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第二十一話 博士の昔話

森田博士の過去(生前)についてのお話。


 カナの四十九日(しじゅうくにち)の法要が無事に済んだ。

これから、カナの天界での生活が本格的に始まる。


(どんな顔して会えばいいんだ)


 本来なら、頑張って生き抜いた人には、「お疲れ様」などの労いの言葉をかけるものなのだろう。

しかし、カナが亡くなった原因の一つが森田自身にあるものだから、かける言葉がまったく見つからない。


 四十九日までの七日(なのか)七日(なのか)が、ひどく短く感じた。

 

 その間、瑠璃がたまに森田の様子を見に来ていた。

しかし、必死に元気付けようとする瑠璃に、森田はつい冷たい態度を取ってしまう。

とぼとぼと帰っていく瑠璃の後ろ姿を見ては、しまった、と何度も思うのだが、森田は呼び止める気にはなれなかった。


 混乱した頭では、口にして良い言葉と、そうではない言葉の区別を付けることも難しいのだ。

 そして一人になり、自己嫌悪の渦に毎回飲み込まれる。


 生前にも、研究に没頭していた森田が口にした言葉で、カナをひどく傷付けたことがあった。

しかし、ひどいことをしたのだと知った時には、もうずいぶんと時間が経っていて、関係を修復するのに苦労した。


(今回も、カナを傷付けたんだろうか……)


 何度目かの溜め息をついた時、森田の自宅玄関の呼び鈴が鳴った。

扉を開けると、気まずそうに瑠璃が立っていた。

また今日も追い返されると思ったのか、瑠璃は緊張した様子で何かを言おうとしている。


「ここじゃなんだから、中に入ったら?」


 森田の言葉に、少し表情を和らげた瑠璃がうなずいて、玄関のたたきで草履を揃えた。


「相変わらず、物が少ないのね……」

「そのほうが管理しやすいんだよ。必要のないものは置かない主義だしな」


 小さなテレビと、ちゃぶ台に置きっぱなしのノートパソコン。アナログ時計、森田の腰の高さくらいまでの手作りの本棚。

 開発、製造された時代はバラバラだが、本当に必要最低限の物だけが置かれた居住空間だ。


 ん、と瑠璃の前に湯呑みを置く。客用とはとても言えないが、見た目がましな物を選んだ。


「ありがとう。博士のお茶って、私の父が煎れたのと同じ味がする」


(それは美味いのか? 不味いのか?)


 森田は聞きたくなったが、やめておいた。


「で、今日は何の用事? 俺は休日なんだけど」


 しまった、と思ったが最近の口調が上手く抜くことができない。

先日も他の結い子から、「最近の森田さんは当たりがきつい」と言われてしまった。


「――あのね。明日、カナさんが正式に上がってくるって」


 戸惑いながらも、森田の目をまっすぐに見る瑠璃がそう告げた。


「――そうか」


 森田の短い返事をどう受け取ったのか、瑠璃が心配そうに見つめてくる。


「博士、大丈夫?」


 大丈夫か、と直接的な言葉で問われ、我に返った。

 強い心を持ち続けなければならないと自分に言い聞かせるあまりに、分かっていながらも横柄な態度になってしまう。

しかし、それを瑠璃たちは根気よく見守ってくれていたのだ。


(本当に俺は……。いつまで経っても、情けない)


「ごめん、ありがとう。俺は大丈夫だから。瑠璃は、瑠璃の仕事をして。また、かなりの量の依頼が来てただろう? 仕事が滞ると、神様と結い子の中継をする俺がヒヤヒヤするよ」


 瑠璃の前髪をくしゃくしゃと撫で上げると、瑠璃が久しぶりに幼い顔をして笑う。

瑠璃もずっと気が抜けなかったのだろう。

その顔を見て、本当にまわりが見えていなかったのだと森田を反省した。


(まずは、心配してくれてる人たちに感謝しないとな。カナについて考えるのはそれからだ)


「最近、瑠璃は調子どうだ? 俺のことで負担を増やして悪かったな」

「ううん、大丈夫。仕事は満花ちゃんが手伝ってくれてるから、前より楽かも。満花ちゃんを指名する人も増えてね、満花ちゃんもすごく楽しそうに笑ってる。一緒に仕事をしてると、私まで元気になるよ」

「そうか」


(瑠璃に指導者を任せたのは正解だったな。どちらのためにも)


「あとは、圭祐がうっとうしい」


 ふてぶてしく言う瑠璃の言葉に苦笑いしながら、森田は「そうか」と答えた。

 湯飲みを片手で持って立ったままの森田がもたれ掛かっていた本棚に、瑠璃の視線が移った。


「ねぇ、本が減ってるよね? この前にお邪魔した時は、数字ばっかりの難しそうな本がたくさんあったのに」

「あぁ、捨てたんだ」

「いつ?」

「カナが死んだ日に」


 瑠璃は理由を尋ねてこなかった。

歴史小説や推理小説だけが残された本棚の不自然な隙間を、大きな丸い瞳でただじっと見つめていた。




 研究など、もうまっぴらごめんだと森田は死んだ時に思った。


 昭和の初め頃、三十四歳だった森田は、長い年月をかけて研究していた数式の答えを見つけた。

しかし、信頼していた先輩でもあった教授に、研究の手柄を丸々持って行かれてしまった。

気付いた時にはすでに遅く、その研究結果を公の場で発表した教授は天才だと持てはやされた。


 そして、何もかもが信じられず、森田は自暴自棄に陥った。

「あの答えを導き出したあなたなら、もっとすごい結果が出せる」と言って、慰め励ますカナの言葉さえ、少しも耳に入っていなかった。


 それから、何日も経っていなかったように思う。

亡き父親の鍵付きの引き出しから、おもむろにピストルを取り出した森田は、何のためらいもなく引き金を引いた。


 この引き出しは絶対に開けるな、と父親はよく言っていた。

しかし、隠されると見たくなる。引き出しの中身を知ったのは、まだ十代半ばの頃だった。

 その後、森田が二十代後半の時に父親が亡くなったが、引き出しの中身はそのままになっていた。

中身を知らなければ、こんな結果にはならなかったのだろうか。


(親父はこんな未来になると知っていたんだろうか……。まさか、な。そんなことはあり得ないか)


 天界に来てから、教授が世界的に名誉な賞を受賞したと風の噂で聞いた。

天界で暮らす者は、地上の発展にとても興味があるようだ。

宿舎の廊下や談話室で楽しそうに話す者たちもいた。

 そして、森田が通りかかると、慌てて別の話題に切り替えられる。

気を遣われるほど、余計にみじめな気分になった。


 どうせ寿命を全うするまで研究し続けたとしても、あれ以上の答えなど見つかるはずがなかった、と森田は自分に言い訳をする。


 それでも、結い子になってから、ふらっと立ち寄った本屋で数学や物理学の専門書が並ぶ棚に、引き寄せられるようにして立っていることが何度もあった。

 地上では絶版となっていて、なかなか手に入らない珍しい書籍を見つけると、気付けばそれを持ってレジに並んでいた。

 当時は結い子になったばかりで、給料もそう多くはなかったが、コレクションのように値の張る書籍が次々と部屋に増えていった。


 結局、好きなものは好きなのだ。


 もう少しだけ、もう少しだけと買い続ける書籍はかなりの量となり、ついには本棚まで作らなければならなくなった。


 最近、暇つぶしがてらに、また研究でも始めようかと思っていた矢先にカナが亡くなった。

いたたまれなくなった森田は、数十年かけて集めた書籍を一気に捨てたのだ。

それでも、胸のざわめきは消えることはなかった。


 博士、と瑠璃に声をかけられて我に返る。


「なんだ?」

「ゆっくり考えてね。幸せになる方法を」


 自分の幸せすら掴みきれていない瑠璃に、真剣な顔で言われるとなんだか笑ってしまった。

笑ったことに対して不満げな瑠璃に礼を言い、「また明日。作業場でな」と、森田は笑顔で瑠璃を見送った。

お読みくださり、ありがとうございました。


森田や森田の父が生きていた時代は、まだ銃の所持、銃規制が緩い時代でした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 二人とも優しくて うるうるしてしまいました(/_;)
[良い点] 森田博士、そっかそっかー。 衝動的にピストルで......。 昭和の初めだったら、大戦前だもんね。 そりゃ、銃持っててもおかしくないわ。 [気になる点] 考えてみたら、大正と昭和というこ…
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