠ってる間の俺の楽しみなんだから。取り上げないでよ」
「何か楽しむのは、そっちの世界で起きている時だけにして。夜はしっかり休みなさい」
「幽体離脱は子どもの頃からの特技だし。それに、起きたら忘れてるだけで、みんな時々はしてるだろ? 成功する企業家のなかには、夢の中でアイデアが浮かぶ人も多いらしいし。ね、俺も出世すると思わない?」
「はいはい。だったら、早く自分の動物病院でも開いたら? そのために勉強する時間だって、体力だって、いくらあっても足りないんだから。早く帰って、精神も休めなさい。こうやって話してるってことは、活動し続けてるのと同じなんだから」
そう言って瑠璃は、蚊でも追い払うように手を振った。
椅子に反対向きに座って、背もたれに腕と顎を乗せた圭祐は子どものように不満げな顔をする。
「瑠璃と会えた日のほうが元気なのに」
「聞く耳、持ちません」
「ちぇっ。まぁ、それくらい俺のこと心配してくれてるってことで、今日は帰るよ」
瑠璃が相手にしないと分かると、引き際はいつもあっさりしている。滞在時間はほんの数分。
それはそれで、瑠璃はなんだか後ろ髪を引かれるような気分になる。
しかし、今日の圭祐はいつもと少し違った。
一度は部屋を出た圭祐がドアを少し開けて、おかしな質問を投げかけてくる。
「ね、瑠璃のほうがお姉さんっていうのは、なんか変だよね」
「何、言ってるの」
瑠璃は、分かりやすく眉をひそめた。
そんなことはお構いなしとでも言うように、圭祐は話し続ける。
「最近、すごく引っかかるんだよね」
んー、と圭祐は顎に手をやり考え込んだ。
「瑠璃の見た目は十代後半で、俺は二十代だからかな。うーん、違うな。もっと精神的な部分でなのかな。なんか守らなきゃいけない妹みたいな感じなんだけど……。でも、瑠璃はずっと昔の人だしね。先輩とかお姉さんなのは、やっぱり当たり前か」
難しい顔をしていた圭祐は、パズルでも解けたような笑顔を向けてくる。
瑠璃は大げさに溜め息をついて、腰に手を当てた。
「だったら、『瑠璃』なんて馴れ馴れしく呼ばないでくれる? 『瑠璃さま』なら良いわよ」
生前、自身の家柄があまり好きではない瑠璃だったが、こういった些細なところにお嬢様気質が出てしまうのかもしれない。
「却下。瑠璃は『瑠璃』だよ。どんなに先輩でもね。そのほうが呼び慣れてるし」
「慣れてるって。たった三ヶ月前に出会ったばかりでしょう?」
圭祐は天井を見上げて、何かを数えている。おそらく出会ってからの月日だろう。
「え、まだそんなもん? もっと前から会ってる気がするんだけど――」
「違うわよ、三ヶ月前。通勤時に階段から落ちたことがきっかけで、こっちの世界に迷い込んだんでしょ? まぁ、あなたの場合、以前から放浪癖のある魂みたいだけど……。本当にその体質、危ないんだからね。ほら、気がかりがなくなって良かったわね。じゃあ、はい。さっさと帰る」
押すように圭祐を外に出し、瑠璃はドアを閉めようとした。
しかし、圭祐は背を向けたまま、ポツリとつぶやいた。
「完全になくなったわけじゃないんだけど。気がかり」
瑠璃はその言葉を無視して、無言で圭祐の背中を強めに押した。
「分かったって。今日は帰るよ。瑠璃も無理するなよ」
こちらを振り返った圭祐は手を伸ばして、瑠璃の頭の上にポンッと置いた。
そして小さな子どもにするように、くしゃっと髪を撫でてから手をひらつかせて、いつも通りに帰っていく。
瑠璃は詰めていた息を吐くと、圭祐に触れられた所を押さえてドアにもたれかかった。
(慶二郎さんと同じ声で、『瑠璃』って呼ばないで――)
母に撫でられた時とは明らかに違う熱が、髪の先まで灯る。
こらえきれず、瑠璃はドアにもたれながらズルズルと床にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。
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