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8(4月26日・金)

 三年になると授業のすべてが変わった。受験対策の開始だ。教科書そっちのけで補助教材をメインに授業は進む。席は彼女の前方になり、鉛筆の背で頭を掻く彼女の癖も見れなくなった。


 彼女と仲のよかった女子グループはBクラス、Cクラスと散り散りになったようで、そのせいか、休み時間に気軽に近づいてくる。普通そういう仲間は連れだって同じ成績だったりするのだが、彼女の場合は少し違った。五人中ひとりだけAクラスなのだ。


「あのね、五月のライブホントに行かん?」


 由美子が俺の席まで来て告げた。


「受験勉強ばっかりで、そんな時間ないよ」


「でもゴールデンウィークばい? 一日ぐらいよかたい。那由多さんも出るって」


 またヒュウガナユタか。ここ最近、彼女の話題はそればかりだ。


「どこでやるんだ」


「あのね、博多駅前のとこ。いっつも大きかステージでやりよらすけん。人いっぱいやけど、関口君背の高かけんちゃんと見えるよ」


 そういう心配はしていない。


「時間は?」


「那由多さんは一時から。けどね、イベントは十一時からで、杉内直己さんて人も唄わすとさ。その人の歌もよかけん」


 またひとり謎のミュージシャンが増えた。


「分かった。起きてたら行くよ」


「十時に家に来て。一緒に行こう。お母さんも行くけんね」


 それは行きにくい。


「いいよ、一人で行く」


 その生返事にも彼女は満足したらしく、


「じゃあ、帰りにね」


 そう言って席へ戻った。




 帰り道の郵便局前で、ふと彼女が呟く。


「やっぱクラス離れたらダメやねえ」


 多分二年のクラスメイトのことだろう。俺は自転車を押しつつ、


「普通そんなもんだろ。俺なんか自由で助かってるくらいだ」


 実際、二年から一緒の同級生もいたが、挨拶もしないクラスメイトばかりだ。前の学校のようにあからさまな嫌がらせがないだけ、この学校は平和だ。


 先の発言に彼女が食いついてくる。


「自由ねえ。ウチら今、いちばん自由な時期よ。まだ大学のことだけ考えとけばいいし、家賃も光熱費も食費も気にせんでよかもん」


 彼女は時折そういう顔を見せる。高校生という枠組みの中で甘んじていればいいのに、その先を見据えるのだ。


「そういうのは大学入ってからじっくり考えればいいんだよ」


 俺は自分の抱える気持ちをごまかす。この先、自分がどんな人間になるか、まだまだそんなことは考えたくもなかった。目の前の受験こそが大事なのだ。それなくして未来は語れない。


 午後四時半のアパートへ着くと彼女の母はいなかった。午前四時近くまで営業しているという彼女の母。その仕込みが午後三時からだと聞けば、不憫な気持ちになる。十二時間どころじゃない労働の意味は娘を育てることだけで、それを由美子はどう思っているのだろう。ヒュウガナユタのライブなど見に行っている暇などないのではないのか。


 しかし彼女の場合、母親とは上手くやっている。週末の店の手伝いに娘を呼ぶような母親だ。その辺りはオープンというかこだわっていないのだろう。そういうところが羨ましいのだ。


 彼女の淹れた紅茶を飲みながら、今日も時は過ぎてゆく。


「関口君さ、もう大学決めとると?」


 次のCDを入れ替えながら、不意打ちで彼女がこぼす。


「とりあえず国立の……九大か教育大学かな。教員免許も取っておきたいから」


 俺はなぜか転がっていた長崎への旅行雑誌を何となくめくっていて、それだけ答えた。


「先生になると?」


「そうじゃない。就職にも少し有利で」


「そっかあ。ウチ、放送系の大学ってこっちになかけん県外かなあ」

「そういうのはとりあえず文系の学校に行って、専門の学校に行くもんだろう。担任に相談してみればいいじゃないか」


 彼女は入れ替えたCDの再生スイッチを押す。考え得る限り俺にはうるさい類の音楽が流れ始める。


「尾崎豊。前にね、店に来とらした仲井間さんて人がよく唄うてくれんしゃったと。今はね、杉内さんて方が唄うてくれるよ」


「なあ田口」


 騒々しい歌の合間を縫って、語りかける。


「あ、お茶いる? すぐ入れるけん」


 そうじゃない、と言いかけて、もう言うべき言葉を失くしていた。俺は今、何を口にしたかったのだろう。


 熱いお茶が入って、またふたりでそれを挟んだ。彼女との沈黙は気にならない。


 が、ひと口紅茶を啜ったあとに、脈絡もなく彼女が話し始めた。


「子供ってさあ、大人の真似で生きとるだけやろ? 私もね、時々大人の真似すると」


 そう言うとテーブルの下に転がっていた煙草の箱を取り、一本を抜いて口にくわえた。どちらかといえば幼げで可愛らしい彼女には向いていない光景だ。無性に胸が絞めつけられた。


「やめろよ。田口には……似合わないから」


「何で? 関口君だってお酒飲みよるやろ? 私、分かっとるよ。朝からお酒臭い時あるもん。何年もね、お母さんとこで手伝っとったらそういうと分かると」


 火をつけないくわえ煙草で笑う彼女に二の句は継げなかった。だから無言でその煙草を口から抜き取り、テーブルにあったライターで火をつけた。


「あー、自分ばっかり」


 頬杖をついて笑う彼女の頭の上へ煙を吐き出し、湿ったフィルターに心を乱していた。ラジカセから、オザキユタカが流れていた。


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