第十九話 神様のイメージ
カナが亡くなった翌日、瑠璃は長い廊下を歩いていた。
廊下の突き当たりには、大きな西洋風の扉が目の前にそびえ立つ。ドアの取っ手は金色の獅子の顔の形をしている。
(また、趣を変えたのね)
先日、ここを訪ねた時は純和風の佇まいだった。
今は西洋のインテリアに合うように、廊下には赤い絨毯が敷かれている。
毛足の長い絨毯に、草履を履いた足を取られそうにながら、ようやく執務室を兼ねた応接間に辿り着いた。
「神様、いらっしゃいますか?」
短くノックをし、この洋室の主に声をかけた。
入室の許可が出てから扉を開くと、廊下よりも明るい室内の光に、思わず手で目元に影をつくった。
「あぁ、瑠璃。いらっしゃい」
日光が差し込む窓辺で盆栽に話しかけていた神様が、こちらを振り向いた。
長い銀髪が揺れると陽の光に透けて、とても綺麗だ。まとった白い衣が光を反射し、まるで全身が輝いているようにも見える。
「早かったね」
そう言って笑うグリーンの瞳は、形容できないほど美しく神秘的だ。
「えぇ、ちょっと色々あって。早く話したかったの」
「そう。望月カナさんのことだね」
「さすが、話が早いですね」
「私は『人の一生を見守る部署』の長だから。それくらいは把握していないとね。お茶でもしながら、ゆっくり話そうか。良い香りのアールグレイを、他の部署の神様からいただいたんだ」
そう言ってキッチンに立ち、自らケトルでお湯を沸かす神様の姿を見るのも、もう慣れてしまった。
(最初は神様らしくないって、すごく驚いたっけ――)
瑠璃がそんな思い出にひたっていると、時計を見た神様が急に慌てだした。
「瑠璃、ごめん。ちょっと待ってて」
「どうしたんですか?」
「五丁目のベーカリーでクイニーアマンが焼ける時間なんだよ。ちょっと行ってくるから、そのままソファに掛けて待ってて」
また、この神様は……。瑠璃が半ば呆れていると、書棚が置かれた二階から男性の声がした。
「私が参りましょうか?」
神様の秘書だ。声をかけられるまで、まったく気配がしなかった。
「いや、自分で選びたいんだ。すぐに戻るから」
「承知いたしました」
いそいそと出かけていく神様の後ろ姿を見て、少しだけ頬が緩んだ。
(本当に変わった神様ね)
初めて神様と対面した時は、ずいぶんと度肝抜かれた。
神様とは神々しくて慈悲深くて、見つめることすら畏れ多い存在だと、瑠璃は思っていたのだ。
ところが、いざ会ってみると話しやすくて甘党で、少し面倒くさがり屋で、かなり人間に近い感覚を持っていた。ただ、やはり、時間の流れに対する感覚は人とは異なっている。
そして、寛容と言えば聞こえが良いが、大丈夫だろうか? と思うほど大雑把なところもある。
こんな神様に人生を任せるだなんて、と戸惑う人もいるが、瑠璃はこの神様を深く信頼していた。
森田や他の結い子も皆、この神様がいるから安心して仕事ができている。
人の一生の道筋をつくる、この作業がどんなに責任の重いことかはどの結い子も痛いくらい感じている。結い子になって間もない者は胃の嫌みや吐き気を訴え、休養することすらある。
瑠璃や森田のように経歴が長い結い子であっても、それは変わらない。
どんなに経験を重ねても作業に慣れることはなく、いつも不安が付きまとう。
幸せになってほしいから、一生懸命に結い上げる。
その達成感と、もしも自分が担当した人が良くない人生を歩んだら、という恐怖は表裏一体だ。
これは結い子という職に就いているいるかぎり、おそらく消えることはない感情なのだろう。
そして、その不安を和らげるのが神様の存在だ。
結い上げた一生に神様の許可が下りれば、それだけでずいぶんと気持ちが楽になる。
この変わり者の神様は、結い子にとってなくてはならない存在だった。
音もなく近付いてきた気配で瑠璃が顔を上げると、すぐそばに神様が立っていた。
「ただいま。ほら、焼きたて」
神様は袋の中身を嬉しそうに瑠璃に見せた。
(こんなに可愛らしいけど、すごい神様なんだよね)
「美味しそうですね。お茶、いれましょうか?」
「紅茶だから、私がいれるよ。日本茶の時は頼むね。瑠璃の方が上手だから」
瑠璃の申し出は、やんわりと断られた。
そういえば以前、瑠璃がいれた紅茶を飲んだ神様に、ずいぶんと渋い顔をされたことを思い出す。
生前にも紅茶を飲む機会はあったが、自分でいれたことは数えるほどしかない。手順は覚えたが、良い香りや味を上手く出すことができない。
(薬草茶なら上手くできるのにな。いつか紅茶も、美味しいって言わせてみせるんだから)
瑠璃が意気込んでいると、ポットと二つのカップが乗ったトレーを持った神様が席に着いた。
続いて、二人分のクイニーアマンを盛った銀の皿を、先ほどの秘書の男性がテーブルに置いていく。
見事な金髪に青い瞳をした秘書は天使なのだと、ずいぶん前に紹介された。そのため、瑠璃とも顔馴染みである。
「ありがとう」
神様が嬉しそうにお礼を言った。
ありがとうございます、と会釈をする瑠璃にも静かにお辞儀をした秘書は、また二階へと戻っていった。訪ねる日によっては、山のように積まれた書類が一階からでも見える時がある。
「さて、いただこうか」
神様は二人分のカップに紅茶を注ぐと、もうフォークを握っている。
瑠璃もカップを口元まで運び、湯気の立つ紅茶に息を吹きかけて冷ます。
立ちのぼるアールグレイの香りが顔全体を包み込んだ。
お読みくださり、ありがとうございました。
中途半端なところですが、この後は会話文が続いて長くなるため、区切りました。
次話もお付き合いいただけましたら幸いです。