7(4月19日・金)
三年生の卒業式が終わり、春休みが過ぎ、新学期が始まった。驚くべきことに由美子は俺と同じAクラスだった。特別進学クラスだ。
「やったね、また一緒」
無邪気に笑う彼女に何も言えなかった。ただ、どこかでホッとした気分は自分の中でごまかせなかった。どれだけ席が離れていようと、またあの、遅刻ギリギリで教室へ入ってくる彼女が見られるという事実は俺を安心させてくれた。
「ほら、特別選抜入試? 私って放送部で賞ももらっとるけん、そっち狙いでAクラスに入れたごたるよ。顧問の話やけん間違いなかって思うけど」
帰り道の細い小路で、ほぼ散ってしまった桜の最後の花びらを受けながら楽しそうに彼女が言った。俺は自転車を押しながら、
「じゃあ、メディア系の大学とか目指すのか」
「できればね。でも、専門の大学じゃなくても情報科はあるけん。秋までに決めようかなって」
何も考えていなさそうで結構考えているのだな、と彼女を初めて見直した。それに比べれば学力に任せて大学を決めようと思っている俺はまるで子供に思えた。
「あー、なんか面白かことなかかなあ」
俺に言わせれば彼女がAクラスに入ったこと自体が面白いのだ。けれど、続いた彼女の言葉は、
「あのね、五月に日向那由多さんのイベントのあると。一緒に行かん?」
また例のヒュウガナユタの話だった。
「俺、音楽とかあんまり聴かないから」
けれど彼女は食い下がる。
「ホントによか歌やけん! 恥ずかしかったら私と離れとってよかけん! 一緒に行こう!」
あまり見せることのない彼女の迫力に圧倒され、その時は曖昧に頷くだけだった。その歌がやがて十七歳の俺の人生を左右するとも思わず。
「じゃあまたあとでね」
手を振り去ってゆく彼女に小さく頷き、俺は家に帰る。この頃になると放課後は彼女の家で時間を潰すのが当たり前になっていた。人の好い彼女の母親の懐に甘え、世話になっていたのだ。思いたくはなかったが、自分の母親がこの人のようであったらどれだけ幸せだったろうと思った。俺の母はいい歳をして、いまだに自分の女を売って商売をしている。それに比べ、母親、というその在り方を、由美子の母はありのまままに見せつけてくれるのだった。俺がずっと信じられずにいた柔らかな温もりというものを、ここそこに散りばめながら笑顔を見せてくれていた。そこには娘への限りない信頼が見て取れた。
言えない言葉は今も俺の心の中で渦を巻いている。彼女にとって大事な何かがあるとして、その中に俺が含まれているのかという重大事項だ。俺は彼女にとって何なのだろう。その問いかけは膨らみこそすれ、消えることはなかった。
そもそも、俺という人間は空っぽだ。いつも満たしてくれそうな何かを求めては這いずり回っている気がする。あり得ない空想と身勝手な妄想で日々を終える。ガランとした部屋でなるべく母が帰る前に眠りに就き、毎日、その生活自体をなかったことにするために目を閉じるのだ。幸せというものを求める気持ちはいつからか消え去り、その種を潰しては毎日を過ごした。
そんな生活の中に、初めて暖かな希望に見えるものに出会ったのだ。俺はそれを失わずにいられるだろうか。そう考え始めると、いつも彼女との距離を測るのに躍起になっている自分がいた。近づき過ぎて失うのが怖かった。せめてあと一年、今のぬるま湯が続いてくれるように祈るばかりだった。