第二十二話 腹をくくった天才
瑠璃が訪ねてきた翌日、天界の大門の真ん前に森田は立っていた。
それを見たカナが、少し驚いた顔をする。
「ただいま」
はにかみながら近寄ってくるカナに、「おかえり」とできるだけ優しい声で迎えた。
「作業場に行こうか。瑠璃もカナに会いたがってる」
二人はゆっくりと、真っ白な長い廊下を歩き出した。
伝えたいこともたくさんあり、聞きたいこともたくさんあった。
しかし、のどの奥が張り付いて、上手く声が出ない。
「ごめんね、心配かけて」
「――こっちこそ、ごめん。色々と辛い思いをさせた。あの時も、ちゃんと話さなくてごめん」
カナの隣を歩きながら一度声を出すと、今まで口にすることが難しかった言葉が、するすると紡がれる。それは不思議で、懐かしい感覚だった。
生前、わりと口下手だった森田を、いつもカナが助けてくれた。
そんな二人を夫婦だと勘違いする者も多かった。
「あの時?」
「まだ昭和だった頃。カナが……、死んだ時」
「あぁ。清一さん、逃げ回ってたよね。私、おばあちゃんになるまで頑張ってから、こっちに来たのに。ちっとも会ってくれないんだもの。少しは反省した?」
「申し訳ない……」
前世で、カナは悲しみや孤独に一人で耐え、寿命を全うして天界に来た。
しかし当時、『カナを放って、苦しみから自分一人だけ逃げた』という罪悪感に苛まれて、森田はカナと目どころか、顔すら合わせられずにいた。
いつも柱の陰や遠い場所から、天界に来たカナが元気にしているか見守ることが日課になっていた。
しばらくして、カナが生まれ変わるつもりだと聞きつけた森田は、「次こそは幸せな人生を送らせてやってほしい」と瑠璃に頼み込んだ。
その出来事も、ついこの間のことのようだ。
(今のカナは二十八歳。たった二十八年前だ)
「私、あの頃とあんまり変わってないでしょう?」
「そうだな」
魂が同じだからといって、同じ姿に生まれるとは限らない。
しかしカナは、森田の恋人だった頃の姿と瓜二つだ。声も、話すリズムでさえも、まったく変わっていない。
「瑠璃ちゃんが、こうなるようにしてくれたのよ」
「そうか――」
二人のために、たくさんの協力をしてくれた瑠璃に改めて感謝を伝え、最近の態度を詫びなければならないと森田は思った。
森田の顔を見たカナが、ふっ、と笑った。
「なに?」
「清一さんは無精ひげ、生やさなくなったのね」
「ちゃんとしてないと、神様がうるさいんだよ」
森田はあごをさすりながら、面倒くさいと呟いた。
「神様は、お元気?」
「元気、元気。まぁ、神様だから当然か」
「あら、神様だって悩んだり、調子が悪いことだってあるんじゃない?」
「心配してくれて、ありがとう」
もう少しで作業場に着くというところで、森田にとっては聞き馴染みのある声が会話に入ってきた。
「カナさん、おかえり。いやぁ、相変わらず優しい女性だね、あなたは。森田くんには、もったいないくらいだ」
森田は、むっとしたが、言い返す言葉はなかった。
「ただいま戻りました。神様、ご無沙汰しております」
カナが上品な所作で、うやうやしく頭を下げた。
(こういうところが、お嬢さんなんだよな。カナも瑠璃も……)
時代が進み、少しはくだけた話し方もするが、言葉遣いや仕草一つで良家の出だと分かる。
「うん、久しぶりだね。今度は気が済むまで、ゆっくりしていくといい。やけで生まれ変わっては長続きしないからね」
はい、とカナが恥ずかしそうに答えた。
「森田君、ちゃんとエスコートするように」
「わかってますよ」
ぶっきらぼうに森田が答えると、神様は嬉しそうに笑った。
作業場の扉を開けると、瑠璃が飛び出てきた。
険悪な雰囲気にでもなっていると思ったのか、森田とカナの穏やかな様子を見て、あからさまに、ほっとした表情を浮かべた。
そして、カナの帰りを喜び、子犬のようにじゃれつきながら、お茶や買い物の約束を取り付けている。
それを見た森田も、やっと一息ついた心地がした。
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