第七百二十一話 アップデート作業(一日目、小さな問題)
時刻は十時半。
大樹のダンジョンから冒険者が誰もいなくなった。
そして今日は昼から従業員も全員休み。
宿屋階層に住んでる従業員も今日は外泊してもらう。
サクはウチに来てから初めての外出。
体調に異変があったときのことを考え近場で、それと桜を見たいからという理由でソボク村に宿を取ったとのことだ。
ソボク村は宿の数が少なく、この桜シーズンによく取れたなと聞いたら、どうやらカトレアに手配してもらったらしい。
おそらくクラリッサ→セレニティーナさんのルートだろうな。
「ララちゃんは何時から起きてるんですか?」
さっき起きてきたばかりのカトレアは疲れが取れていないのか眠そうだ。
「六時には起きてたぞ」
「六時ですか? 昨日夜中まで起きてたのに……」
「そうなのか? なにしてたんだよ?」
「錬金ですよ。ストアの目玉商品が不足してるからと言って」
「魔法杖とか魔法剣ってことか。そんなの一言も言ってなかったけど」
あまり寝てないとは思えないほど元気だったもんな。
「朝が忙しかったからじゃないですか。メネアちゃんも協力してくれましたので水魔法の商品もできました」
「メネアも? ボネがやってたようにララの封印魔法を利用できたってことか。……ん? でも今朝、ララはまだメネアと話したことがないって言ってたけどな」
「……ロイス君を驚かせようと思ってたのかもしれませんね」
「そうっぽいな。というか聞いてくれよ。朝っぱらからララのやつに付き合わされてさぁ~」
俺の話をカトレアはニヤニヤしながら聞いている。
「ララちゃんらしいじゃないですか。早くユウナちゃんも帰ってきてほしいですね」
「うるさくなるだけだぞ……。それより早くご飯食べて準備しろって。マリンはもうそっちにいるから」
隣の管理人室でワタの映像を心配そうに見つめているであろうマリン。
昨日と違い、なぜか今日はなにも文句を言わない。
ワタが修行させられていることよりも、あれだけ面倒を見てきたワタをたった一日でララに取られたことはマリンにとって相当ショックだっただろう。
でも予想はできてたことだから諦めも早くついたのかもしれないけど。
カトレアの準備が整ったところでバックヤードに移動する。
そこには既に今日いる全従業員が集まっていた。
厨房エリアで料理の試作品を作っていたララも慌ててやってきた。
みんなの足元に置いてある荷物を見る限り、出発する準備は万端のようだ。
「みなさん、お疲れ様です。このあと予定通り地下五階実装に伴うアップデート作業を始めます。明日、勤務の方は正午までに集合してください。それまでには部屋のアップデートも完了してますので、勤務がお休みの方も戻ってきていただいて構いません。ホルン、みんなに確認はできてるか?」
「はい。完璧です」
明日は製造はしないから、明日休みを取ってもらう鍛冶職人や防具職人もそこそこいる。
とは言っても元々ウチの職人たちは月曜が休みなんだけどな。
「ミーノ、そっちも正午からで間に合うな?」
「うん、大丈夫。こっちは全員出勤してもらうから」
バイキング会場も広くなるし、会場内のレイアウトもかなり変更する。
それだけで冒険者たちには新鮮な気分になってもらえるはずだ。
もちろん新作料理も続々と登場予定。
今回の目玉料理は近隣の村で獲れたあの……
「お兄、もういい?」
「え? うん」
「じゃあ次は私から。みなさんは普段、大樹のダンジョンやマルセールにいるおかげで、魔瘴の影響はまだそれほど感じてないかもしれません。ですが近隣の村から向こうはもう完全に魔瘴に覆われています」
この森付近はマナの力のおかげか魔瘴がまだそこまでは目立ってない。
だがそれもあと数週間だけという見解だ。
「外には魔物もたくさん発生しています。場所によってはウチのダンジョンの魔物急襲エリア以上に魔物が出現してるところもあるかもしれません」
それはこわい……。
封印結界の外には出たらダメ、絶対。
「その魔瘴や魔物から、町や村そして人間を守っているのはウチの封印結界であり魔道ダンジョンです。つまりウチは、対魔物や魔物の扱いにおいてはトップじゃないといけないんです」
つまりなにが言いたいんだ?
「このように魔物が溢れる世界になり、魔物の素材を商品として扱うライバル店が増えてきています」
そういうことか。
「ですが負けるわけにはいきません。武器も防具も、そして料理も。やるからには全部一番のほうが気持ちいいじゃないですか」
うんうん。
でもその気持ちはライバル店の人たちも同じだからな。
「でも鍛冶職人さんや防具職人さんたちみなさんのお気持ちもわかります。そうです。引き抜きのお話の件です」
は?
引き抜きだと?
「ウチでのお給料よりも好条件を提示されている方もいるでしょう。もしくはお給料のことよりもリーダー格での待遇を希望されている方もいらっしゃるかもしれません」
おいおい?
俺の耳にはなにも入ってきてないぞ……。
「引き抜きの話、遠慮なく受けてください」
いやいやいやいや……。
「引き抜きというのはみなさんが優秀な腕を持つ職人さんだと認められた証でもあります。それに技術力の高い職人さんが各町に分散し、市場が活発化することは世界にとっても良いことです。武器や防具が身近に感じれるようになることで新たな冒険者も増えるでしょうし、みなさんがお弟子さんを取れば職人さんたちも次々と育ってきます。そうなると結果的にウチにとっても有益なことになります。ですからみなさんはみなさんの思うままに生きてください。やはりライバルは強くないと面白くないですしね」
ララの言うことも一理あるけど、そんな先のこと考えるよりも今ウチの従業員が足りなくなったら仕事が回らなくなるから……。
「では私からは以上です。もう終わりでいいよね?」
「え……でも……」
「では解散で。お疲れ様でした」
あ……ちょっと待てって……。
「みなさんお忘れ物はないですか? では駅に移動しましょうか」
カトレアちゃん?
なんでそんなに冷静なんだ?
そしてララとカトレアと従業員たちは外に出ていった。
申し訳なさそうな表情をしていた人たちが引き抜きの話があったという当事者だろうか。
ホルンからはなにも聞いてない。
アイリスやフランからもなにも。
俺だけ仲間外れにされてるんだろうか……。
そりゃ当事者は俺に相談なんてできないだろうけどさ。
「マリン、知ってたか?」
「昨日の夜、ララちゃんから聞いた。でもホルンさんがみんなを引きとめてくれてるって話だったんだけど」
「じゃあさっきのララの発言はなんだったんだ?」
「さぁ? でも全員が抜けるわけじゃないんだから別にいいんじゃない? ちょうど冒険者たちも減ったところなんでしょ?」
「でも明後日からは新規がまた増えるだろうし」
「今年はそんなに来ないんじゃないかな? だって王都やリーヌやラスからは来れないわけだし」
「まぁな……」
「それにサウスモナやボワールも町が冒険者育成に本腰を入れてくるって聞いたよ?」
「らしいな……。おそらく職人引き抜きの件もサウスモナやボワールからなんだろうな」
「おそらくというかそうらしいよ。でも今後どんどん需要が増してくるんだからそこに目を付けるのは商売人として当然だし」
まさか町ぐるみでウチから職人を引き抜こうとしてるんじゃないだろうな?
町長やギルドも関わってたりして……。
ってそれならさすがに俺に聞いてくるよな。
「まぁララちゃんがいいって言ってるんだから大丈夫ってことだよ。さっ、家に戻ろ」
ララを信じるしかないな……。
家のリビングに戻ると、すぐにララたちも戻ってきた。
四人でテーブルを囲んでソファに座る。
テーブルの上には一つの水晶玉が置かれている。
するとドラシーが現れた。
「ダンジョン内に人は誰もいないようね。ウサギや牧場の魔物たちもおとなしくしてる。じゃあ始めましょうか」
そしてアップデート作業が始まった。
まずは地下五階と地下四階の接続をしてから地下五階の総仕上げ。
そのあとはダンジョンストア関連、バイキング会場、ダンジョン酒場、トレーニングエリア、宿屋と続いていく。
俺とララの仕事はアップデート済みエリアでの現地確認だ。
さっそく地下四階の最奥へとやってきた。
「地下三階みたいに空中トロッコ?」
「いや、同じのだと面白くないだろ。というか引き抜きの件、なんで昨日俺に言わなかったんだよ?」
「だってホルンさんやアイリスさんがお兄にはまだ言うなって言うんだもん。今日マルセールでみんなでお昼ご飯食べるから、そのときにもう一度話してみるからってさ」
「それなのにあんなこと言って良かったのか?」
「ちゃんと事前に話しておいたから大丈夫」
「なにが大丈夫なんだよ……。ホルンたちは引きとめるために話をするんだろ? これで辞められたら残る人たちの負担が増えるだけなんだぞ?」
「お兄さぁ~、辞めるか悩んでる職人さんたちの気持ちも考えてあげなよ。ウチに来てまだたった数か月だけど、みんな文句も言わずよく働いてくれてたでしょ? そりゃ帝国から避難してきた人たちが多かったからウチへの恩は最大級にあっただろうけどさ。でもやっぱり職人さんたちは自分のオリジナルの武器や防具を作りたいし、いずれは自分の店や工房を持ちたいって人がほとんどなんだよ。実際に帝国では自分の工房を持ってたって人も何人かいるし」
「……そうなのか」
「うん。それに防具職人さんのほうは商品の幅が広く品数も多いおかげでデザインとかもまだ比較的自由にやれてるけど、鍛冶職人さんのほうはそうはいかないし」
「武器はシンプルなのが多いもんな。それに性別も関係ないし。あ、鎧は関係あるか」
「うん。でもアイリスさんとエルルちゃんの技術がずばぬけてるってことも関係してると思う」
「そんなになのか? 確かにベテランの職人さんたちもみんな褒めてたけど、あの二人は鍛冶業界じゃまだまだ若手の部類に入るだろ?」
「ほかの町の武器屋行ってみなよ。剣じゃなくてただの長い鉱石が売ってるのかと勘違いしちゃうから」
「さすがにそれはないだろ……」
「うん、少し大袈裟に言ってみた。でも違いはハッキリとわかるもん。銅の剣とか鉄の剣でもさ。エルルちゃんの鎧も相当凄いよ。耐久性はもちろん、デザインもおしゃれ。まぁ私やお兄の好みに合わせて作ってくれてるからそう感じるだけかもしれないけど」
「アイリスも褒めるくらいだからな」
お兄さんのことは褒めたことないらしい。
まぁアイリスより職歴の長いお兄さんを褒めるというのは少しおかしいかもしれないけど、それだけエルルのほうが技術があるということだろう。
「あとは二人に教育されたウサギたちがいることも大きいよ。鍛冶職人さんからしたら自分たちは必要ないんじゃないかと思っちゃってもおかしくない」
ウサータはカウンターでお客さん対応。
ウサッピは武器のメンテナンス対応。
ウサキチはアイリスが武器を作るときの補助。
ウサミとウサコはエルルが防具を作るときの補助。
今じゃどのウサギも鍛冶工房には欠かせない。
「でもウサギだけでは武器は作れないんだから人間は必要だろ。それに引き抜きを受けた人が仲間を引き連れて出ていくことも考えられるんだぞ?」
「それは仕方ないよ。みんなウサギと違って自分の意思があるんだからさ」
「……じゃあどうしようもないってことか」
「このままじゃ不満がたまる一方だろうしね。ミスリル製品を作らせてもらえないことにも既に不満があったみたいだし」
「それこそその人たちの腕の問題じゃないのか? それにミスリル製品は高価な分、売れる数が少ないんだから製造数も当然少ない。アイリスのほうが腕がいいんならアイリスが作って当然だろ」
「うん。でも実力順がどうとか、アイリスさんが作りたいからほかの人に作らせないとかいう問題ではないの。今お兄が言ったように、アイリスさんの見立てでも単純に実力がなくて作れないんだってさ。もちろん出来がどうでも良ければ作れると思うよ? ウチの商品としては絶対に出さないらしいけど」
「……ミスリルへの慣れの問題とかじゃなくて?」
「そもそもの腕や鍛冶職人としてのセンスの問題みたい。それにベテランの人を差し置いて若い人にミスリルを触らせるわけにもいかないでしょ? かと言ってベテランの人たちの無様な姿を見せるわけにもいかない。プライドってものがあるからさ。職人さんって頑固な人多いから」
「……」
もしかしてアイリスは人間関係でかなり苦労してたのだろうか。
普段あまり表情に出すほうじゃないからわかりにくいんだよなぁ……。
ベテランの職人さんたちもアイリスにはなにも言えないだろうし。
アイリスの腕は認めてても、自分の腕が負けてるとは簡単に認めたくはなかっただろう。
それがプライドってものだもんな。
アイリスやホルンはそれでもみんなに残ってもらおうとした。
特にホルンは自分が選んで連れてきたという思いもあったことだろう。
でもだからララは引き抜きの話を受けろなんて言ったんだろうな。
要するに、ウチの鍛冶工房の職場雰囲気は決して良くなかったってことだ。
「もっと早く俺に相談してくれれば良かったのに」
「お兄は気にしなくていいんだってば。まずアイリスさんやホルンさんが考えなきゃいけないことだと思うし」
「それは違うだろ。普段その人たちと密に接してる二人が言いにくいことだからこそ、俺が言わなきゃいけないんだよ」
「違うって。お兄に頼ってばかりじゃダメってわかってるからお兄には言わないんでしょ。二人も成長したいんだってば」
「相談するくらいはいいだろ。俺なんて暇すぎて昼寝もせずにダンジョン作りしてる時間が多かったのに」
「それツッコみどころがわかりづらいって……。とにかく、ベテランの人たちにはいい話があるならそっちに乗ってもらうべきなんだってば。こっちは新しい人連れてくるから心配しなくていいって」
「新しい人? もう目途が立ってるのか?」
「うん。鍛冶職人と防具職人それぞれ一人ずつだけど。腕はそこそこの若い子たち」
「どこからそんな人たちを?」
「まだ知り合ったばかりだけどね。二人とも間違いなくウチで働きたいって言うから。いい子たちだし、腕も将来有望だと思う。って私よりは年上だけど。アイリスさんとフランさんとホルンさんには今日の昼から旅行がてら会いに行ってもらうことになってるから。三人が見て腕が微妙そうなら誘わなくてもいいって言ってある」
「そこまで話が進んでたのかよ……。で、三人はどこに行くんだ?」
「スノーポート」
ということは数日前に知り合ったばかりか。
腕を見たってことは鍛冶屋にでも行ったのかな。
ララが気に入るくらいだから、なにか光るものがあったんだろう。
防具職人の子とはどうやって知り合ったんだろう?
……ん?
「なぁ、まさかそれって引き抜きじゃないよな?」
「さっ、そろそろ仕事しよっか。早く先に進まないとみんなに怒られるよ」
こいつ……。
ウチの職人たちの引き抜き話を聞く前から引き抜く気満々だったな……。




