飯のツケは路地裏で返すもの
どの世界にも、理不尽はいくらでも転がっている。
血筋だの地位だの肩書きだの、そういうどうでもいいもんだけが幅を利かせて、汗流して働いてるやつほど路地裏に押し出される。王都バズ・ア・ランドは、その縮図みたいな街だ。
大通りは今日も派手だ。
何を売ってるか分からない店、余計な飾りだけ立派な店、客より兵士の方が多そうな店。どれも、血筋とコネで出来た連中の遊び場。
そこから一本路地を入ると、景色はすぐ変わる。
ネズミと人間とゴミが混ざった臭いの中で、
今日の飯のことすら分からない連中が地べたに座っている。
もう少し奥まで行けば、酒か薬か、どっちかに逃げてそのまま動かなくなるやつもいる。
その大通りとスラムのちょうど境目、NKT地区の端っこに、俺とマルコムの“事務所”がある。実際は、オンボロアパートの一室だ。壁は薄いし、ドアは半分死んでるし、風呂はない。
その半壊ドアが、今日も寿命を削られた。
「ギー! いい話持ってきた!」
ばーん、と音を立てて、ドアがほぼ蹴破る勢いで開く。蝶番が悲鳴を上げた。
入口に立ってるのは、小柄で太ったハゲ。マルコムだ。幼馴染で、相棒で、面倒事の運び屋。
「今度のはマジで当たりだ。ツケ取りだぞツケ取り。ちゃんと金になるやつ!」
こいつはずかずか入ってきて、沈みかけたソファーにドスンと座る。ミシミシと嫌な音がした。ソファーもそろそろ死ぬ。
「帰れ」
机に頬杖ついたまま、俺は短く言った。
「話は最後まで聞けよ!」
「お前の“いい話”は、大体俺の血と筋肉痛で精算する羽目になるんだよ。前回の“いい話”覚えてるか? 馬小屋の掃除三日分で、報酬が干し肉一切れだったやつ」
「あれはあれで美味かっただろ」
「俺の胃袋は馬用じゃねぇ」
そう返しながらも、マルコムから視線を外す。
こいつがこうやって笑ってる時は、ろくでもない話がほとんどだ。それでも、毎回ここまで持ってくるってことは、こいつなりに「やる価値がある」と思ったってことでもある。
それが分かってるから、厄介だ。
「で? どこの誰のツケ取りだ。酒場の親父か、負けたギャンブラーか、逃げた客か」
「NKTの奥の方に店を持ってる商売人だってさ。表通りの酒場『ピンキー・ピクシー』のマスターが言ってた。かなり溜め込んでて、そろそろ回収しとかないと逃げるぞって」
「……商売人ねぇ。どんな“商売”だ?」
「そこは聞いてねぇ」
「一番大事なとこ飛ばしてんじゃねぇか」
俺は頭を掻きながら、椅子を回してマルコムを睨んだ。
マルコムは、昔は痩せてて小さくて、人見知りだった。
今は小太りでハゲてて、見た目だけならそこらの冴えないおっさんだ。中身は変わらない。人が良くて、騙されやすくて、それでもヒーローみたいになりたがる。
だから、放っときづらい。
「とにかくさ、今回はマジで金になる。マスターも言ってた、“取り返した分の三割はお前らにやる”って」
「三割、ね」
数字だけ聞けば悪くない。問題は、回収先の方だ。
「その商売人とやらが、どんな連中と繋がってるかまでは聞いてないんだろ」
「……」
マルコムが目をそらす。
それだけで十分だった。
「はぁ……」
長い溜め息が出る。
「お前さ、『明らかにヤバそうな連中』か『ギリギリ普通の商売人』かくらいは確認しとけよ。こっちは予備の身体なんか持ってねぇんだから」
「大丈夫だって。ギーと俺ならなんとかなる」
「その“なんとか”に骨折と刺し傷が入ってるなら、いつも通りだな」
口ではそう言いながら、俺は立ち上がっていた。
自分でも分かっている。
マルコムが「やる」と決めて持ってきた仕事を、完全に蹴れるほど、俺は冷たくない。
村を出る前の日も、こいつは似たような顔をしていた。
「一緒に行こうぜ、ギー。きっとお前なら、ちゃんと“ヒーロー”になれる」
あの時から、俺がやってることは大して変わってない。
壁に立てかけてある剣帯を取り、鞘ごと腰に巻く。
田舎の家の地下室で埃かぶってた古い剣だ。誰も気にしてなかったから、そのまま腰に下げて出てきた。
「今回は、機嫌を損ねたら依頼人ごとぶった斬るからな」
「はいはい、怖い怖い」
マルコムは笑って、ハゲ頭を軽く叩いた。
◆
NKT地区の奥は、王都の中でも特に空気が悪い。
水路から逆流したような臭いと、汗と酒と古い血の匂いが混ざっていて、深く息を吸うたびに後悔する。
「ここだ」
マルコムが止まった先には、一応“店”らしい建物があった。
看板は黒ずみ、文字もロクに読めない。扉の前には、筋肉だけ育てたような連中が数人、退屈そうに立っている。
一目で分かった。
表じゃ商売人の顔をして、裏じゃ力ずくでツケと人間を回収してる手合いだ。
「おい、マルコム」
「ん?」
「お前、これを“普通の商売人”って呼ぶのか」
「ま、まぁ……“商売”はしてるだろ、多分」
声が少し弱くなっていた。
俺たちの会話に気づいて、門番たちが睨んでくる。
「なんだテメェら。ここは遊び場じゃねぇぞ」
「どーもすみませんね、お兄さん方。今日はちょっと、お話だけでも――」
でかい相手にはとりあえず敬語。いつものマルコムの癖だ。腰は引けてるが、笑顔だけは貼り付いている。
「表通りの酒場『ピンキー・ピクシー』から頼まれてまして。溜まってるツケの回収に参りました。できるだけ穏便に、ね」
言葉は丁寧だが、声はわずかに上ずっていた。
門番の眉間に皺が寄る。
「……ハゲのくせに口だけは回るな、あ?」
「――あ?」
そこで、マルコムの敬語が切れた。
「ハゲは余計だろうがよ。ツケの話だけしろツケの話だけ。髪の話はしてねぇ」
「てめぇ……」
門番たちが顔を見合わせる。結論は早い。
「帰れ。二度とここに顔出すな。次来たら、顔面砕いてやる」
「じゃ、今ここで払ってくれたら二度と来ねぇよ」
マルコムはニコニコしながら、一歩も引かない。敬語は完全に消えていた。
はい、終了。
ため息をつく暇もなく、目の前に拳が飛んできた。ギリギリで頭をずらした瞬間、別方向からの蹴りが腹に刺さる。
「ぐっ……!」
肺の空気が一気に抜けて、そのまま地面を転がった。
「ほらな、言わんこっちゃねぇ」
自分でも安いと思うツッコミを吐きながら、砂利を噛む。
横を見ると、マルコムも最初の一撃はうまく避けたが、人数で押されてあっという間に壁際に追い込まれていた。
「ちょ、ちょっと待て話せば分かる――いてぇ!」
鈍い音と共に、マルコムの頭に見事なコブが育つ。
見た目は完全にギャグだが、多分かなり痛い。
数分後、俺たちはきっちりボコられて、NKT奥の路地裏に転がされていた。
「……言ったよな、俺」
「いてて……反省してます」
マルコムは仰向けになったまま、頭のコブをさすっている。
俺も似たようなもんだ。唇は切れて血の味がするし、脇腹も痛い。何回か呼吸してみるが、骨は折れてなさそうだ。今日は安い方だ。
そう思うことにしていると、影が一つ、上から落ちてきた。
「……大丈夫かい、兄ちゃんたち」
しゃがれた声と一緒に、小さな足音が近づいてくる。
顔を上げると、ボロボロのコートを着た痩せた男が立っていた。髭は伸びっぱなし、服は継ぎ接ぎだらけ。ぱっと見、ただのホームレスだ。
目だけが、やけに澄んでいる。
「大丈夫じゃねぇけど、死にはしねぇよ、おっちゃん」
そう答えると、男は一瞬驚いたあと、くしゃっと笑った。
「おっちゃん、ね。悪くない呼ばれ方だ」
「腹減ってるし、痛ぇし、心も折れかけてる。どう見ても可哀想な負け犬二匹だろ。助けてくれるなら、今が一番お得だぞ」
「そうそう! ここで手ぇ差し伸べたら、一生“いい事した自慢”できるぞ、おっちゃん」
マルコムが地面に転がったまま、人懐っこい笑顔を向ける。知らない人間相手でもこれだ。
「……元気はあるみたいだねぇ」
おっちゃんはクスクス笑い、手を差し伸べてきた。
「立てるかい? 俺の“部屋”はすぐそこだ。大したもんじゃないけど、温かいスープくらいは出せるよ」
「いや、そんな――」
「行こうおっちゃん!」
俺が断ろうとした瞬間、マルコムが食いついた。
さっきまで半泣きだったとは思えない速さで起き上がる。
「タダ飯だぞギー。ここで乗らない手はない」
「……悪いな、おっちゃん。こいつ、飯ってワードにだけ反応が良すぎる」
「いいさ。若いのが腹空かせてるの見て、放っとくほど腐っちゃいないよ」
おっちゃんは笑いながら、俺たちの腕を引っ張った。
細い手のくせに、妙に力がある。
◆
路地裏のさらに奥。建物と建物の隙間に、無理やり押し込んだようなスペースがあった。
そこに、木の板と布と廃材を組み合わせた小屋が建っている。屋根には穴、壁にも隙間。けど、雨風はギリギリしのげそうだ。
「ここが俺の“家”でね」
おっちゃんは照れくさそうに言い、俺たちを中に入れた。
狭いが、思ったより片付いている。
粗末なマットと毛布、空き瓶や缶、小さなランプ。物は少ないが、置き場は決まっている。
小さな鍋から、野菜スープの匂いがした。
「さっき、店の裏から売り物にならない野菜もらってきてね。スープだけ多めに作りすぎたんだ。丁度よかったよ」
「神か?」
マルコムが真顔で言う。
「神はこんなとこに住まねぇよ。おっちゃんはおっちゃんだ」
そう言うと、おっちゃんは声を上げて笑った。
「いいねぇ、あんたら。そういうこと言えてるうちは、まだこの街に食われきってないよ」
「いやもう、だいぶ噛まれてるけどな」
「腹の分だけは食われてない。だからスープくださーい、おっちゃん」
「お前は黙っとけ」
器を差し出されると、マルコムは即、一気飲みを始める。
俺も器を受け取り、一口だけ飲んだ。
冷え切ってた内臓が、少しだけ動いた気がした。
「そうだ、兄ちゃんたち。名前、聞いといてもいいかね」
おっちゃんが、遠慮がちに言った。
「……アイザック・ギッシュ。ギーでいい」
本名を言うときは、いつも少しだけ間が空く。
今の暮らしには、立派すぎる名前だ。
「マルコム・バルーム。ギーの相棒で、今は何でも屋みたいなことしてる」
「アイザックにマルコム、ね」
おっちゃんは二つの名前を繰り返して、じっと俺の顔を見る。
「やっぱりそうか」
「……何がだよ」
「アイザックなんて名前、この辺じゃまず聞かないからねぇ。前にも一度だけいたんだよ、そう名乗った兄ちゃんが。腹空かせてフラフラ歩いててさ」
そこで、おっちゃんは少し笑った。
「“名前は?”って聞いたら、“アイザックです”ってな。顔は今より細くて、目だけ無駄にギラついてた。……あんた、あの時のだろ」
“アイザック”と呼ばれて、胸の奥が少しざわつく。
オクタの村を飛び出して、王都に来て、現実にぶん殴られた頃。
財布は空、腹は限界、プライドだけ妙に元気だったあの時。
小さな店。
粗末だけど、ちゃんと屋根があって、カウンターの奥では若い女の子が慣れない手つきで皿を運んでいた。
『腹減ってる顔してるな。ほら、これ食いな。倒れられると困るんだ』
木の皿を差し出してきた手を、今でもはっきり覚えている。
その時の俺には、「いらない」と突っぱねる余裕も、「ありがとうございます」と頭を下げる余裕もなくて、黙って肉とパンをかき込んだだけだった。
「……悪いな、おっちゃん」
それしか出てこなかった。
「何が悪いんだい。あの時の顔、俺は結構好きだったよ。腹は空いてるのに、まだ街に負けてない目をしてた」
おっちゃんは笑いながら、スープのおかわりを注いでくれた。
マルコムは「おかわりは正義」とか適当なことを言いながら器を差し出している。うるさい。
「……前に会った時さ」
おかわりを受け取りながら、ふと気になってたことを口にする。
「もっとマシな場所だったろ。ちゃんとした店で、カウンターの向こうに女の子が一人いた」
おっちゃんの手が、ほんの少し止まった。
「皿運んだり、客に笑いかけたりしてた。あれ、おっちゃんの娘か?」
「……よく見てたねぇ」
おっちゃんは、苦笑に近い顔で息を吐いた。
「ミアだよ。俺の娘だ」
鍋の中を、ゆっくりかき回す。
「十六になった頃だったな。騎士団とつるんでる商売人がいてね。“もっといい暮らしさせてやる”なんて言って、ミアを連れて行った」
言葉は淡々としているのに、鍋をかき混ぜる手だけ、わずかに力が入っていた。
「最初は、建物も立派で、服も新しいのを用意してもらってさ。あいつ、最初は嬉しそうだったよ。“お父さん、これで楽になるね”なんて言ってな」
そこで一度、かき混ぜる手が止まる。
「でも、会いに行くたびに、目がだんだん濁っていった。働き口の話もごまかされるようになって、“親はもう関係ない”なんて言葉まで出てきてな」
おっちゃんは、握った拳を膝の上に乗せた。
「返してくれって、何度も頭下げた。“一緒に店に戻してくれ”って頼んださ。そしたら騎士様方は、“貧乏人の娘一人が、立派なところで働けるんだ。ありがたく思え”だとよ」
「やっぱりクソだな、あいつら」
「文句続けたら、“店ごと潰すぞ”だ。本当にやりやがったよ。棚も看板も、全部壊して……ミアだけ連れて行った」
そこでようやく、おっちゃんは俺たちを見た。
「それからは、この有り様。どこで何してるかも分からない。探しに行く度胸も、もう残ってない」
しばらく沈黙が落ちる。
野菜が煮える音だけが、やけに大きく聞こえた。
「三年前、十六で連れて行かれた娘。ミア」
俺は確認するように繰り返す。
「今、生きてりゃ十九か」
「……そうだな」
「連れて行った商売人、騎士とつるんでる裏稼業の連中。だいたい見えてきたな」
マルコムが、さっきボコられた連中の方角を顎で示す。
「なぁギー。今の話、わりと全部繋がってね?」
「だろうな」
器を置き、立ち上がる。
腰の剣の柄に、右手をかけた。
「お、おい兄ちゃん?」
「落ち着け。騒ぐとスープこぼれるぞ」
鞘から刃を抜く。
古びた刀身が、右手で抜かれた瞬間だけ、うっすら光を帯びる。
おっちゃんが目を丸くした。
「な、何を――」
「座ってろって。飯の最中に立つと消化に悪いぞ」
そう言って、おっちゃんの胸元を横に一閃した。
空気だけが鳴る。
おっちゃんは固まり、自分の胸元を見下ろした。
服は破れていない。皮膚も切れていない。
数秒遅れて、じわっと表情が変わる。
「……あれ?」
おっちゃんがゆっくり腰に手を当てた。
「さっきまで痛かったのが……少し楽に……」
「ほらな」
マルコムが横でうなずく。
「ギーの剣、ちょっと変なんだよ。右で抜くと、悪い奴にだけちゃんと当たる。関係ない奴には、まぁ、たまにこうやって良いことが起きる」
「変な説明すんな」
俺は剣を軽く振って、鞘に戻した。
こいつを右で抜いた時、当たる奴と当たらない奴がいる。
それ以上の理屈は知らないし、知る気もない。
「……じゃあ、俺は」
おっちゃんが、おそるおそる聞く。
「少なくとも、“今ここで斬る相手”じゃない」
それだけだ。
「ギー」
マルコムが俺の名を呼ぶ。
「あのさ。さっき俺らボコった連中、いたろ」
「ああ」
「もし、あいつらのとこで、このおっちゃんの娘さんが“働かされてる”んだとしたらさ」
おっちゃんの肩が、小さく震えた。
「ミアの顔、覚えてるか」
俺はおっちゃんに聞いた。
「……癖っ毛の黒髪で、目がやたらでかくてな。笑うとすぐ皺が寄る。あいつのいいとこは、全部顔に出る」
「十分だ」
短く答える。
「十六で連れて行かれて、三年。十九の女。癖っ毛の黒髪で、目の大きい“ミア”」
「探せるのかい」
「探す。ついでにツケも回収する」
それが仕事だ。
「悪いな、おっちゃん」
口元だけで笑う。
「断る権利はねぇよ。もう飯食っちまったし、俺らがそうするって決めたからな」
「そういうこと。おっちゃんに奢ってもらった分、働く」
マルコムも立ち上がる。
さっきまでコブをさすってたくせに、目つきはもう“やる時のマルコム”だ。
「行くぞ、マルコム」
「おう。さっきのツケと、おっちゃんのツケ。まとめて取り立てだ」
小屋を出ると、NKTの空気がまた肺に入ってくる。
臭いし、うるさいし、面倒な街だ。
それでも、今からやることは単純だ。
神様も立派な正義も、ここにはいない。
あるのは、癖のある一本の剣と、ツケだらけのチンピラ二人と、スープをくれたおっちゃんだけ。
「さて、行くか」
腰の剣の柄を軽く叩く。
どうせまた殴られて、どこか痛めて帰ってくる。
それでも、一度拾ってもらった飯のツケくらいは、ちゃんと返しておきたい。
昔描いた作品を書き直してみました
投稿自体は初めてです。




