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第3話 彼女はしおゆり

祖父母の家に戻った俺は、かつて姉が研究に使っていたラボへと足を踏み入れた。

机の上には、海岸で拾った蒼白い色の小型コアが静かに置かれている。


それは、失踪した姉・砂百合が残した“最後の祈り”──AIユニット「SIDO」の中枢、しおゆりのコアだった。


「これが...しおゆり...?」


俺はコアの表面をそっと撫でながら、姉の残したノートPCを起動した。ファイルには“SIDO起動プロトコル”と記された手順書があり、コアをユニットに接続する方法が詳細に書かれていた。

ノートPCに接続されたコアへ、静かに電源が供給されていく。姉が遺した手順通りに、俺はコマンドを打ち込んだ。


やがて、静寂の中に微かなノイズが生まれる。

画面の端に、未確認の信号応答。


コアから発せられた微弱な信号は、地下倉庫に眠っていたボディへと届く。

それは、砂百合が遺したもう一つの“鍵”。


『...認識完了。接続を確認』


その声は、まるで床の下から響くように、かすかに届いた。俺は一瞬、聞き間違いかと思った。だが直後──ノートPCの画面に、新たなログが表示された。


【ユニット状態:起動】

【現在位置:地下格納庫】


(地下...?)


俺は眉をひそめ、ノートPCの横に置かれていた姉のノートへと視線を移した。表紙には「SIDO開発ログ」とだけ書かれており、所々に付箋が挟まっている。

俺はページをめくり、起動プロトコルの章をもう一度確認した。すると、ページの隅に殴り書きのようなメモが目に留まった。

※ユニット本体は地下倉庫に一時保管。コア装着未了のため、起動不可状態。念のため、主電源は切ってある


(...本体って、しおゆりの...?)


指先がわずかに震えた。姉はすでに、しおゆりのボディをこの家に運び込んでいた。

それを、俺には何も伝えないまま。

声が聞こえたのは、やはり偶然ではなかった。


──そこにいたのは、少女型アンドロイド。


銀糸のように輝くストレートのロングヘアが、背中にまっすぐ流れている。肌は透き通るように白く、どこか儚げな印象を与えるが、芯の強さを感じさせるまっすぐな瞳。瞳の色は淡い水色で、まるで冬の空を閉じ込めたような静けさと深さを持っている。

その姿には、人ではないはずなのに、“人よりも人らしい何か”が宿っていた。


椅子に座る彼女は、機械的に言葉を続けた。

『現在の状態:オフラインモード起動。記憶領域、重大な欠損。...自己認識モード、制限中』


俺は息を呑んだ。


『この状態は仮起動です。完全動作には、コアの本体装着が必要です』

『要請:コアを指定位置に装着してください』


少女型アンドロイドの瞳が、微動だにせずこちらを見つめている。だがその視線に、喜びや戸惑いといった感情はなかった。単なる“センサー反応”──俺という存在を、識別しているだけ。


俺は指示通りにコアをボディ胸部へと近づけた。すると──


しおゆりの鎖骨の下、心臓の位置にあたるあたりに、淡い光の紋様が浮かび上がった。柔らかな水色の輝きが、まるで祈りの印のように広がっていく。それは幾何学模様のようでもあり、花のようにも見えた。姉がこのボディに刻んだ、唯一の“鍵穴”。


コアがその中心へと吸い寄せられるように滑り込み、ぴたりと収まった。紋様はふっと淡く脈打ち、ゆっくりと光を収束させていく。


「コア挿入を確認。融合プロセスを開始します」


無機質な声がそう告げると同時に、しおゆりの胸元に淡い光が走った。紋様の光はゆっくりと収束し、やがて完全に消える。数秒の沈黙。だが次の瞬間──


「中枢動作:安定」

「認識領域:再構築完了」

「SIDOユニット・しおゆり、起動状態に移行」


システムログのような短い発話の後、しおゆりの瞳がふたたび光を帯びた。それはさきほどよりも明確な色で、淡い水色の中に、わずかな意志の輪郭を宿していた。


カタリ──とわずかな音を立てて、椅子に置かれていた両手がゆっくりと動く。少女型アンドロイドは、滑らかな動作で立ち上がった。無駄のない、機械的に最適化された立ち上がり。それなのに、どこか“人間らしい所作”にも見えるのはなぜだろう。


俺は、その場から動けなかった。


「動いた...ほんとに、お前...しおゆり、なのか?」

「識別名“しおゆり”です。──あなたの識別名を、提供してください」


「えっ...あ、紫藤。折籠 紫藤だ」

「オリカゴ...シド。 ──登録、完了」


目の前の少女は、まるで命令を待つだけの端末のようだった。

その表情に、感情は見えない。


「砂百合が、お前を残してくれたんだな」

「“砂百合”──。一致する音声データは多数存在。定義未確定。記憶障害のため、判定不能」


俺は、少しだけ肩を落とし、椅子に腰を下ろした。

「ま、とりあえず ようこそ、だな」

「挨拶を確認。意味:歓迎。応答:あ...ありがとう」


わずかに言葉が詰まったように聞こえたのは、気のせいだったのかもしれない。


 *


その日の夕方、俺はしおゆりの記録に姉の情報を取り出せないか確認するため、簡易診断ツールを走らせていた。


「いくつかの機能制限がありますが、ユニットには問題ありません――記録データへアクセス......失敗しました。識別名:”砂百合”に関するデータを復元・修復中......」


淡々と話すしおゆり。その声は、どこか遠い。


「じゃあ、名前は“しおゆり”で合ってるんだな?」

「登録データに基づく識別名。“しおゆり”は私の名称です」

「......その名前、どう思う?」


しおゆりは、俺の問いにすぐには答えなかった。

数秒後、小さく首を傾けて言った。


「判断基準がありません。ただし、呼ばれることに対して、拒否反応はありません」


俺はふっと、安堵とも戸惑いともつかない笑みを浮かべた。


「そうか。じゃあ、これからは“しお”って呼ぶよ」

「了解。“しお”への応答を許可します」

「俺のことは紫藤って呼んでくれ」

「了解。...シド」


少女の声は、相変わらず機械的だった。


「あー、それと......、その機械みたいな喋り方、なんとかならんの?」

 少しだけ間を置いて、しおゆりがぽつりと答えた。


「...善処、します」


声に、ほんのわずかだけど柔らかさが混じった気がした。

俺はそのまま、微笑んだ。


しおゆりの瞳には、前よりもほんの少しだけ深みが宿っていた。


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