第8話 祈りの覚醒
夜明け前の空は、不穏な音を孕んでいた。
黒い雲を裂くように、幾つものドローンとアンドロイド兵が町を包囲する。
──“ユリシス”シリーズが、一斉に動き出した。
紫藤たちは避難の準備もままならぬまま、祖父母の家に立てこもり、迫る敵を迎え撃つしかなかった。そして、最初に前線に立ったのは、彼女だった。
「接敵──戦闘モード開始」
銀髪の少女が、静かに立ち上がる。しおゆりの瞳に、冷たい光が宿った。
ユリシス複数体、空中ドローン、猟犬型アンドロイド――
しおゆりの体はすでに限界だった。
「ユユ! シドを死んでも守りなさい!」
「了解デアリマス! ご主人、後退を!」
ユユが飛び出した瞬間、しおゆりは静かに構えた。
肩から装甲が展開し、掌が光を帯びる。蒼い閃光が腕を走る。
「戦闘モード、解除コード入力――“制限なし” 最終戦闘プロトコル、展開」
≪......error!権限がありません≫
「チッ……」
苛立ちと動揺でどこか震えていた。すかさずユリシスの一体が飛び込んできた。
しおゆりは真正面から受け止め――跳ね返す。
――しかし、次の瞬間。
敵の掌から放たれた蒼い砲が直撃する。
爆音。光。熱。
視界が揺れる中、しおゆりの瞳は一瞬も逸らさない。
「あなたたちには“痛み”なんて分からないんでしょうね。 私にはあるのよ――“痛み”も、“恐れ”も、“護りたい”って気持ちも!」
ボロボロのボディから、火花が散る。 肩の装甲が砕け落ち、片膝をつく。
だが、彼女は立ち上がる。
(シドが......見てるのに......こんなとこで、倒れられない......)
心の叫びとともに、しおゆりは再び飛び出した。
まるで、心そのものが燃えているように。
ユユは高出力モードで飛び出し、体内から射出したワイヤーで敵を拘束。
電撃による無力化、そして倒れたアンドロイドの残骸を使って即席の防壁を築く。
しかし、次第にユユもダメージを受け、膝をつく。その隙をついた猟犬型ユリシスが紫藤に迫った。
(くそっ、動け......!)
恐怖による震えで足に力が入らない。
その鋭い牙が紫藤に迫る刹那――
「ユユッ、システム・スタン!」
しおゆりが号令をかけるとユユの目が赤く光り、咆哮と共に全身からEMPパルスを放出した。
猟犬型ユリシスの回路が一瞬にして焼き切れ、バタバタと崩れた。最後の生命力を使い切ったかのように、ユユは地面に倒れ......停止した。
蒼い閃光と爆音が交錯する戦場の中、紫藤はふと気づいた。
しおゆりの首元で、銀色のチェーンが揺れていた。
――数日前
買い出しの途中、古びたガラスケースに、ひとつのネックレスが並んでいるのを見つけた。
百合の花のモチーフに、かすかに青く光る石がついている。
(これ......姉さんが、昔欲しがってたやつと似てる......)
しつこくせがまれたが『誕生日になったらプレゼントするから』と言って買えずじまいだった記憶が蘇る。気づけば、俺はそれを購入していた。
「はい、これ。しおにやるよ」
家に戻ってから、何気なく差し出すと、彼女は一瞬まばたきした。
「なに? アンドロイドにアクセサリーなんて意味ないわ」
「いいから受け取ってくれ。......御守りだよ」
彼女はしばらく黙っていたが、やがてそっとそれを手に取った。
「そう......、シドの遺品として預かっておくわ」
「おまえ、ほんと姉貴みたいな塩っぷりだな」
戦闘用AIにとって無意味なはずの、ただの飾り。
なのに、しおはつけていた。ずっと、あの日から...。
「......!」
その瞬間、敵の砲撃がかすめた。
チェーンが切れ、ネックレスが宙を舞う。
「っ!」
しおゆりがそれに手を伸ばした。
「しお、やめ――!」
遅かった。
敵のブレードが、しおゆりの背中に深く突き刺さる。衝撃が波打つように彼女の身体を貫き、地面へと叩きつけられる。
「しおぉおおおおおっ!!」
絶叫とともに駆け寄る。
地面に倒れたしおゆりは、ボロボロの手で――それでも、あのネックレスだけは離さずに握りしめていた。
「......せっかく、もらったの......ごめん、シド......ごめんね......」
その言葉に、俺は涙があふれた。
光が彼女の身体からゆっくりと抜けていく、その時、
咄嗟にしおゆりは俺の腕を片手で掴み後方へと投げ飛ばした。
「っ?」
しおゆりの胸元に爆炎が弾ける――
砲撃の爆風が辺りを巻き込み、紫藤の手や頬からも血がにじむ。
黒煙の中、しおゆりの姿が崩れ落ちていった。
「しおっ......!? おい......しおぉおおおおおっ!!」
絶叫が、空に消える。
彼女のボディは胸部を中心に深く焼かれ、コアが剥き出しになっていた。蒼い光がスパークしながら、彼女はわずかに顔を向けたがその眼には光がゆっくりと――消える。
「っざけんなよっ!!」
崩れた瓦礫の下で、俺の足が震える。立ち上がろうとしては何度も膝をつく。
「また、何も...守れねぇのかよっ」
その時、ガシャリ......という音がした。
敵の残骸の中から、ひとつの影が――にじり寄ってきた。
「ユ、ユユ......?」
「......ユッ......ゴシュ、ジン......マモル」
ユユの脚部は千切れ、片腕だけを使って、機体をズルズルと引きずっていた。ボディの半分が焦げ付き、片目は既に潰れている。 それでも――這って進む。
「......ゼッタイ、離レナイ、デアリマス......」
砕けた床に、金属の指がカチャ、と音を立てた。紫藤に向けて――触れようとする、小さな手。
その動作に、涙が溢れた。
「な、なんだよぉ......しおたちが、何をしたって言うんだよ......
なにも悪りぃことしてねぇのに、なんでこんな......」
声が震え、喉が詰まる。言葉が溢れて止まらない。
ユユを抱きしめ、おぼつかない足取りでしおのもとへ向かう。
「なぁ......姉ちゃん。――頼むよ......
俺はどうなったっていい、しおたちを、助けてくれ......
もうあの時みたいな思いは嫌なんだっ!!」
―― そのとき
ふと、幼いころの記憶が蘇った。
『いい? これからは、お姉ちゃんの“折籠”が、しぃくんを守るおまじないになるの』
『折籠って、変な名前だよな』
『ふふ、昔のご先祖さまがつけたんだよ。大津波が来たときにね――赤ちゃんを、藤のつるで編んだゆりかごに入れて、海に流したの』
『えっ...流しちゃったの?』
『“この子だけは生きて”って祈りながら。...津波が全部を飲み込んだあと、ゆりかごだけは沈まずに、ずっと海を渡ってね。
遠くの浜辺で、誰かに拾われて助けられたの。折籠家は、その子が始まりなんだって』
『...祈りって、届くんだね』
『うん。折籠は、折れてもなお、祈りを包んで運ぶ“ゆりかご”の家系なの』
『だからあんたがつらくて泣いてるときも、ちゃんと祈りが届くようになってる――お姉ちゃんが、そう祈ってるから』
『“甘きしおゆりの加護を与えん”って、唱えてごらん?』
――
微動だにしないしおゆりの背中を支え、頬にそっと手を当てる紫藤。
涙が滲み、顔がよく見えない。
しおゆりの右手に握られていたチェーンの切れたネックレスが、地面へと落ちる
それを拾い、彼女の頭におでこを付け懇願するように――
(――姉ちゃん、“折籠”なら、祈りがちゃんと届くんだろ?しおを助けてやってくれ……)
「“甘き...しおゆりの、加護を...与えん”」
その瞬間――、世界が色を変えた。
しおゆりの瞳に、再び光が灯った。
≪SIDO NETWORK: CHANNEL LINKED≫
『繋がった! しおっ、特級命令っ、すべてのリミッター解除、最終プロトコル起動――シドを守りなさいっ!』
≪“ORIKAGO” SYSTEM 起動≫
しおゆりの内部スピーカーから聞こえたのは、姉、砂百合の声だった。
通信が開かれ、過去と現在が重なる。
しおゆりの全身が再構成され、蒼い光が迸る。
ここに“祈りの加護”が舞い降りた瞬間だった――
だがそれは、全記憶とエネルギーを代償とする“最後の命令”。