10(5月7日・火)
「えー! 来とったとなら言うてよ!」
ゴールデンウィークの明けた教室で、彼女は声を上げた。
「せっかく二年の時の友だちも来とったとに」
それは避けたいシチュエーションだった。
「その話は帰りにするから。もうホームルーム始まるぜ」
言っているそばから教室のドアが開き、担任が入ってきた。そそくさと席へ戻る彼女に担任からかけられる声はない。三年に入ってからはすべてそうだ。生活態度のあれこれに教師が何も言わなくなった。落ちるヤツは勝手に落ちて行けという態度がありありと見える。授業中は黒板に並んでゆくチョークの音と、神経質な鉛筆とシャーペンの音ばかり響き、教師のつまらない冗談もなくなった。これが俺の望む毎日だ。そう思った。高校生らしい生活だと。
昼休みになると、彼女は俺の机まで弁当を持ってきた。
「いつもパンたいね」
「席、戻れよ。また妙な目で見られるぞ」
「よかたい別に。ねー杉崎君、椅子借りてよかあ?」
そう言っては前の椅子を反対に向けた。そして開いた弁当からシューマイを口に放っては言うのだ。
「お弁当、作ってきてやろうか? ひとりもふたりも一緒やけん」
俺はパンをコーヒー牛乳で流し込み、
「いいよ、そういうのは。変な噂が終らなくなる」
「変な噂って?」
「俺と……田口がつき合ってるって噂だ」
「へえ。別によかとじゃ?」
いいのかよ、と心で突っ込んでおいて、
「食ったら戻れよ。どうせ放課後に会うんだから」
最後の方は小声で呟いた。そうなのだ、どうせ会うのだ。靴箱の前でニコニコと待っている彼女を、俺は拒めない。
「でね、聞いて聞いて!」
アパートに着くなり彼女が机の引き出しから取り出したのは、一本のカセットテープだった。
「何だよそれ」
「聞く? 聞く? あのね、那由多さんのデモテープ!」
「デモ……テープ?」
「うん。デモンストレーション・テープ。CDになる前に録音する非売品な訳さ。そればね、もろうたと!」
言うが早いかラジカセに入れると、再生を始めた。彼女はいそいそとキッチンへ行ってお湯を沸かす。流れてくるのは確かに、先日聴いたばかりのヒュウガナユタの歌声だ。
「一曲目はね、『夕凪』こないだも聴いたろ?」
ティーポットにお湯を注ぎながら彼女が言う。覚えている、というかこれしか覚えていない。ステージで最後に唄った歌だ。
ティーポットとカップをちゃぶ台へ運び、彼女はひたすら嬉しそうな顔でお茶を淹れている。
「だってね、私しか持っとらんとやもん」
それはファンには堪らないプレゼントだろう。
それからティーカップを持ってふたりで黙ってテープを聴いた。ラジカセ越しでも聴いている人間の胸の奥底を揺らすその歌に、いつしか心を許していた。とても流し聴きできる歌ではなかった。いわば一対一の闘いでもあった。
テープが終わると思わずため息をつき、温くなった紅茶を飲み干した。
「いやあ、やっぱよかあ。もう十回は聴いたけど全然、飽きんとさ。関口君、どの歌がよかった?」
どの歌と言われても覚えてはいない。が、
「一曲目の歌かな」
「ほら『夕凪』! これね、那由多さんが初めて作らした歌って。すごかよね」
初めて……それにしては完成度が高い気がした。流行歌の中に紛れていても遜色はない感じだ。プロというのは何でも素質からスタートするものなのだろう。
「でね、今度CD作るとって。有名になったらよかなあ」
「でも有名になったら田口のお母さんの店にも簡単には来れなくなるだろ」
「そうよねえ……でも私、応援するけん」
そしてテープの巻き戻しが終わり、一から始めていちいち彼女の説明と感想が続いた。
それはそれとして、俺は彼女の成績が気になる。Aクラスで落ちこぼれるとあっという間に置き去りにされるのだ。ついて来れないものは置いてゆく。それがAクラスの絶対条件だった。芸能人に浮かれている場合じゃないのだから。




