第百七十九話 さすらいの料理人
ヤマさんはすぐに荷物をまとめ始めた。
そして宿屋を出て、お世話になった人みんなに挨拶をしてから、ウェルダン馬車でマルセールまで送られていった。
……ってなるはずだったんだけど。
「なんでマグロン捌いてるんだ?」
「捌きたいって言ったんだもん」
「いや、そういうことじゃなくてさ……朝食を食べに来ただけのつもりだったんだが」
「いいじゃん。魚が好きなんだから嬉しいんでしょ」
「そもそもなんでアジジやサババがここにあること言ったんだ?」
「だってヤマさんはそれ目当てでダンジョンに入ったんだよ? 教えてあげないと可哀想じゃん」
「そうだけどさ……。あの場の空気ってものがあるだろ? いい感じで気持ちが高ぶってそのまま旅立とうとしてたのに」
「でも二日間……いや、もっとの間なにも食べてなかったんだよ? それなら好きな魚食べさせてあげたいもん」
確かに俺も朝食を食べていってもらおうか悩んだが、あんな勢いで荷物をまとめられたらとめるわけにはいかないだろ……。
「というかサウスモナの魚屋さんにあるのだってウチのダンジョンの魔物たちだよ?」
「えっ? そうなのか?」
「うん。マルセールの魚屋のおじさんが知り合いらしくて、毎週何匹か譲ってやってもいいか相談されたもん。最初のころに」
全く知らなかった……。
でもそれだとサウスモナの魚屋はなにも嘘を言ってないことになるな。
ヤマさんがウチと魔工ダンジョンを勘違いしただけとも取れる。
「でもなんで食べるんじゃなくて捌くほうなんだよ? 腹が減ってるんじゃないのか?」
「それはヤマさんが料理人だからじゃない?」
「えっ!? 料理人!?」
「たぶんだけど……。包丁持ってたからそうじゃないかなとは思ってたんだけどさ。修行がどうこうって話もそれならなんとなく納得できない?」
ダンジョン内で剣じゃなくて包丁を振り回してたんだもんな。
旅で野宿したりするときに使う用かと思ってたが。
「というか包丁持ちすぎじゃないか? あの長いのなんだよ……」
「プロは用途に応じていっぱい持ってるもんなの。さすがにマグロンサイズだとそれでも小さいみたいだけどね」
ヤマさんはマグロンと格闘している。
一人では厳しいだろうな。
「ヤマさん、解体はウチの者に任せましょう」
「……それがいいみたいだな。なんかまだ上手く力が入らないみたいだ。というかマグロンってこんなにデカかったっけ……」
そして物資エリアから解体専門のウサギたちを呼び寄せた。
まだ朝食バイキングの時間中だからか、冒険者たちも何事かと厨房周りのガラス越しに見に来たようだ。
おそらくマグロンを見るのが初めての冒険者ばかりなはずだ。
みんな大きさに驚いているがそのうちこれと戦うことになるんだぞ?
でもマグロンの解体ショーは盛り上がってるな。
いつも食べてる魚はこうやって捌かれてるんだ。
「……え……なにこのウサギたち……凄くない? 俺が複数いてもここまで速くは捌けないぞ……それにきれいだ」
「ウチは魚に限らず全ての魔物の解体をこのウサギたちが行いますから」
「え……どうなってるんだよここは……」
ヤマさんは疲れたのか椅子に座り込んでしまった。
ご飯を食べてないから力が出ないんだろう。
「ヤマさんは料理人なんですか?」
「まぁな。……なぁ、頼りっきりというか迷惑かけっぱなしというかでとにかく申し訳ないんだけどさ、やっぱりもうしばらくここにいさせてもらってもいいかな?」
「もちろんですよ。なんならしばらくウチで働きませんか? 給料もしっかりお支払いしますので」
「いいのか? なら給料はいらないから飯と宿は用意してもらえると助かる。この厨房でなら俺も少しは恩返しできそうだからな」
「ララ、どうする?」
「決まってるじゃん。却下で」
「え……なんでだよ……」
ヤマさんはまさかこのタイミングで断られるとは思ってなかったようだ。
そんなこと認められるわけないだろう。
ウチはブラックじゃないんだからな。
ヤマさんは勘違いしてそうだけど。
「だよな。ヤマさん、恩返しとかはどうでもいいですから、しっかり給料を受け取って働いていただけるのなら大歓迎します。ウチの従業員はみんな宿代や食費はタダですのでそこも気にしないでいいですよ。それにウチの料理人はみんな若いですからヤマさんみたいなベテランの方がいてくれると締まると思うんです」
「……俺がなに言っても聞いてくれなさそうだな、ははっ。じゃあ俺からお願いだ。俺をここで雇ってくれ。ベテランとまではいかないがそれなりに知識はあるつもりだ。とは言っても俺の料理とここの料理とは少し違うかもしれないんだよなぁ~」
「違うってどういう風にですか? 一度作ってみてくださいよ。ちょうどマグロンもあることですし、ほかになにか必要な物があればそこのオーウェンさんに言ってみてください」
「あぁ、じゃあ少しだけ待っててくれ! すぐできるから!」
ヤマさんから注文を受けたオーウェンさんは物資エリアに転移し、しばらくして戻ってきた。
そしてヤマさんはなにかを作り始めた。
「これって……」
「うん……間違いないよ……」
というか料理を始めてからヤマさんの表情が一変した。
この真剣な顔つき、まさしくプロだ。
「はいよ。完成だ。食べてみてくれ」
「「……いただきます」」
……ん!?
「美味い! この前食べた普通のマグロとは大違いだ!」
「うん! 美味しい! なんでだろ? マグロとマグロンだけの差じゃないよね?」
「俺はこの世界じゃまだ年齢は若いほうだが、腕だけは誰にも負けない自信はある。まぁ米も含めこれだけの素材があるんだから誰が作っても同じかもしれないけどな……」
「一応お聞きしますが、これって寿司ですよね?」
「え? あぁ、そうだ。そういやこの国ではパルドで何件か見たくらいでほかの町では見なかったな。寿司は俺がいた国が発祥と言われてるんだ」
これが本物の寿司なのか。
この間のカトレアが持ってきた寿司とは素材の差もあるだろうが、それだけじゃない気がする。
きっと本場のプロだからだな。
うん、そういうことにしておこう。
「ということはヤマさんは寿司職人ってやつですか?」
「あぁ。だから魚には目がないんだ。改めてお願いするが、俺をここで雇ってもらえるか?」
「もちろんですよ。ウチも海鮮料理を出し始めたのはつい最近なのであまりレパートリーがなかったんです。だからみんなに教えてやってください。あ、ヤマさんは寿司メインでお願いしますね」
「ありがとう。きっとここに来ることが俺の運命だったんだよ」
またそんな大袈裟な。
そんなこと言ってると逆にすぐに出て行ったりしそうだな。
そしてヤマさんも自分で作った寿司を食べ始めた。
「美味い! やっぱりマグロンは普通のマグロとは格が違うな! というか米も美味い! 見た目からしてただの米じゃないとは思ったが」
「全てウチのダンジョン産ですからね。荷物整理とかが落ち着いてからで構いませんので、ここで出したいメニューを全部作ってもらっていいですか? 一応俺と料理長であるララの審査を通過した料理しか出せない決まりになってるんです」
「わかった! ……ん? 料理長? ララちゃんが?」
「はい。詳しくはあとでお話しますが、まずはこのダンジョンについて覚えていただきたいことがたくさんあります」
そういやヤマさんもダンジョンのことが聞きたいって言ってたじゃないか。
それなのにすぐに出ていこうとするんだからさ。
「……まだまだ謎が多そうだな。ところでこの周りにいるみんなが冒険者なのか?」
「そうですよ。今日は日曜で通常のダンジョンが休みですからみんなゆっくりしてるんです。いつもならもうこの時間はほとんど人がいません。あ、寿司って朝も食べるものですか?」
「朝はあまり食べないな。主に昼と夜だ。昼はセット物にしたほうが注文しやすいかもしれないな。単品ばかりだと料金とかもややこしくなるし」
「……まぁそれもあとでまとめてお話しましょうか。ウチの厨房責任者もそろそろ起きるはずですしね。ヤマさんはまずこのダンジョンの環境に少しでも早く慣れてください。とりあえず朝食バイキングを食べてから大浴場でサッパリされるといいですよ」
「え? これバイキングなのか? どこに料理があるんだ? やたら会場が広いことは気になってたが……。それに大浴場だって? そういやなんでダンジョンに宿屋なんてあるんだっけ? というかまだ外に出てないがここどこなんだ……」
違う国から来たから地理感覚がなくて当然か。
今いるのが森の奥って知ったらもっと驚きそうだ。