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『ヴァルハラ・クロニクル・オンライン(VCO)2』の舞台は、広大な一つの大陸だった。この大陸は《ワールド2》と呼ばれ、その広さは徒歩で移動すれば一生かかると言われている。
そして、その極大な土地には四つの国があった。
古代東洋のような奥ゆかしさを持つ《桜花帝国》。多彩な文化を擁し、伝統を重んじる《ガリアーノ連邦》。近未来的な街並みを誇る技術大国《アルドニア共和国》。そして、領土の大半を砂漠が埋め尽くし、その中にピラミッドなどの遺跡群が点在する《ニネヴェ国》。それぞれの国には現実世界と同様に執政機関があり、戦闘職も生産職も、そのいずれでもない一般人も、みな仮想世界での生活を謳歌しているのだとか。
また、銀髪の少女が言うには、
「申し遅れました。私は、桜花帝国幕府直属、御側御用取次、ユカと申します」
ということらしく、アキラを除く五人はその説明で納得した様子だったが、ワールド2を訪れて間もないアキラには、呪文か早口言葉のようにしか聞こえなかった。唯一わかったことは、ユカと名乗るうら若き佳人は、なかなか高位な人物だということだけだった。というのも、あれからほどなくして幕府の者と名乗るサムライたちが現れ、ユカの姿を認めるやその場で平伏したからだ。サムライたちは顔を上げるよう言われても微動だにせず、ユカにもう一度命じられてようやく面をあげた。それは、ネット配信で観た前世紀のサムライ映画の光景そのものだった。
ユカはサムライたちに状況を尋ね、戦闘が終息したことを知ると、アキラたち六人を桜花帝国へ招くよう手配せよと命じた。
かくして、烏合の衆たる六人は無慮数万のサムライたちに混じって、桜花帝国へ向けて出立した。道中、アキラの頭の中は、レギンレイヴのことでいっぱいだった。ゲームログイン早々、なぜ自分に《第一級討伐命令》が下されたのか。そして、なぜユカはアカウントの永久追放という大きなリスクを背負ってまで自分を助けたのか。いくら自問しても、納得できる答えは見つからなかった。他のメンバーたちもアキラに遠慮しているのか、レギンレイヴと交戦して以来その話題に触れてこなかった。
そして、大名行列のごとき行軍は一晩以上続いた。平原を抜け、険峻な山々を越え、一晩中歩き続けても桜花帝国のサムライたちは文句の一つも言わずに黙々と歩を進めていた。粛々とした雰囲気のなか、ベスト姿の伊達男、白衣を着た青年、ボブヘアの小柄な少女――この三人だけが、長旅の疲労をものともせず延々と喋り続けていた。
「ねぇ、さっきカルロが使ってた投げナイフって、この前のアップデートで弱体化されたやつだよね? 扱いやすくて、高火力で、そのうえ遅滞時間がほぼゼロだっていう……」
ベスト姿の伊達男=カルロは、大仰に肩をすくめてみせた。紺と青の薄いストライプをあしらった瀟洒なベスト。同柄のキャスケット帽をかぶり、えんじ色の艶やかなネクタイが引き締まった胸元を強調する。顔にはピエロのメイクが施されており、上背はアキラよりも頭一つ分くらい大きかった。
「あたり判定もけっこうユルかったからなぁ。だいたいのS級仮想敵は、芋ってりゃイチコロだった。ありゃ流石にヌルゲーすぎた。弱体化するのが遅かったくらいだぜ」
カルロが少し得意げに言った。その言葉を聞いた白衣の男=サイーフが、驚いた様子で目を丸くする。繊細さをたたえた細面。すらりと伸びた鼻梁に乗った現代的なデザインの黒縁メガネ。その上でさらさらと揺れるライトブルーの前髪。首から聴診器をぶら下げた奇異な風貌は、まるで絶賛研修中の医学生といったところ。
「えぇっ⁉ S級仮想敵もアレで倒せちゃうの? 強化しすぎでしょ、それは……」
「初心者の頃からずっと使い込んでたからなぁ。赤竜蝶の”貫通スキル”つけた時点で、ありゃチートだったな」
カルロが聞こえよがしに大声で言い放つ。サムライたちは黙々と歩き続けていたが、カルロの話に聞き耳を立てているのが気配で察せられた。カルロの一声を聞きつけたのか、隊列の先頭で馬に乗っていたユカが怪訝そうな顔でこちらを振り返った。
「つってもサイーフよ、おまえが使ってたあの手榴弾だって立派なもんじゃねぇか。どこの武器屋だ? 《セブン・シスターズ》の職人街か?」
「あぁ、あれはね──」
サイーフが口を開いたとき、ボブヘアの少女が舌っ足らずの声でそれを遮った。
「武器なんて何だっていいじゃん! ああいうのは殴れたら何でもOK牧場なの。花より団子! 満足した豚より不満足なソクラテスなんだよ!」
「いや……それビミョーに意味が違うと思うんだけど……」
アキラがぼそりと呟いた。小柄な少女=キャシーは、きょとんとした顔で小首を傾げる。いとけなさの残る小さな面立ち。それを縁取るボブスタイルの流麗な茶髪。ギンガムチェックのミニスカートに黒のガーターベルト。小さな頭に乗せたベレー帽も黒色で、首に巻いたチョーカーもやはり黒色。ワンショルダーのシャツまで黒色という徹底した同色系のコーディネート。
「わかった、わかった。仔猫ちゃんには高尚すぎる話題だったな。ほら、これやるから、勘弁してくれ、な?」
そう言ってカルロが差し出したものを見て、キャシーは顔を真っ赤にして小さな体躯をぷるぷると震わせた。
「ぐぬぬぬぬぬ……まさかホントにマタタビ出してくるとは……カルロ君、とことんキャシーのこと馬鹿にしてるよね? そうだよね? そうに決まってるよね? ねぇ、アッキーラ! なんとか言ってやってよ!」
「なんで俺なんだ⁉ っていうか、そのグラビアアイドルみたいな呼び方やめろ!」
唐突に名前を呼ばれたアキラが目を白黒させる。
それをしりめに、カルロがどこからともなく古風な拳銃を二丁取り出し、
「それにしてもOK牧場の決闘とは、仔猫ちゃんもなかなか乙な趣味してるやがるぜ」
とか、のたまう始末。
「そのネタ拾うの⁉ しかもワンテンポ遅くない⁉ ってかOK牧場の決闘って何だよ⁉」
アキラの疑問を聞きつけたサイーフが、黒縁メガネをくいっと押し上げ、白衣のポケットに両手を突っ込んで、
「説明しよう! 遡ること今から約三世紀。ときは一八八一年、西部開拓時代のアリゾナ州はトゥームストーンで起きた伝説の大決闘‼ 老練の保安官ワイアット・アープとその相棒にして天才賭博師ドク・ホリデイが、放埒を極める悪党たちを――」
したり顔で講釈をふるい始めるのを、金髪の女=ティファニーが物憂げな声で遮った。拍車のついたカウボーイブーツにエナメル素材の黒いスリムパンツ、同色のライダーズジャケット。両肩が露わになった白いシャツが豊満な胸元を締め付け、どこか物憂げな声音と相まって匂い立つような色香を漂わせている。
「マジレスしてどーすんのよ、バカ」
ティファニーはすらりと伸びた長い脚を振りかぶると、サイーフの背後から勢いよく股間を蹴り上げた。サイーフが言葉にならない呻き声をあげて、その場にへたり込む。
「おい、あいつ大丈夫なのか?」
行軍から取り残されて後方でうずくまるサイーフを見やりながら、カルロが眉をひそめた。
「大丈夫なんじゃない? あ、ほらほら、戻ってきたよ。うわ、ちょっと顔緩んでるし……」
「え、嘘……」
「マジだよ、姉御。ほら、『もう一回お願いします!』って顔だね、あれは」
キャシーが指摘すると、姉御ことティファニーの顔が引きつった。
サイーフは股間を押さえながら集団に追いすがると、伏し目がちにぽつりと呟いた。
「あ、あの……もう一回だけお願いします……」
「………………」
「…………………………」
「いや、そんなドン引きしなくても冗談だから! ボクそういう趣味ないから!」
「うぇ……でもさっきの顔はマジもんだったよね……さすがのキャシーもドン引きだわぁ……」
「だ、だよな……俺も強いて言うならMだけどよ、あれはちょっと……なぁ、アッキーナ?」
「いやいやいや、二人とも俺をグラビアアイドルみたいに呼ぶんじゃねぇ! 俺はどっちの気もないから! 健全な男子高校生だから‼」
「へぇー、アキラくん高校生なんだ?」
ティファニーが蠱惑的な笑みを浮かべながらアキラの肩に手を回した。肩と背中にたわわな弾力が押しつけられ、アキラは言葉を詰まらせて俯いた。その様子を面白がるように、ティファニーはほっそりとした指でアキラの頬をつんつんとつつき回している。
そのとき、黙々と歩を進めていた白銀の騎士=チャーリーが一同を振り返り、呆れ顔で口を開いた。
「君たち、いい加減にしないか。桜花の武士たちを見習いたまえ。出発してこのかた、君たちの沈黙は三分と保ってないじゃないか。少しは慎みたまえ」
騎士は兜を外しており、誠実さを湛えた青年の顔貌が露わになっていた。眉目秀麗という言葉がぴったりの美青年。ウェーブがかった長い金色の前髪。澄み切った榛色の双眸。気品と力強さを併せ持った、いかにも中世の騎士然とした出で立ち。
──そういえば中学の生徒会にいたな、こんなやつ……
アキラは内心で独り合点したが、まかり間違っても口に出せる状況ではなかった。
「そんな堅苦しいこと言うなよ、兄貴。べつに喪に服してるわけじゃあるまいし、明るいほうがいいじゃねぇか。ぱぁーっといこうぜ、ぱぁーっと」
カルロがチャーリーの肩に手を置いて宥めるように言った。チャーリーは『兄貴』という呼称に当惑した様子だったが、やがて諦めたように大きく息をついた。カルロの上背もなかなかのものだったが、チャーリーのそれはさらに半頭身ほど大きかった。
「そーだそーだ! カルロ君の言うとおりだぁ! 明るいほうがいいに決まってるよ!」
キャシーが細っこい両腕をぶんぶんと振り回して賛同の声をあげる。
「カルロも百回に一回は良いこと言うよね」
サイーフがメガネを押し上げて言い添えた。
「やかましい! せめて十回に一回と言え! 確立一%ってレア素材のドロップ率と同じじゃねぇか‼」
「ま、でもレア素材と同じってことは、見方を変えるとそれだけ価値があるってことなんじゃない?」
ティファニーが挑戦的な微笑を浮かべて言った。
「あ、なるほど。姉御は、俺の言葉にそれだけの価値があるとおっしゃるわけか」
「その言葉がすでに軽いってことに気づかんのか、おまえは」
心底バカにしたようにチャーリーが額に手を添えて嘆息した。
「たしかに、重みがないよねカルロって。全体的に軽いっていうか、薄っぺらいっていうか、粗末というか……」
「あ、それキャシーも思ってた!」
「あたしも。やっぱ前言撤回ー」
「あんたら意外と白状だな? おい、アッキーナ、なんとか言ってくれよ」
「まぁ、たしかにチャラいよな、全体的に」
「ちょっ、おま……もういい‼ 俺は金輪際、絶対に喋らんからな! 後悔しても知らねぇからな!」
「絶対に三分も保たんな」
ふくれっ面のカルロに取り合わず、チャーリーが恬然と言った。
「じゃあ賭ける? あたしは五分くらいが限界だと思うけど」
ティファニーが胸元に手を突っ込んで金貨を取り出し、慣れた手つきで宙へ放り投げた。その仕草に見とれていたアキラは、小石に足を取られてたたらを踏んだ。
「なにそれ、面白そう! キャシーもやりたい!」
「ボクも乗るよ。チャーリーと同じ三分に賭ける」
「え? じゃあ、キャシーは一分!」
「いや、いくらなんでも馬鹿にしすぎだろ、おまえら?」
とっさに反駁したカルロが、自身の失態を悟って顔をこわばらせた。
「結局、一分も保たなかったな」
「くそ……もういい……俺はピエロだからな……好きなだけ笑いやがれ」
道中、こんな丁々発止のやりとりが延々と交わされた。一糸乱れぬ隊伍で歩むサムライたちは、最後まで口をつぐんだままだった。だが、アキラたちの会話に気を悪くした素振りはなく、むしろなかば愉しんでいるような感じがした。そんな彼らを束ねるユカはというと、ときおり心配そうにこちらを振り向くだけで、結局会話に加わることはなかった。隊列の先頭、馬上で揺れる彼女の背中は、どこか悄然としていた。