2.テケテケ&禁后
今日もいつものように朝食を食べる。食パンにチーズとハムを乗せてオーブントースターに突っ込む。焼けあがったら口に運ぶ。わかりやすくおいしい。テレビでニュースが流れている。
「次のニュースです。今朝5時ごろ埼玉県熊谷市の歩道橋で中島メグミさん24歳が全身を強く打った状態で発見され、病院に搬送されましたが間もなく死亡しました。警察は事件と事故の両面で捜査するとのことです。次のニュースです」
女性アナウンサーが淡々と読み上げている。全身を強く打った状態か。ニュースの隠語とかで聞いたことがある。たしか身体が激しく損傷している状況だったような。だとしたら発見場所に違和感を覚える。電車での轢死だったら死体が線路上になければおかしい。よほど勢いがあったとしても歩道橋の上というのはちゃんちゃらおかしな話だ。まあそのあたりは警察が捜査するだろう。僕には関係のない話だ。
僕はいつものように寮の部屋を出た。
オペレータールームの自動ドアが開き中に入る。
「おはようございます」
流石に配属から1カ月も経てば慣れてくる。
「ナオくんおはよ~」
ダウナーでゆる~く挨拶を返してくれたのは4つ上のアオイさんだ。今日も変わらず朝から酒を吞んでいる。終わっててイイですねッ!ハイッ!
「よっ来たかナオキッ!」
「おはようございます!司令!」
「ナオキ、今朝のニュースは観たか?」
「一応は。まあ、聞き流すぐらいでしたけど」
「埼玉県熊谷市で起きた事件があっただろ?」
熊谷市...歩道橋の上で全身を強く打った状態で遺体が発見された事件か。
「はい、ありましたね」
「アレは怪異によって引き起こされた事件だ」
なるほど、たしかに怪異の仕業であれば辻褄が合う。
「ここからは私がお話します」
そう言って横から現れたのはパンツスタイルのスーツを着た黒髪の女性。怪異対策機動本部一課に所属している天海カズハさんだ。
「被害者中島メグミさんは歩道橋の上で上半身と下半身が分断された状態で発見されました」
「あれ?全身を強く打った状態ってニュースでは言ってましたけど」
「「身体が真っ二つになっちゃいました~」って言って国民を怖がらせるわけにはいかないでしょ?」
アオイさんが日本酒の酒瓶を持ちながらこちらに歩いてくる。
「そうだ。人々の恐怖が虚構共通認識の現実化で怪異側のバフになることは避けねばならん」
なるほど。だからニュースも20秒程度しか報道されなかったのか。
「死亡推定時刻は23時30分ごろ、それと同時刻に熊谷市でNo.22983、俗称「テケテケ」の反応が同時刻に検知されました」
テケテケ
下半身がなく上半身のまま猛スピードで追いかけてくる怪異だ。テケテケの噂を聞いた人の元にもやってくるとかなんとか。
「つまりテケテケが中島さんを殺害したと?」
「ああ、俺はそう判断した。そこで伊吹アオイ、黒田ナオキ。両名には熊谷に赴き、テケテケの討伐をしてもらう」
「「了解ッ!」」
僕とアオイさんの返答は全く同時であった。なんだかんだでアオイさんはスイッチの切り替えが上手いというか。
「天海カズハ、貴官は二人の熊谷への送迎をお願いしたい。車を使え」
「了解ッ!」
「総員、行動開始ッ!」
僕はクラウンの後部座席に座っている。隣にはアオイさんが酒を呑みながら外を眺めている。車の中は酒の匂いが充満している。やめてくれよ...。酒の匂いで熊谷に着く前に嘔吐してしまいそうだ。あっ、そういえば。
「今日ユウジさん見かけてないんですけど」
「ユウくんはね~奈良に行ってるよ~」
「なんでそんなところに?」
「加藤さんは京極さんと宝条さんの3人で奈良県高市郡で任務に就いてます。「宗教団体による怪異を用いた組織犯罪を阻止する」ことが目的ですね」
確かに。2030年の今になってなお怪異の存在を信じている人間はごく少数だ。その状況下で怪異による大規模テロを引き起こせば国家転覆も容易だろう。実際に2017年に前総理大臣による怪異の大規模テロが企てられていたらしい。まあ実行前に阻止されたらしいが。
「つまりは護衛ってことだよ~ん」
「一課の戦力で対処できる怪異にも限度があります。基本は交渉がメインですから」
一課は主に対話可能な怪異との交渉を行い、国民に危害を与えないように説得することを目的としている。その他にも被害状況の処理なども行なっている。少しぐらいの妖術や陰陽術など使える人もいるらしいが前回の口裂け女や今回のテケテケなどとまともに戦り合うのは難しい。
そもそも、前提条件として霊体タイプの怪異には物理攻撃は通用しない。怪異側の攻撃にタイミングよく攻撃を合わせれば攻撃を透過されずに済むが現実的ではない。リープロギアは装者の存在証明濃度を怪異と同レベルまで引き落とすことで怪異側に物理攻撃をダメージとして与えることができる。
僕たち装者3人は怪異に物理で対抗できる唯一の戦力であるため一課の交渉時に一緒に出張ることが多い。
「なるほど~」
「宝条さん出張なの!大丈夫?夜寂しくない?」
「大丈夫ですよ。一日で帰る予定ですから」
「え~ホントか~?あっ、前から聞きたかったんだけど式はいつ挙げる予定なの?」
「来月の予定です」
「そっか~絶対行くねッ!カズちゃん今2ヵ月目でしょ?産休に入ると寂しくなっちゃうな~」
ガールズトークが始まってしまった。僕は限りなく存在証明濃度を落とし空気に徹する。まあ、空気になることはできないので窓の外の景色を見る。高速道路の遮音壁が流れていく光景しか見えないが仕方あるまい。車酔いと車内の酒の匂いの相乗効果で嘔吐すのは避けなければならない。
俺は今、奈良県高市郡の田舎の農道を歩いている。かれこれ1時間もだ。
「あの...これいつまで歩けばいいんです?」
「うるせぇッ!黙って歩けッ!指詰めるぞこの野郎ッ!」
この指詰めを強要してくるお方は京極シュンスケ。元暴力団員で刑務所に収容されていたが霊感が強いことから怪異対策機動本部一課にスカウトされたらしい。もちろん刑期は満了していない。司法取引で一課で働くことを条件に釈放されたのだ。街を守る良い暴力団なんて空想上の存在でもない。普通に対立していた組の組員を海に沈めて捕まったらしい。
「なんだどうした?この程度でヘバってるのか?ドラウプニルの装者代わってやろうか?」
そしてこっちの図々しいのが宝条ヒトヨシさん。元陸上自衛隊員で京極さんと同じように一課にスカウトされたらしい。近々同じ一課の天海カズハさんと結婚するんだとか。
「装者は適合率70%以上じゃないとなれませんよ」
リープロギアを纏うにはそれぞれのギアとの適合率が70%以上でなければならない。さらに、ギアの性能を存分に引き出すとなれば90%以上の適合率が無ければならない。現在、日本国内にて適合率90%以上を叩きだしているのはジョワユーズの適合者、黒田トオルと黒田ナオキ。ムラクモの適合者、伊吹アオイ。そしてドラウプニルの適合者、この俺こと加藤ユウジ。計4名だ。
「知ってる。冗談だよ」
「俺は疲れたんじゃなくて水分が欲しいんですよ」
今は7月の朝7時。涼しい時間帯ではあるがそれでも屋外での活動には十分汗をかく。脱水症状や熱中症には気を付けなければならない。最悪命を落としかねない。
「おらよ。これでも飲んどけ」
そう言って京極さんは経口補水液が入ったペットボトルを俺に投げてくる。俺はそれをキャッチし蓋を開け飲み始める。
「ありがとうございます」
「それよりユウジ、今日の任務の内容は把握してんのか?してなかったら指詰めるぞこの野郎ッ!」
「すぐ指詰めようとするのやめてくださいよ。「宗教団体による怪異を用いた組織犯罪を阻止する」でしたよね?」
「詳細の方は説明していなかったな。今回の任務は公安からの依頼だ」
公安警察か。テロを筆頭に国家体制を脅かすあらゆる事案に対処する。そのなかにはもちろん宗教団体も含まれている。大体宗教団体は紛い物がほとんどだが中には本物の呪術や黒魔術をつかう団体が存在する。こういった団体に対処するのは公安ではなく怪異対策機動本部のほうが適している。
「そんでだ、公安の調査結果で今回の団体、黎冥教が「ある儀式によってよって死者を蘇生させる」といった情報が手に入った。そのある儀式というのが禁后に酷似していてな」
「禁后って大雑把にいうと母親が楽園にいくための儀式ですよね?天国に行くのと死者を蘇生させるって逆なんじゃないですか?」
「それを今から調べるんだろうが指詰めるぞこの野郎ッ!」
「もう天丼はお腹いっぱいですごめんなさい」
「そうこう言ってる間に見えてきたぜ。例の家」
農道が続く先には一軒の空き家が建っていた。真っ白な壁に綺麗な立方体を形どっている。そして伝承通り一階に玄関が存在していない。
「ユウジ、ギアに変身しろ。この先何が起こるかわからん」
「了解。お二人はどうするんですか?」
「俺らにはこれがある」
京極さんと宝条さんは胸元からベレッタ96Dを取り出す。
「それ多分通用しないんじゃ...」
「普通の銃な訳ないだろ。破魔弾が込められている、技術課特製のな。それに対怪異防御兵装も装備している」
俺はギアで変身しドラウプニルを身に纏う。赤を基調とした装甲が全身に付いていく。
「ユウジ、一番槍はお前に譲ってやるよ」
「ただの人柱じゃなくて?」
「わかってんならいい」
確かにリープロギアであれば一般人程度が繰り出す攻撃は防げる。加えて、リープロギアには対呪防御機構がシステムとして搭載されている。対国レベルの呪いでなければ防ぐことぐらい造作もない。
「了解ッ!加藤ユウジッ!突貫ッ!」
地面を蹴り前方へと躍進する。1歩目、25mを一蹴りで進む。2歩目、再び25mを進む。3歩目、空き家の2階の窓を目掛けて跳躍する。俺の身体は窓を突き破り部屋へと着弾する。1秒も掛からずに突入は完了する。
「こちら京極、中になんかあるか?どうぞ」
右耳に付けているヘッドセットから京極さんの声が聞こえる。
「こちら加藤、室内は鏡台と棒に立てかけられた髪がありますね、伝承通りです、どうぞ」
「こちら京極、了解した、俺たちも1階から突入する、ユウジは先回りして突入箇所の安全を確保しろ、どうぞ」
「こちら加藤、了解です」
俺は部屋を出て階段を見つけ1階へと降りる。降りた先には病衣をきた生気のない男性が立っていた。
「黎冥教...ではなく一般の方ですよね?ここは危険です、速やかに避難をお願いします」
反応が無い。聞こえなかったのか?京極さんたちが窓ガラスを割って部屋に入ってくる。
「どうした?」
「一般人の方に避難のお願いをし...うおッ!」
突如とした病衣を着た男が噛みついてきた。噛みつかれているのは装甲部位でなんらダメージは無いがこのまま放置するわけにもいかず裏拳を喰らわせようとした。
「待てユウジッ!」
裏拳が触れる寸前のところで止まる。
「なんですか宝条さん?」
「そいつには悪霊が憑いている。だから傷付けずに拘束しろ」
危なかった。あのまま攻撃していれば俺は罪のない人間を殺めるところだった。
それは許せねえなあ?
「...了解」
俺は怒りを抑えながら返答する。
「それと恐らく寝たきりの患者がほとんどだから拘束の際は慎重にな」
「重ねて了解」
俺はその患者の右腕を掴み背後にまわる。そのまま左腕を掴み両腕を背中に回させ手錠をかける。
「寝たきりってどういうことですか?」
「奈良の近くの病院で寝たきり患者が数名行方不明になっている。その中の一人がさっき拘束した方と酷似していてな」
暗闇から病衣を着た患者たちがぞろぞろと立ち上がる。
「まるでゾンビ映画っすね」
「ユウジ、残りの奴らも拘束を頼めるか?俺は隅っこで怯えているヤツをとっ捕まえる」
「了解です」
俺は流れ作業のように次々と患者を拘束する。
「しっかしなんで寝たきり患者に悪霊が憑いてるんですかね」
俺は拘束をしつつ二人に尋ねてみる。
「禁后...植物人間...死者蘇生...」
「宝条さん?」
「...そうか、やっとわかった。禁后の儀式は行程通りに行えば楽園へ行けるとされている。ならばその行程を逆にして行っていけば...」
「楽園にいる人間を現世に引き摺り出すことができる!?」
だが、そんなことはありえない。不可逆変化だ。熱調理した卵を冷ましても元に戻らないように。
「ちょっと待てよ、そんなことできるわけないだろ。指詰めるぞこの野郎」
「でしょうね。現に患者に悪霊どもが取り憑いて出来損ないのゾンビになってますし。詳しいことは京極さんの前にいるそいつに聞きましょう」
「ひぃ~~~~~~~暴力は勘弁してくださいぃ~~~~~」
50を超えてそうな男が情けない声で許しを懇願している。京極さんが胸ぐらを掴み話しかける。
「それはお前次第だな、持ってる情報全部話さないとドラム缶に詰めて海の底だぜ」
「ごめんなさいぃ~~~~~~~~~~全部話しますぅ~~~~~~~~」
京極さんの脅迫芸がようやく役に立ったところで俺達の任務は完了した。
埼玉県熊谷市に着いた僕たちは作戦会議を行っている。
「まずテケテケは線路が近くにある歩道橋や踏切に出現します。そしてこれが線路付近に存在する踏切と歩道橋です」
そう言って僕たちにタブレットを渡してくる。画面上には熊谷市の地図に踏切と歩道橋がマッピングされている。
「ん~このでっかく横切ってる高崎線をマークすりゃいいんだね」
「はい、それと念のために秩父鉄道の方も注意をお願いします」
「上越新幹線の方はマークしなくて大丈夫なんですか?
「新幹線の線路には踏切や歩道橋は無かったので出現する可能性はほぼ無いかと」
それもそうだ。そもそもテケテケは電車に轢かれて上半身と下半身が別れた女性が怪異になったという噂から生まれたものだ。新幹線だったら追突した瞬間霧になっている。
「そして次にテケテケは噂を聞いた者、もしくはテケテケを見た者が狙われやすいとのことですがこれに関しては特定不可能と判断しました」
ん?噂を聞いた者?それって...
「待ってください。思いっきり今朝のニュースで報道してませんでした?日本全国に噂が広がってませんか?」
「そこは大丈夫です。報道では「全身を強く打ち」と言い換えてもらうようにお願いしましたから」
「へへ~んナオくんだって朝のブリーフィングまではテケテケの仕業なんて思わなかったでしょ~」
言われてみればそうだ。不可解な事件だとは思ったがそこまでは想像できなかった。怪異退治のプロでありながら不甲斐ない。
「私達3人を「噂を聞いた者」認定してもらえばこちらから出向く羽目は省けますし仮に一般人を襲うとしてもギアの全力であれば間に合うかと思います」
本当にそう思います?本気でそう思ってます?
「いや絶対これ無」
「テケテケの反応を確認ッ!2kmッ!10時の方向ッ!」
僕の言葉はカズハさんの言葉に掻き消されてしまった。
「ムラクモッ!」
「ジョワユーズッ!」
僕たちは車内で変身し車から飛び出てテケテケの元に急行する。全速力で走るがどう考えても間に合いそうにない。
「距離が遠いか、ナオくんッ!ジャンプしてッ!」
「ッ?!了解ッ!」
少し疑問を抱えつつも指示に従って跳躍する。ギアのおかげで地上から15mの高さまで跳躍できる。目標地点を見るとテケテケが全速力で対象に向かっている。
「見つけたッ!へ?」
気が付けばアオイさんに両足を掴まれていた。なんですの?空中で組体操でもするのかしら?その疑問はすぐさま解消される。アオイさんは僕をジャイアントスイングの要領で振り回す。
「ちょいちょいちょいちょいちょいちょいッ!」
酒の匂いと車酔い、そしてジャイアントスイングの三重奏で嘔吐寸前だった。アオイさんが手を離し僕が射出される。黒田ナオキという名のミサイルがテケテケを目掛けて飛翔する。
なめんなよッ!僕はッ!
「リープロギア装者だッ!」
テケテケが一般人に襲い掛かろうとする寸前で悪質ならぬ良質なタックルをお見舞いする。僕とテケテケはくっついて転がっていく。そのまま逃がさないように胴体に短剣を突き刺したのだ。テケテケが体勢を立て直し再び目標へと向かう。僕が上に乗っているのをお構いなしに。
「こいつッ!僕の事完全無視かッ!だったらッ!」
僕はテケテケの目の前に立つように体勢を変え足を地面につける。僕の足はブレーキとして全く機能しなかった。
「まだまだッ!」
僕はすねの側面部にある装甲をアンカーに変化させコンクリートに突き刺す。そのままテケテケを持ち上げ自分の後ろ側の地面へと叩きつける。テケテケの速度も上乗せされ勢いよく叩きつけられる。
「ナオくんナイスッ!」
アオイさんは鉤爪でテケテケの首を刎ねる。テケテケの動きはピタリと止まりやがて黒い液体となって消えていった。
「やったっ!う”っ”!」
まずい!一気に吐き気が!
「う”お”え”え”え”え”え”え”え”え”」
胃の内容物が出口を求めてぐるぐるした結果、思いっきり出ていってしまった。
「うわっ!ナオくんバッチい!」
「ハァ...ハァ...誰のせいだと....思ってんだよッ!」
僕は伊吹アオイを追いかけようとするが千鳥足で歩くことすらままならない。
「あ」
僕は自分の足で引っ掛かり盛大にコケる。コンクリートの日中で火照った体温を夜に感じる。
父さん、ごめん。
僕、装者やっていけるかわからないです。