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伊藤博文暗殺の謎  作者: やまのしか
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錦愛鉄道計画②

法庫門鉄道計画から錦斎鉄道計画、そして錦愛鉄道計画への推移について、整理してみよう。


まずポーリング商会代理人イギリス貴族フレンチが日本の反対によって法庫門鉄道計画を断念し、その代替えとして錦斎鉄道計画を明らかにしたところからロシアが絡んでくる。

というのもチチハルまで延長することによって東清鉄道に連結するからである。


愛琿という地名がある。

アイグンと読むのだが、現在の黒河市、アムール川の港である。錦愛鉄道とはこの愛琿まで錦州から鉄道を施設する計画の事である。

この鉄道は満鉄と平行してるとはいえ、十分に離れており日本が日清善後条約によって反対するには根拠に乏しかった。

錦愛鉄道建設への参加を希望する日本に対して、アメリカ、清、ポーリング商会の三者は日本の締め出しを画策し、ジョーダンは、イギリス商業界の利益がかかっている錦愛鉄道建設の成功を望んでいた。


ここで言う錦愛鉄道の錦は錦州のことであり、錦州は遼東半島から天津に向かう鉄道の要所であった。

そもそも清国における鉄道敷設は錦州から西側海岸沿いを万里の長城に向かって海に突き出る山海関までのルートと、山海関から万里の長城の内側を北京まで繋ぐ路線が中心であった。


1881年、まず李鴻章が京奉鉄道を作った。

北京と奉天を結ぶ鉄道で、中国で実質的に最古の鉄道である。

京奉鉄道は、まず1881(明治14)年、唐山=胥各荘間が開通した。

これを唐胥鉄路公司という。

中国最初の鉄道会社で、初めは動力に馬力を用いていた。


直隷総督である李鴻章は更に英国借款によって、

蘆台(1887)、天津(1888)に鉄道を延長、

東へも古冶(1891)、山海関(1894)に延長、

さらにロシアの反対を押し切り、万里の長城を越え錦州へ伸ばしていった。

日清戦争までに綏中県(1894)まで開通させて、

名称を関内外鉄路と改称した。


日清戦争後、工事が再開され、

豊台(1897)、北京正陽門(1900)まで開通した。

その頃、欧米列強諸国を中国から排除せんとする義和団の乱(1900年)が発生、鎮圧に乗り出したロシア軍とイギリス軍による鉄道修復と占領状態が続き、

1901年になって清国の管理に返還された。


1903年に新民まで開通したところで日露戦争(1904年)が勃発。

日本軍により皇姑屯=新民間が施設され、

ここで名称を新奉鉄道とした。

戦後、新奉鉄道は清国に買収され、標準軌に改軌され、皇姑屯に瀋陽站が開設された。

1907年、名称は京奉鉄路と改称された。

1911年、奉天での終着駅に関して京奉鉄道の終点駅を奉天総站とする延長線が完成した。


再びハリマンの世界一周鉄道計画に話を戻す。

アメリカの奉天総領事ストレイトはハリマンの娘メアリーと恋仲であった。

最終的には結婚できなかったが、これには父ハリマンが反対したとの説もある。


ストレイトは、かつて新聞通信員として、また清国の税関吏員として、北清に滞在していた。

ハリマンが東遊の際は、在朝鮮アメリカ公使館付副領事でハリマンに随行した。

ハリマンは満州の事情に詳しいストレイトの機才を認め、娘との交際を許可した。


ワシントン政府はハリマンの口添えもあってストレイトを奉天総領事に配した。


さらにハリマンは袁世凱にも近づき、満鉄買収計画を継続させた。

衰世凱は李鴻章がかつてやった日清戦争後ロシアをもって日本を制したように、

日露戦争後はアメリカを誘引して日本を制せんとした。

袁世凱は満州ばかりでなく中国本土でも自滅的覇道を執り、アメリカからみれば、この上もない利用価値のある男として躍っていた。


ストレイトは満鉄に平行するハルピンに至る一線の権利を得、日露両国を威嚇し、あわよくば南満、東清両鉄道をアメリカの物としようと企んだ。

平行線を急造することによって、日、露両国を圧倒しようと、ひそかに機の熟するのをねらっていた。


丁度その時期、明治40年9月、イギリスのポーリング商会の代表者フレンチは、京奉線(北京ー奉天)の延長線として新民屯から法庫門に、さらにチチハルまで延長せらるべき鉄道の敷設権を得た。


新民~法庫門は遼河の西側を南北に走る線であり完全に満鉄と平行する。

これが北京と繋がると北京から奉天を通らずに満州を北上できチチハルまで繋がる。

すなわち、中国とヨーロッパを満鉄を経由せず行き来することができる、

満鉄にとっては最大の危機である。

ハリマンにとっては好機到来と、ストレイトは、ここに英米連合して日露の鼻を明かす策を立て、早速イギリス側に妥協を申し込み、この鉄道にアメリカの資本を入れることを計画した。

これが法庫門鉄道計画である。


しかしながら、この法庫門鉄道計画は、「満鉄に平行する鉄道線路の建設を許さず」という日中間の密約に違反するとして北京は日本の猛抗議に会う。

やむなく清は、この鉄道計画を取り消すこととなり、ハリマンの計画は、ふたたび流産に終わった。

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