第5話 起動のレシピ
静かな朝だった。
窓の外には霞がかかり、山の稜線がぼんやりと浮かぶ。紫藤はラボの端末に向かい、手元のキーボードを静かに叩いていた。
システムログの整合性チェック。今日も特に異常はなく、安定して稼働している──かに思えた。
「……って、え?」
視線をモニターから外した紫藤は、ふとラボの床に目をやって、思わず椅子から立ち上がった。そこに倒れていたのは、銀髪のAI少女――しおゆり。
無言で、ピクリとも動かない。
「また……充電切れかよ……」
ため息まじりに駆け寄った紫藤は、慌てて補助ポートにケーブルを差し込む。数秒後、しおゆりのまぶたがぴくりと動いた。
「……起動処理、再開。……おはよう、シド」
「お、おう。おはよう。大丈夫か?」
「ええ、問題ないわ」
「昨日も徹夜で探してたのか?」
彼女は旧折籠邸の地下倉庫で目覚めてから毎日、PC端末で姉の砂百合の居場所を捜索したり、家中手掛かりとなるものがないか探していた。
「だけどこのボディ……主電源だけでは効率が悪い。補助栄養液が欲しいわね」
「えっ、なんて?……補助?」
しおゆりはそっけなく答える。
「栄養ドリンクのことよ。折籠砂百合が開発した栄養補助用の化学合成レシピが、端末内に保管されていたわ」
紫藤は言われるままにラボのPCでレシピを探す。
『【補助用栄養剤】ゆりナミンD』――命名センスは、たぶん姉の仕業だ。
材料は……ソイプロテイン、鉄分補給液、カフェイン、抹茶パウダー。冷蔵庫にありそうな気がして、戸棚をがさごそと漁る。
やがて、即席のビーカーに注がれた緑色の液体が完成した。
「できたけど……これ、ほんとに飲めるのか?」
「問題ないわ。味覚センサーはないもの」
そう言って、しおゆりはゆっくりと上体を起こし、ビーカーを手に取る。無表情のまま、ぐいと一口――
「…………」
「お、おい……? どうした?」
しおゆりの体内からピピッっと起動音がなった。
「なぜか舌がしびれる感覚...“苦い”という反応。らしいわ...」
「やっぱり味覚あるじゃねーか!」
紫藤のツッコミにも、しおゆりは首をかしげるだけだった。
そんなやりとりのなかで、ふと、しおゆりの目が端末画面に止まる。
何かを見つけたように、すっと視線が一点に集約された。
「……これは……?」
「ん? なに見つけた?」
しおゆりが無言で指差した先には、一枚の設計図データが映し出されていた。
機体名《Unit-04》。名称欄には、姉・砂百合の筆跡でこう記されていた。
――『防衛用小型機構体ユニット』
――『紫藤を護るために。試作型:未完成』
紫藤が目を見開く。
「……姉貴の、設計図……?」
しおゆりは静かにうなずいた。
「ユニット構造は古いものだけれど、再現は可能よ」
紫藤は思わず、しおゆりの顔を見る。
「……作ってみるか?」
「ええ、手伝うわ」
*
薄暗いガレージに埃が舞う。
ふたりは折籠家の古い倉庫へ向かい、部品箱の山からジャンクパーツを漁った。
バッテリーユニット、関節モーター、旧世代のセンサー基盤。
どれもサビや損傷が激しいが、試作に使えそうなものは多かった。
「これ……使えるか?」
「再研磨すれば、最低限の機能は回復できそうね。処理速度は保証できないけど」
作業は淡々と、しかしどこか充実していた。
手を汚しながら、ふたりで組み上げていくボディ。配線。制御コード。
しおゆりが静かに解説し、紫藤が慣れない手つきで応える。
そして――夜。
「電源、入れるぞ……」
試作機の起動から数秒――ユニットはガタつきながらも立ち上がり、金属製の四肢をぎこちなく動かした。
「動いた……!? うおっ、すげえ!」
紫藤が思わず声を上げた直後、四足歩行の脚部が一瞬バランスを崩し、機体が大きく傾く。
「……あっ」
ガシャン。
脚の関節がひしゃげ、胴体がそのまま床に倒れ込む。
内部からバチッと火花が散り、機体は無力に沈黙した。
「……壊れた、か」
紫藤がそっと手を伸ばして、まだ熱を持つフレームに触れる。
試作1号機――起動わずか十数秒での、終わりだった。
「関節部のトルク配分に問題がありそうね。それに……推定重量に対し、骨格構造が非効率」
隣に座り込んだしおゆりが、冷静に分析する。
「あと、サイズが大きすぎたのかもな。初期型とはいえ、これ……本来は軍用だろ?」
「ええ。防衛力を重視しすぎた結果、汎用性が犠牲になってるわ」
紫藤は目の前の残骸を見つめたまま、ぽつりとこぼした。
「……これじゃ、日常の護衛には使えねぇな。家の中すらまともに歩けない」
しおゆりはわずかに首をかしげた。
「では、次は小型化と機動性を優先した設計にしてみない?」
「おお、いいね。軽くて、速くて、でも頼りになるやつ。……たとえば、球体にしてタイヤで走るとか」
「球体……? その形状で安定を得るには、内部の重心制御をリアルタイムで補正する必要が……面白い発想ね」
紫藤は少し笑って、彼女を見た。
「協力してくれるか?」
「ええ、もちろん」
そう言って、しおゆりは破損した試作機の隣にそっと座り込んだ。
静かに、しかしどこか嬉しそうに、紫藤と並んで端末の新たな設計ウィンドウを開く。
しおゆりの指先が、端末のスクリーンに触れる。
表示された旧設計図を、紫藤がひとつひとつ消去していく。
「……とりあえず、二足歩行も四足歩行もやめよう。小型・軽量・転倒しにくいって条件を優先で」
「それなら、球体構造が最も合理的。外装と脚部を一体化し、収納可能な可変ユニットとして設計すれば……」
しおゆりの細い指がタッチパネルを走り、スケッチ画面に球形の機体ラフが描かれていく。
「外装を二層式にして、内側で重心バランスを取れば――走行中の安定性も上がる。……って、こういう感じか?」
紫藤が描き加えたラフには、ころんとした本体に、三本の脚部ユニットが収納された構造があった。
「三脚構造……前二本、後ろ一本で支えるスタイルね。足先にタイヤを組み込めば、接地走行と跳躍の両立が可能だわ」
「目は……大きく丸いのを二個。目の部分は液晶にして感情の表現ができるといいね」
「感情?」
「……いや、その方がかわいいと思ってさ」
その言葉に、しおゆりは一瞬だけ手を止めた。
「かわいい……」
「うん。ゴツいよりも、愛嬌ある方が親しみ湧くだろ? 護衛ロボってだけじゃなくて……“仲間”って感じでさ」
しおゆりは静かにうなずいた。
「パーツは、既存のジャンクから流用可能なものを。センサー系とAIコアは調整が必要だけれど、形にはなるわ」
「よし、明日から本格的に組み立ててみようか。待ってろよ“ユユ”!」
「……その“ユユ”という名前は、どのような意図で?」
紫藤は少し考えてから、ぽつりと答えた。
「……なんとなく、響きが優しくてさ。あと……単純だけど、しおゆりと、さゆり。ふたりとも“ユリ”がつくだろ?その音を繰り返して、“ユユ”ふたりが護ってくれるという意味も込めてさ」
しおゆりの目が、かすかに見開かれる。
「……“ユユ”」
しおゆりは小さく囁いた。
夜は静かに更けていく。
ひとつの終わりから生まれた、あらたな始まりのスケッチ。
設計図の青い光が、ふたりの顔を静かに照らしていた。