第十二話 同じ道を歩く人たち 2
なかなか進んでいない作業を、新しく結い子になる人に見せるのは憚られるが致し方ない。
「これが私の作業机です。基本的に同時進行はせず、担当になった人の『一生』を完成させてから、次の依頼を受けます。これは今、私が担当している方の糸を選んでいるところなの」
「すごく綺麗なんですね。もっと暗い糸かと思っていました」
満花は、うっとりと机の上を見つめた。
(良かった。ちょっと表情が和らいだみたい……)
「そうでしょう? 特に私たちは誤解しがちよね。人生の糸って、暗くて濁ってて、絡まった感じで――」
まだまだ溢れそうだった暗い言葉を瑠璃は、ぐっと飲み込んだ。
瑠璃の言葉に、満花もまた沈んだ表情になった。
(しまった。また逆戻り)
瑠璃は満花の様子を伺いながら、意識して明るい声を出す。
「こっちは、もっとすごいのよ!」
山のように糸が積まれた棚を、片手を上げて示した。
「わぁ、すごい。これ全部が糸なんですか?」
「そうよ。触ってみる?」
「良いんですか?」
糸を一房、満花は丁寧に持ち上げて、また感動の声を上げた。
「すべすべですね。絹糸みたい。これで着物を作ったら綺麗だろうなぁ」
「着物? それは考えたことがなかったわ。でも、そうね。この糸を使って織れば、すごく豪華に仕上がりそうよね」
そういう考え方もあるのかと、瑠璃は頷く。
「瑠璃さんのお着物も、すごく素敵ですね」
先ほどまで固かった満花の表情がほぐれてきている。綺麗に笑う人だと瑠璃は思った。
「ありがとう。今は、これが一番お気に入りなの」
女学校に通っていた時の袴とは違う、普段着の着物の袖を広げてみせる。
淡い桜色の着物は可愛いらしくもあり、大人の品も感じられる。
母が地上へと旅立つ前に、着物や小物などをすべて譲ってくれたのだ。
母のようにはまだ着こなせていないが、瑠璃の肌の色にもよく合っている。
「満花ちゃんは和装も着るの?」
「いえ、私はこういう格好がほとんどです。着物なんてお淑やかなものは、成人式かお正月特集の撮影くらいで――」
そう言いながら、くるぶしまで丈があるスカートを満花は大きく揺らした。動くたびに、ふわふわと裾が広がる。
「撮影?」
「あ、私、モデルの仕事をしてたんです」
「そうなの? すごいねぇ。どうりで綺麗だと思った」
大正時代にも、女性向けの雑誌は存在した。
しかし、現代のものは華やかさが桁違いだ。
瑠璃はこちらに来てから、様々な時代の知り合いが増えた。その中には、おしゃれに詳しい人もいるため、天界にいながらでも新しいおしゃれ事情も少しは知ることができる。
平成までの話は、今でもよく聞かせてもらっている。しかし令和の様子は、まだよく分からない。
どの時代であっても、女性を夢中にさせるものは素晴らしいと思う。
「私は、すごくはない……です」
しかし、瑠璃の純粋な賛辞に満花は顔を曇らせた。
俯く満花を不思議に思ったが、謙遜とも受け取れ、瑠璃はそれ以上深くは聞かなかった。
「着物に興味があるなら、お休みの日に呉服屋さんを案内するわ」
「呉服屋さん、ですか? 天界に?」
満花は怪訝な顔をした。
「あ、満花ちゃんは今まで修行宿舎にいたから知らないか。あのね、こっちの世界にも地上と同じように町があるの。お店もあれば、映画館も保育園も病院もあるよ。みんな、亡くなった人が好きで働いていて、もちろん利用するのも亡くなった人ね」
え、と満花が目を丸くした。
「不思議でしょう? 生きていた頃と変わらない生活ができるのよ。『結い子』も特殊だけど職業の一つなの。この仕事に就く人は、私たちみたいな最期を選んだ人のみだけど、ちゃんとお給料も出るし、仕事がない時は自由に過ごせるの。地上に下りられるのは、年に一度の命日ね。その日に下りる、下りないも自由だし。宿舎から町へ引っ越す許可が出たでしょ?」
「はい」
「それと同時に規制がほとんどなくなるから、ずいぶんと暮らしやすくなると思うよ」
瑠璃は天界で暮らすための知識を、ざっと早口で伝える。
「家もまだ決まってないのよね? 仕事でも暮らしでも、分からないことがあればいつでも聞いて?」
ね、と微笑みかけると満花も大きく頷いた。
「じゃあ、作業についてだけど……。糸は一人一人選ぶから、説明が難しいな。結い方も色々で……。えっと、手先は器用?」
「はい、わりと器用なほうだと思います」
「そう、良かった! 私はかなり不器用で、最初の頃は苦労したの」
苦笑いしながら、練習用の糸を満花に手渡した。
「そうなんですか? 瑠璃さんって、いつ頃から天界にいらっしゃるんですか? その服装だと……」
満花が瑠璃の頭から爪先まで眺めた。
「大正の中頃よ」
「やっぱり! でも、話し方とか、今とあまり変わりませんね?」
「大正も終わりになってくると、話し言葉なんかは今とあんまり変わらないかなぁ。もちろん、細かい違いはそれなりにあるけど。過ごした環境の違いとか、なかなか抜けない癖はあるかも。ただ、昭和や平成に亡くなった人がたくさん天界に来てるから、私たちが話す言葉も変わっていってると思う。あまり意識してなかったけど」
満花は、ふんふんと興味深げに相槌を打つ。
「じゃあ、今日は基本の結い方を教えるね。あとは追々で……。これをまず三つ編みにしてね」
瑠璃が手渡した糸を、満花はスルスルと器用に結っていく。
「本当に器用なのね。じゃあ、そこをくくって、ほどけないようにもう一度強く結んで。次のところからは編込みのようにしてね」
瑠璃の細かい指示にも迷うことなく、初めてとは思えないスピードで満花は作業を進めていく。
「すごい、すごい! このスピードで結えるなら、転生の順番待ちをする人が減るわ。いやぁ、満花ちゃんのおかげで天界の様子もちょっと変わるかもしれないわね」
「そんな大げさな」
満花は少し照れて俯いた。
「でも、これ楽しいですね。髪を結うみたいで」
「そうね、女性のほうが得意な作業かもしれないわ。よく髪を結うの?」
「いえ、私は短いですし」
満花は肩に届かない髪を触りながら、遠い昔の話をするように語る。
「でも、小学五年生の妹の髪をよく触ってましたね。あの子、三つ編みしかできなくて。私が編み込みとか、仕事場で教えてもらった凝った結い方をしてあげると、すごく喜んで――」
「そっか、良いお姉さんだったのね」
数十年前に転生した、よくできた姉のことを瑠璃は久しぶりに思い出した。
「『良いお姉さん』かぁ。最後で全部壊しちゃった感じですけどね」
その言葉を聞いて、瑠璃も苦く笑った。
傷付いて苦しんで、自分でこの道を選んだのだが、何とも言えない罪悪感を抱え続けるのは、結い子の共通点の一つだ。
年号が大正から昭和、平成そして令和に変わっても、家族が無事に転生していっても、その重苦しい感情はあまり減らない。
「あ、そこは少し空間を開けてね」
「緩くなっちゃいますけど……」
「いいの、いいの。私も理由は知らないけど、そういう決まりなの。最後のところは強く結んでね。ギュゥッと、ギュゥッとね」
「はい。これで、良いのかな――」
出来上がったものを、天井の光に当てるように満花は持ち上げた。
「うん、良い感じ。やっぱり上手よ」
瑠璃が褒めると、今度は満花も嬉しそうに笑った。
「あ!」
しかし、手を下ろしたとたんに満花が大きな声を出した。
「え? どうしたの?」
「爪が……」
満花が右手の人差し指をさすっている。
「あ、爪傷めちゃった? この作業、実はわりと手に負担がかかってね。頻繁に爪をやすったり、クリームで保護したりしないといけないの。大丈夫……?」
瑠璃が覗き込むと、満花は首を振った。
「ネイルが剥げただけなんで、大丈夫です」
「マニキュア?」
「いえ、ジェルネイルです」
「じぇるねいる?」
初めて聞く単語に、瑠璃は首を傾げた。
「えっと、マニキュアが進化したみたいもので、丈夫なんです。今はマニキュアより、こっちが主流なんですよ」
「へえ、やっぱり地上の流行に付いていくのは難しいわ……」
難しい顔をする瑠璃を見て、満花がくすくすと笑う。
「うーん。でも、どうしよう。自分では戻せないし……。これ、私が最期にしてたネイルなんです。ネイルしてるほうがお姉ちゃんらしいって、妹がそのまま、お棺に入れてくれたのに……」
悲しげに話す満花を見て、瑠璃は色々と考えを巡らせた。
「美容関連なら、美容師さんに聞けば何か知ってるかも」
瑠璃は、町の中央あたりにある美容院の店長を思い出した。美人なのに豪快に笑う女性店長との会話に、瑠璃も元気付けられることが多い。
「美容院もあるんですか?」
満花が驚いた顔で瑠璃を見つめてくる。
「だから、地上にあるものとほとんど変わらないんだって。とりあえず、今日の作業はここまでだから、町に行ってみる? 案内するわ」
机の上を手早く片付けた瑠璃は振り返って、笑顔でドアの外を指差す。
それに対して満花も嬉しそうに頷き、軽い足取りで二人は作業場をあとにした。
令和の年号を入れるために、色々と調整しながら書いてます(^_^;)
お読みくださり、ありがとうございました。