序章③
何時間、いや何日ここに閉じ込められるんだろう。
足元に転がっていたミネラルウォーターを口にする。
こういう時、食品関係を扱ってくれているのは助かる。
そうか……。
すくっと立ち上がった私は食品が置かれていた棚の方にライトを当てる。
「通気口を塞いでどうするの?」
加治木が確かこの辺を指して、配送の人を注意していた。
「じゃあどこに置くんすか。他は一杯だし、食品エリアはここでしょ。だいたいこんな狭い所に物を押し込みすぎなんじゃないですか?」
「それは私の管轄じゃない。文句は社長に言ってよ。とにかくそこはダメ。ちょっと及川君。こら、待ちなさい」
紺の作業着。オレンジ色で刺繍された会社名。胸元の前でひっくり返ったままにされた名札。
あれ、顔を思い出せない。
ふらふらと加治木が指差した方へ進み寄る。
猫が通れるほどの通気口。
ここから出れたとしても、どこに繋がっているのか分からない。
絶望感が心を占める。
格子が嵌められているその入り口を恨めしく見つめる。
こんな所から出れるわけがない。
すぐに投げ出すのは昔からの私の癖。母さんが目くじらを立てて怒っていたっけ。何だったっけ? そうだ分数の計算だ。分母と分子をそろえるって奴。いくら教わっても分からなかったっけ。そんなのどうでも良いじゃんと言う私に、良くないでしょって、おやつで説明してくれている母さんの横顔を見ながら、そんなの分かんなくても、生きていけるから、良いって言ったんだ。お姉ちゃんに、たくさんおやつ食べられちゃってもいいのって、訳が分からないことを言って叱る母さんに、別に良いよ。ダイエット中だからって言って、それから、母さんの冷たい眼差しと、台所に立つ後姿。
私は気にしながら、それでもアニメの虜になって、眠る頃にはすっかりそんな会話をした事すら忘れていた。
……母さん。
喉の奥が熱くなる。
……謝んなきゃね。
何かの映画で見たことがある。
筋肉隆々の腕で壁をぶち破るシーン。
床に転がっていた登山用のピッケルを見つけ出し開かないドアの横にたたきつける。
じんと痺れが伝わり、心が折れそうになる。
こんなの女の私に出来るはずがない。
ぶち抜かれた格子。
見えない先。
分からないところを進むのは怖い。だったら、知っている路を進むしかない。
手のまめが潰れ、壁を打つたび痛みが走る。
「投げ出しちまえ」
誰かが私に囁く。
「無理よ。無理無理無理」
私の心が悲鳴を上げる。
「何、泣いてんだよ。俺に何を求めてんの? おまえだって分かっていて俺と付き合っていたんだろ」
「知らないわよ。知らない。嘘。知っていたわ。あなたが最低な男だってことは」
ボロボロと崩れ出す壁。
「だから、もうあきらめろって。面倒になるだけだから」
「何でよ。何でそんなこと、簡単に言えるの?」
小さな穴が開き、わずかな光が差し込む。
黙々と打ち続ける。もう感覚などどっかに消えてなくなっていた。目の前にある幻想を払いのける様に、私は何度も何度も壁を打ち続けた。
徐々に広がって行く穴。
私は勇者でも筋肉隆々でもない。血気果敢な女刑事でも何でもないけど。それでも、この壁の向こう側に行く権利はあるはず。
もし、もしこの壁が上手く打ちぬけられたら、最初にあなたに会いに行こう。会ってあなたの横面を張り倒す。
「私を見縊らないで。こんなこんな私にもプライドくらいはある。あなたのペットに成り下がるのはごめんよ」
言ってやるんだ。