長い文章が書けない。
長い文章が書けない。
最近これがすごく悩みだ。
そもそも長い文章を読むのが苦手だ。星新一とか筒井康隆あたりのショートショートとか薄っぺらい自己啓発本とかが専らの愛読書である。池波正太郎とか京極夏彦とか絶対読めない。
思考の連続性がないのである。いわゆるADHD的なものなのか、思考があっちからこっちに飛ぶ。だからそれを文章にまとめるのは容易な作業ではない。
今書いていてもう文章を終わりにしたくなってきた。早く終わりたい。ダラダラと永遠に文章が書ける人はいったいどんな脳みそをしているのだろうか。異世界転生とかで永遠に続編を出している人気作家は、いわゆる絶倫的な何かなのか。私の様な早漏文学者からすればそういう絶倫文学は憧れの的である。ベルばらとかまだ続いてる漫画を描いている漫画家もたいがいである。絶倫どころか一生で一度もイッたことがないのではないか。もはや絶頂を迎えることよりも我慢することに快楽を覚えていることが疑われる段階だ。もうベルばらの作者の脳みそは○慢汁でいっぱいだろう。オシャレは我慢というが、別に文学や漫画はオシャレではないし我慢すればするほど汁が増量してくるのでもうオシャレどころではない。自分で書いてて意味が分からない。ともかく私は自分の文学的早漏をなんとかするために思考の連続性を保つ修行をしたいと思う。おならぷーぷー。
さて、長い文章を書くためにはそもそもなぜ短い文章しか書けないのかという原因を探る必要がある。先程書いた様に私は思考がやたらあっちからこっちに飛ぶというか連続して同じことを考え続けるのが苦手なタチである。ではなぜその様な性質を有しているのだろうか。遺伝か後発的なものか。そう考えていると思い出されるのが、小学生の頃だ。あの頃は同じゲームをずっとやっていても飽きなかった。朝から晩までやっていた。アーマードコアとバイオは死ぬほどやった。おかげで友達がいなくなって社会的に死んだ。
しかし社会人となった今、ゲームはむしろ苦痛である。拷問に近い。一回PS4を買ってみたがあれはダメである。1時間も集中力が持たない。スマホのゲームもダメだ。すぐ飽きる。
なぜこんなにも集中力が続かなくなったのか。これは私の独断と偏見だがインターネットの登場が大きな要因の一つになっている気がする。インターネットはたくさんのウィンドウを同時並行で動かせる。YouTubeで音楽聴きながら2ちゃんねるとか皆さんもやったことあるのではないだろうか。こういう「なんか二つのことを同時にやってた方が時間を無駄にしてない感あるしイケてる気がする。」マインドがインターネット社会によって増幅され猛威を奮っている気がするのは気のせいじゃない気がする。もしかしたら気のせいかもしれないけどやっぱり気のせいではなない気がしてならない気がするのは気のせいだろうか。
ともかくインターネット社会が私を短い文章しか書けない早漏野郎にしたのは間違いなく本当のことだと絶対に確信するような気がするのだ。だからインターネットを作った人が全部悪いという結論になるのだが、そもそもインターネットを作った人は誰か。
私は少しだけ知識のある人間なので、それがアメリカ軍の誰か、ということは知っている。ただそれが誰かは知らないし、たぶん複数いる。その中な責任者的な存在が犯人という可能性は高いが、えてして責任者を問い詰めたら「実務的なことは全部現場任せで・・・」みたいにキーマンが別にいた、みたいなことは多々ある。なのでここで犯人さがしをするのはやめよう。本質は別の所にある。本質は「本質がどこにあるのか分からない」ということだ。
そうだ。本質は分からないのだ。分かったら苦労はしない。本質が分からないから人間は日々悩み苦悩する。分からなくたっていい。悩み続けよう。そうやってありのままで生きていけば、いつかは早漏は解決されるはずだ。
俺は絶倫になる。そう心に誓った。まずは自分の中の課題を洗い出すことだ。
課題①早漏
課題②我慢できない
課題③もう我慢できない
以上3点が現状の課題として抽出された。この課題に関するソリューションを自ら提案し、課題解決を図っていかなければならない。
しかしその前にそもそも論の話をしなければならない。ここまで読んで皆さんはこう思ったはずだ。
「こいつの文章中身なくねえ?」
この点は言い訳をさせて欲しい。おおいに言い訳をさせて欲しい。
決して意図的に中身のない文章を書いているわけではないのだ。ただ「いつも長い文章を書くのが苦痛だから二行とか三行で終わらせていることを今回はちょっと色気を出して長く書いてみようと思った結果内容が水増しされ薄くなり、びっくりするぐらい内容がない文章になっている」ことは確かだ。
決して意図的に内容を薄くしているわけではないことはご留意していただきたい。
さて、話を戻す。
なぜ私が早漏になったかである。
結論から言おう。
遺伝である。
私の親父が早漏だから私も早漏になったのだ。ただし決して私は親父がことに興じるのを実際に見たわけではないし、「お父さんなんで早漏なの」と聞いたわけでもない。
でもなんとなく親父は早漏顔なのである。「絶対こいつ早漏だろ」という顔をしているのだ。あの顔で早漏じゃなかったらもう世の中の早漏の概念くつがえるよマジで。それぐらい早漏顔なのである。
しかしその親父の早漏のおかげで私は生まれてきたのである。もし親父が絶倫だったら今ごろ親父とお袋は絶賛終わりのない子作りに励んでいたことであろう。エンドレスセックス〜絶倫の果てに〜 90年代のビジュアル系の全国ツアー感ある感じになっていただろう。
だからまあ絶倫とか早漏とかいう話しは一旦棚に上げよう。問題はどうしたら長い文章が書けるかということなのだから。
一つ言っておくが私は決して「どうしても長い文章が書けない」というほどの重症の早漏患者というわけではない。「書けない」のではなくて「どうしても書きたくない」のである。その気になれば書ける。こんな風に。
昔昔ある所におじいさんとおばあさんとおじさんとおばさんとひいじいさんとひいばあさんと桃太郎と鬼とキジと猿と犬と金太郎とカラスとパンダとペンギンとマングースとマングローブとマンゴーとマンボウとマンモスとマントヒヒと饅頭屋とマント屋とマンツーマンレッスン英会話教室の講師と萬田久子と萬田久子の父親と萬田久子の母親と萬田久子のおじいさんと萬田久子のおばあさんと萬田久子のおじさんと萬田久子のおばさんと萬田久子のひいじいさんと萬田久子のひいばあさんと萬田久子の桃太郎と萬田久子の鬼と萬田久子のキジと萬田久子の猿と萬田久子の犬と萬田久子の金太郎と萬田久子のカラスと萬田久子のパンダと萬田久子のペンギンと萬田久子のウンコと萬田久子のタンと萬田久子のカルビと萬田久子のゲボと萬田久子のチンゲンサイを食べた英会話教室の講師と東進ハイスクールの生徒の○慢汁くわえたドラ猫おいかけ陽気でかけてくベルばらの作者と・・・・・
こんな感じでやれば永遠に書けばいくらでも書けるのである。じゃあなぜやらないのか。
それは飽きるからである。
飽きずにやるのが商いだよ。
でも私はプロの物書きではない。だから商いじゃないから飽きるのである。
いうまでもないが私はここまで書いてきて自分の文章に非常に飽きている。永遠と続く日本語の連続。もう日本語は嫌だ。
SO I decide to use ENGLISH in my sentense.
my name is TOM . I am not a desk.
this is truth. unfortunately i am not a desk.
i want to be a desk.but,i am not a desk.
I wish if i was a desk. but i am not a desk.
desk,desk,desk,iam not a desk!
I am not a fucking desk!!! bullshit!!!
そう、トムは机ではない。
私が絶倫でないようにまた、トムも机ではないのです。
さて、話を戻そう。
私がなぜ長い文章を書けなくなったのかを探るためには一度私の人生を整理してみる必要がある。今回は一年ごとに区切って整理してみよう。
1988年 0歳 まだ物心ついてない
1989年 1歳 まだ物心ついてない
1990年 2歳 まだ物心ついてない
1991年 3歳 幼稚園年少。着替えるのが遅かった。
1992年 4歳 幼稚園年中。いじめられてた。
1993年 5歳 幼稚園年長。ばら組の陽子ちゃんが好き。
1994年 6歳 小学校一年。SFCウルトラセブンにハマる。
1995年 7歳 小学校二年。SFCマリオにハマる。
1996年 8歳 小学校三年。ロックマン7にハマる。
1997年 9歳 小学校四年。もうゲームしかしてない。
1998年10歳 小学校五年。もうゲームしかしてない。
1999年11歳 小学校六年。受験勉強でゲーム中断。
2000年12歳 中学一年。自宅にパソコンとインタ―ネットがやってくる。
2001年13歳 中学二年。中二病開始。2ちゃんねると出会う。
2002年14歳 中学三年。記憶がない。それくらいつまらなかった。
2003年15歳 高校一年。リア充にあこがれて部活を始める。そこでいじめられる。
2004年16歳 高校二年。記憶がない。それくらいいじめられていた。
2005年17歳 高校三年。一発逆転目指して猛勉強するが、結果が出ず付属の大学に行く。
2006年18歳 大学一年。まわりのリア充感についていけない。アモキサンを飲みだす。
2007年19歳 大学二年。記憶がない。それくらい鬱だった。
2008年20歳 大学三年。あまり記憶がない。なんかたくさんAV見てた。
2009年21歳 大学四年。鬱治る。後輩のさおりちゃんが好きだった。
2010年22歳 大学留年。就職決まった後は一日中ニコニコ動画を見ていた。
2011年23歳 社会人一年目。パワハラ鬼軍曹のしごきが始まる。
2012年24歳 社会人二年目。まじでやめたい。
2013年25歳 社会人三年目。少ししごきが弱まる。
2014年26歳 社会人四年目。後輩がどんどんやめていく。
2015年27歳 社会人五年目。立川談春の「赤めだか」を読んで落語に目覚める。
2016年28歳 社会人六年目。なろうに投稿を始める。
2017年29歳 社会人七年目。柳家喬太郎に出会う。
2018年30歳 社会人八年目。深夜ラジオにはまる。
2019年31歳 社会人九年目。神田松之丞に出会う。
2020年32歳 社会人十年目。部署移動。9年越しのパワハラから解放される。
自分で読んでいてもめいってくるほど陰鬱な人生である。
だが今はそれほど暗くないので、今暗い人も生きてりゃいいことある、とだけは伝えておく。
それはともかくとしてだ。この年表を見ているとともかく、
「パワハラ」とか「いじめ」というワードが目立つ。
そうすると自ずからひとつの仮説が立てられる。
人はいじめられると長い文章がかけなくなるのだろうか?
京極夏彦やトルストイはいじめられたことがなく、星新一や阿刀田高はいじめられまくっていたのだろうか?
私はさっそくその謎を検証するべく、グーグル画像検索で京極夏彦とトルストイと星新一と阿刀田高の顔を検索した。そうしたら驚くべきことが起こった。
むしろ京極夏彦とかトルストイの方がいじめられてそうじゃないか。
実際にいじめられていたかどうかはわからないが、「殴るんだったらこっち」という顔をしているのは京極夏彦とトルストイの方なのだ。
特に京極夏彦の方を殴りたい。
魍魎の匣のハードカバーで助走つけて殴りたい。
命乞いをする京極夏彦の耳元で「お前に恨みはないが、お前の才能に恨みがあるんだよ。こんな長い小説書きやがって。この絶倫やろうが。」と言って最後の一撃を食らわしたい。
それくらい奴は全早漏の敵なのだ。早漏の敵なので候。
さて、水増し用のくだりを書き終えたところで本題に戻るが結局いじめと長文を書けるか否かという点になんらの共通点を見いだせなかった私は再度自分史の年表を確認してみることにした。
私はいじめというトピック以外にもうひとつの共通点を見出した。
「テレビゲーム」「2ちゃんねる」そうだ、電子機器がいけないんだ。
インターネットが長文童貞であるということに対して強い影響力を及ぼしているのではないかという推測は以前に述べた。しかしインターネットというサービスだけにとどまらず電子機器という物理的な商品の性質にまで言及したという点においては今回の視点はエポックメイキングな点を含んでいるといって差し障りがないだろう。そういった電子媒体から発せられる電磁波が私達の生活に大きな影響を及ぼしているのはもう否定しようのない事実であるし、そうした電磁波に洗脳された集団ストーカー達が私を常に監視しているのだ。全部集団ストーカーが悪いのだ。トランプ政権も、コロナウイルスもウイグルの虐殺も安部首相退陣も学術会議の問題も全部フリーメイソンと集団ストーカーと電通がしくんでいるのだ。私は真実を知っている。ネットde真実。天皇陛下万歳。アラーは偉大なり。僕コロ助なり。辻仁成。辻仁成のおいなり大きいナリ。
もう疲れた。どうして文章を書くのはこんなに疲れるのだろう。
はっきりいって私は文章を書くのが嫌いだ。
こんなこと何も面白くない。
まったく世の中の役にもたたないし。
こんなこと楽しくできている人間の気が知れない。
私はこの文章を書き終えたらたぶんなろうから引退すると思う。
誰も私のことを知らないだろうから引退しても誰にも気づかれないが。
しかし引退直前を控えながら私はどうやったら長い文章が書けるのかという長年の疑問を解決してから引退をしなければいけない。
そんな悩みをかかえている中、今回は私は「世界一長い数学の文章問題」というものを入手することに成功した。本当に世界一長いかどうかはソースがないのでわからないが、もしかしたらこの文章題のなかに長い文章を書くヒントが隠されているかもしれない。それでは早速見ていただこう。
たかしくんは、お母さんにおつかいを頼まれました。その時、たかしくんはYouTubeを見ていたのですが、1分38秒まで見たところで動画を止めて、おつかいに出かけました。
たかしくんは八百屋さんでリンゴを3個、バナナを1個、ミカンを4個、ナシを1個買いました。八百屋のおじさんが「1人でおつかいかい?えらいね。これを持っていきな。」とグレープフルーツを1個くれました。
八百屋を出たたかしくんは、バスに乗りました。バスに乗り込む時に中を見たら、その時点で5人の人間がバスの中にいました。
バスは時速45kmで走行しており、3分後に次のバス停に着きました。そのバス停では2人が乗り、1人が降りました。
その次のバス停に止まる直前、運転手さんが急ブレーキをかけました。どうやら、バスの前の道を猫が横切ったようです。たかしくんが窓から猫を見ると、2匹の子猫が、1匹の親猫のもとに駆け寄っていました。たかしくんは動物愛護の精神が深い子供だったので、猫たちの無事を心から喜びました。たかしくんは、普段から、人間と動物との関わりについて考えています。学校で動物を飼育する行為は、果たしてこの世界の歴史の中でどういった意味があるのか。宇宙の誕生から46億年経った今、我々がすべき本当の事とはいったい何なのか。たかしくんは、学校で飼っている3匹のニワトリ(オス1匹、メス2匹)と、2匹の豚(オス1匹、メス1匹)の事を思い出していました。
まもなく、たかしくんの降りるバス停に到着しました。たかしくんは運賃110円を払う必要がありましたが、ICカード決済にしたので5円安く済みました。ちなみにこの時点で財布に1060円があり、ICカードには1000円未満のチャージがありました。
たかしくんはバス停を降りると、おばあちゃんの家へと向かいました。そう、お母さんから頼まれたおつかいというのは、おばあちゃんの家へ果物を届けることだったのです。おばあちゃんはたかしくんのことが大好きで、今日会える事をとても楽しみにしていました。ちなみに2年後、たかしくんの年齢の3倍がお母さんの年齢になり、5倍がおばあちゃんの年齢になります。たかしくんはバスを降りる時からおばあちゃんに会えることでワクワクが止まりませんでした。早くバスを降りようとしましたが、自分の前に1人、後ろに1人降りる人がいたので、あわてずに降りました。その後、高校生が4人バスに乗り込みました。このバス停は終点の1つ手前にあり、終点は鉄道の駅の近くにあります。ですから、このバス停の近くにある高校の生徒が登下校の際によく利用しているのです。その高校は今年で87年の歴史を誇る古い高校で、このバス停もできた当初から長く愛されてきました。
おばあちゃんの家へ向かう途中、たかしくんはある事に気づきました。何と、買い物袋に入れていた果物の個数のうち、全体の5分の1が無くなっていたのです。おそらく、あの急ブレーキの瞬間、バスの中で袋から飛び出してしまったのでしょう。たかしくんは袋の中身を改めて確認するため、果物の一部を取り出しました。とある2種類の果物を全て取り出してみた結果、取りだした果物の個数は3個でした。たかしくんは3個の果物を袋に戻しました。
たかしくんは「金額にして110円の損失だ。しかしこの損失は金額だけでは測れない、感じる喪失感と焦燥感、そして自分の無力さを知った事への怒りと失望、それを受け止める精神的損失は何事にも替え難い」と言いました。
その様子を見ていた果物の移動販売をしているおじさんが声をかけてくれました。
「ぼうや、どうしたんだい?」
たかしくんは訳を話しました。すると
「それはかわいそうだ。それじゃあ、ぼうやの年齢の数だけ、イチゴをあげるよ」
と言ってくれました。たかしくんはイチゴを年齢の数だけもらいました。
おばあちゃんの家が近づいてきました。すると、近くの公園で、見た事のある2人組が何かをやっていました。よく見てみると、たかしくんの大好きなYouTuberがロケをしているではありませんか!たかしくんは嬉しくなって、2人の元へ駆け寄っていきました。
たかしくんはロケの邪魔にならないよう、遠くから2人のことを見つめていましたが、2人はたかしくんに気付いたのか、こっちへおいでと声をかけてくれました。
2人にファンである事を告げると、2人は喜び、最新の動画をその場で見せてくれました。動画は12分20秒の面白い動画だったので、見ていて満足感がありました。
そして話をしていると、2人がたかしくんと同じ街に住んでいることがわかりました。大柄な男の方が言いました。
「あの八百屋で買い物をしたの?今日は特売日だから、ミカンとバナナがいつもより20円安いんだよ」
続けてマレーシア出身の男が言いました。
「僕もその八百屋でよく買い物をするんだ。昨日はリンゴ2個、ミカン2個を買ったけど、合計で340円だったよ」
たかしくんは
(何で今、急にそんな事を言うんだろう)
と思いました。
たかしくんはYouTuber2人と別れておばあちゃんの家に向かいました。その途中、小さめのメロンを売っているお姉さんに出会いました。メロンは1つ470円でした。
たかしくんのおばあちゃんは果物が好きなのですが、一番好きなのはメロンなのです。お母さんから頼まれていなかったので、先ほどの八百屋さんではメロンを買いませんでしたが、470円のメロンなら値段も安いし、何より他の果物を落としてしまった事もあり、このメロンを買っていってあげたいという気持ちになったのです。現在の所持金なら、2個まで買うことができます。
たかしくんはお姉さんに声をかけました。
「すみません、メロンください」
たかしくんは財布の中から1000円を取り出してお姉さんに渡しました。お姉さんは
「ありがとうございます、はい、どうぞ」
と言って、メロン2個と60円のお釣りを渡してくれました。メロンは2個で1セットではなくバラ売りでした。また、たかしくんがこの時発した言葉は「メロンください」だけで、特定のジェスチャーをしたり、文字を見せたりすることはありませんでした。お姉さんはニコっと笑ってたかしくんを見送ってくれました。
袋いっぱいの果物を抱えたたかしくんは、おばあちゃんのおうちに向かってまた歩き始めました。おばあちゃんの家の近くに、小さな電器屋さんがあります。店頭にはテレビが設置してあり、ニュースが流れていました。ニュースキャスターの男が言いました。
「今年行われます2度目の東京での五輪。楽しみですね。続いてお天気です。佐藤さーん?」
場面が切り替わり、佐藤さんと呼ばれた気象予報士の女性が登場しました。
「それでは明日の天気です」
佐藤さんは明日の東京の天気を伝えています。画面には「3月2日の天気」と書いてあります。たかしくんは
(明日の東京は降水確率30%か。千葉の方が天気が悪そうだけど、神奈川は天気が良いんだな)
と思いました。
さらにたかしくんが歩いて行くと、向うからサラリーマン風の男性が歩いてきました。そして、たかしくんを発見すると、たかしくんの方へ駆けてきました。
「よかったー、君を探していたんだよ」
「どういうことですか?」
「君、さっきバスの中で果物を落としたろう?おじさんはそれを拾ったから、君がまだこの近くにいるんじゃないかと思って、歩いて戻ってきたんだ」
何とバスの中で落とした果物を届けにきてくれたのです。しかし、手には1つしか果物はありませんでした。
「これと同じものがもう1つありませんでしたか?」
とたかしくんは聞きましたが
「おじさんが見つけたのはこの1個だけだったよ」
とおじさんは言いました。たかしくんはお礼を言って、おじさんがくれた1つの果物を手にしました。
たかしくんはそれを袋にいれ、またおばあちゃんの家に向かって歩き出しました。
道中、たかしくんは今日という日の事を思い出していました。おつかいに出て果物を買ったこと。果物を落としてしまったこと。色んな人の優しさで最初におつかいをした時よりもたくさんの果物が今持っている袋の中に入っていること。人のあたたかさに、たかしくんは感動しました。
そしてもう1つ。イチゴをもらう直前、全てのミカンを袋から取り出した結果、袋の中の「ある果物A」の数と、「A以外の果物の合計」の数が一致した事も思い出しましたが、今となってはそんなことなど、もうどうでも良い事です。
という問題なのである。
読んでいてもかなり疲れる分量の文章だ。書くのは大変だったに違いない。きっと一回で書きあげたのではなく、途中で休憩をはさんで書いたに違いない。休憩中は何を食べただろうか。ラザニアだろうか、それとも少し大きめのラザニアだろうか、それとも京極夏彦のハードカバーくらい大きいトルストイのイチモツより大きいラザニアだろうか。
ちなみにマジレス的な側面で分析すると、主人公が落とした果物は2個とも同じ種類で合計110円だそうだ。2個以上あった果物はリンゴかみかんしかなかったので、主人公が落としたのは単価55円のみかんかリンゴいずれかということになる。さらにこれがみかんだった場合八百屋が20円引きをやっていたのでもとは75円ということになる。75円のみかんは高すぎる気がするし、55円のリンゴは安すぎる。しかしどちらが現実的かというと75円のみかんに軍配があがる様な気がする。最近の果物事情には非常にうといし、生活力のなさが露呈してしまいそうな見解になるが。おそらく主人公がおとしたのはみかんだろう。
さて、ここまで書いてきて私は長い文章を書くコツがなんとなくわかった気がする。
長い文章を書くコツは忍耐力でもなく持て余した時間でもなく文章を書く才能でもない。
「コピペ」だ。
なぜならさっきの長い文章題を投下するまでこの文章は5000字ぐらいだったにも関わらず、
あの文章をコピペしただけで9000字を超えたのだ。
オリジナリティはいらない。パクリこそ王道。
みんな無理しないでパクろう。
そうこうしているうちにこの文章は10000字を超えた。
もういいだろう。
私はもう疲れた。
ここまでちゃんと読んでくれた人。あんた最高だよ。
こんな文章に夢中になってんじゃないよバカヤロー!
ありがとう。お疲れ様でした。もう書きません。たぶん。
バイバイまたね。