第二十話 神様なのに……
「あの、カナさんのことですけど」
瑠璃は紅茶を一口飲み、まだ熱すぎたので二口目は諦めて本題に入った。
「うん。何が聞きたいの?」
クイニーアマンを、もう半分食べてしまった神様はカップのお茶も一息に飲み干し、またフォークを手に取りながら瑠璃に話の続きを促した。
「神様は知っていたんですか? こんなに早く、カナさんが亡くなることを……」
「そうなるかもしれない、とは思っていたよ」
「じゃあ、どうして私が結った一生に許可を出したんですか? 博士が許可をもらいに行った時に、『これはこれで良いんじゃない』って神様が言ってたって……。この結果の、どこが良いんですか?」
「本当にそうなるかどうかまでは、掴めなかったからね。確率すら出せないよ」
「神様なのに?」
お菓子で頬を膨らませる神様を、瑠璃はお茶を冷ましながら上目遣いで睨んだ。
「瑠璃は、まだ分かっていないんだね」
その言葉に対して、何を? というように瑠璃は小首を傾げた。
「神は万能じゃない。しかも、生きている人間には多くの手出しはできない。地上に下りた瞬間から、その存在は天界とは一線を引かれるんだよ」
神様は少し濃くなった二杯目のお茶に砂糖、ミルクと手際良く入れてから、つまりね、と言葉を紡いだ。
「肉体を持った人間の人生は、ほぼ本人が決めているんだ。幸せも、不幸せもね。もちろん、ある程度のフレームは結い子が選んだ糸で決まる。でも、それに肉付けや色付けをするのは本人だ。そして、それを怠ると、たちまち人生はいばらの道になる」
「でも、カナさんは一生懸命に生きたと思います。手抜きなんて、していないと思いますよ」
「そうだね。どんなに懸命に生きても、偶然と言うのか、必然と言うのか、不思議な出来事が重なることはあるんだよ。今回の場合は、森田君のジャケットのボタンが取れて車道に転がったこと。そして、カナさんが森田君の姿を見る力があったこと。最後は、カナさんがいた場所のガードレールが途切れていたこと」
「そんなことって……」
「良いことも悪いことも、何かの出来事が起こるというのは、そんなものなんだよ。だから、瑠璃が選んだ糸で、必ずしもカナさんが亡くなる全ての要因になると決まっていたわけじゃない」
その言葉を聞いても、瑠璃は納得しなかった。
神様が瑠璃に聞こえるがどうかくらいの、小さな溜め息をつく。
「カナさんは、早世したことを悔しがったり、悲しんでいた?」
「いえ、むしろ嬉しそうでした。魂は早く天界に帰ってきたかったんじゃないかって、ご本人もおっしゃっていました」
「そうか。では、悔しい思いをしたり、カナさんの早世を不幸だと思っているのは誰かな?」
「私と……、博士です」
瑠璃は胸が苦しくなって、さりげなく帯に親指を入れて、少し隙間を作った。
「人は『一生を自分で彩らなければならない』という責任があるのと同時に、『幸せか不幸なのか』も自分で決める権利があるんだよ」
瑠璃は神様の言葉を必死に理解しようと、応接間の高い天井を見上げた。
「瑠璃、いいかい。たとえば、ある男が嫌いな町に行く用事ができた。その町に行くことは彼にとって不幸でしかなかった。そして、どうしても行く気になれない男は、友人である女性に代わりに行ってもらえないかと頼んだ」
神様が話す物語に、瑠璃は何度かうなずいた。
「すると、頼まれた女性は嫌がるどころか満面の笑みで、その町に向かった。なぜだと思う?」
「その町が好きだったから?」
「それも良いね。でも、この物語の場合はね、彼女の恋人がその町に住んでいたからなんだ」
「それじゃあ、町に行くことができて嬉しいのは当然よね」
「そう。でも頼んだ男は大層、不思議がった。その女性が、なぜそんなに嬉しそうにあの町に行くのか、とても見当が付かなかったから」
ガサガサと、紙袋から二つ目のクイニーアマンを取り出した神様の話は続く。
「ある状況について幸せか不幸かは、他人では決められない。その人が苦しんでいるなら手を貸してあげるといい。でも、幸せだというのなら、それで良いんじゃないかな? なぜその幸せを祝福してあげないの?」
瑠璃はハッと顔を上げた。
「どうなるにせよ、カナさんは、もうこちらの住人になった。天界の住民票の手続きも滞りなく済んだよ。カナさんにとっては、数十年ぶりの天界だ。色々と不便もあるだろう。よく案内してあげなさい。あとは、私たちにできるのは、彼女の魂と心を見守ることだけだ。あの天才肌の頑固な男も一緒にね」
瑠璃はクスッと笑った。
「やっと笑ったね。瑠璃は何でも背負い過ぎだ。それを直さないと、また道を見失うよ。その癖は地上に行くと、もっと厄介になるからね」
「私は、生まれ変わる気なんてないもの。こっちで十分に楽しめてるから」
瑠璃の言葉に神様は、やれやれといった顔をする。
その表情は瑠璃の祖父がするものと、とてもよく似ていた。
「生身の人間って面白いよね。楽しいことが大好きで、幸せには少し鈍感で、不幸せには敏感で。いつの時代にも、こんなに美味しいものや新しいものを作り出す天才がそこかしこに存在する」
神様はそう言って、カップを口に運ぶ。
「瑠璃。なぜ、ほとんどの人が転生を選ぶと思う?」
「やり残したことや、失敗したことに再挑戦するためでしょう?」
「それもあるけどね。最期の瞬間に悔いを残さずに、こちらに来る人もたまにいるよね? そういう人まで、なぜ次の生を歩もうとすると思う? 苦しい思いや、悲しい思いをすることもあるかもしれないのに」
難しい問題に、瑠璃は唸りながら額に手を当てた。
「飽きちゃうんだよ」
瑠璃の答えを待たずに、神様は告げた。
「物質も何もかもが揃った、平和すぎるこの世界では精神がなまってしまう。天界でも、多少の小競り合いはあるけど、地上に比べれば小猫がじゃれているようなものだ。平和ボケってやつだね。だから、人は新たな刺激を求めて地上へと旅立つ。刺激を受けると、魂もどんどん成長するからね」
「私は、まだこの世界に飽きてないわ」
「そうか。では、飽きるまでこちらにいたら良いよ。瑠璃は優秀な結い子だし、いてくれると助かる。私としても、瑠璃がこうして訪ねてきてくれるのは嬉しい。また一緒にお茶しよう」
神様の言葉に、瑠璃は大きくうなずいた。
「小難しい話ばかりで食べられなかったね。包んであげるから、おやつにお食べ。あと、森田君や満花ちゃん、カナさんの分も一緒に持って帰って」
「ありがとうございます。皆、きっと喜びます。満花ちゃんも、このお店のパンが気に入ったみたいです」
「それは良かった」
ガサガサとクイニーアマンが、次々に袋から出される。
(いったい、いくつ買ったの?)
甘党の神様からのお裾分けの量を見て、瑠璃は少し胸やけがした。
「あと、もう一人分。君の大事な人の生まれ変わりにもお裾分け」
はい、と手渡されたタッパーにはクイニーアマンがぎっしりと詰められていた。
「え? もう一人って……」
「最近、よく訪ねて来てるでしょ? 大人になっても、あんなに上手に天界に上がってくる生きた人間は少ない、って評判だよ。幼児の頃はまだ天界と縁が濃いから、よく遊びに来る子がいるけどね」
「圭祐のことですよね? でも、来てもすぐに追い返しますから」
「まぁ、そう言わずに。彼が来たら、食べさせてあげなさい。天界の食べ物はいつまでも腐らないから。彼が来るまで、取っておきなさい」
神様の好意を断る理由も見つからず、瑠璃はしぶしぶ受け取った。
圭祐の話になると、お菓子とは違う胸やけのような苦しさをいつも感じてしまう。
「あの、もう一つ良いですか?」
「まだ、欲しい?」
「いえ、お菓子じゃなくって――」
瑠璃が言葉を続けようとした時、扉を叩く音がした。
神様が応えたあとに、いつもの白い装束の女性が入ってきた。
「失礼いたします。瑠璃さんに、お仕事の依頼が来ております」
瑠璃が知らせてくれたことに礼を述べると、白の女性は、また音もなく去って行った。
「瑠璃、さっきは何を言いかけたの?」
「いえ、大したことではないので。仕事に戻りますね」
瑠璃は急ぐことではない、と軽く手を振って笑った。
そんな瑠璃を見た神様が、脈絡のない話をしはじめた。
「この南天の盆栽、すごく好きなんだ。今の洋風の部屋には不釣り合いだけど、いつでもそばに置いておきたいんだよ。これから先、この部屋をバリ風やインド風に模様替えすることがあったとしても、きっと私はこれを飾り続けるだろうね」
話の流れが見えなかったが、瑠璃は「素敵な南天ですもんね」と返した。
「本当に大切なものは、手放しちゃいけないよ」
「そうですね」
やはり話が読めなかったが、神様との会話ではよくあることなので、適当に返事をして瑠璃は応接間をあとにした。
お読みくださりありがとうございました。
瑠璃が、幸せと不幸せについて考える回。
そして、「どんだけ『クイニーアマン』っていう単語が出てくるんだよ!」の回でした。