33(9月16日・月)
ロック色と切なさの入り混じった二枚目に対して、三枚目の『壊れた扉から』はそれがさらに増した感じで、歌詞カードなしに聴けなかった。もちろん尾崎の話だ。疾走感のある一曲目の『路上のルール』と、あきらめてしまわないでと何度も繰り返す二曲目の『失くした1/2』は比較的聴きやすかった。が、その先に待ち構えていたのは重く尖った歌詞の続くラブバラードと絶叫するようなロックの尾崎だった。
「はい、ダビング終わり」
カセットテープのラベルに曲名を書いていた由美子が言った。
「ああ、ありがとう」
「ううん。これで私も聴けるけんね。ありがたかとさ。ちなみに私は『I LOVE YOU』が好きかな。お店で杉内さんも唄いよらした」
その杉内さんに先日会って来たのだと、言いそびれていた。
シナモンのスティックで混ぜた甘い紅茶を飲んでいると、
「今度、三者面談やろ? 面倒臭かあ」
また尾崎をかけ直しながら由美子が言った。どうせ福岡大学くらいしかなかし。
「私立だろ。その、金の面とか大変じゃないのか」
母ひとりで稼いでいる家庭なのだ。
「それも含めての奨学金さ。一芸入試? のとこもあるけん、放送部の大会も重要って言えば重要とさねえ。お母さんが言うにはお父さんの亡くなった時の保険金は手ばつけずに残しとるけんって言うけど、それはお母さんが店も出来んごとなった時のために置いておきたかしさあ」
なるほど。彼女なりに考えているのは考えているのだ。俺は父の言葉を反芻する。俺にとって守るべきものは何だろう。この緩やかで柔らかな時間以外に守りたいものがあるだろうか。
しかし何より今は勉強だ。
「じゃあ今からは英語の構文だ。一年からいくぞ」
彼女がつまらなさそうに天井を見上げる。
「はあい」
午後九時になりひと段落して、彼女がクッションに背中をつけた。その胸のふくらみから目をそらし、
「俺、杉内さんに会ったんだ」
するとムクリと起き上がった彼女が、
「ホント? ストリートで?」
「うん。すごかったよ。尾崎と同じくらいショックを受けた。ああいう世界っていうのもあるんだなって。夜の街なんて大嫌いだったけど、あの人の歌は純粋な気がした」
「私はお店で聴くだけやったけど、お客さん皆に合わせてね、何でも唄いよらすよ。ラジオの通りさ。あなたの心のスナフキン」
俺はポケットのセブンスターを出して火を探った。すると由美子が床からライターを拾い上げて火を灯す。
「吸い過ぎ注意やけんね」
しかしその顔は笑っている。
「尾崎を聴いてると、世間のすべてに反抗したくなる。自分の中にあった曖昧な不満や怒りが確固たる言葉になって形作られるんだ。学校にも、母親にも、そして世の中のすべてに反抗したくなる。けれど、それだけが彼の歌のすべてじゃないって、やっぱり思った。歌は優しくなけりゃいけない。人を傷つけてはいけない。そういうことをね、杉内さんは歌で教えてくれた」
ウンウンと頷いた彼女は、しかし脈絡もなく言った。
「キスしようか」
何を、と思ったが、息を飲んでしまった。
「私たちさ、つき合ってる訳じゃなかけど、これは友情の証。ダメ?」
彼女はテーブルの角で薄ら微笑みながら目を開けて待っている。俺はその前髪を静かに払い避けて、
「じゃあ、友達のキスだ」
目を閉じた彼女にそっと近づき、微かに触れ合うだけの口づけをした。
「へへっ。煙草の味のした。私のファーストキス」
照れもせずに笑う彼女を、心の底から守りたいと思った。ようやく俺の心に、大事なものが生まれた気がした。




