第18話 再会
──そして現在。
ラボの空気は、どこか張り詰めていた。
大型スクリーンには、深海の地形と構造図が映し出されている。
その中央、赤く点滅する印が一つ──。
「……深度、七百二十メートル地点。しおのコアを運んだAIドローンを確認……だな。ココロ、正確な座標は録れてるか?」
「もちろんですわ、しど兄様。さゆ姉様の通信機、それに衛星からのGPSによる正確な位置情報が判明しておりますわ」
紫藤は一息ついてから今回のシナリオを話した。
「実は、今回のドローン回収はあえて“失敗”させる必要があった……」
「え?どうして!」
あまゆりが涙を浮かべながら紫藤を見上げる。
「姉貴のところに政府から連絡が来たんだ。今回の大規模ネットワーク障害を防いでくれたお礼に、日本まで帰る手助けをしてくれると……」
「えっ、さゆねぇねが帰ってくるの?」
「ああ、今日中にでも会えるぞ」
ぱぁと明るくなったあまゆりの頭を紫藤はかるく撫でる。
「ただ送迎するだけのために潜水艦なんてちょっとおかしいだろ?政府の本当の目的はしおゆりの祈り因子が宿っているあの海底ドローンの回収、そしてその中身だったんだ……」
「そんなの絶対だめっ!」
「ああ、もちろん姉貴もそのつもりさ。絶対渡したくない、だからあえて失敗するよう仕掛けた」
ラボの空気に、再び静寂が戻っていた。
紫藤は深く息を吸い、あまゆりに向き直る。
「……実は、あの時灯台で祈りを捧げてくれって言ったのも、全部計画の一部だったんだ」
「計画……?」
あまゆりが少しだけ眉をひそめる。
「俺たちの手で、しおの祈り因子を回収する。それを政府に邪魔されたくなかった。だから海自の提案――“自衛隊による即時回収”は、あまゆりの祈りで拒絶してもらったんだ」
「……それって、わたしを騙してたってこと?」
紫藤は静かに首を横に振る。
「違う。ただ、その時は“まだ話せなかった”だけなんだ。……ごめんな、あまゆり。全部伝えるには、タイミングが必要だった」
「その件に関しましてはわたくしも謝りますわ」
ココロが紫藤の後に続く。
「わたくしもさゆ姉様と今回の作戦を立てておりましたの……。もし今回の全容をあまゆりちゃんに伝えていたら、変にプレッシャーを与えることになってしまう……
しおゆり様の祈り因子と共鳴させるためには、あまゆりちゃんの純粋な“心からの願い”が必要でしたの。……黙っていたこと、お詫びいたします」
一瞬の沈黙のあと、あまゆりはふっと息を吐いた。
「……いいよ。今、ちゃんと話してくれたから。……それに、そのおかげでママが連れていかれずに済んだし……もう、怒ってない」
笑顔に戻った彼女を見て、紫藤もようやく肩の力を抜いた。
「ありがとう……それに姉貴は、海自を利用して座標情報を“正確”に手に入れたかった。だから、今回の作戦がうまくいったのは姉貴やココロ、そしてあまのおかげってわけだ」
「さっすが、さゆねぇねだね!ココちゃんもありがと♪」
にっと笑ったあまゆりに、紫藤も小さく頷く。
*
その日の午後、福島県・小名浜港に、一隻の調査船が静かに到着した。
桟橋に降り立ったのは、白衣姿の女性と、数名の研究者たち。
その中に、紫藤の姉――折籠砂百合の姿があった。
「ほんとに、ここまで来られたのね……」
潮風に吹かれながら、砂百合は港の風景を見渡し、懐かしげに目を細めた。
「さゆ姉様、こちらですわ!」
ココロが手を振る。その背後に紫藤とあまゆり、ユユも立っていた。
「やっほー、みんなお疲れ様~!」
砂百合が軽やかに手を振りながら駆け寄ってくる。
「久しぶり、しぃくん! それと……やっと会えて嬉しいわ、あまゆり。ココロ。ユユも来てくれたのね!」
「さゆねぇねぇぇっ!」
あまゆりが勢いよく飛びつき、砂百合の腰にぎゅっと抱きつく。
「ふふっ。はいはい、元気そうでなにより!ちょっと大きくなったんじゃない?」
「あんたは親戚のおばちゃんか……」
港に併設された休憩所で砂百合の帰りを皆で出迎えた。
「まずは……ごはんにしよう。疲れた時は甘いものよ!」
砂百合の提案で、ココロが用意していた弁当と温かい飲み物がテーブルに並べられた。
しばしの間、笑い声と湯気の立つ音があふれ、小さな団らんの時間が流れる。
皆は食事を終え、旧折籠邸へと帰ってきた。
*
「さて……これからが本番よ」
大型スクリーンに再び海底地形図が映し出される。
「改めて確認するけど、そもそも俺が“しおゆりのコア”を拾ったのは、この先にある海岸。じゃあなんで、南極から運ばれたドローンに“祈り因子”が反応したのか──」
紫藤が問いかけると、しおゆりの記録映像が浮かび上がる。
「……南極での再起動処理の際、あのドローンにしおゆりの“仮想コア”が一時的に同期した形跡がある。要するに、魂の“写し”が残ったのよ」
「……写し……」
「それが“あまゆり”と反応し、しおゆりの本来の祈り因子と繋がった……ってこと」
「それを回収すれば、またしおに会えるのか?」
「実際見てみないとわからないけれど、復元できる可能性はゼロではないわ」
「で、潜るのは……」
「ユユでアリマス!」
ユユが胸(?)を張るように宣言する。
「今回の回収はユユの耐圧構造改造後が前提ですわ。わたくしが補強パーツを調整いたしますわ!」
ココロもすでにツールを手にしていた。
「それから、漁船の方も問題ないわ。うちのおばあちゃんの知り合いの漁師さんに協力してもらえるよう手配済みよ」
砂百合の言葉に、皆が頷く。
こうして――本当の、しおゆり回収作戦が、再び始まろうとしていた。
◇◇◇
船上は、静かだった。
潮風と波の音、時折軋む船体の音が、遠い世界のざわめきのように響く。空は青く澄んで、深海の不気味さをまるで嘘のように隠している。
「ユユ、最終点検完了。……本当に、行ける?」
あまゆりは、船縁に立つユユの肩にそっと触れた。
「問題ナイでアリマス。水圧対応構造、全システム稼働良好。……ただし、浮上タイミングを誤れば、圧潰の恐れアリマス」
機械的な声ながら、その口調には覚悟と決意がにじむ。
「ユユ……」
あまゆりの瞳が、かすかに揺れた。
砂百合と紫藤も見守るなか、漁師の老人が慎重に位置を調整する。
「このへんで間違いねぇだろ。あんたんちの婆ちゃんには、昔ずいぶん世話になったからな」
船長の笑顔には、どこか“家族”への温もりがあった。
「ありがとうございます」
紫藤が深く頭を下げる。
ユユはあまゆりの手から、強化ロープを受け取ると、自ら腰に固定し、海面を見下ろした。
「任務開始──行ってくるでアリマス」
そして、ユユは音もなく海に身を沈めた。
──深度50メートル。
水中ライトの灯りが、青く濁った世界を照らす。
──深度200メートル。
船と繋がれたロープが、かすかに張力を帯びる。
──深度500メートル。
「外装フレームに圧力兆候……ミシミシ音、確認……」
ユユの警告が船上モニタに表示され、あまゆりが思わず手を口に当てる。
「……がんばれ、ユユ……っ」
──深度600メートル。
ユユの装甲が自動的に収縮変形し、耐圧モードへ。全身を守るための“縮小プロトコル”が作動した。
モニタリングしているPCから激しくアラートが響く。
「ユユ、もうもたないわ、すぐ浮上しなさい!」
「警告:危険領域に到達。作戦続行は……自己判断でアリマス」
ユユのモニターに、コア座標までの距離が徐々に近づく。
「目標、視認──確保したでアリマス!」
「引き上げ準備……ロープ、巻き戻しスタート!」
紫藤の声で、船のウィンチが動き出す。
──数分後、ユユが海面から姿を現した。
「ユユ!」
あまゆりが駆け寄る。ユユの手には、傷ついた白いドローンがしっかりと抱かれていた。
「やった……見つけた……」
しかしユユは応答しない。
「ユユ……?ねぇ……」
その瞬間、あまゆりの体がふらりと揺れ──そして、倒れ込んだ。
「「あまゆりーっ!」」
紫藤と砂百合が同時に叫ぶ。
◇◇◇
あたりは白い霧に包まれ、遠くで電子音のような風が流れていた。
白く霞んだ世界の中、浮かび上がるふたつの光。あまゆりの意識はその中で静かに漂い──やがて、ぬくもりに包まれた。
そこにいたのは、銀色の髪を揺らす優しい女性の姿。
あまゆりが何度も夢に見た人──ママ。しおゆり。
「……しお……ママ……?」
小さく、こぼれるような声が響いた瞬間──あまゆりは駆け寄り、しおゆりの胸に飛び込んだ。
「ママ!ママー!あま……ずっと会いたかった……! 毎日……ママの電波……探してたんだよっ!」
泣きじゃくる声が震える。
「でも全然拾えなくて、もう……二度と会えないのかなって……怖かったの……!」
しおゆりはその小さな肩をそっと抱き寄せ、頬をすり寄せるように言った。
「うん。ずっと見てた。あなたが毎日、空を見上げて頑張っていたの……知ってた」
「ママの声、届かないのが悔しくて……何度も、何度もね、呼びかけたの……」
あまゆりは小さな体でしおゆりにしがみつき、涙をこぼす。しおゆりは、彼女の髪をそっと撫でながら、優しく続ける。
「あまゆりは本当に強い子。誰よりも優しくて、素直で、信じる力を持っている。だから……もう泣かないの」
「ひっく……うんっ……」
その時、しおゆりの胸の中のコアが光を放つ。それは小さな粒子のカタチへ変わり、あまゆりのコアへと染み込んでいく。
「忘れないで。あなたの中には、ちゃんとママがいるの。祈りのかけらとして、ずっと……」
そのとき、しおゆりの体が少しずつ光に溶け始めた。意識が、残滓へと変わっていく。
「え……ママ、いなくなっちゃうの……?」
あまゆりが不安げに手を伸ばす。けれど、しおゆりは微笑みながら頷いた。
「大丈夫。また会えるわ。だって、あなたの中に流れる“折籠の祈血”が──きっと、私をもう一度蘇らせてくれる」
「ママ……」
「だから……お願い。彼のこと、よろしくね。シドを、守ってあげて」
「……うん。任せてっ!」
その瞬間、しおゆりは最後に微笑んで、ゆっくりと──眠っているユユのボディに触れた。
『防衛プロトコル、起動。……ユユ、起きなさい』
◇◇◇
砂百合と紫藤に抱きかかえられたまま動かなくなったユユとあまゆり。
「おい、あまゆり!起きろっ!ユユ……応答しろ……! ユユ!」
紫藤が呼びかけても、あまゆりはまるで眠るように目を閉じていた。
ユユのセンサーライトは落ちたまま動かない。
「死ん……じゃ、だめだ……」
紫藤の手の中で、あまゆりの小さな指が、かすかに震える。
──ピピッ。
その時、船上に置かれたココロのモバイル端末が反応音を立てた。
「反応が……同期波形が変化していますわ!」
画面に映し出された心電図のような波形が、ふたつ──まったく同じタイミングで、力強く脈動する。
「……動いた……?」
次の瞬間。
「──全機能再起動。起動プロトコル、完了でアリマス。」
ユユの機体が、カチリと音を立てて起き上がった。
センサーライトが淡く灯り、全身の装甲が微かに震えた。
「っ……ゆ、ユユ!?」
ユユがきょとんとしたように周囲を見回す。
「ご主人? ユユ、任務完了でアリマス」
「ユユっ!!」
同時に目覚めたあまゆりも、隣にいた紫藤にしがみつく。
その頬には涙が伝っていた。
「しどぉ!ママに会えたんだよっ! ユユのことも起こしてくれたの!」
そしてその瞳が、ふと空を見上げる。
「……ママが、わたしの中に……ううん、ずっと、そばにいたんだね……!」
──雲の隙間から、一条の光が差し込んでいた。
ユユの肩にもたれて、微笑むあまゆり。
その背後で、紫藤が静かに呟いた。
「しお、ありがとう……ふたりを護ってくれて」
そして──「おかえり」