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2(回想)

2(回想)




編入先のその高校で、その子だけが俺の標準語を笑わずにいてくれた。たったそれだけのきっかけだったかも知れない。


――「関口君、何か困ったことなか?」


 編入初日から困ることといえば教科書が揃っていないことと授業の進み具合だ。あとは弁当の用意がないことだった。この学校の購買システムを俺はまだ知らない。それを誰かに訊くのも気が退けていた。


――「購買部の場所、教えて欲しいんだけど」


 すると彼女はすぐさま俺の手を取り、廊下へ向かって走り出した。中休みのことだった。


 それから彼女は何かにつけ俺の机へやってきて、あれやこれやと世話を焼いてくれた。半分はありがた迷惑だったが、断る術を持たなかった。俺はいつも流されるままなのだ。両親の離婚にも、母の引っ越しという気まぐれにも、十七歳の子供には頷く他なかった。


 言い出せば不満はいくつもあった。食事が毎回五百円硬貨一枚なのも、深夜に酔って帰っては客の愚痴をでかい独り言で繰り返すことも。そして、俺に無関心なことも。


 無関心ならそれはそれでよかった。なのに、時に思い出したように試験の結果だけ訊ねてきたり、友人関係をしつこく訊いてくるのだ。こちらに転校してきてもやはり友人はできない。そう答えると、


 ――「悪い子と親しくならないのよ」


 笑えるひと言が待っているのだ。自分の人生を振り返ってから言って欲しかった。


 話は田口由美子に戻る。


 彼女はクラスでも比較的幅を利かせているグループの一員で、害のない女の子だった。だからこそ、教

室移動や掃除当番とことあるごと俺へ接近する彼女に、


 ――「俺と親しくなんない方がいいぜ」


 そう言うものの、


 ――「へえ。映画の台詞のごたる。ねえねえ、もう一回言うて」


 会話にならなかった。


 それでもだ。それでも俺は「家へ来い」という彼女の誘いを断れなかった。いや、断らなかった。青い性欲を持て余している男子高校生に迂闊に近寄るとどうなるか教えてみたかったのだ。


 しかし、それをジャマしたのがやはり彼女の天真爛漫さだった。それは不慣れな温もりを伴い、俺の心へやけに素直に染み込んでくるのだ。彼女が笑えば襲ってくるのは気恥ずかしさで、俺は狭いアパートの一室で縮こまったまま紅茶を飲んだ。ただそれだけの始まりだった。一度で終えるつもりが、それはしだいに回を増し、今では平日にはほぼ一緒に帰っている。


 彼女の母親が夜の中州で働いているということは本人の口からすぐに知った。クラスメイトもそれは分かっていたが何ら特別な扱いもせず、けっして母のことを口にできない俺からすれば羨ましいほどだった。片親で、その親が水商売。東京ではそれだけの理由で弾かれていた。無口になっていったのはそのせいだ。


 しかし不思議なもので、彼女の家に向かうのは慣れてしまうとそのうち当然のことになった。学校では話せない一週間分の思いを、ありったけ彼女へぶつけた。彼女はそれを静かに聞き終え、そして最後に言うのだった。


 ――「関口君、今日も夜までおってくれる?」


 俺は鼻の頭を掻きながら、目をそらすだけだ。二人きりの時間は静かに過ぎ、彼女は目が合うと笑った。時々好きなミュージシャンのCDをかけては名も知らぬその歌を懇切丁寧に説明してくれた。


 それがまだ半年前だということが不思議でならなかった。彼女とはもっと長く一緒に過ごしていたように思う。それほど彼女の存在が自然になっていた。


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