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ガラスの靴よりお姉様

作者: 七瀬渚

ーー深夜0時より少し前。


秋にもなればさすがに寒い。だけどこの時間がうってつけ。今でなくてはならない、とストールをまとって外へ出る。はた、と立ち止まった場所、殺風景な景色がみるみる彩られていく。


さぁ、始めよう。





ごめんなさい、ごめんなさい


私はもう行かなければ…


どうかその手を離して下さい


名乗ることもなく去っていく私を許して下さい



月明かりを受けた長い長い階段の上。遥か天を貫くような塔。厳かな装飾に囲まれた時計の針は刻一刻と無情に時を刻んでいく。待ってなどくれない。



なのに貴方は待ってと言う。


どうかそのまま知らないでいて、本当の私の姿など…



透けるような銀の階段を下りながら私は言う。その途中、コト、と足から離れたガラスの靴。


拾いに戻る?いいえ、そんな猶予はないわ、これっぽっちも。


ああ、きっとあの靴も魔法が解けたらみすぼらしい本来の姿に戻るのだわ。だけどそれだけならまだいいわ。


もう戻れない、戻れない、


12時の鐘。



魔法が解けてしまう…


さようなら、王子様。




ーーカチ。



ピピピッ、ピピピッ、


ピッ…



鳴ったその音を私は素早く叩いて止めた。首から下げたストップウォッチ。入り込み過ぎて危うく聞き逃すところだった。危ない危ない、とため息をつく。近所迷惑になってしまう、と。



魔法は瞬く間に解けた。天を貫く時計台はねずみ色の電柱に、月明かりが濡らす銀の階段は今にも崩れそうな錆びた階段に。


眩いお城は古びたアパートに。ガラスの靴は穴の空いたサンダルに。


そして、ドレス姿の私は伸びたスウェット姿に。



はは…



足下が丸見えの人気ひとけのない階段に腰を降ろして一人小さく笑った。



何をやっているんだろう、本当に。


これは、私の役じゃないのに。



しばらく乾いた笑いが止まらなかった。ストップウォッチにストール肩がけのフル装備でこんな無意味なことをしている、自分が可笑しくて。




私は女優だ。


名も知れない劇団の中のほんの端くれではあるけれど、こうすることで水を得た魚のように何処までも進んでいける気がする。つまるところ、演じることは私の生きがいなのだ。女優と名乗るにはそれで十分なはずだ。



一ヶ月程前、次の公演の台本が仕上がった。


タイトルは【シンデレラ】。王道中の王道をよりドラマチックに大人仕様に演じてみようという試みだった。


別に主役ばかりにこだわっている訳ではなかった。どんな役であっても私が息を吹き込む、血を通わせるんだと意気込んで引き受けてきたし、稽古でも本番でもそのときの精一杯で演じ切ってきたつもりだ。


今回も当然そうなる予定だった。配役を知るまでは。



シンデレラ役、王子様役、意地悪な姉役はみんな同世代。22歳、25歳、22歳の順。


当てられた配役に異議を申し出る者などいなかった。とりわけ姉役の私に対しては。



ああ、わかる!すごく似合う!


シンデレラって感じじゃないもん。


いや、褒め言葉だよ?


いじめ役はハイレベルな演技力がないと…ねぇ?



誰もが同意してしまった。私はシンデレラにはなれない。こんなキツそう顔だもん。背も170cm超えてるし肩はいかり肩。周りはモデル体型だとかカッコイイ系なんてオブラートに包んで言ってくれるけど、可愛さとは程遠い。こんな王道のヒロイン向きではないと知っている。


対してシンデレラ役に抜擢されたあの子は平均より少し低い背丈。仔犬みたいな円らな目に、華奢な撫で肩、高く可愛らしい声。舞台では関係のないことだが出来た性格で癒し系というオプションまで。


だから特にショックでもなかった。ただほんの少し、切なかっただけ。



あの人が王子様なせいよ。




読み合わせ、稽古、休憩に帰り道、いつも一緒に歩いてきた。最寄り駅が近いという偶然にいつの間にか感謝していた。


初めて会ったときから彼は気さくだった。何か怖そうな子が入ってきた…みんながそう言って私を恐れていたのを知ったのはだいぶ後になってのことだ。


その事実よりもしばらく気付かなかった自分に驚いた。それくらい気さくな彼が傍にいて私に安心を与えてくれたんだって、知った。



俺もそうだったんだよ。



豪快に笑いながら彼は言った。私は思わず吹き出した。


決して良くはない目つき、眉間には時折仕様ではないしわが寄る。私でも見上げる長身は細身でありながらもなかなかの威圧感を醸し出している。こんな新入りが来た日にはきっと只者じゃないって思うわ。そうすんなり納得してしまった。



俺だって独りじゃ潰れちまうから…


余計なことだったら、ごめんな。



何故か謝った彼に小さくかぶりを振るくらいしかできなかった。ありがとう、って言いそびれてしまったままずっと、今の今まで言えずにいる。今更話題に出すなんてあまりにも不自然かな…なんて、きっとそれこそ余計な思いが邪魔しているんだ。


それでも顔を合わせる度、言葉を交わす度、夕焼けの赤の道を並んで歩く度に安心した。これでいい、これさえあればって思わせてくれた時間。



だけど…



迫り来る時の中で胸の奥が軋みを立てるの。


あなたが王子様になる日、そしてあの子がお姫様になる日、姉の私の胸に宿るのは本当に“羨望”だけなの?と。



もやもやした日々も流れること一ヶ月。迎えた本番の日。



私は意地悪な姉になった。醜く歪んだ笑みでかよわいシンデレラに容赦なく嫌味を浴びせ、罵り、しまいに掃除を押し付けて舞踏会へ赴いた。


ああ、本当に醜い。清々しい程に。


何もかもほっぽり出して解放された気で遊び尽くして、後日王子様が持ってきたガラスの靴を目ざとく見つけて大きな足を無理矢理捻じ込んで…


華奢な足をすんなり納めてみせたシンデレラを前に金切り声を上げてハンカチを噛み締める、最後まで無様な女。立派にやってみせるわ。観客が呆れる程にね!



そんなシナリオだったのに、何故?




ガラスの靴を見事に履いて恥ずかしげに見上げるシンデレラを前に、何故か真顔で立ち上がった王子様。彼は彼女に一礼だけすると舞台の前方、観客側へと歩いて高らかに叫ぶ。



おお、シンデレラ。


慎ましき貴女との時間は心温まる大切な思い出でありました。


すすにまみれてなお変わらない貴女は間違いなく純粋かつ無垢なお方だ。しかし…!



愛の形はそれぞれなのです。それが人というもの。



一夜で結ばれる縁もあれば、長い時を経て深まる絆も、そして一瞬のうちに落ちる恋も…




私は貴女に恋をした。


どうぞこの手をお取り下さい



…お姉様!!




ねぇ、私は魔法にかけられたの?可愛さとは程遠いこんな大きな私をあなたの細い腕が軽々と持ち上げて、ひらりと舞台を舞い降りて唖然とした観客の横をすり抜けて、風を切って何処かへと駆け抜けていくの。



言葉が何も、出てこない。会場を飛び出して二人っきり外の空気に触れるまでそれは続いて…



どういうこと…?



やっと一言口にできたとき、王子様は私を降ろして指差した。会場前の看板を。



【シンデレラNEO】



私の知らない間にタイトルまで変わっている?魔法使いは何処まで悪戯いたずら翻弄ほんろうするの?



戻ろう、見に行こう。



自分で拐っておきながら彼はそんなことを言う。運命の相手、シンデレラを置き去りにしておいて今更戻るだなんて…


戸惑いながらも一緒に館に戻り、一緒に手を当て扉を開いた。私の目はきっと丸く見開かれていた。



おぉい、何だよこれは!


コントを観に来たんじゃないぞー!


金返せー!!




野次が飛び交っている。当然のことだ。だけど何故だろう、それすらもどこかシナリオのよう。


そう、よく見るとみんな、笑っている。楽しんでいる。そしてあろうことか、舞台の上に残った王子様の付き人が膝まづいてこんなことを言っている。



可哀想なシンデレラ、どうか顔を上げて下さい。


貴女はけがれを知らない…故に深く傷付いてしまう。しかし僕はそんな真っ直ぐな貴女と共にこの先を歩みたい。


僕は貴女を見捨てない。何もない僕だけれど一緒に来てくれませんか、シンデレラ。


僕が貴女のガラスの靴となりましょう…!



それに対して可憐なシンデレラは深く頷いて返す。



まぁ、何てお優しい方なの…!


貴方こそこんな灰かぶりを拾って下さると言うのですか?


立派なお城もガラスの靴も要りません。私は愛が欲しかった。


貴方に付いて行きます、何処までも…!




何ということ。シンデレラと王子様の付き人が結ばれてしまった、何という喜劇。


こんな馬鹿げた話はない、こんなのは知らない、なのに…



目の奥がつん、と痛い。



どっ、と上がった拍手と歓声。それはやがてこちらに向けられた。


みんな見ている。観客もシンデレラも付き人も、音響係に美術係まで笑顔を覗かせて。



そうね、そうなのね?


知らなかったのは、私だけ…なのね?



隣の王子様がすっと身をかがめ、私の手を取ってキスをする。彼は言う。してやったりとでも言わんばかりの意地悪な笑みで、それでも優しく。




貴女が意地悪な姉ならば、私が変えてみせましょう。


この愛で溶かせばまた柔らかくなる。真っ直ぐに美しく打ち直してご覧に入れましょう。


どんなときでもずっと傍におりましょう。だから…



付いて来てくれますか?


お姉様。




涙でけぶってしまう。今、きっと私の知るどの童話の王子様より素敵な御顔をしているのに、これじゃあ目に焼き付けられないじゃない、と唇を噛んだ。



ただ頷くことしかできなかった。だけど今度は、言うことができた。




…ありがとう。




だいぶ裏返っていたけれど。






【後日談】


シンデレラと付き人がめでたく入籍したとの報告が。


こちらも本気の大作戦だったとは…



全く、してやられたわ。



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