35(9月21日・土)
「あー、明日も明後日もライブー。どうしよどうしよ」
「どうしようって、行けばいいだろ」
彼女の母と入れ替わりで部屋におじゃました。つくづく信頼されているのだなと、昨日のキスを思い出しながらなぜか詫びたい気持ちになる。
「やっぱり制服で行った方が目立つかなって」
「目立ってどうするんだよ」
「那由多さんから見えるごとさ。何ば唄うかなあ。全部唄うてくれるかな。新曲とかあったりして」
「それより月末試験だぞ。もう一回、一学期のおさらいから始めよう」
「何か関口君とおったら勉強ばっかりになる」
「学生の本分だろ。文句言わずに数学から」
「はあい」
しばらく練習問題を解いていると、彼女が唸り出す。
「普通の二次式だろ。それはbマイナスaをマイナス(aマイナスb)に置き換えて公式を立てるんだ」
「んん……ほお……ああ、解けた」
覚えは悪くないのだが忘れるのも早いのが彼女だ。なので試験前はほぼ徹夜で登校して、そこそこの点は取れている。奇跡的、と言っていいかも知れない。
「大学も関口君と一緒だったら楽そうだなあ」
公式を解きながら、失礼なひと言が飛び出した。こっちは先日のキスからどう接していいか距離を測りあぐねているのにだ。果たして「友人のキス」などというものが存在するのか、自分で吐いた台詞に疑問を持っていた。
「じゃあ、次終わったら休憩にしよう」
「よし! 休憩前のラスト問題は……余弦定理はね、意外と得意っちゃん。えーと」
が、数十秒後に「あれ?」と聞こえる。
覗いてみると、
「正弦の値と混同してるって。そこは2分のルート3だろ」
「ああ、そうか」
このケアレスミスで今まで何点を不意にしてきたのだろう。
「終わった! じゃあお茶淹れてくるね」
途端に生き生きとした表情で彼女はお湯を沸かす。その頭の中には明日のライブのことしかないと俺は知っている。そこまで音楽が好きなら自分でも何か楽器をやればいいのにと言うと、彼女はひと言、
――「楽器、高いもん」
そう答えた。自分の暮らしを理解して、そう答えたのだ。こういう時、無性に神様が憎らしくなる。彼女を不幸だと言い切ることはできないが、少しくらいの夢を見させてあげてもいいのではと思うのだ。
「はい、今日もシナモンつきね」
雑貨屋で見かけて買ったのだというシナモンスティック一本ですらありがたく、月の小遣い四千円という彼女に頭を下げたくなった。もちろん、その小遣いからCDも買っているのだ。
「だって、普通にしとったら使うことないもん」
「それでもCD一枚買うだけで残り千円だぜ」
「それはそれ。女の子とつるまんかったらね、お金っていらんと。皆ハンバーガーとかクレープとか、そげんお金ようあるねっていうくらい買い食いするけんさ」
だからといって彼女が女子とつるまない訳はそこにないはずなのだ。俺なんかにかまったのが運の尽きで、女子どころか男子からも敬遠されている。
「関口君さ、大学離れても友達でおってくれる?」
彼女の言葉はいつも突然だ。俺はティーカップを置くと、うつむきがちに答えた。
「田口がそれでいいなら……」




