3(3月4日・月)
とっくの昔に教室を出たと思っていた由美子が待ち構えていたように靴箱の前で立っていた。授業は試験の都合で二時過ぎに終わっていた。そんな試験の手応えが芳しかったのか、その顔は笑みで溢れていた。
校門を過ぎるまではなるべく距離を取って歩き、右へ折れた郵便局の辺りで俺と彼女は合流する。いつからかそう言う決まりになっていた。その頃になると彼女は学校で話しかけることもなくなっていた。それは恐ろしいほど徹底していた。
そんなルールから解き放たれたのか、自転車を押して歩く俺に、
「あー、試験ダメやったかも」
それでもなぜか嬉しそうに口を開いた。
「試験勉強って名前の睡眠時間だったからな」
「だってね、なんかライブの余韻? 大音響から抜けてボーッとなってさあ」
ライブ、か。興味のない世界だ。
「つーか、今から行って、お母さんまだいるんじゃないのか」
彼女は平気な顔で答える。
「おったらおったでよかよ。どうせすぐ仕込みに行くとやけん」
そうして那珂川を渡ると彼女のアパートに着いた。
自転車を止めて意味もなく髪を整えて階段を上がると、果たして彼女の家に母親はいた。
「ただいまー。関口君連れて来たけん。何かなかー?」
するとキッチンで大きなタッパにフタをしていた彼女の母が、
「何かちゅうても高菜漬けしかなかばい。ああ、何か横溝さんから出張の頂きもんのあったけん、開けてみらんね」
そして今気がついたという顔で、
「あらこんにちは、由美子が世話になっとります」
瞬間、自分の母親と素早く比較していた。ふくよかな身体つきで背は低く、顔に刻んだ笑いじわが印象的な、同じ水商売の人間と思えないほど優しげな雰囲気だった。田舎の農家のオバちゃんといった風情だ。
「そしたら私ゃ行くけん、ゆっくりしていってください。由美子、あんたは十時から手伝いに入んなさいね」
彼女の母は大きな風呂敷包みを抱えて玄関先ですれ違う。挨拶し損ねた俺はうつむきながら、どうも、とひと言発するのが精いっぱいだった。
それから由美子はお湯を沸かし、いつものように紅茶を淹れる。うなぎパイ、というものを始めて食べたが、どの辺がうなぎなのか分からなかった。
「でね、でね、すごかったとって」
家に戻ると彼女は饒舌になる。昨日見てきたライブの歌手が母親の店に来てくれたらしい。もらったサインを満面の笑みで自慢してみせた。こういう時は何か訊ねるべきだろうと思い、
「何て人なんだ?」
すると、
「あのね、日向那由多さんていうと。私より小っちゃかとに、すごい声で、もうね、バリ歌のうまかっちゃん」
「ヒュウガ……ナユタ……」
興奮気味で話す彼女のテンションにはついていけなかった。俺はこれといった趣味もなく、目立たず特技もない男なのだ。だから最大の疑問は、なぜ彼女が俺に興味を持ったのかだった。
彼女の話すヒュウガナユタの顔を勝手に想像しつつ、紅茶は冷めていった。