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豚侯爵とケロイド令嬢 〜顔が変わった途端に浮気する婚約者とか心底どうでもいいです〜

作者: セト

 世界一の幸せ者だと信じていた。

 由緒ある公爵家に生まれ、容姿も毎日のように褒められ、15年間なに不自由なく生きてきた。

 素晴らしい婚約者もいて、学院のみんなもいつも慕ってくれる。

 ああ、なんて最高の人生!

 そう微笑みながら帰っていたある日、不気味な笑いを浮かべる予言師に出会った。


「偽物に囲まれて嬉しそうだねえ」


 ボロボロのローブを着た、おそらく中年女性であろう人物。

 たまたま一人での帰宅だったこともあり、恐怖が勝る。

 無視しようとしたけれど、どうしても偽物という言葉が気になった。


「偽物? なんのお話でしょう」

「すべてだよ。お前が感じているものは、偽りでできている」

「意味がわかりません。初対面なのに、なぜ私のことがわかるのですか? 私の世界は本物です!」

「それなら――試してみるかい?」


 片笑みする彼女に底知れない恐怖を感じるも、私は自分の世界を信じてうなずく。


「予言しよう。お前の世界はすぐに壊れる。三年間、頑張りな。そしたら見た目だけは元に戻るだろう」


 そう言うなり、彼女は私に向かって杖を向けた。

 目を開けていられない強烈な光が放たれ、それがおさまったとき、彼女は忽然と消えていた。

 ……魔術師だろうか?

 怖くなった私は急いで自宅に戻り、すぐにメイドたちの悲鳴を聞くことになる。


「お、お、お嬢様!? そのお顔は、どうなさったのですか!?」

「……顔? 顔がどうか、したのかしら?」


 私の返答に、彼女たちは心から驚いている。

 慌てて鏡を持ってきてくれると、私は彼女たちが目を丸くする理由がわかった。

 顔の大部分が、酷い火傷の跡みたいな状態に変わっていたのだ。


「なにこれ……。なんなの、この醜い顔は……!?」


 視界がぐるぐると回りだし、すぐに私は気を失った。



 夢ではなかった。

 あの予言師にやられたのだろう。

 狙いはわからないが、私はこの顔をどうにかするしかなかった。

 幸い、父上が国中の優秀な医者を集めて私のことを診るように頼んだ。

 結果として、すべてが徒労と化した。

 強力な魔術によるもので、並の方法では治らないのだろう。

 三年、我慢すれば元の姿に戻すと言っていた。

 嘘かもしれないが、これしか希望がないのも事実だった。

 私は覚悟を決めて、三年間この顔で生きることにする。

 強い強い覚悟のはずだったが……登校初日から心が折れそうになる。


「うわ、なにあの顔……」

「気持ち悪い……」

「うわーん、ママー! お化けがいるー!」


 すれ違う人たちの言動だ。

 いくらなんでも失礼ではないだろうか。

 私は悲しみと怒りがない交ぜになった感情を押し殺すので精一杯だった。

 学院にいっても状況は似ていた。

 私が歩くだけで生徒たちがザワつき出す。


「えっ……あの、ティアナ様、ですよね?」


 辛うじて残っている、まともな部分だけで判断した女子生徒に私はうなずく。

 髪を上品に結った彼女は男爵令嬢のレローラで、私をよく慕ってくれた友人の一人だ。


「なんで、そんな顔に……なったのですか?」

「火傷を負ってしまったの。いま、良い医者を探しているところよ」


 家族には話したものの、友人たちには魔術師の話をする気にはなれない。

 どうしても嘘話に聞こえてしまうだろうから。


「おっ、その後ろ姿は麗しのティアナだね! 僕が世界で一番愛する、最も綺麗な婚約者様だ」


 婚約者で子爵家の嫡子であるブリッドが声をかけてきた。

 少し軽いところはあるけれど、いつも優しい心で私を受け入れてくれる。

 私は緊張しながらも振り返る。


「ひぃっ!?」


 彼は驚きと恐怖のあまり、その場でしりもちをついた。


「ティアナよ。火傷を負ってしまったの」

「……や、火傷を。それで、そんな醜い顔に……あっ、いや、悪い意味ではなくて!」


 間違いなく悪い意味だし悲しいが、同時に仕方ないとも感じる。

 逆の立場だったら私だってすぐには受け入れられるか怪しい。

 慣れる時間が必要なのだろう。

 私はなるべく明るく、いつも通りに振る舞うことにした。


「ねえレローラ、帰りにこの間話したお店にいってみない?」 

「あ……えっと、実は今日は予定があって」


 明らかに引きつった顔での返答だった。

 やはり初日では厳しいのかもしれない。

 ブリッドもまた、同じような態度だ。


「また今度にしよう。僕は今日、予定があるんだ。大好きだよ」


 いままでで一番、素っ気ない大好きだった。 

 二人とも口には出さないけれど明確に私を避けている。

 その日を境に、私の毎日は暗く光の当たらないものに陥っていった。

 私を慕ってくれていた人たちは誰もが態度を変化させていく。

 以前はあんなに私の周りに集まってきていたのに、いまでは話しかけても寄ってこようとはしない。

 さすがに、露骨に嫌う態度は見せない。

 公爵家の娘であり、父が多くの家柄に支援していることが大きい。

 たとえばレローラの家などにも経済的支援や仕事の斡旋を行っている。

 だから表面上は嫌われないように振る舞うが、内実関わりたくないのが嫌というほど伝わってくる。

 みんな、この顔の隣を歩きたくないらしい。


 一番わかりやすいのはブリッドだった。

 以前は休み時間のたびにきて、髪やら服やらを褒め続けていたのに、いまは廊下ですれ違うだけでも動揺している。

 話しかけられたくない。

 そんな心の中が透けて見えるようだった。

 ある日の放課後、忘れ物をして教室に戻ると、そこで衝撃的なものを見てしまう。

 ブリッドとレローラが熱く抱き合っていた。

 雰囲気は恋人のそれで間違いない。

 私は教室には入らずに隠れて、二人の会話に聞き耳を立てた。


「ねぇ、本当にティアナ様と結婚するの?」

「仕方ないだろ。親同士が決めたことだし、うちの家にとってもメリットは多い」

「でもあの顔の彼女と、こういうことできる?」

「勘弁してくれって。直視するだけでもキツイんだ」

「私もそう。話しかけられると困るよね」

「いっそ引きこもってくれたら楽なんだが」

 

 心が死んでいくのを如実に感じる。

 私は忘れ物は取らずに学院を飛び出た。

 悔しくて悔しくて、いつまでも涙が溢れてくる。 

 私は顔以外なにも変わっていないのに、どうしてこんな辛い想いばかり……。


 人を信じる気持ちが枯れてしばらく経つと、私は学院で誰かと話すことはめっきりなくなった。

 放課後も寄り道などせずに自宅に帰っては部屋にこもる生活。

 完全に引きこもらなかったのは、そうするとブリッドの言葉に負けた気がして悔しかったから。

 家族やメイドたちも私には腫れ物を触るような扱いとなった。

 さらに時が過ぎ、灰色の気分は加速していく。

 なににも笑わないし、当然幸せだと感じることは一度もなかった。

 十七歳になり、学院生活もあと二年を切った。

 この頃になると、あの時の予言者の言葉に嘘がないことを身を以て痛感していた。

 そして、偽りの世界から目が覚めた私は精神的におかしくなってくる。

 ストレスもあるし、日の光を浴びないのも悪かったのかもしれない。

 どうやって死のう。

 そればかりが頭を支配するようになった。

 卒業前には、容姿は元に戻るのかもしれないが壊れた価値観はそうはいかない。

 生になんの未練もない。


 放課後の誰もいなくなった教室で一人立ち上がり、私は校舎の外に向かう。

 すでに生徒たちはおらず、穏やかな風が流れていて心地よい。

 誰が植えているのか整理された花壇が並ぶ。

 鮮やかな一年草たちが見事に花をつけ、それは灰色の世界に少しだけ色を授けてくれた。

 どうせなら、この綺麗な場所で死にたい。

 私は花壇に仰向けに寝ると、最近は常に持っていたナイフをポケットから取り出す。

 喉を一突きすればすべてが終わる。

 さようなら、私のくだらない人生――

 私は目を閉じて、ためらいなく腕を動かした。

 ……動かない。

 驚いて目を開けると、体の大きな男子が私の腕を掴んでいた。

 彼は私からナイフを奪い取ると遠くに投げ捨てる。


「こんなところで死ぬなんて、賢い選択とは言えないな」


 彼は動転気味の私の腕を力強く引っ張りあげる。


「ここは花たちの家みたいなものだ。出るぞ」


 彼が花を踏まないように出るので、私も真似をする。

 その際、昔こんな物語の本を読んだことがあるなと思い出す。

 生きる希望を失ったお姫様が自害しようとするところを王子様が止めに入るのだ。

 違うのは、いまの私はお姫様のように美しくはないし、彼もまたそうであること。

 まず、彼は物凄く太っている。

 そして顔は、失礼だけどかなりの不細工になるだろう。 

 そばかすやニキビも多い。

 悪い意味で有名な人で、生徒たちの間では『豚侯爵』と呼ばれている。

 侯爵家の嫡子で見た目が悪いためにそう付けられた。


 酷いものだとは思うが、実は私もその酷い側なのだ。

 呪いをかけられる前、廊下を歩いているときに財布を落としてしまった。

 その際、近くにいた彼が親切にも拾ってくれようとしたのに、私は大声で怒鳴ってしまった。

 触らないで!

 誰かに触れられるのが嫌だったわけじゃない。

 彼が嫌だった。

 本当に失礼だけど、私もみんなと同じように汚いと感じてしまっていた。


「なぜ死のうと思ったんだ?」


 私を見る彼の瞳には慈悲心が宿るように感じて、私は少しだけ心を開く。


「生きていてもいいことなんて無いから。時間が無為に過ぎていくだけ」

「事故で顔に火傷を負ったことが原因とか?」

「いいえ。火傷だけならなんとか耐えられた。醜くなったことで、婚約者や親友が信用できない人だって気づいたことが苦しいの」

「綺麗事言ったところで、人は見た目が大事だもんな。俺を見ればわかるだろ?」

 

 私はうまく返事ができない。

 なんて答えるのが正解なのか本当にわからない。

 彼はただ見た目が悪いというだけで学院中の生徒から嫌われ、陰口を叩かれていた。

 私も見下していた内の一人だ。


「……ごめんなさい。私、以前あなたに酷い態度を取ってしまって……」

「そうだっけ? 色々ありすぎて覚えてないな。君の婚約者と友達には、散々馬鹿にされたけどね。泣くときはブーなのかとか揶揄われたし」


 ブリッドとレローラだろう。

 そこまで倫理観が壊れているのかと私は憤りを覚える。

 仮にも婚約者なので私が謝ると、彼はそんな必要はないと告げる。


「この見た目では、いちいち腹を立ててたら生きていけないのさ。人じゃないところに目を向ければ、世界は意外と綺麗だよ。ほら」

 

 そう言って、彼は花壇の花たちを優しい眼差しで眺める。

 そよ風に吹かれ、左右に小さく揺れる花たちは純粋に美しくて心が洗われるようだ。

 この顔になって初めて、良い方に感情が動いた気がした。


「たまに君を見かけた時、変わったなと感じていたんだ。見た目じゃなくて表情が。以前はいつも笑顔だったのに、俯いて虚ろな目をしていることが多くなった」

「どうしても笑う気になれなくて」

「気持ちはわかるが、まだまだやり直すことはできる。まず自害は禁止だ。俺が頑張って植えた花の中で死ぬなんて、いくら公爵令嬢でも許さないぞ」

「……そうね。本当に悪いと思っているわ」

「お詫びに、花の水やり手伝ってくれ」


 彼はすぐに水の入ったジョウロを持ってきて私に渡す。

 これが思った以上に重くて落としそうになる。


「おっとすまない。か弱いレディには重すぎるよな」

「そんなことないわ! 全然余裕よ」


 負けず嫌いな一面が出てきて、私はそれを死ぬ気でもって花たちに水やりを行う。

 自分がなにかの役に立っていることに、私は小さな喜びを覚えた。

 仕事をしながら彼は自分の生い立ちを話してくれる。

 オルジット侯爵家は由緒ある名門で、幼い頃から彼は英才教育を施されてきた。

 でも友人と遊ぶ時間もないことが嫌で、部屋で泣く日が多かったという。


 しかし八歳の頃、両親の方針が急に変わって、彼ではなく弟に家を継がせる話が出てきた。

 彼は悲しそうな目で、自分は見限られたと言う。

 それ以来、いままでの忙しかった時間が嘘のように暇な時間が増えた。

 ところが彼は、そこで気づいてしまう。

 誰かと遊ぶ時間はあっても、相手はもういないのだと。


「こんな見た目だろう? 揶揄われることはあっても仲良くしてくれるやつは少ない。たまにいても、親にあの子には近づくなと言われる。汚らしいから仕方ない」


 ニコニコしながら話す彼のことを私は観察する。

 私とは比較にならないほど嫌な思いをしてきたのだろう。

 おそらく彼は、他人にあまり期待しないことにしているのだ。

 私もその経緯をたどったから痛いほど気持ちがわかる。


「勘違いしないでくれよ。俺は世界がクソだから死のうとは考えない。楽しみを見つけて生きるんだ。人生をはかる基準は一つじゃない」


 そうか。

 彼はきっと外見の善し悪しだけで態度をころころ変える学院の人たちのようになりたくないんだ。

 違う物差しでもって生きている。


「綺麗な水や美味しいご飯が食べられるだけでも十分幸せではあるしな。俺は良いことに目を向けていきたいね」


 同い年なのに私なんかよりずっと大人な彼のことを私は尊敬する。


「ねぇ、今更失礼だけど、名前を教えて」


 彼のことを名前で呼ぶ人はいなかった。

 誰もが豚侯爵と言っていたので本名がわからなかった。


「グレイスだ。太ってるがよろしく」

「よろしくね!」


 その日以来、私は時間があればグレイスと一緒に過ごすようになった。

 彼は読書が好きで政治や歴史にも明るい。

 でもお堅い話ばかりじゃなく物語も色々と知っている。

 すぐにお互いの家にある本などを貸し合う仲になり、それを読んだ感想などを言い合った。

 彼の考えを聞いたりするのはすごく楽しくて、時間が嘘のように溶けていく。

 ただ、そんな私たちを遠巻きに揶揄う声は学院では少なくなかった。


「ねえねえ、豚侯爵とケロイド令嬢って付き合ってるのかしら?」

「まさか! だってケロイドには婚約者がいるじゃない?」

「そうよねー。じゃあ浮気? 化け物恋愛!」

「ふふふ!」


 こういった人を嘲って楽しむ低俗な人が多くて辟易する。

 至極残念なことに、それは学院の中だけにとどまらない。

 休日に彼と公園に出かけたりすると、かなり高い頻度で同じ人種に出くわす。

 大人は耳打ちするようにこそこそ話す場合が多く、子供はストレートに声に出す。


「気持ち悪いのが二人もいる!」

「おえええっ!」


 こういった人たちにも慣れ切ったグレイスが対応する。


「おい、豚の餌になりたくなかったら家に帰れ。食っちまうぞゴラァ!」


 グレイスが大口を開けると、ビビった子供たちは情けなく逃げていく。


「見てろよティアナ。絶対にどっちかが転ぶぞ」


 彼が予言した通りに、片方の子が石につまずいて派手にすっ転ぶ。

 それを見た私は声を出して笑ってしまう。

 以前だったら簡単に心が折れる出来事も信用できる仲間がいると笑い話にできる。

 友達っていいなぁと、じんわり胸が温かなった。

 その日の夕食時、父上がご機嫌に話す。


「最近はティアナが明るくて嬉しいよ。一時期はどう接したものかと悩んだが、もう大丈夫そうか?」

「ええ。すごく楽しい友人ができたの!」

「それは良かった。見た目が変わろうが、お前は私たちの大事な娘だ。困ったときはいつでも言いなさい。子を助けるのが親の役目なんだから」


 ――ああ、私の家族は本物だ。

 一時期、よそよそしく感じたのは私の在り方に原因があったのだ。

 いつも暗い顔をして話しかけられてもロクに返事もしなければ、接し方も腫れ物を触るような形になるに決まっている。

 私は大いに反省した。

 グレイスとの楽しい日々は過ぎていき、十七歳の冬がきた。

 あと一年で卒業となる。

 卒業したら私はブリッドと結婚しなくてはならない。

 いや、そんなことよりグレイスとはもう会えなくなるのだろうか?

 もっともっと、思い出を作りたい。

 そこで思い切って、彼を冬のダンスパーティに誘うことにする。

 放課後、待ち合わせ場所の校庭の木の下に向かう。

 彼の様子はいつもと違う。

 珍しいことにおどおどしていて、目が泳いでいる。


「様子が変ね。なにかあったの?」

「へ? いや、別に……」


 彼はそっぽ向くようにして鼻の頭を指でかく。

 なにか気まずいことがあるときに彼がやりがちな癖だ。

 以前は私が貸した本にコーヒーをこぼしてしまって、返すときにこのような態度だった。


「私たちの間に嘘はなしって約束したはずよ。あなたは偽りの人たちとは違うって信じている」


 私がまっすぐに目を見つめると彼も観念したように口を開く。


「実はさっき、見てしまった。君の婚約者と親友が廊下で抱き合っていた……」

「ああ、そんなこと」

「そんなこと!? ……それに言ってたぞ。君と結婚したくないけど家庭の事情がある。だから卒業後は延期を申し出るって!」


 私ことケロイド令嬢が妻になるのは拒否したいけれど、かといって公爵家の支援が止まるのは困る。

 そこでなるべく誤魔化して結婚を引っ張りつつ、レローラや他の女と遊びたいのだろう。

 あの男の考えそうなことだ。

 私としては本当にどうでもいいので話題を変える。


「その件は放っておいていいの。それより大事なことがあって。……これ、受け取ってほしいの」

 私は封蝋された招待状を彼に差し出す。

 学院では古くからの習わしで女子から男子に招待状を出す。 

 それを受け取ってもらえたら一緒にパーティに参加することができる。

 不安と緊張のドキドキで胸が張り裂けそうになる。


「俺なんかでいいのか?」

「なんかじゃなくて、あなたがいいの」


 私が本音を伝えると彼は照れくさそうに招待状を受け取ってくれた。

 胸が弾んで高揚感に包まれる。

 その夜はパーティの日を妄想してなかなか寝付くことができなかった。

 翌日、その弾んだ気持ちが萎まされたのはブリッドにパーティの件で話しかけられたから。


「今年のダンスパーティなんだけどさ」

「私はもう決まっているから、あなたは誰か別な人と出てもらえると助かるわ」

「相手は豚侯爵かい?」

「その呼び方やめてくれる?」


 私が睨み付けるとブリッドは慌てて謝ってきた。

 家同士の力関係もあって、親に私をあまり怒らせるなとでも言いつけられているのだろう。


「それじゃ僕もレローラとでも出ようかな〜」


 初めからその予定で、本当はそれを告げたかったはずだ。

 でも私がグレイスと出ると先に伝えたから、仕方なくという体裁を取っている。

 ため息をついて立ち去ろうとすると、まだなにか用があるのか呼び止めてくる。


「実は卒業後の話なんだけどさ、うちの親が急に変なこと言い出して。男たるもの数年は男磨きの旅に出ろって言うんだ。そうなると結婚も少し延期になるっていうか」

「ご自由に。何年でも好きな場所にいくのがいいと思うわ。失礼」


 さすがにもう呼び止めてはこなかったのでホッとする。

 私としては、グレイス以外の学院の人とは本当に関わりたくない。

 ただ学院のイベントだけは本当に楽しみで、授業中も上の空だった。 

 

 パーティ当日、私は純白のイブニングドレスを着て、めいっぱいのお洒落をして会場に向かう。

 学院内のホールをパーティ用にあちこち装飾して会場にしている。

 貴族が集まる学院ということもあってお金のかけ方も豪奢で、演奏家も一流どころに依頼しており、雰囲気は素晴らしい。

 他の参加者に負けまいと着飾った男女が集まる中、私は緊張しながら彼の到着を待つ。

 開かれた扉からやってくる男性たちの中からグレイスを見つけると胸が躍る。

 彼は珍しく緊張した面持ちで私のところにやってきた。


「お、お待たせ」


 フフッと私はおかしくて笑ってしまう。

 タキシード姿なのだが、サイズが合わないのかパツパツだった。


「笑うなよ。これでも一番大きいサイズだったんだよ。あっ!?」


 膨張していたシャツのボタンが弾け飛んで私の顔面にぶつかる。


「悪い……」

「踊ってくれたら許すわ」


 演奏家たちが演奏の準備に入る。

 私は腰を深めに落としてダンス前の挨拶を行う。

 ほどなく質の良いワルツが流れてくる。

 端的に言えば、グレイスの動きはかなりぎこちなかった。

 そのせいもあって、踊っていない人たちから失笑が漏れ出す。

 ただでさえ容姿の優れない二人なので、ずっと注目の的になっていた。

 酷い者になると初心者であるグレイスの動きを真似して馬鹿にする。


「笑ってんじゃないわよ!」


 私は出せる限界の声量で叱責する。

 さすがに効果があったようで雑音は静かになった。

 私は再びグレイスに意識を戻す。


「大丈夫、落ち着いて。ゆっくりでいいんだから。二人で楽しむのが大事よ」


 グレイスは頭が良いし読書家で知識も豊富だ。

 でもダンスは実践が足りていないのだろう。

 落ち着いても彼のリードやダンスが上手くなるわけではなかったけれど、ダンスホールで一緒に踊れることに私は幸せを感じていた。

 ダンスが終わった後、彼は目も当てられないくらい落ち込む。


「……恥ずかしいし、なんていうか申し訳ない」

「どうして謝るの? 私は一緒に踊れて満足よ」

「君にまで恥をかかせた」

「恥なんてかいてないわ。あの人たちに笑われたからなんなの? あなただって、いつも気にしてないでしょ」


 私はこうやって慰めるのだが、彼にはいまいち響かない。

 どうやら私に恥をかかせたと本気で思い込んでいるらしい。

 本当にそんなことはないのに……。

 ただ、立ち直りの早い彼はすぐにやる気を取り戻した。


「来年も一緒に出てくれ。一年で、ここの誰よりも上手くなって、君を驚かせてみせるよ!」

「私以外と練習するってこと?」

「……いやそこは、木人形とか」


 グレイスが木人形相手に夜な夜なダンスの練習をしている情景を想像してしまう。

 堪えきれなくて私は鼻で笑う。


「あ、いま無理だと思っただろう?」

「そうじゃなくて。期待して待ってるからね」


 鼻息を荒くしながら、グレイスは力強くうなずいた。

 私と同じくかなり負けず嫌いなところがあるので、本当に猛特訓してくるかもしれない。

 パーティの帰り道、彼は紳士らしく家の前まで送ってくれる。

 学校から家までは近いので安全性は高いのだが、令嬢かつ夜道なのでと常に周囲を警戒していた。


「来年、君の気が変わらなければ、ぜひまた招待してくれ」

「ええ、楽しみにしている。おやすみなさい」


 私が家の中に入るまで、彼はずっと見守ってくれていた。

 だから私はなるべくゆっくり、扉を閉めた。

 人生で一番楽しい夜会だった。



 最高学年に上がっても私たちの関係は変わらなかった。

 春は一緒に一年草の種をまく。

 水やりだって協力して行う。

 花壇の前で何時間もお喋りをすることもあった。

 夏は川でばしゃばしゃ遊んで、冷たい物を巡ってはあちこちを歩き回った。

 汗だくの彼の口癖はいつも同じだ。


「デブは暑いんだよ」

「ダイエットしたらいいじゃない?」

「痩せない体質なんだ。特殊体質でね」

「それ、言い訳って言うのよ」


 驚くほど彼は汗をかいていたけれど確かに痩せない。

 その理由の一因は私にもあると気づく。

 甘い物ばかり食べにいこうと誘っていたからだ。 

 反省しつつも楽しそうに付き合ってくれるのでやめられなかった。

 秋、並木通りのイチョウを楽しんでいるとき、隣を歩く彼が急に手を握ってきた。

 私はすぐに握り返して、有名なイチョウの木の前で足を止める。


「知っている? この木の前で抱き合った二人は永遠に結ばれるんだって」


 女子の間では有名な話だ。

 おとぎ話みたいなものだけど、彼は意外と信じる派だったようだ。

 驚くような速さで私のことを抱きしめてくる。

 だけど乱暴さはまるでなく、優しくて包まれる感触に安堵感を覚える。


「俺は卒業したら家を出ようと思っている。時々でもいいから、会って話がしたい」

「時々ってなに? どうしていつもは強気なのに、そんなに弱気になるの?」


 彼は賢いので色々と考えているのは想像できる。

 親の決めた婚約者のことや、自分の方が身分が低いことも足を引っ張っているのかもしれない。

 その上でも、私としてはもっと強気できてほしい。

 グレイスはそれに応えてくれる。


「絶対に会いにいく。君と過ごしている時間が俺は一番幸せだから。いまの関係性を絶対に壊さない」

「約束よ」


 私たちは永遠に変わらない関係性を誓い合った。

 嘘ばっかりの約束の中で、これだけは本当に信じ抜くことができる。

 自宅に帰ると、私はすぐに父の書斎に向かった。


「お父様、お願いがあるの」


 頼りになる父に、私は顔が変わってからの学校での出来事を細やかに話した。

 

 

 卒業まであと一ヶ月を切った。

 粉雪が降り積もった朝のことだ。

 私はいつものように顔を洗って鏡を見る。

 そして自分の顔を二度見した。


 ――顔が元に戻っている


 あの醜かった火傷跡のようなものが嘘のように消えていた。

 より正確には三年前に戻ったわけではなく、三年分の成長を含んだ私の顔だ。

 手前味噌で馬鹿みたいだけれど、物凄く美しい容貌だと素直に感じる。

 それなのに私の胸中で喜びの火は立ち上がらない。

 むしろ、物寂しい気持ちになる。

 それはあの顔が恋しいというわけではない。 

 この姿をグレイスはどう感じるだろうかと不安だった。

 距離ができてしまわないだろうか?

 私は伏し目がちに階段を降りていく。

 掃除をしていたメイドたちがホウキを床に落とす。


「うえっ! お嬢様、お顔が!?」

「ええ。元に戻ったみたい。もう三年が過ぎていたのね」


 あの予言師は約束をちゃんと守ってくれたらしい。


「死ぬほど美しいです! 以前もお綺麗でしたけど、いまは国一番の美人って言い切れますよ!」

「おおげさよ」


 メイドの感極まった声を聞きつけ、家族のみんなも集まってきた。


「なんと……。おお、神はいたのだな!」


 父が嬉し泣きしている横で、母はかなり冷静だった。

 私があまり嬉しそうではないことを指摘して、不安そうな表情だ。

 私はちゃんと喜んでいることを伝えると、足早に家を出た。

 外の世界はたった一日で様変わりしたとも言える。

 すれ違う人々に気味悪がられたり、罵倒されなくなった。

 それどころか誰もがうっとりした目で見つめてくる。


 確かそう……以前は毎日がこんな感じだった。

 そして私もそういう扱いをされる自分が気に入っていたし、楽しい気分にもなっていた。

 いまはまるで違う。

 なにも嬉しくないし、やっぱり不安しかない。

 世界中の全員に好かれる顔も、意中のあの人に気に入られなかったら意味などなさないのだから。


「わっ、ティアナ様!? お顔がお治りになられたんですね!」


 学院につくと、陰ではケロイド嬢と私のことを呼んでいた生徒たちが集まってきて廊下を塞ぐ。


「どいてちょうだい」


 私はイライラした様子を隠さずに目的の教室の前へ。

 何度も深呼吸してから室内に入った。

 どうでもいい人たちのざわつきが起こる。

 肝心のグレイスを見ると、目も口も丸くして驚愕しきっている。

 私は恐る恐る彼の元にいく。


「少し話できる?」


 彼は言葉が出てこないようで、うなずくだけで精一杯のようだった。

 いつもの花壇の前に移動した。


「どうやったら、そんなに綺麗に治療できるんだ?」


 跡が一つも残っていない顔を見て、グレイスは当然の質問をしてくる。

 私は治したわけではないと伝えた。

 それから、本当のことを打ち明ける。

 予言師の話を聞いた彼はものすごくショックを受けているようだった。


「信じてもらえないかもしれないけど、全部本当の話なの」

「……信じるよ。君はそんな嘘をつくような人じゃない」

「それじゃあ、これまで通りに接してもらえる?」

「逆に俺が聞きたいよ。これじゃ美女と野獣……美女と大豚すぎるだろ」


 彼は自虐して、スイカが二つくらい入っていそうなお腹をポンポンと叩いた。

 その様子はいつもと変わらず、私は安心から泣き崩れそうになる。

 ひとまず落ち着いた私だったが、休み時間になると憂鬱な出来事が起きる。

 ブリッドがレローラが以前のように話しかけてくるようになった。


「ううっ、本当に良かった……! 僕はもう、君は戻らないんじゃないかって……うっ、うっ」


 演技なのか本気なのかブリッドは泣き出してしまう。

 よほどこの顔が好きだったらしい。

 レローラに関しても、いままでのよそよそしい態度などなかったかのように親しげに話す。


「わたしが一番驚いたのは、ティアナ様が以前より綺麗になっていたことです。美し過ぎて隣に立つのが恥ずかしいんです!」


 じゃあ立たなければいいじゃない。

 そう口に出そうとしたが、そもそも会話を長くすることに嫌気が差すので黙っている。

 私はため息をついて一人でトイレにいく。

 しばらくしてから戻ると、教室の雰囲気がおかしい。

 私が入ってきた瞬間、全員が焦ったような様子だ。

 私は怪訝に感じながらも席に戻る。

 私をいじめる相談でもしていたのだろうか?

 仮にそうでもなんの問題はないし、むしろ無視された方がありがたい。

 そんな彼らの相談の中身が判明するのは翌日のことだった。

 私はいつものようにグレイスの元にいくのだけど、彼は素っ気ない態度を取る。


「悪いけど、この本を集中して読みたいんだ」


 こんな風な態度で追い返されてしまう。

 私は急激に不安になる。

 昨日は気を遣ってくれただけで、本当は元に戻った私の顔が嫌いなのではないかと。

 確かに、別人のように感じるだろう。

 昼休み、外で一人で休む彼に話しかける。 

 やはり、いまは一人になりたいと告げられた。

 我慢できなくなった私は強気で理由を尋ねる。


「本当は、私のことが嫌になったのでしょう? それならハッキリ言って」


 彼は迷いに迷った挙げ句、避けるようになった理由を話してくれた。

 昨日、うちのクラスの生徒たちが大勢で彼の元に押し寄せたらしい。

 そして私にもう近づくなと忠告したという。 

 理由は醜いグレイスと一緒にいると、私の評価まで下がるからと。


「俺も最初は反論したんだけど、よく考えれば一理あるとも思ってさ。顔を取り戻した君にはこの先、素晴らしい未来が待っている。……俺はどうだろうと考えてしまった」 

「私が誰といるかは、私が決めることよ!」


 強く宣言すると、私は踵を返して教室に戻った。


「いい加減にして! あなた方に私の生き方を制限する権利はないのよ!」


 私が強く叱りつけると、彼らはすぐに顔を下に向けた。

 そこでブリッドのところにいく。

 おそらく、こういったことを企てたのは彼だ。


「二度と彼に余計なことを言わないで」

「でも僕は君の婚約者だ」

「だからなに? 婚約者は相手の交友関係の自由まで奪えるのかしら」

「ただの友人には見えない。婚約者としては見過ごせない」


 隣にいるレローラと教室で抱き合っておいて、よくその言葉が出てくると私は軽蔑する。


「僕は君が本当に大好きなんだ! この気持ちに嘘はない。来週のダンスパーティだって、一緒に踊りたい。最後じゃないか!」

「……今年も去年と同じようにしましょう。婚約者なのに去年は止めなかったでしょう? なら今年だって止めなくていいはずよ」


 私は早足に動き出す。


「待ってくれよ、ティアナ!」


 呼び止める声を無視して急いで教室を出る。

 グレイスの元に駆けつけると、去年と同じように用意していた招待状を渡す。

 戸惑う様子の彼に私は伝える。


「約束覚えているでしょう。私のこと、驚かせてくれるのよね」


 グレイスがダンスの練習をしていたか、上達したかなど本当はどうでもいい。

 私はただ彼と一緒に、あの特別な空間に存在していたい。

 願うのは、本当にただそれだけだ。


「パーティって、何日だ?」

「来週、20日よ」

「よりによって20日か……。悪いが必ずいくとは約束できない」

 表情から察するに、その日はなにか大事な用があるのかもしれない。

「それでも私は待つわ」

 私の言葉にグレイスはしばらく黙していたが、迷いが吹っ切れた清々しい表情で招待状を受け取ってくれる。

「期待を裏切るかもしれないが、努力する」

「ええ!」

 期待を裏切る? 

 その意味はよくわからなかったけれど、彼が来てくれるならなんでも良い。

 さっきまで教室で激怒していたはずなのに、グレイスといるとすぐ笑顔になってしまう。

 ああ、まだ学院を卒業したくないな。

 喜びと一緒に切なさも感じる。

 

 私は油断すると太りがちになので、体型維持に細心の注意を払った。

 ドレス選びにも時間をかけ、髪型も試行錯誤した。

 そしてついに、ダンスパーティの日が訪れる。

 当日、家を出る前に父上からサプライズが贈られる。


「今日は最後のダンスパーティだね。学院に寄付しておいたから、例年より派手なはずだよ」

「本当!? 嬉しいわ」

「それから以前から頼まれていた件も話がついた。今日はお前の思うようにしなさい」

「お父様ありがとう! 大好きよ」


 私は父と軽く抱擁し合ってから家を出る。

 ドレスを汚さないために会場までは馬車で移動した。

 ダンスホールに入ると、私の心が踊り弾む。

 豪華なシャンデリアがいくつも吊されており、ホールを柔らかい光で照らす。

 演奏家たちも去年の倍はいるだろう。

 私が入った時点でかなりの人が集まっていたけれど、グレイスの姿はまだ見えない。


「ティアナ様は本日も大変素敵です」

「こんなお美しい方は、見たことがありません!」

「今日のお相手はどなたですか?」


 気合いを入れすぎた弊害かもしれない。

 立っているだけで次々と声をかけられる。

 無視していると一番厄介なブリッドとレローラが近づいてきた。

 彼は恍惚とした目で私に熱い視線を向けてくるので顔をそらす。


「実は、ティアナに大事な話があるんだ。僕の男磨きの件だけど、両親を説得して無しにしてもらった。つまり、卒業後はすぐに君と結婚できるんだ!」


 興味がなくて忘れていたけれど、確かにそんな話をされたことはあった。

 反応に困る私のことをブリッドは大胆にも抱きしめようとしたので、全力で押し返す。

 本来であれば、パーティの日にやることではないが、いい機会なので宣言することに決めた。


「あなたと結婚なんてできない。ブリッド、あなたとの婚約は無かったことにさせていただきます」


 声が通り過ぎたようでホール内が静まりかえる。


「ぼっ、僕と婚約解消って、正気なのかい!? そんなこと許されないだろう!」

「お父様には話を通してあるわ。じき、あなたのご両親からも通達があるはずよ」

「……そんなぁ」


 私の決意が本気だと理解したようでブリッドは腰が砕けたように弱々しく座り込む。

 そばにいたレローラにも私は宣言する。


「あなたは陰でブリッドと関係を持っていたそうね。あなたの家には今後一切、支援をしないことに決まったの」

「エッ!? ティアナ様、それはお待ちください!」

「いえ、もう決定したので待つ必要はないわ。自由の身になったブリッドと結婚するのがいいでしょう。お互い家庭の事情はあっても、学院で幾度となく抱き合っていた二人なら乗り越えられるはずよ」


 ブリッドもレローラも名ばかり貴族といわれる家柄で、うちからの支援がなければ目も当てられない事態に陥るだろう。

 さらに二人だけではなく、周囲にいる人たちにも告げる。


「あなた方の家の支援も減らすことが決定済みよ。レローラの家と違って無になるわけではないけれど」


 うちからの支援を受けている者は頭を抱えていた。


「気持ち悪いケロイド令嬢家からの施しなんて、受けても嬉しくないでしょう? いままでごめんなさいね、余計なお世話をして」


 三年間、散々馬鹿にされた恨みは正直積もりに積もっている。

 でもこれで、もう綺麗さっぱり忘れることにしよう。

 グレイスがくる前にもめ事を終わらせることができて良かった。

 私は隅に移動して彼の到着を待つことにした。

 しばらくして、優雅なワルツが流れ出す。

 演奏の間、私はずっと閉じられたままの扉を見つめる。

 グレイスの登場をずっと待ち続ける。


 次の曲が始まった。

 私はまだ見つめたままだ。

 だんだんと目が乾いてきて瞬きが増えてくる。

 次の曲、また次の曲――

 刻々とパーティが終わりに近づいていく。

 心の奥深くに生まれた不安の種はすぐに肥大化していき、ついには胸を埋め尽くすまでになった。

 きっと私は嫌われたのだろう。

 いや、そこまではいかずとも、好きではなくなったのかもしれない。

 彼は優しいから本心を隠してくれたのだ。

 やはり顔がしっくりこないのだろうか。

 でも今更、前の顔に戻ることはできない。

 ぽたぽたと大粒の涙が、私の頬を伝って床に落ちていく。

 もう次の曲で最後だ。

 私の最後の学校生活がこれでは、とても惨めだ。


 ――キィィ

 

 扉が開く音がして、私はハッと顔を上げる。

 タキシード姿の男性が入ってくる。

 グレイス! ……ではなかった。

 黒髪と背が高いのだけは一緒だけど、体型はスリムで彼とは似ても似つかない。

 スタイルだけでなく、顔も見たことがないくらい美形で、それでいて凜々しい。

 学院の男子たちではまったく相手にならない。

 不思議なのは、私は彼を知らないこと。

 あれほどの美青年であれば、噂にならないほうが不自然だ。


「ねえ、あの人誰? すごくかっこよくない?」

「……素敵」

「あのお方とお近づきになりたいです……!」


 この場にいるほとんどの女性がパートナーをそっちのけで彼に夢中になっている。

 ここで鈴の音が鳴り響く。

 パーティの最後の曲は、誰とでも自由にペアを組んで良い。

 無論、普通は自分が一緒にきた人を選ぶのだが、今回ばかりは様相が異なる。

 女性陣が彼に殺到した。


「あの、わたくしと踊っていただけませんか?」

「いえ、ぜひ私と一緒に!」

「あなたは、なんというお方なんですか!」


 矢継ぎ早に来る質問に対して、彼はなんの脈略もなく大笑いし出す。 

 なにがそんなにおかしいのだろう?

 彼はニヒルな表情で集まった女性たちに告げる。


「俺はあなた方が大嫌いな豚侯爵だよ」

「――ッ」


 彼を取り囲んだ女性陣たちが言葉を失う。

 豚侯爵はグレイスに使われていた蔑称だ。

 嘘よ、そんなはずは……。


「特に君、俺に何度も訊いてきたよな。ブーブー言うのはどんな時かって」


 彼の涼やかな瞳は、レローラを捉えていた。

 そうだ、以前レローラやブリッドには散々馬鹿にされていたと話していた。

 本当に、あれがグレイスなのだろうか。

 体型だけならまだしも顔自体がだいぶ変わっていて、本人の面影はほぼないといえるのに。

 真っ青になったレローラや女性陣を無視して、彼は私の前まで歩いてきた。


「ティアナ、事情があって遅れてしまった。申し訳ない」

「……本当にグレイスなの?」

「いままで黙っていて悪い。実は俺も君と同じなんだ。君は三年だったけど、俺は十年だった」


 予言師のことだ……!

 そうか、グレイスもまた私と同じように呪いをかけられたんだ。

 しかも十年ということは八歳のときに容姿を変えられた。

 そこで私は思い出す。

 彼が以前、花壇の前で話してくれたことを。

 英才教育を受けていたはずの彼は、突然両親から見限られた。

 その時期は、彼が容姿を変えられた時期と重なる。


「たぶん、君が考えている通りだ。予言師は自由になりたいかと俺に言った。そう望んだ結果、俺は醜い容姿に変えられた。両親は酷い姿になった俺を人前に出すことを嫌がり、跡継ぎを弟にしたんだ」


 見栄や体裁を気にする貴族なら、そういったことも十分あり得る。

 彼は涼やかな目元でこちらを見つめる。

 抗えない魅力に私は吸い込まれそうになった。


「今日でちょうど十年だったんだ。正直、ここにくるのは怖かった。君に受け入れてもらえるのか、そればかり考えていた」


 やっぱり私たちは似ているのだろう。

 顔が戻ったときの私と同じことを彼も考えていたらしい。

 彼が必ず来ると約束できなかったのも、変わった自分で参加するのに抵抗があったから。

 私は右手をあげて、演奏家たちに合図を出す。

 彼らも意図をくみ取ってくれたようで静かに音楽が鳴り出した。


「これが答えよ」


 私は右脚を斜め後ろに引き、反対の脚の膝を少し曲げて、軽くお辞儀をする。

 グレイスは柔らかく微笑んで私の腕を取った。

 踊り始めてすぐ、私は彼が去年とはまるで違うことに気づいた。

 ステップの踏み方からリードまで、上級者といってほどに成長していた。

 相当な練習を積み重ねてきたのだろう。

 私は安心して彼のリードに身を任せた。

 広い広いダンスホールで踊っているのは私たちだけ。

 この空間は私とグレイスのものだった。

 ダンスが終わると自然と万雷の拍手が湧き起こる。

 弾む息、熱くなる身体、私の鼓動が激しい。

 グレイスは懐からなにかを取り出した。


「遅れた理由はこれなんだ。以前から職人に頼んでいたんだけど、なかなか出来上がらなくてさ」


 それは格調高い木製のリングケースだった。

 彼は片膝をついてリングケースを開く。

 煌めく指輪を見せながら、グレイスは私を見上げる。


「――俺と結婚してほしい。これから先の未来を、ティアナと歩んでいきたいんだ」

「――はい」


 嬉しくて声が裏返りそうになるのを抑えて、私は畏まった返事をした。

 グレイスは私の指に指輪を嵌めてくれる。

 いつ調べたのだろうと驚くほどサイズがぴったりだった。

 彼は立ち上がり、私のことを強く抱きしめる。

 それが最高のダンスパーティの締めくくりだった。



 卒業式も無事に終えて、私たちは新たな道に進んでいく。

 学院では嫌なことも多かったけれど、グレイスと心で繋がれただけで良い学校生活だったといえる。

 グレイスはうちの父にも挨拶を終え、いずれは我が公爵家を継ぐ当主となるだろう。


「なあ、俺たちが会った予言師は良いやつなのか悪いやつなのか。ティアナはどっちだと思う?」

「結果的には良い人だけど、雰囲気はかなり怖かったわ」


 グレイスも同意のようで何度も頷いている。

 八歳であの人に出会ったからよりそう感じるみたい。


「話変わるんだけど、庭に花壇を作らないか?」

「いいわね。毎年、一年草を植えるんでしょう?」

「そうそう。そして花壇の前で色んなことを話すんだ!」

「楽しみね!」


 私たちは仲良く手を繋ぎ、並木通りを歩いていく。


 

 完


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― 新着の感想 ―
10年は長い。もしかしたら戻らないのでは、と不安に苛まれる時もあったと思う。 予言師の目的とかは謎だけど、結果としては中身だけで惹かれ合う相手と巡り逢えたのだから、僥倖だったのでは。 何事もなければ…
試練の押し売りをする予言者。愉快犯なんだろうなぁ。 今回はめでたしめでたしだったけど、乗り越えられなかった人もいそうですね。
なんてロマンチックなお話…とても感動しました! ちょっと細かなところで描写が足りない部分もあるけれど、それを補って余りある素晴らしい作品でした!
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