第十四話 空の国の町 2
来客に気付いた店長が、奥から顔を覗かせた。
「あら、瑠璃ちゃん? いらっしゃい。今日は予約入ってないよね?」
「美琴さん、すみません。今日は、ちょっとお聞きしたいことが――」
瑠璃が話し終わらないうちに、美琴の視線が満花へと移った。
「え、その子って」
美琴はひどく驚いた顔をした。
「あ、彼女は満花ちゃんといって、うちの新人さんなんです」
「やっぱりそうよね? わぁ、すごい! 雑誌見てたよ!」
美琴は満花の手をぎゅっと握った。
「うちのお客様もあなたのファンが多いのよ。嬉しいわ! うちに来てくれるなんて。綺麗な髪ね、伸ばさないの?」
ポンポンと発せられる言葉に瑠璃は目が回りそうだ。
「あの、美琴さん?」
瑠璃が恐る恐る声をかけると、満面の笑みで美琴が振り向いた。
「ごめん、ごめん。雑誌でしか見たことのないモデルさんに会えたから、ついテンション上がっちゃった」
美琴は自分を落ち着かせるように、胸をさすった。
「え、美琴さんも満花ちゃんのことご存じなんですか?」
「もちろんよ。私はこっちに来てから、まだ数年だし。職業柄、生前もよく雑誌読んでたよ。私は東京の店で働いてたから、たまにモデルさんも担当してたけど、満花ちゃんは別格よ。生で見ても、やっぱり綺麗ね」
美琴は、うっとりと満花を見つめた。
「ありがとうございます。美琴さんも、芸能人って言っても通じますよ」
「ありがとう! 瑠璃ちゃん、聞いた?」
「はいはい。で、今日は美琴さんに聞きたいことがあって、お邪魔したんです」
「あ、さっき言ってたわね。ごめんなさい。私に分かることかな?」
満花が、スッと爪を見せた。
「結い子の作業の練習中にネイルが剥げちゃったんです。ネイルサロンって、この町にありますか?」
「あら、大変! うちにもネイリストがいるのよ。うちでは駄目かしら?」
美琴はメニュー表をレジの隣の棚から取り出し、満花に手渡した。
「結い子って、手に負担がかかるんでしょ? うちにも、何人か結い子さんが来てくださってるのよ」
そう言って、爪の色見本も満花の前に並べる。
メニュー表をサッと読んだ満花が、真剣な顔で頼んだ。
「ぜひお願いします」
「ほんと? ありがとう。ご新規さん、嬉しいわ」
「瑠璃さんにもお聞きしたんですけど……。亡くなった後も、お仕事頑張っていらっしゃるんですね。もっとのんびり過ごしてるものだと思っていました」
嫌みなく、商売っ気たっぷりの美琴に、満花は少し戸惑う。
「皆、こんなものよ? まぁ、空や鳥を一日中眺めて暮らしているような人もいるけど――。飽きるじゃない? 好きな仕事ならなおさら、こっちでも続けたいと思うしね。ただ、食べるために働くっていうのはなくなるわね。「したいことを好きなだけして、休む時は休む練習」を天界ではさせられるから。その活動が次に生まれ変わる時の土台になったりするの」
「でも、天界で暮らす人はお金儲けが上手ですよね?」
瑠璃はいつも思っていたことを尋ねてみた。
「そうね。それも皆、無理なく気持ちよく働いているからだと思うの。そうすると、お金を大切にするしね。そして、抱え込むんじゃなくて、魂が喜ぶことに気持ちよく遣う! これに限るんじゃない?」
「美琴さんって先に来た私より、よっぽど天界に馴染んでますよね」
瑠璃の言葉に、美琴は困った顔をした。
「うーん、結い子さんはきっと、考えることが他にもたくさんあるんでしょうね。まだ、手放しで楽しめない何かがあるんじゃないかしら?」
瑠璃は俯いて黙り込んでしまった。
色々と思い当たるが、どれも上手く言葉にできないような複雑な感情だ。
(上手く形にできないものは、仕方ない)
瑠璃が諦め半分で顔を上げると、穏やかに微笑む美琴と目が合った。
踏み込まれたくないところには入ってこない。
そういうところも、瑠璃が美琴を好きな理由の一つだ。
「とにかく、そのネイルを何とかしなくちゃね。せっかく素敵なんだから」
「元通りになりますか?」
満花が不安そうに尋ねた。
「大丈夫だと思うわ。うちのネイリスト、良い腕してるから。呼んでくるわね。今、二階で休憩中なの」
そう言って、美琴は軽やかに階段を昇っていった。
「良かったね。上手く元通りになると良いね」
「はい」
満花は愛おしそうに、自分の爪を一撫でした。
しばらくしすると、二人分の足音が聞こえてきた。
「お待たせ。ネイリストのエリカよ」
紹介された細身の女性は、まっすぐな金の髪に薄い緑色の瞳をしていた。
(あ、うちの神様に似てる気がする)
「初めまして、エリカです。ご依頼ありがとうございます」
エリカはあまり表情に変化がないが、優しい声をしている。
「私も初めてお会いしますよね。美琴さん、なんで教えてくれなかったんですか? こんなメニューがあることすら知りませんでしたよ」
「瑠璃ちゃんが来てくれる時は、たまたまエリカが休憩中か外出中でいなかったのよ。それに、瑠璃ちゃんはネイルにあんまり興味がないかなぁと思って」
確かに、と瑠璃は思った。メニューの存在を知っていても依頼はしなかっただろう。
「さ、エリカ。満花ちゃんの爪を見てあげて。元通りになるかしら」
満花は軽く会釈をして、手を差し出した。そして、エリカが爪を真上や左右から見て確認した後に頷いた。
「はい。一度、今のネイルを落としますけど、同じデザインを作れますよ」
「本当ですか?」
「はい。他の爪と比べても、できるだけ違和感がないように仕上げますね。こちらへどうぞ」
細長い机に向かい合わせに座る満花とエリカはネイルを修復している間に、天界の暮らしや生前についてなど、他愛ない世間話をしている。
やはり無表情なエリカだが、まるで子守唄でも歌うように話す。
心地の良いエリカの声に誘われるように、瑠璃も邪魔にならない程度の距離をあけて腰掛けた。
「お茶でもいかが?」
美琴が大きなトレイで四人分のカップを運んでくれた。ガラスのティーポットの中で、ルビー色のお茶が揺れている。
「ハイビスカスとローズヒップのブレンドティーよ。美容に良いの。あ、瑠璃ちゃんはハーブ詳しかったわね」
「はい。祖父が薬草を育てていましたから」
瑠璃は溢さないように、ガラスのカップを手の中でゆっくりと揺らしてみる。
きらきらと光るお茶から甘酸っぱい香りが立つ。
ティーといっても、馴染みのある緑茶やほうじ茶とは、あまりに違う酸味が口の中に広がる。
「ちょっと酸っぱいけど、美味しいですよね」
薬草は化学成分薬のない時代から人々に重宝されており、現代でも民間療法として活用されているらしい。
「緑茶や紅茶は葉を使うけど、これは花の実やガクの部分なの。女性に優しいから、地上のサロンでもよく提供されるよね?」
満花とエリカの手元にもカップを置きながら、美琴は同意を求める。二人も顔を見合わせて、その問いかけに頷いた。
そして、エリカを見つめた満花が、ふと疑問を口にする。
「エリカさんはハーフですか?」
「いいえ、イギリス人です」
「え? じゃあ、日本語がお上手なんですね」
満花が感心した声を上げると、すぐに美琴が否定した。
「あら、違うわよ。今、エリカは英語で話してるのよ。しかも、クイーンズイングリッシュで」
「え、でも、私も聞き取れてますけど。英語なんて、ほとんどできないのに」
「こっちの世界ではね、言語は関係ないの。テレパシーっていうのかな。もちろん、口と耳を使って話すけど、発した言葉は瞬時に相手が理解できる言語に変わるのよ。同じ国の人同士の、時代独特の言葉や訛りを聞き取るのは少し難しいみたいだけど。外国語であれば、ほとんど問題なしよ。だから、海外旅行もへっちゃらなの!」
「へぇ、便利なんですね。というか、海外旅行するんですか? 死んだ人が?」
満花が驚いて、頭だけで美琴のほうを向いた。手は動かせない。
「するわよ。私は仕事が忙しくて、生きてる時はパスポートも持ってなかったけど……。こっちに来てから二回もドイツに行っちゃった。森や古城が好きなの」
楽しかったよ、と美琴はアルバムを広げて見せた。
「すごい。本当に天国のイメージが変わっちゃった……」
「そうでしょう? 私も最初は驚いたけど、すぐに慣れるわよ。満花ちゃん、まだこっちに来てから一ヵ月くらいなんでしょう?」
「――はい」
満花の表情に影が落ちたのと同時に、エリカが声をかけた。
「はい、完成です。いかがですか?」
会話が弾んでいるうちに、いつの間にか仕上がっていた爪を全員が覗き込んだ。
「うわぁ、すごい! 元通りだ。別の人がしたなんて思えない……」
満花が小さな子どものように喜びの声を上げる。
「うん、良いじゃない。さすがエリカね」
「綺麗ですね。私も結い子として見習わないと。出来栄えの美しさって大事ですよね」
美琴と瑠璃も、エリカの腕に感心した。
「ありがとうございます」
はしゃぐ満花の前で、エリカは恥ずかしそうに俯いた。
「それじゃあ、ちょっと片付けてきますね」
エリカはそう言って、ほんのり赤い顔を隠すように二階へと上がってしまった。
「エリカさんって本当に綺麗ですよね。笑ったら、もっと可愛いと思うんですけど」
もったいない、と満花は階段の上を見つめた。
「エリカはね、心臓の病気で亡くなったの。運動はもちろんのこと、生活にもたくさん制限があったらしくてね。激しい感情の起伏も心臓には負担だったの。だから、怒りも喜びも出さない癖が付いちゃったみたい。天界に来てからは走ることもできるし、何の障害もない健康体なんだけど、癖だけはまだ抜けないみたいね」
「そう、だったんですか……」
「それでも、礼儀正しくて愛想は良いからファンが多いのよ。腕の良い看板娘がいてくれて、私も助かっちゃう」
「いつか、エリカさんの思いっきり笑った顔が見たいなぁ」
満花がぽつりとつぶやいた。
「そうね、きっといつか見せてくれるわ。死んでからも、人は成長するんだから」
大丈夫よ、と美琴が朗らかに笑った。
どこの世界も、女性が集まると賑やかです。
お読みくださり、ありがとうございました。