第六百九十四話 覚醒少女サク
サクがゆっくりと目を開ける。
「「「!?」」」
俺もユウナもピピもすぐに異変に気付いた。
サクの左目の色がおかしい。
眼球の色と言うべきか。
右目の眼球は黒なのに対し、左目の眼球は…………何色と言えばいいのだろう。
赤?
緑?
茶色?
いや、やっぱり赤が強いか?
とにかく、複数色がまだらに入り混じってる。
しかもサクが左目を瞬きした次の瞬間にはさっきまでと微妙に模様が変わっているようにも見える。
白目の部分は普通なのに。
とにかく、ヤバい。
これ絶対良くない症状だろ……。
というか右目の眼球が元々黒だったのかなんてことも定かではないし。
とりあえずドラシーだ。
……と思ったら、ユウナが診察を始めた。
「サクちゃん、左目、見えてるのです?」
「……ちょっとぼやけてる。あと、少し気持ち悪い」
普通に喋ってるよ……。
そういやこんな声だった気がする。
目のことも気になるが、今のサクの精神状態のほうも気になる……。
「左目だけ閉じてみるのです」
「うん」
サクは左目を閉じた。
ユウナはサクの体に手を当て、回復魔法を使っているようだ。
「……マシになったかも」
「良かったのです。今朝倒れたときのこと、覚えてるのです?」
「……急にめまいと吐き気がしてきたことは覚えてる。でもそれからの記憶はない」
「なるほどなのです。ところで、私のこと、わかるのです?」
「当たり前だよ、ユウナちゃん」
「名前もわかるのですか。この黒猫ちゃんの名前もわかるのです?」
「うん。ボネちゃん」
「じゃあこの人は?」
「……ロイスさん」
「おぉ~。じゃあ自分ではしばらく言葉を話してなかった認識はあるのです?」
「……私は真っ暗な空間の中に閉じ込められてて、遠くのほうに見えてる映像をずっと眺めてた」
ん?
なにを言ってる?
「ふむふむなのです。つまりこの目の奥にサクちゃんはいたってことでいいのです?」
「あ、そんな感じかも」
「ほうほうなのです。ということは精神と肉体が別々になってた可能性が高いのです」
「あ、その表現ピッタリかも」
精神と肉体が別々だと?
死んでたわけではないんだよな……。
「ではズバリ聞くのです。サハにいたときの記憶はあるのです?」
おい?
「……うん」
え……。
それってつまり……。
「全部覚えてるのです? 今から約一か月前に精神がリセットされて生まれ変わったとかではないのです?」
「城でのユウナちゃんとの会話も覚えてる。でもたぶん、最後に私が全魔力を解き放ったときからプツリと記憶が途切れてるんだと思う。気付いたら……この場所にいた。いたというより、遠くにその木が見えてたって感じだけど」
一週間ここで寝続けてたもんな。
「じゃあそのときにはもう暗闇の中にいたのです?」
「うん。なにがなんだかわからなくてずっと泣き続けてた。でもなぜか本物の体は私の思い通りに動いてくれてたみたい。暗闇の中の私はずっと座ったままだったのに」
「みんなの声は聞こえてたのです?」
「全部が全部ではないけど、ユウナちゃんの声はしっかり聞こえてたよ。あとは……ロイスさんの声も」
俺?
やはり憎んでる相手の声は嫌でも聞こえてしまうものなのか……。
「あ、そうだ。ユウナちゃん。……助けてくれて、ありがとう」
「……無事で……良かったのです」
ユウナはベッドで横になってるサクの体に抱きつき、泣き始めた。
ユウナに助けられたことは知ってるようだ。
ということは自分がどれだけ危険な状態だったのかも知っているのだろう。
「ボネちゃんもありがとう。もう大丈夫だから」
「……ミャ~」
ボネがベッドから俺に飛び移ってきた。
ボネの仕事も終わったということか。
「ロイスさん」
「……なんだ?」
「ごめんなさい」
「……なにが?」
「色々と。迷惑かけたから」
「それならユウナとカトレアとマリンに言ってやれ。俺は別になにもしてないし」
「そんなことない。サハのことだってなにかしてくれたんでしょ?」
「……」
サクの前ではできるだけサハの話はしないように周知してきた。
だからサハの現状についてはなにも知らないはず。
「サクちゃん」
ユウナが泣きやんだようだ。
「サクちゃんがしたことは決して許されないことなのです」
「……うん」
「罪のない、たくさんの人々が死んだのです」
「……うん」
「死んだ人はもう二度と生き返らないのです」
「……」
「罪は償わないといけないのです」
「……償えるのかな?」
おいおい……。
償えとか簡単に言うなよ……。
「でもロイスさんが言葉巧みに揉み消したおかげで表向きは罪にはなってないのです。生き残ったサハの人たちも誰もサクちゃんの仕業だとは気付いてないのです」
揉み消したという言い方はどうなんだろうか……。
「サハで起きたあの爆発事件は魔王の仕業なのです」
「魔王?」
「魔瘴の侵食に合わせて魔王自ら攻撃もしてきたのです。国と町の中枢である城や女王を狙っての攻撃だったのです」
「……」
「それによってサクちゃん、いや、フリージア王女も死んだことになってるのです」
「……うん」
「つまり今のサクちゃんは生きてるはずのない人間なのです。みんなの頭の中にはもうフリージア王女はいないのです」
「……」
可哀想なこと言うなよ……。
「だからサクちゃんも忘れるのです」
「え?」
「自分がしたことを忘れるのです。これまで王女として生きてきたことも全部忘れるのです」
「え……」
「今のサクちゃんは新サクちゃんなのです。生まれ変わったのです。これからはサクちゃんのやりたいことを自由にしていいのです」
「でも……」
「別にサハに戻りたければ戻ってもいいのです。サクちゃんのお兄さんはサハに残って町の復興に動いてるのです」
「え? お兄様生きてるの?」
「魔物との防衛戦のときは南側で戦ってたらしいのです。南は西ほど被害が大きくなかったので無事だったみたいなのです」
「……良かったぁ」
心配してたのか?
まだ生きてたのか、とか思ってないよな?
「サクちゃんが生きてることはお兄さんにも話してないのです。でもお兄さんはロイスさんに、サクちゃんのことを色々と話してくれたのです」
「……お兄様からなにを聞いたの?」
「全部なのです」
「……そっか」
サクは知られたくないこともたくさんあったことだろう。
「お兄さんは爆発事件がサクちゃんの仕業だということにも気付いていたのです。なのでお兄さんはサクちゃんの代わりに自分を裁いてくれと言ってきたのです。そこをロイスさんが、全部魔王の仕業にしとけと言ったのです。まぁそれよりも早くロイスさんが町全体に魔王の攻撃だと言ってたこともあるのですけど」
「……うん。ありがとう」
ありがとう、か。
お兄様に私の罪を着せることにならなくて良かったってことだろうか。
本心ならいいんだけど。
「……ユウナちゃん、ちょっと待ってね」
ん?
サクが俺を見てくる。
「私のこと、なにか疑ってる?」
「……いや」
「まぁどっちでもいいけど。でも安心して。もうあんなことは絶対にしないから」
「……王子が生きてることについてはどう思ってる?」
「生きてて良かったと心から思ってるよ。お兄様は態度や言葉遣いこそ悪いけど、私のことはいつも味方してくれてたし」
「態度や言葉遣いが悪い? あれで?」
「うん。昔は悪かったの。昔というかほんの一月か二月くらい前までの話だけど、なぜか急に丸くなったの」
あ、女王の部屋で言ってたやつか。
モーリタ村で魔物にやられたおかげだな。
「聞きたいことはそれだけ?」
「……城ごと破壊するのが町にとって最善だと思ったのか?」
「……なにが最善かなんてわからないよそんなこと」
まぁそりゃそうだ……。
まだ十四歳の子供だしな。
「でも私は自分の人生が嫌になったの。というかずっと嫌だった」
「それ以上は言わなくていいのです」
「……うん」
「ロイスさんはもうあっち行ってなのです。今からサクちゃんの診察をするのです」
「……わかったよ。サク、体調が良くなって、もしサクがサハに帰りたいんなら好きにしていいからな。でも王子に会っても、魔力暴走のことやユウナに助けられたことはお前と王子の二人だけの秘密にしとけ」
「うん。……ロイスさん、ごめんね、ありがとう」
今度はごめんね、ありがとう、か。
俺がしてることは正しいことなのだろうか。




