第六百八十三話 謎の少女
役場の人たちへのランチ接待を終え、家のリビングに戻ってきた。
ソファに座り、食後のカフェラテを飲む。
「これはお寿司って言ってね、ご飯の上にウチで獲れた魔物の魚を乗せて手でこうやって握ってるの。ご飯は酢飯になっててね、お兄ちゃんも凄く好きな味なんだよ」
「……」
斜め向かいのソファに座る少女二人。
一人はマリンで、お寿司を食べている。
もう一人の少女はマリンの話を無言で聞いている。
「あ、お兄ちゃん、今日もあとで私の実験に付き合ってね」
実験に付き合うとは言っても俺はただマリンの傍で座ってるだけでいいらしい。
その間、俺は地下五階の構想を練ることができるから別になんの負担でもない。
ドラシーもいるからすぐに相談できるし。
「チュリ? (で、この子は誰なんですか?)」
「サハの王女様だよ」
「チュリ? (え……。なぜサハの王女様がここに? というかこの子、なにかおかしくないですか? それにボネはなんでこの子の傍にずっといるんですか?)」
そしてピピにサハでの出来事を説明する。
「……チュリ(つまりボネは保険としていっしょにいるんですね)」
「あぁ。封印の指輪は二つ装備させてるけど、いつ外されるかわからないしな。なんせ行動が読めない」
フリージア王女が目覚めたのは、魔力暴走を起こしてから一週間後のことだった。
その一週間は事情を知るユウナとエマとデルフィさんに物資階層のミニ大樹の傍で付きっきりで看病してもらった。
王女には封印魔法の指輪を装備させてあるのでエマはほぼ見ているだけだったが。
そして王女が目を覚ましたときには三人は歓喜の声をあげたそうだ。
すぐに俺も駆けつけた。
だが王女の顔は浮かない表情をしていた。
起きたばかりで頭がぼーっとしてるものだとみんなは思っていたのだが、何時間経ってもうんともすんとも言葉を発しようとしない。
それどころか寝た体勢のまま、ピクリとも動こうとしない。
表情も無表情で、ゆっくりと瞬きだけはするといった様子だった。
身体のほうは問題なさそうなので、デルフィさんには通常の生活に戻ってもらうことにした。
そしてスピカさんとドラシーに診察をしてもらった。
診断結果は……記憶障害。
もしくは記憶喪失。
自分が何者かもわかってない可能性があるということだ。
それどころか言葉すらわかってない可能性もあるという。
目覚めてから丸一日、王女が寝ることはなかった。
そのあとは丸一日寝た。
次に目が覚めたとき、王女はベッドの上で上半身を起こした。
そしてゆっくりではあるがキョロキョロと周りを見回し始めた。
だがユウナやエマがなにか言っても、ベッドからは降りようとはしない。
そこでユウナが気付く。
王女はお腹が減ってるんじゃないかと。
エマが食べ物を口まで持っていってみるものの、口は相変わらず開かない。
それなら飲み物ならどうだと、ストローをむりやり口の中に入れてみる。
するとようやく飲んでくれた。
そしてスピカさんはパラディン隊本部から医者を二人連れてきた。
二人とも回復魔法を使えるのに、医学の道を究めることを選んだという夫婦だ。
パラディン隊設立にあたり、スピカさんが王都から引っ張ってきてくれた人たちでもある。
なにやらウチの研究環境に惹かれて移住を決断してくれたらしいが、その話はとりあえず置いておこう。
二人に診断してもらった結果は、身体は至って健康で、脳にも異常はなし。
だから二人も、スピカさんやドラシーが言ったように記憶喪失だとの診断を下した。
だが少しばかり心の病があるかもと。
「おそらくだけど、王女は自分の記憶を消したかったんだと思う。同時に、感情も全部忘れちゃったんだよ。今も俺たちの話を理解できてるはずなんだけど、それに対してなんの感情も湧いてこないからリアクションを取る気にもならないんだ、きっと」
「チュリ? (それって悲しすぎません? ……あれ? でもちょっと待ってください。この子を匿ってることは問題にならないんですか? だってこの子……)」
おっと、それ以上は言わなくていいぞ?
過去のことなんて気にしなくていいじゃないか。
「俺やカトレアだけじゃなく、王女に関わった全員が責任を感じてる。もちろんマリンも。だから今は深くは考えずに、ただいっしょにここで生活してみることにした。王女が生きてることはサハの王子にもまだ話してない」
「チュリ! (そ、それがいいですね!)」
理解が早いな。
ピピは王女のことだけでなく、俺やマリンのことも考えてくれたんだろう。
「日中はこの部屋にいることが多いけど、夜はユウナの部屋で寝たいらしい。だからユウナと同部屋にした。寝る時間も起きる時間もユウナとほとんど同じだ」
「チュリ? (ユウナちゃんのことが好きなんですかね? そういう感情はあると?)」
「最後に優しくしてくれたのがユウナだったから覚えてるのかもな。でもユウナが言うには全く手はかからないらしいんだ。着替えもすぐに自分でできるようになったし、二階のトイレや風呂には一人でも入れる。全部の動作がゆっくりではあるけど。お腹が空いたら冷蔵魔道具から飲み物を取り出して飲むことだってできる。キャラメルキャメルのミルクがお気に入りなんだってさ」
「チュリ(へぇ~。時間が解決してくれるといいですね)」
「そうだな。家からなるべく出ないようにという言いつけもちゃんと守ってくれてるし」
「チュリ? (でもさっきダンジョン酒場に来てましたよね?)」
「う~ん。どうやら俺が家から出てる間は自分も外に行っていいと思ってるみたいなんだよ。普段は俺が隣の管理人室にいるせいでずっと見張られてると思ってるのかもしれない。まぁボネがいっしょにいてくれるからそこまで厳しくは制限してないつもりなんだけどさ」
「違う違う。お兄ちゃんのあとを付いていってるだけだって」
「え? 俺のあとを?」
「うん。だからいつもいっしょに家に戻ってこれてるんでしょ」
言われてみればそうかも……。
錬金術エリアやバックヤードに行っても、気付いたらそのへんにいるもんな。
「俺が見張られてるみたいだな」
「お兄ちゃん?」
あ、これは禁句だったか……。
嫌な記憶を思い出させてなければいいが……。
「サクちゃんはね、本当はもっと自由に歩き回りたいんだよ」
「チュリ? (サクちゃん?)」
「新しい名前だ。さすがにフリージアと呼ぶのはマズいからな。ユウナが城で見たという魔力の残像のピンク色した花びらが桜みたいに見えたことから取ってる。サクラじゃなくてサクな」
「私はサクラのほうがいいって言ったのに、お兄ちゃんとユウナちゃんはサクのほうが呼びやすいからって言って決まっちゃったんだよ? サクラのほうがいいよね?」
「チュリ~(私はどちらでも……)」
「ふ~ん、ピピちゃんもサクちゃん派なんだぁ~。まぁいいや。でね、たぶんサクちゃんはお兄ちゃんに迷惑をかけたくないんだと思う」
「俺に?」
「だからお兄ちゃんの目の届くところにいようとしてるんだよ。ボネちゃんの言葉がわかるのがお兄ちゃんだけってこともあるだろうけど」
そうだったのか。
見張られるために俺のあとを付いてきてたなんて。
サクはそんな暮らしを窮屈に感じてないのだろうか。
「チュリ? (この子、さっきからずっとボネのことしか見てないですけど、本当に私たちの会話が理解できてるんですか? 微動だにすらしませんよ?)」
もしかして今もずっと気を遣ってるんだろうか。
自分はなるべく空気でいようと思ってるのかもしれない。
「サク」
「チュリ(あ、ピクリと動きましたね)」
呼ぶと少し反応はするんだよな。
自分の名前を理解できてるという証拠でもある。
でも決して俺のほうを見てきたりはしない。
「ダンジョンの中ならどこ行ってもいいから。でもボネがいっしょにいることが条件な。それとフード付きのローブを着て、フードはちゃんとかぶること。トレーニングエリアにも行ってもいいけど、激しい運動は禁止。厨房とかでのつまみ食いもダメだぞ? あとは……」
「お兄ちゃん、そんなに行動制限されるとサクちゃんどこにも行けないよ」
「む? そうか。なら今日はマリンが案内してやれ」
「うん。サクちゃん、行く?」
「……」
あ、目だけで俺を見てきた。
とりあえず頷いておく。
するとボネがサクの膝の上から降りた。
そしてサクはゆっくりと立ち上がる。
ボネはそのサクの左肩に乗った。
いつもはサクの腕に抱えられるのに。
「重くない?」
「……」
「大丈夫? ならまずはバックヤード行こっか。ローブ貰いに行こ。好きな色選んでいいからね」
マリンとサクはゆっくりと歩き、転移魔法陣部屋に入っていった。
「チュリ? (サクちゃんのこと、従業員のみなさんにはなんて説明してるんですか?)」
「病気で治療が必要な子をしばらく預かってることにしてる。魔瘴のせいかもしれないからスピカさんが調べるって言って」
「チュリ(なるほど。でも生きてたんなら王子様には教えてあげてもいいんじゃないですか?)」
「そうしようかとも思ったんだけど、サクがやめてくれって言うんだよ。言葉を話したわけじゃないけど、強い目でじーっと見てくるんだ。身内に会うのがこわいのかもしれない。王子のことなんて覚えてないはずだけど、自分がサハでなにをしたかは俺たちの話を聞いててわかってるはずだからな」
「チュリ? (魔力暴走のことは言わないほうが良かったんじゃないですかね?)」
「なにか思い出すかもと思ってさ。それにもう二度とあんなことがないためにも指輪は外してほしくないし」
「チュリ(彼女の未来は前途多難そうですね)」
他人事っぽい言い方だな。
もしかするとずっとウチにいるかもしれないのに。
ユウナやマリンなんかは自分たちが世話してもいいって言ってるしな。
「チュリ? (それよりボネなんですが、まだ体調が戻ってないんですか?)」
「気付いたか。体力は戻りつつあると思うんだが、実はナミの火山から帰ってきて以来、一度も喋ってない」
「チュリ? (えっ? ……あれからもう一か月以上経ってません?)」
「だな。喋らないとは言っても、たまにミャ~って鳴き声は聞かせてくれるんだ。だから俺がわかる言葉では話さないって意味な」
「チュリ? (まさか話せなくなったのでしょうか?)」
「わからん。ドラシーは、猫は気まぐれだから放っておきなさいって言うんだけどさ」
「チュリ(体力と魔力を温存してるのでしょうか。火山で会ったという敵の人間がいつロイス君を襲ってくるかもわかりませんしね)」
「……かもな」
でももし本当に言葉を話せなくなってたらどうしようか。
……でも俺の言葉は理解できてるみたいだから問題ないか。
今も特に不自由はなさそうだし。
このままただの猫として……
「お兄ちゃん! 大変!」
突然マリンが大きな声を出しながらリビングに駆け込んできた。
「サクちゃんが! 早く来て!」
「なにがあった!?」
「いいから早く!」
嫌な予感しかしないが、マリンに付いて転移魔法陣部屋に急ぎで向かう。
そしてどこに転移する魔法陣かを確認しないまま転移した。
「こっちこっち!」
ここは……図書館か。
「早く!」
爆発したような形跡はないな。
……まさか個室で魔法の修行させるために指輪を外させたとかじゃないよな!?
だがマリンに案内されたのは、すぐ近くの本棚に囲まれた場所だった。
そしてそこにサクがいた。
まだローブは着ていないようだ。
サクは立ったまま、顔を少し下へ向け、両手に持ったタオルで顔を覆っている。
「頭が痛いって?」
「じゃなくて、泣いちゃったの」
「は?」
「それもちょっと涙が出たとかいうレベルじゃなくて、号泣。声も出てた」
「えっ? なにがあったんだよ?」
「なにもないってば。まずバックヤードに行ったんだけど、みんな忙しそうだったからローブは後回しにして、とりあえず図書館に来てみたの。それで私が前を歩いてたら、後ろからボネちゃんの声が聞こえてね、後ろを見たらサクちゃんが泣いてたの」
「……本がこわいとか?」
「そんなわけないでしょ……。たぶん本がたくさんあることに感動したんだと思う」
「感動?」
「サハには本がなかったとかじゃないかな?」
「そういうことか。別に本が好きじゃない人でもこの光景を見たら驚くしな」
「そうそう。サクちゃんが本を読んでみたかったとしたら、泣いちゃう気持ちもわかるかも」
……魔力暴走を起こす直前、ユウナに向かって大魔道士になりたかったって言った気持ちも本当だったのかもな。
だからと言って今の状態で魔力制御の修行をさせるのはさすがに危険そうだ。
「お兄ちゃんが普段から図書館行ってればサクちゃんももっと早く本の存在に気付けたのに」
「そんなこと言われてもなぁ~。なんにせよ、少し変化があって良かったじゃないか」
「うん。サクちゃん、ここにある本、全部読み放題だからね? でも夜は冒険者がたくさん来るから来ちゃダメだよ? 家に持って帰りたいときの借り方教えるね」
泣き顔だけじゃなく、笑顔が見れる日も来るといいけど。




