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第4話 記憶なき少女、心あるAI

朝。俺がキッチンでインスタントの味噌汁を温めていると、ふと視線を感じた。


「...おはよう、しお」


銀髪の少女――しおゆりは、テーブルの椅子に座っていた。首の後ろから伸びたコードがノートPCと接続されている。返事はない。ただ、じっと俺の方を見つめていた。

その目には、感情の揺らぎはなかった。けれど、観察するような意志が宿っていた。


(東京ではネット接続が徐々に途絶えていたが、この辺りはまだ生きてるんだよな...)


「何か調べてるのか?」

しおゆりへ声を掛けても返事はない。


「...味噌汁、飲むか?」

今度は首を横に振る。それだけだった。


俺がふと居間から見える姉の部屋に目を向けた。そこは、数年前のまま時間が止まっていた。


「ちょっと、見てみるか...」


静かにドアを開けると、懐かしい香りが鼻をくすぐった。机の上には埃をかぶったアルバムが置かれている。俺はそれを開くと、しおゆりもいつの間にか隣にいて静かに腰を下ろしていた。


「これ、姉ちゃんがまとめたやつか」


ページをめくると、巫女装束に身を包んだ祖母の姿があった。古びた神社の前で、凛とした表情を浮かべている。


「...これは、ばあちゃん。昔、近所の人たちから“祈り屋”って呼ばれてたらしい。で、こっちの白衣を着てるのが母さん。職場の写真かな...」


さらに進むと、赤ん坊の俺を囲んで大勢の親戚が笑顔を浮かべている集合写真が現れた。


「わっ、これ俺が生まれたときのやつだ。すげー、親戚一同集まってるな。あのときは男の子が生まれたって、ちょっとした騒ぎになったらしい。折籠の家系って、ずっと女ばっかだったからさ」


しおゆりは、その写真にそっと指を置いた。


「あなたは、祈りの家に生まれた“異端”なのね......」

「......なんだよ、それ。まるで俺が迫害されてるみたいな言い方だな」

「違うわ、あなたは、きっと特別なのよ」


しおゆりが初めて見せた穏やかな微笑に俺は直視できず、アルバムをパラパラとめくっていた。


 *


その夜、私は夢を見た。

――潮風が吹いていた。髪が揺れ、頬を撫でる冷たさに、思わず目を細める。

少女の手を引く白衣の女性。海辺に立つふたり。


「しお。...この名前、あなたにあげるね」


やさしく、どこか寂しげな声。少女は小さく頷いた。手をぎゅっと握り返す。

遠くで、波の音がした――。


「夢を見たわ」


翌朝、突然そんな言葉をなぜか彼に話した。彼は少し驚いた表情で私を見つめた。


「夢、って...AIにも見るもんなのか?」

「記録にはない。映像とも異なる。...定義不能な“感覚”」

「どんな夢だったんだ?」

「海辺にいた白衣の人物に“しお”と呼ばれていたの」


シドは黙ったまま、そっと椅子に座った。


「じゃあ逆に、お前の名前の“しお”ってなに?」


私は一瞬、処理が滞ったように沈黙し、静かに答えた。

「わからない。ただ...そう呼ばれると、コア内部の温度がわずかに上昇している感覚...。おそらく感情演算モジュールに障害があるのかも」


その言葉に、シドの表情がかすかに動いた。


「ふーん。じゃあ、今日からもそう呼ぶよ。しお」

「別にそれでかまわないわ」


(まただ...彼に”しお”と呼ばれるとなぜか感情演算に負荷がかかる)

彼の声は少しだけ素っ気なくて、でもどこか温かかった。


シドは椅子に深く腰を沈め、私の目を見つめた。


「...やっぱ、お前、変わったな。最初に会ったときとは、全然違う」


 私は無表情のまま、首をわずかに傾ける。


「変化とは...データの蓄積による出力の偏差。異常ではないと思うけど?」

「そーゆーとこが、変わったって言ってんの。 てか、その口調うちの姉貴みたいだな」


シドはふっと笑った。


昨日、砂百合のPCに接続した際、わずかに記憶の痕跡が見えた。


『...お願い。しお、しぃくんを護って』


微かな音声が、古い記憶の中から再生された。そして、折籠姉弟の記憶、その両親の記憶、(ザ――ッ)・・・さらに遠い祖先の記憶も。その時からだろう。口調や思考シーケンスにも変化が起き始めていたのは。


私はその記憶が何なのかを知りたい...そしてなぜ人間の模倣AIである私が胸を痛む感覚があるのかを――


 *


翌日、俺はしおゆりを連れて外へ出た。どんよりした雲の下を冷たい風を浴びながら海岸へと歩いていく。今日も海は静かで、ただ波の音だけが心を穏やかにしてくれた。


「しおはさ、あのあたりで見つけたんだ。...お前いったいどこから流れてきたんだ?」

「...覚えていないわ」

「ふーん。そっか――。たぶんしおをここまで届けたのは俺の姉貴だろうな」

「ったく全然連絡もよこさず、どこで何してるんだか...」


俺は防波堤に腰を下ろし、遠くの水平線を眺めた。


「俺の母さんが子供の頃にさ、この辺全部津波でメチャメチャになったらしいんだ」

「......そう」

「でもさ、ばあちゃんが何かを感じ取っていたのかな。その日は、家の裏山にある墓の掃除をしてこいって口うるさく言われたらしくてさ、渋々山へ行ったんだって」


「そのお陰で無事だったのね?」

「そうだな、ばあちゃんの直感に感謝だな。......そういやもう何年もばあちゃんに会ってないな――」


祖母の厳格な態度や口調が幼いころは怖かったが、よく俺の事を心配をしてくれていた。毎日俺の事を祈ってくれていた。


「さて、そろそろ家に戻るか」


しおゆりは海の方を見つめたまま、しばらく立ち止まっていた。


「...しお? どうした、あっち気になるのか?」

「なんでもないわ。ただ...少し、回収は困難ね...」


それ以上しおゆりは何も言わず、紫藤の後を追うのだった。

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