第七百十二話 ハナの選択
3月28日、金曜日。
今のところ今日の新規冒険者はゼロ。
明後日から二日間はダンジョン営業が休みということを各駅に張ってあるビラで見たからだろう。
おそらく明日も誰も来ないだろうな。
今日は少し曇り空だ。
サウスモナでは昨日の夜から雨が降ってるらしい。
雨と魔瘴。
視界も足場も悪い中、ウェルダンは無事先導できてるといいけど。
今朝は四時半起きでリーヌや王都に帰る冒険者たちを見送った。
早朝にも関わらずその冒険者たちを見送るために多くの冒険者たちが起きてきて、ダンジョン酒場やロビー、管理人室前や小屋は大賑わいだった。
もちろん最後は涙も多く見られた。
出身地、年齢、パーティなどは違っていても、この狭いダンジョン内で過ごしてると仲間というか友達もたくさんできるからな。
「道の真ん中に突っ立ってなにしてるんですか?」
「ん? お、ハナか。おはよう」
「おはようございます。ゲンさんとワタちゃん、それにボネちゃんもおはようございます」
ゲンさんは管理人室横に座り、ワタはゲンさんの膝の上で寝転び、ボネは管理人室内のカウンター窓際に寝そべっている。
「今少しお話できますか?」
「うん。じゃあ玄関から入ってきてくれ」
「え? 家でいいんですか?」
「ハナだけだしな。錬金術師たちも最近学校に泊まりっぱなしで帰ってこないし」
「大詰めですもんね。さっきチラッと見てきましたけど、あまりの大きさに圧倒されましたよ。門の前には見物の人がたくさん集まってました」
「へぇ~。俺まだ実物は見れてないんだよなぁ~。大樹の森から出るの禁止されてるから」
「……ではお邪魔しますね」
ハナは俺とゲンさんの間の微妙な空気を察したのか、玄関に向かった。
別にゲンさんとはケンカしてるわけじゃないけどな。
俺も別にそこまで学校が気になってるわけじゃないし。
見ようと思えば水晶玉ですぐに見れるし。
「ワタ、中に入るぞ」
「ホロロ~」
「ん? マリンのとこ行きたいのか?」
「……ホロロ」
「もしかしてまだ拗ねてるのか? みんなすぐ帰って来るからさ」
ワタはウェルダンやピピたちといっしょに王都に行きたかったようだ。
遠くに遊びに行けると思ってるらしいからな。
だが魔物たち全員にとめられてここに残ることになった。
外の危険さをまだなにも理解できてないのが実に危うい。
拗ねてるワタをゲンさんに任せ、管理人室のドアからリビングへと向かう。
そして飲み物を準備し、ソファでハナと向かい合う。
ボネは俺の右太ももにくっついて座った。
「で、話って?」
「昨日、実家の店で働いてみたんです。今までのような単なるお手伝いではなくて、一人の従業員として、料理人として、父や母と同じ立場でです」
「へぇ~? どうだったんだ?」
「楽しかったです。やりがいも感じました。買い出しにも行ったんですけど、なんだかとても新鮮でしたし。お肉屋さんも八百屋さんもお魚屋さんも、みんな私を知ってくれてるからかサービスが凄いんです。父はいつもこれくらいサービスしろって怒ってました」
「はははっ。あの人たちはみんな子供に甘いからな」
「私はもう大人ですけど」
「あのおじさんたちが店番してるうちはきっといつまでたっても子ども扱いされるぞ。まぁさすがにサービスは珍しくハナが来た昨日だけだろうけどな」
「毎回サービスされても気を遣いますからもう結構なんですけどね」
「俺にはずっとサービスしてくれてたぞ。まぁ俺は買った商品を商売に使うわけじゃないし、わざわざ遠くから買い物に来てた子供だからだろうけど。って仕入れの話もいいけど、店での話は?」
「そうでした。店を改築してからは初めてお客さんの前に立ったんですけど、凄く平常心でいられたんです。緊張もしませんでしたし、お客さんとも普通に話せました」
「ん? 前はそうじゃなかったってことか? そういや手伝いをしてるってことしか聞いたことなかったな」
「前までは自分の仕事に自信が持ててなかったんだと思います。心に余裕がなかったと言いますか。お客さんに話しかけられても会話が頭に入ってきませんでしたし。でも昨日は、もっとどんどん注文してほしいと思えたんです。料理してる姿をお客さんにももっと見てほしいと思っちゃったくらいですよ。きっと自然に笑顔も出てたと思います」
「はははっ。確かに少し前までは無口で愛想がない子ってイメージだったな」
「……」
「半分冗談だから怒るなよ? でも両親にも安心してもらえただろ?」
「……はい。ありがとうございます」
「なんでそこでお礼なんだよ。で、そろそろ本題にいこうか」
「……はい」
4月からのことを決めたからここに来たんだろう。
実家の店で働くか、新しく店を持ちたいってところか?
実家の店の大きさくらいならハナ一人でも十分にやれるだろうから、二号店とか作るのも面白いんじゃないか?
それかトラさんの寿司屋で働きたいって線もあるのか?
あそこも仕入れルートが変わって今色々と忙しいし、ヤマさんも寿司職人の素質はハナが一番あるって言ってたから大歓迎されるぞ。
それともやはりサハに行きたいって言うのだろうか。
そんなに行きたいのなら冒険者たち専属の料理人として行ってもらっても構わないけどさ。
もしくはモモと同じく学校の先生になるって考えもあったりするのか?
……いや、それはないか。
「これからもここで働かせてください」
「え? ここで?」
これは少し予想外……。
「はい。ここで学べることはまだまだたくさんありますから。お店を持ってみたいという願望も公園の件である程度満たせましたし、ここにいればもっと面白いこともあるかもしれませんしね」
「……そうか。ウチとしては助かるけど、本当にいいのか?」
「今はここにいたいんです。実家の店以上に慣れてしまった厨房がありますし、料理をする環境としてここ以上のものは世界中探してもどこにもありませんから」
「……そうか。ならこれからも頼む。給料はアップな」
「ありがとうございます。それと私も宿屋に住ませてもらいたいんですけど」
「いいぞ。でも両親には話したのか?」
「はい。ここなら安心だって言ってくれてます。就職場所としても住む環境としても。それとたくさん就職の選択肢を頂けたことにも喜んでました」
「そっか。ハナが頑張ったからだな」
「……いえ。ロイスさんや従業員のみなさんのおかげです」
「うんうん。自分の力だけじゃなく、周りの協力あってのことだな。みんなへの感謝の気持ちを忘れるんじゃないぞ」
「はい。これからもよろしくお願いします」
いい子だ。
ハナにはなにも言う必要がないな。
……なぜかボネが尻尾で俺の背中をペチペチ叩いてくる。
お前も普段からもっと周りに感謝しろよとでも言いたいのだろうか……。
「ミャ?」
「ん? どうした?」
ボネの尻尾が突然ピーンと伸びた。
そしてボネは立ち上がった。
「ミャ~!」
するとボネは玄関のほうを向いて鳴いた。
「敵か?」
「えっ!?」
「冗談だって。外にはゲンさんもいるし。でもなんだろうな」
玄関の外でなにやら物音がしている。
カトレアか誰かが帰ってきたのだろうか。
だがその玄関から入ってくる誰かよりも先に、部屋の奥から何者かが走ってやってきた。
「ニャ~!」
「え? ……ダイフクか!?」
「ニャ~!」
ダイフクは俺の元へと勢いよく抱きついてこようとする。
……と思ったら、ソファのだいぶ手前でとまった。
ボネはすぐさまダイフクの元へと駆け寄る。
ん?
……こいつ、またデカくなってないか?
「ただいま~」
玄関から声が聞こえた。
なんだか懐かしさを感じる声だ。
そして声の主がリビングに入ってきた。
「あ、お兄、いたの。あれ? ハナちゃんも? あ、ボネ~。ただいま~」
「ミャ~」
「うんうん、ボネは小さくて可愛いね~。……ねぇ、おかえりくらいないの?」
「……おかえり」
「うん。ただいま」
ララが帰ってきた。




