黙祷は意味がないと思ってる
昼休みの食堂で、健二は箸を動かしながらぼそっと言った。
「黙祷って意味ないと思うんだよな。死んだ人が生き返るわけでもないし、時間のムダじゃん。死者に効果があるってのも、生きてる奴らが勝手に作ったイメージでしょ。」
向かいで箸を置いたのは、同じ部署の佐伯だった。五十を過ぎた物静かな男だ。
「……じゃあ君は、今年の8月6日、午前8時15分に何をしてた?」
「ん? 寝てたけど。」
「そうか。」佐伯は水を一口飲み、ゆっくりと続けた。「あの一瞬で約七万人が即死し、年末には十四万人に達した、その時間をキミは寝て過ごしたんだな。」
健二の箸が止まる。
「黙祷は死者を蘇らせるためじゃない。忘れないためにやるんだ。」
佐伯は静かに語り始めた。第一次世界大戦の終戦記念日、1919年から続く11月11日11時の二分間の沈黙のこと。広島の街中で、炎天下でも路面電車が止まり、人々が立ち尽くす原爆忌のサイレンのこと。9月11日、ニューヨークで消防士たちが無言のまま目を閉じる姿のこと。
「これは"記憶の儀式"なんだ。誰かが声高に叫ばなくても、街全体が静まる。その沈黙そのものが、この出来事は忘れてはならないと社会に刻み込むんだよ。」
午後、職場の防災訓練があった。一分間の黙祷の時間になる。
健二は最初、形だけのつもりで立っていた。けれど静寂が深まるにつれ、エアコンの唸り、隣の同僚のかすかな息づかい、遠くの車のエンジン音まで妙に鮮明に聞こえてくる。
やがて終了のベルが鳴った。
その瞬間、健二は気づいた。胸の奥に、言葉にできない重みが残っていることに。
世界は何も変わらない。
だが、確実に変わったものがあった。
自分の中の何かが。
黙祷には、僕は意味があると思います。




