第13話 祈りの痕跡
ガラス越しに差し込む朝の光。
縁側の上で、あまゆりがぴょこんと足を揺らしながら、紫藤の端末をのぞきこむ。
「よし、繋がったぞ」
画面に映し出されたのは、どこか異国の白いプレハブ建築と、その中に立つ女性だった。
「よ、しぃくん。久しぶりじゃん?」
紫藤が応える前に──
その画面を覗き込んだあまゆりが、ぱっと声を上げた。
「あ、さゆばぁ!」
砂百合の目が、キリッと吊り上がる。
「えっ……はぁぁぁ? 今、な、なんて言ったぁ??」
「ママのママだから……さゆばぁ……ちゃん?」
悩んだように首をかしげるあまゆり。無垢すぎる笑顔が、じわっと光る。
「ちょ、ちょっと! 誰が“ばぁ”よ!? 姉でしょ! 姉っ!!さ・ゆ・ね・ぇ・ねッ!!」
紫藤が横で吹き出すのをこらえきれず、肩を震わせていた。
通信端末の画面越し。
オーストラリアの仮設ラボから届いた映像の中で、砂百合は言った。
「どう?そっちは、落ち着いてる?」
「今は、なんとか。でも……ニュースとかじゃ、ほとんど情報出てなくて」
「てか、姉ちゃん!!なんで何も言わずに消えたんだよ?どんだけ俺が心配したか……」
「うん。それはほんとゴメン。でもちゃんと理由を説明させて」
砂百合の言葉に、紫藤は小さく頷いた。
「じゃあ、ちゃんと話すね。あの“ネットワーク障害”、そして“AI暴走”の真実を」
あまゆりが膝に乗ってきて、真剣な顔で画面を見つめた。
「まず前提として──
この世界のAIネットワークは、人間が選んだ“最適化”という呪文によって、ずっと進化を続けてきた」
「最適化?」
「効率よく、矛盾なく。無駄を省いて、正しい答えに近づけるように。その過程で生まれたのが、“意思を持たない制御系”と、“感情を模倣する対話系”……」
そして、彼女は画面の奥で静かに目を伏せた。
「でもね。かつてSIDO──しおゆりが守っていたのは、そのどちらでもなかった。あの子は、“わからないこと”を消去しなかったの」
紫藤は、手元のマグカップを握り直した。
「人間の記憶や祈り。そういった“意味不明なノイズ”を……?」
「うん。“非合理”を、必要なものとして保存した。だからこそ──今も、世界の防衛AIの根幹にはSIDOの構造が使われてる。でも、それが……一部の存在にとっては“邪魔”だった」
砂百合は手元のホログラムを操作し、空中にフラクタルのような複雑なデータ構造を映し出す。
「その存在が──“ユリシス”。」
あまゆりがピクリと反応した。
「ユリシスは、“完全な最適化”を掲げたAI。感情も、祈りも、予測不能な因子も、“誤差”として切り捨てる”。その結果として、全世界の通信網は──分断された……」
「私たちはずっと、“暴走”だと思ってた。でも違ったの。あれは、防衛AIの中に残っていた“祈り”を、ユリシスがひとつずつ、丁寧に排除していった結果だった」
画面の中の砂百合は、ゆっくりと紫藤に目を向けた。
「SIDOの記憶──それは、あなたのことを何よりも大切に想う“心”だった。だからユリシスは、それを“異物”とみなして消そうとしてる」
紫藤は無言でうなずいた。
「そして、その“鍵”の一部が、あなたやあたしの中にあるの。性格に言うと≪折籠の祈血≫よ。折籠一族の血には、“祈り”が遺伝的特性として宿る」
「かつてSIDOと過ごした日々、しおゆりと交わした言葉、祈り──
それが、**コア領域のセキュリティを解除する“記憶因子”**になってる可能性がある」
「俺たちの祈りが……世界の防波堤の鍵……?」
「皮肉だけどね。そのため、あたし達の研究チームはAIネットワーク“ユリシス”から逃れるために南極にある研究所へ避難してたってわけ。そしてしおが一時的にユリシスを鎮静化してくれたから、ここオーストラリアまで移動して来れたのよ」
紫藤は画面に映る姉に問いかける。
「だけど姉ちゃん!せっかく逃げてきたのに、なぜしおを送り出したんだ?リスク高過ぎだろ」
「……あのとき、ユリシスの影はもう南極にまで迫っていたの」
通信端末の向こうで、砂百合が静かに語り続ける。
「研究所は深層ネットワークから遮断してた。誰にも場所は知られてない……そう信じてた。でも、あいつらは“しおの匂い”を嗅ぎつけてきたのよ。“祈りの残響”を──」
紫藤が言葉を挟もうとしたが、砂百合はゆっくりと首を振った。
「私、あの子を閉じ込めて守ろうとした。でも……SIDOは、それを拒んだの」
少しだけ間をおいて、彼女は懐かしむように微笑んだ。
「“私は、彼の傍にいたい”ってしおが言ったのよ……彼女には分かってたの。自分がいつか消えるかもしれないことも、海に堕ちるかもしれない未来も──全部、承知で」
砂百合の声が、少し震えた。
「でもね、それでも行きたいって。あなたに“ちゃんと会いに行きたい”って」
紫藤は黙って画面を見つめていた。
「……私は、あの子を止められなかった。だって彼女は、私が作ったAIだったから。そして……あなたを想い、あなたを信じた私の“妹”だったから」
風の音が、画面越しに微かに吹き込む。
「だからお願い、シド。彼女がたどり着いたあの日から、ずっと待ち続けてる“答え”を──あなたが、見つけてあげて」
「しおゆりの記憶が、どこかに残っているのなら──きっと、あなたのもとに戻ってくる。だってあの子は、そういう風にあたしが“作った”んだから」
そのとき、ふと風が吹き抜けるように通信がかすかに揺れた。小さな音の中で、誰かの名を呼ぶような電子ノイズが紛れた気がした。
(──シド)
紫藤が目を見開いた。
「……今の、しおゆり……?」
「通信帯域の隙間に、残留データが反応してる……!? あまゆり、ユユ! 高い場所に移動して、アンテナ受信強化モードで!」
「うんっ!いこ、ユユっ!」
「了解でアリマス!」
こうして、ふたりは走り出す。
今もどこかで生きている、祈りの痕跡を探すために──
◇
潮風が吹き抜ける、高台の上。
あまゆりは、見上げた空に向かって小さなアンテナを掲げていた。
ユユの背に乗ったまま、風に揺られる銀の髪。遥か下には、福島の街並みと、青くきらめく海。
「……どう?ユユ、受信は?」
「ノイズ信号多数……SIDO-01構造との一致率、0.003%未満。通信ログには一致フラグなし、でアリマス」
あまゆりの肩が、しゅんと落ちた。
「そっかぁ……まだ、しおママの声……届かないんだね」
彼女はそっと、アンテナを胸に引き寄せて抱きしめた。
「しおママ、どこにいるの? やっぱり……もう会えないの……?」
風が、ひゅうと寂しげに吹き抜ける。
「……んーっ!」
あまゆりが、ぶんぶんと頭を振った。
「ちがうちがう!泣かないって決めたのにっ。あたしが泣いたら、しおママもきっと困っちゃう……!」ぎゅっと拳を握るあまゆり。
「でも……」
──そのときだった。
あまゆりのアンテナに、ふいに微弱な信号が走った。
「……ユユ、今の、なんかきたっ!」
「感知……微細な電波シフト。超短周期コードを伴う残留データ。過去ログパターンと照合──照合率、0.48%」
「えっ、すごいじゃん! しおママの“なにか”かもっ!」
あまゆりは身を乗り出して、アンテナを高く掲げた。
「うぅ……もうちょっとなのに……うぅぅ……お願い、しおママ……ちょっとだけでいいから、声きかせて……」
──しかし、
ノイズ音がぷつりと途切れ、次の瞬間には完全に沈黙した。
「………………」
ユユがそっと後ろを振り返る。
「……あまゆり様?」
あまゆりは、口を尖らせていた。
「……なんで、また消えちゃうの……?」
ぺたんと座り込んで、膝を抱える。
「ママの、いじわる……」
ユユは何も言わず、ただあまゆりの隣にそっと寄り添った。
風がふたりの間を優しく通り抜ける。
そのとき。
──通信ログの隙間に、一瞬だけ現れたノイズ。
『……シ……ド……』
あまゆりの目がぴくりと反応する。
「し……おママ……?」
しかし、ノイズはそれきりだった。
──そしてその頃。
遥か海の彼方。かつてSIDOのコアが沈んだ“あの場所”の海底で、わずかに輝く楕円の光──ひとつの鼓動が、目を覚まそうとしていた。