失ったもの
酔っ……た。
座敷の大きな窓から中庭に下りると、片隅にぽつんと祠が建っていた。
吐き気がする程に頭が痛くなる。
禍々しい気配はイヤと言うほど感じるが、姿が見えない。
「チッ、あのクソガキ、いじりおったな」
ひいばあちゃんはまるでわきの下で激しくこすった下敷きを頭上にかざしたように、怒りで髪の毛を逆立てながら、祠の周りを調べ始めた。
「あった。これじゃ、邦夫」
ひいばあちゃんの指し示した祠の裏に隠されたボタンを、喉の奥からこみ上げてくるすっぱい液体を飲み下しながら押してみた。
ゴゴゴゴゴ、という音と共に、地面の一部が削り取られ、地下へと続く階段が現れる。
「かっけえ! 秘密基地じゃん!」
だがしかし、地面にぽっかりと空いた穴から出てきたのは、ロボではなく、瘴気だった。
たまらずその場に膝をつき、吐き戻してしまう。
胃が空になって、胃液の苦味が口に残る。
涙と鼻水と涎を拭うこともできず、立ち上がろうとしてバランスを崩し、そのまま自分の嘔吐物に顔から突っ込んだ。
黒い闇が視界を端から染めていく。
あぁ、ダメだ。このまま気を失ってしまうんだな、と思ったところで、ひいばあちゃんの檄が飛ぶ。
「邦夫、しっかりせんか! 祝詞でもお経でもなんでもいいから唱えて精神統一するのじゃ」
遠くから聞こえるようなその声に、意識を集中して、思い浮かんだ呪文を口にする。
「エロイムエッサイム我は求め訴えたり」
「悪魔召還してどうすんじゃ!」
ひいばあちゃんが袂からハリセンを取り出し、スパコーンと的確なツッコミを入れる。
ハッと我に返り、祝詞を唱え直す。
ほんの少しだけ楽になり、なんとか立ち上がる事ができた。
よろよろと、壁に寄りかかりながら階段を下りる。
「なんじゃ、そのザマは。邦夫、おぬし、わしが死んでから修行を怠ったな? 使い物にならんわ。今回はわしがやる。よく見ておけ」
ひいばあちゃんは袂からヘアピンを取り出し、階段突き当りの引き戸の鍵を器用に開けた。
「ピ、ピッキング? そんな修行も必要なの?」
僕の問いを無視して、ひいばあちゃんはゆっくりと引き戸を開ける。
人形の小さな体で、こんな大きな戸を開けるなんて、どれだけの力が必要なのだろう。
そんな事を想って見ていると、完全に開け放たれた扉の中、何かと目が合った。
地下室いっぱいに、ぎゅうぎゅうに詰まった大きな龍がいた。
「ふん、寝ておるわ。封印が完全に解けてはおらぬようじゃ」
ひいばあちゃんは祝詞を唱え精神統一した後、印を結び、封じ込めの呪文を唱え始める。
「海より来たりし者、山より来たりし者、空より来たりし者よ。巡り廻りて地の門を開けよ」
地下室に爽やかな風が吹き込み、瘴気が霧散する。
体が軽くなり、呼吸が楽になった。
かすかに潮の香りと新緑の香りがする。
ひいばあちゃんの呼びかけに応じて、海から、山から、空から、目に見えない大きな力がここに集まったのだ。
ドンッ、と地響きが起こり、地下室のコンクリートの床が抜ける。
「まがつ神よ、荒ぶる御霊を鎮めたまえ。そなたが住まうは地の底なり。地の底の奥深く、地獄の底のそのまた底。二度と現世に交わらぬ、底の底まで帰るがよい」
歌うように唱え続ける。
ドドンッ、とひときわ大きな地響きが起こり、龍は地中に飲み込まれていった。
「封!」
空気が震え、壁際に置かれていたいくつもの金庫が、むき出しの地面に倒れ込む。
「あとはここに米と小豆を撒いて、祝詞を唱えるのじゃ。わしはもう力を使い果たしてしもうた。邦夫、あとは任せ・・・・・・」
コトリ、と、日本人形が倒れて転がった。
「ひい・・・・・・ばあ、ちゃん?」
人形を手に取り、ぽんぽんと叩いてみる。
何の反応も無い。
手の中にあるのは、ただの日本人形だ。
「そんな・・・・・・せっかく、また会えたのに・・・・・・」
頬を涙が伝う。
「まだ、教えてもらいたい事、いっぱいあったのに・・・・・・」
人形を抱きしめ、子供のように大声を出して泣き喚く。
「ひいばあぢゃん、えぐっ、ひい、ばあ、ぢゃん、うあああぁー」
ひとしきり泣いた後、ボーっとした頭で荷物を漁り、米と小豆を取り出し、地面に撒く。
地下室の真ん中に座り、しゃくりあげながらも何とか祝詞をあげ終えると、ふわり、と、後ろから抱きしめられた。
「邦夫様、ご立派でしたわ」
コンちゃんの手が、優しく優しく頭を撫でる。
身体に回されたコンちゃんの手を握りしめ、また子供のように泣いてしまった。
「コンちゃん、僕、ダメだった。ダメだったよ。ひいばあちゃんが、ひいばあちゃんが」
僕が泣き止むまで、コンちゃんはずっと優しく頭を撫で続けてくれた。
「コンちゃん、ごめん、僕・・・・・・」
泣き止んでから振り返ると、コンちゃんも涙を流していた。
「邦夫様、お辛いのでしたら、いいのですよ。祝様になどならなくても。そうだわ、駆け落ちいたしましょう。どこか遠くの地で、二人で暮らしていきましょう。わたくし、貧乏暮らしでも、邦夫様と二人なら幸せでございますわ」
それはできない。僕は、静かに首を横に振った。
「コンちゃん、僕達、この町からは・・・・・・」
「では、村八分にされてもかまいませんわ。裏山の小屋で、野菜を育てて二人で暮らしましょう」
思わず、コンちゃんを抱き締めていた。
「コンちゃん、コンちゃん、泣かないで。うわーん」
「だって、だってわたくし、邦夫様が辛い思いをするのがイヤなんですもの。ええーん」
二人で散々泣いた後、既に暗くなった中庭へ、月明かりと屋敷の明かりを頼りに階段を上った。
煌々と明かりの灯った座敷では、心配そうにこちらを伺っていたお京さんと貞子さん、二人の姿を認めた途端に笑顔になり、大きく手を振っていた。
涙や鼻水で汚れた顔を袖で拭ってから、僕も大きく手を振り返した。
「ノロイ!」
そのまま抱きついて来そうな勢いで走り寄ってきたお京さんが、急に足を止め、顔を赤くして目を逸らす。
「あ、あのよ、ノロイ、じゃなくて、岩井。ありがと、な」
「いや。・・・・・・それよりも、ワン子は?」
まだ終わっていないのなら手伝いに行かなきゃな、と思っていたところへ、とととん、とととん、とスキップの音が近づいてきた。
スパーン、と襖が開かれ、蜘蛛の巣と埃にまみれ真っ黒になった一子が現れる。
「くにちゃん、終わったよ! ちゃんと綺麗にしてきた。屋根裏もやってきたよ!」
褒めて褒めて! と頭を突き出してきた一子の髪の毛から、埃や蜘蛛の巣を払い落とす。
「ち~が~う~よ~、もっとこう、ぐりぐり、って、撫でて」
ご要望にお応えして、蜘蛛の巣でべとべとになった手をワン子の頭に擦り付けた。
まあ、僕もゲロだらけなんだけど。
二人があまりにも汚いので、風呂に入っていけ、というお京さんの厚意に甘えさせてもらう事にした。
「くにちゃ~ん、一緒に入ろう~!」と抱きついてきたワン子の首の後ろを、お京さんが掴んで引き摺っていく。
「お前はこっち。大浴場だからみんなで入ろうぜ。ノロイは2階の客間の奥にユニットバスあるからそっち入れよ」
悪い事をして金を溜め込んだ町長の豪邸には風呂が二つあるらしい。
案内された部屋に入り、風呂を見ると、既に湯がたっぷりと張ってある。
ユニットバスと言っても足を伸ばして入れそうなくらいに広かった。
おまけに猫足つきのバスタブだ。
少し熱めの湯に浸かると、体の芯から疲れが溶け出して行くようだ。
目を瞑り、また勝手に零れてきた涙を湯船の湯でばしゃばしゃと洗い流す。
もう泣くだけ泣いた。
後は前進あるのみだ。
明日からしばらくの間、学校も休んで修行をしよう。
ひいばあちゃんのいない今、こんな無力では、間違いなく僕のほうからひいばあちゃんに、あの世まで会いに行く事になる。
両手でおもいきり頬を張り、気合を入れる。
「よしっ!」
同じ失敗は繰り返さない。
大切なものを失わないために、もう二度と。
つかさ、なんで時々、『・・・』(半角)が、投稿すると全角に変換されちゃうの?
教えて!エロい人!!