9(5月3日・金)
五月三日の金曜日。ゴールデンウィークの博多はよく晴れて、あちこちで繰り広げられる博多どんたくという祭りのせいで自転車を走らせるのも大変だった。博多駅に近づくにつれて人波は溢れ、最後は百メートル手前の路上へ自転車を置いて歩かなければならなかった。
駅前まで歩くと右手の方にステージが見え、『第六回博多っ子音楽祭』という垂れ幕が張ってあった。人混みを避けて後ろへ陣取ると、一時前のステージでは慌ただしく入れ替えが行われていた。
その人混みの中に彼女とその母親が見える。俺はその影に隠れ、ステージを見つめていた。
博多にもこんなに人がいるのかと、中学生の頃によく足を向けていた渋谷の街を思い出す。スクランブル交差点をどれだけ人にぶつからずに歩けるか、そればかり考えていた時代だ。その人波に弾かれないよう、何度もそこを往復していた。父母のいない家から抜け出して、いったい自分に何ができるのか、そればかりを考えていた日々だ。
ステージでは変わった設営が終わった。ステージの上に置いたマットのようなものに、極端に低いマイク。そして司会は明るく、ヒュウガナユタのステージを告げる。
会場いっぱいの拍手のあと、どこの民族衣装なのかと思わせるマントを羽織り、ギターを抱えた女が現れると、会場は一気に静まり返る。彼女は無言でそこへ正座すると、挨拶も何もなしにギターを弾き始めた。
唄い出したのは、音楽に疎い俺でも場違いだと分かる重苦しい曲で、会場の誰もが無口にステージを見つめていた。そしてその余韻もない内に、次の曲へと移った。これが由美子の言ったヒュウガナユタなのだと思えば、猜疑心が持ち上がるのを止められなかった。
なるほど歌は素人離れした独特の声だ。上手いのだろう。しかしこれはきっとプロのステージではない。自己満足の歌だ。その証拠に会場は唖然としている。ステージに座り込むスタイルから何から、感情移入などできない歌ばかりだった。
続いて唄った『墓標』という曲で、ようやく観客が歌についていった感じはある。そしてあっという間にラストの曲になった。それが今までと違う曲に聞こえたのは何らかのマジックだったかも知れない。
『夕凪』と告げられて始まった曲は、どの曲より一般向けで、害のない、柔らかな歌だった。今までの自分を脱ぎ捨てたかのような曲だ。チラリと陰から見た由美子は母親に寄り添い、祈るような目で手のひらを胸で合わせて聴き入っていた。ただし、歌詞にはやはり重いものがあった。
――叶わぬものすべて 夢と呼ぶならば
――儚きこの命 すべて捧げよう
――儚きこの思い 君に捧げよう
結果的に彼女がギターを抱えて立ち上がると、満場の拍手が響いた。俺は観衆から抜け出して自転車置き場へと向かった。いつの間にか彼女の学校の友人も来ているようだ。ザワつく胸の奥の理由をヒュウガナユタにすり替えるのが嫌で、まだ耳に残るその声を振り切るように家へ帰った。
午後三時のリビングでは、母親がピザを齧りながらテレビを眺めていた」
「ああ、帰ったの。ピザあるわよ、食べなさい」
「置いといて。あとでレンジするから」
それだけ言うと冷蔵庫のコーラを手に部屋へ向かった。
ミュージシャン――。
テキストを開いて構えたものの、ヒュウガナユタの歌が耳から離れない。よくある歌謡曲と一線を画する彼女の歌声に、どこかで心をつかまれたことは確かだ。由美子には言えないが、俺は今日、音楽の底知れない力に怯んでいた。ラストに唄い上げた『夕凪』という曲。それが耳の奥で渦を巻く。彼女が惹かれているヒュウガナユタの、その意味が少し分かった気もした。ただ――。
(音楽なんて俺にはいらない)
そんな意固地な気持ちが俺をひとりに向かわせる。世の中のあらゆる物から目をそむけ、自分に都合のよい現実だけで生きている。その繋ぎ合わせは俺をどこに導くだろう。